03.Goodbye and hello
傾いた日差しが、生暖かく街を照らす夕暮れ。部活を終えた生徒たちは、とりとめのない会話をしながら学校を出て行く。
小夜湖と司は、その流れに逆らわず肩を並べて歩いていた。
「明日から仮入部期間だね、一年生いっぱい来てくれるかなー」
「オケ部は毎年大漁だろ」
小夜湖の隣で、司は大きなあくびを漏らす。髪を下ろし、道着から制服に着替えると司の印象はだいぶ変わる。男勝りな性格が、整った顔に隠されて淑やかな印象が出来上がる。
「後輩とかだるいなー」
口を開くと、その印象は泡と消えるが。
「司なら、みんなの憧れの先輩になれるよ」
小夜湖が笑って首を傾けた時、彼女のポケットで着信音が鳴った。
「…お兄ちゃんだ」
取り出したスマホの画面に表示されていたのは小夜湖の兄、露里 文都の名前だった。
「出るね」
司に断って、小夜湖は通話ボタンを押す。
「もしもし、お兄ちゃん?」
『部活終わった?』
受話器越しに、聞き慣れた文都の声がする。
「うん、今学校出るとこ」
『じゃあ、一緒に夕飯食べて帰らないか?』
「?いいけど…」
『俺、今お前の学校の近くにいるんだ。地図送るから、そこで待ち合わせな』
「はーい」
返事をすると、電話はプツリと切れた。そして直後にマップの画像がメールで送られてくる。確かに、この学校のすぐ近くだ。
「何の電話だったんだ?急用か?」
「ううん、一緒に夕飯食べよって」
「相変わらず仲良いなー」
そう言って空を眺めた司は、ふと思い出したように瞬きをした。
「そういえば昨日、小夜の兄さんテレビで見たぞ」
「ほんと?」
「ああ、殺されるシーンの演技がすごかった」
小夜湖と4つ違いで、現在20歳の文都は駆け出しの俳優。高校生の頃から声優として活動し、去年からちょくちょくドラマに出始めている。
「録画してあるけど、まだ見てないや…」
そんなことを話している間に、校門にさしかかった。
「私、今日はあっちだから」
「おー、また明日なー」
「うん、また明日」
いつもなら家のすぐ近くまで一緒だが、文都から送られてきた地図に従い、小夜湖は自宅の反対方向へ歩き出した。
地図を頼りに歩くこと約20分。小夜湖は住宅街の中で足を止める。
「……」
地図が指すのは、杜村と表札のかかった目の前の一軒家。いたって普通の二階建てで、車一台分の車庫は空っぽだ。
インターホンを押すべきか迷い、とりあえず文都に連絡すべくスマホを取り出した。
その瞬間、家の中から何かが割れるような音が聞こえてくる。
「!?」
それに続いて、人の声も聞こえてきた。
「大丈夫ですか!?」
「平気です」
甲高い女性の声と、もうひとつは文都の声だった。
「お兄ちゃん!?」
小夜湖はスマホを即座にしまい込み、何も考えずに目の前のドアを開ける。
「お兄ちゃん!」
幸い鍵はかかっておらず、飛び込んだ廊下には線香の匂いが充満していた。
室内を見渡し、ガコン、ゴトンと絶えず物音のする二階へ駆け上がる。
「お兄ちゃーーーん!!」
「小夜!」
二階にたどり着くと同時に、手前の部屋から文都が飛び出してきた。
「馬鹿!来るな!」
ひどく焦った表情をしているが、幸い商売道具に傷はなかった。
「お兄ちゃんが来いって言ったんじゃん!」
「あ!そうだった!いや、でもそうじゃなくて今危ないから!」
あたふたする文都の後ろで、彼が飛び出してきた部屋から女性が現れる。
「あの、もう大丈夫です」
40代後半と見えるその女性は、頬に絆創膏をしていた。疲労に満ちた目をして、右手の袖口から白い包帯をのぞかせている。
「…?」
傷だらけの彼女に小夜湖が首を傾げていると、文都が部屋に引き返していった。
おそるおそる、その後をついていく。
廊下から覗き込んだ部屋には、小夜湖と同じ学校の制服を着た男子がうつ伏せに倒れていた。
「じゃあ、しばらくうちで預かりますね」
散らかった六畳間は、酷い有様だった。乱暴に漁られた痕跡を残す本棚やタンス。机の上にあったと見えるものは全て床に撒き散らされ、壁にはいくつもの傷があった。
文都は気絶している少年を負ぶって、ゆっくり部屋から出てくる。
「…よろしくお願いします」
そばに立っていた女性は、怯えるように少年から目を逸らした。
「帰るぞ、小夜」
「うん…」
その場から動かない女性に軽く頭を下げ、小夜湖は文都の後を追う。玄関前の廊下で、文都が立ち止まった。
「……」
視線の先の部屋には、仏壇があった。薄く煙を上げている線香の隣に、若い男の遺影が置いてある。年は文都と同じくらいだろうか、顔つきが文都の背中で眠る彼によく似ている。
「勝手に死んでんなよ……八雲」
文都が、珍しく感情を露わにして小さく呟いた。
怒りと、悲しみと、そして寂しさ。その表情は、悲痛に歪んでいた。
演技以外で滅多に喜怒哀楽を見せない文都が、こんな顔をするのは久しぶりに見る。
(お父さんとお母さんが死んだとき以来かな…)
きっと仲が良かったのだろう。
「小夜」
文都に呼ばれて小夜湖が振り向くと、彼はもう靴を履いて玄関に手をかけていた。
「こいつの靴、持って」
「はーい」
自分も靴を履こうと床を見下ろすと、小夜湖の靴は左右の壁際にひっくり返って落ちていた。
「…急いで来てくれて、ありがとう。驚かせて悪かったな」
そう言われて、ついさっき、この家に飛び込んだ瞬間のことを思い出す。
「……うん」
残されたたった一人の家族だからだろうか、簡単に消えてしまう気がして、失うのがすごく怖い。
もう二度と、あの記憶を呼び起こしたくないと、何も失いたくないと願う。
片方が消えれば、もう片方はひとりになる。
私たちは、いつだって恐怖に震えてる。
「…あの部屋、この子がやったの?」
日の暮れた夜道を歩きながら、小夜湖はさっきの家の惨状を思い返す。
「あぁ」
「もしかして、山で狼に育てられた狼少年とか…?」
ありえないと思いつつも、彼の正体を知りたいがために尋ねてみる。
「いや。でも…もしかするとそれよりファンタジーかもな」
「?」
「家に帰ったら詳しく話す」
少年を背負った文都は、短くいうと歩調を速めた。彼の靴を両手に持って、小夜湖も後を追う。
「どっか食いに行くかって言ってたけど、ごめんな」
「いいよ」
いつもより冷たい文都の隣、長い帰り道を大した会話もせず歩いた。
「……」
文都は、感情を全て深いところに押し込めて消してしまう。
悲しいとか、悔しいとか、小さな頃から泣き言を言わない人間だった。小夜湖が感情的だったからなのかもしれない。
そんな文都の感情を、小夜湖が初めて見たのは四年前。両親を事故で失った冬のこと。
泣きじゃくる小夜湖を抱きしめた文都も、声を殺して泣いていた。
冷え切った腕で、凍えた体を抱いた時に誓った。
残された、お互いの最後の一人は、必ず守ると。