その女房
「今となっちゃ時効だから話しますけど、昔はヤクザさんの名刺作らせて頂いてたんです。
それも日本トップクラスのヤクザさんのでしたからね、納品に行くのに盃交わすぐらいの気持ちがありましたよ。
1度に10箱1000枚を無造作に紙袋に入れ、時には買物カゴに入れて事務所迄お届けしてました。
そりゃ自宅を出た途端お巡りさんの姿なんか目にすると、もう心臓が破裂しそうでした。
今はあの世で脳天気にやってる旦那の話なんですよこれ。」
そう言って、おもむろに話し始めたのは、4ヶ月まえに私の勤務する老人介護施設に入所して来た冨田サチ78才。
この老婆ただ者じゃない。
その話が本当ならば、たいした生きざま。
年老いても尚、洞察力と理解力に優れて、その上思考力にもたけているだけに、瞬時にポイントを掴む。それだけに、いざこざがあれば即座に問題を解決する能力をもっているから、他の同居者の度肝を抜くいわばリーダー的存在になっている。
気立てが良く強い個性を放つカリスマ性に魅了されたのは同居者ならず勤務する職員さえもが、その情熱的でエネルギッシュなパワーに、働く意欲を駆り立てられるほど、彼女のオーラの虜になっている。
彼女がこのホームの全容を掴むのに、そう時間はかからなかった。
五感で感じる全ての空気を読み取ると、彼女は都合良く暮らして行く術を習得した。
私との出会いも、今にして見れば偶然ではなく、仕組まれた罠にはめられたのではと、そんな気すらする。が、
悪意を感じさせないのは、流石の腕前。
いや、これは天性の物としか言いようが無い。
彼女の話しは、ほぼ一方的だった。と言うより、くちを挟む空きがなかった。巧みな話し方、退屈させない内容に、身体がのめり込んで行くのだ。
「その前に、実はこの話し初めてします。
今日までどなたさんにもお話しした事がないです。話せなかった内容でもありますし、話すきっかけも無かったし、話す必要もなかったですから。けんど、
あなたにお会いして老後の生活を共にしてましたら、なんや昔のわたしの事をしってもらいたーなってしもうて、すんませんな。退屈な話じゃない思いますんで、お付き合いよろしゅーな。
今日までの事振り返って見ると旦那と過ごしたこの時期が一番充実してましたし、なんやかんや言うても賢うなったんちゃいますやろか。
輝いてました。
人生に宝箱があるなら、まさに此処ですね。
開けて行くの楽しみですよ。」
お一人に聞かすの勿体無い位ですわ。