予測可能ベースボール ―鬼の系譜―
ワールドシリーズ終了後、会見室にはいつもより大勢の記者が集まっていた。
お世辞にも若いとは言えないドノヴァン監督は、更に老け込んだ様子だった。監督は力無く、会見の最後にこう述べた。
「スポーツとしての野球は死んだんだ。試合は解析結果の検算でしかない。熱が冷めた」
今年、他を圧倒するチーム成績を残しながら、その言葉を最後にドノヴァン監督は球団を去った。この後、すぐにAIが球界を圧巻することになる。
そのときの監督の覚悟を持った眼差しを、僕は今でも覚えている。
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第1戦、クライマーズ対メイソンズは4対1で終えた。
クライマーズのベンチから、僕はロッカールームへ向かっていた。中からは、聞き慣れた怒鳴り声が聞こえくる。
「クソったれ!」
ロッカールームに入ろうとする直前、グローブが僕の横を飛び抜けていく。この球団ではある意味、平和な日常の風景だった。
「ちょっと監督、俺のグローブ投げないでくださいよ、ルイスを怪我させる訳にもいかないでしょう」
ビリー・ブッカーが、苦笑いしながらグローブを拾いにいく。
「ルイスをそんなヤワに育てた覚えは無い!」
監督は僕を指差しながら、彼に怒鳴る。
「おい、皆よく聞け。とにかく、今回の怠けた態度を徹底的に改善しろ。さもないと、パウエルと、計算機の塊と、あの不愉快な操り人形どもに、負けると思え、以上だ」
一語一語に語気を込めて監督は言うと、すぐに大股でロッカールームを後にした。
監督がこんなにも苛立っているのには訳がある。今年、優勝争いをしているメイソンズは特殊なチームだったからだ。彼らの参謀は、まさしく“計算機の塊”だった。その名はRobbie[ロビィ]、野球の分析予測に特化したAIだ。
「チーム編成については、Robbieに従うのよ」
メイソンズのGMのスーザン・パウエルは、年俸査定やチーム戦略、スタメン起用等々の権限を、Robbieに受け渡した。つまり彼女は、徹底された理性にチーム編成を任せたのだ。彼女自身は、AIの性能向上と、メディアや他球団の対応に力を入れた。つい数年前の話だ。そして今日、Robbieの高速かつ大規模な計算という力業ひとつで、ワールドシリーズの舞台に登ってきた。
メイソンズとは、交流戦で幾度となく戦っている。誰が言ったか分からないが、メイソンズとの試合はシンギュラリティ・シリーズと呼ばれるている。悪趣味なネーミングだと思う。
シンギュラリティ・シリーズの度に僕らは勝ち越し、またその度にドノヴァン監督はこう言っていた。
「野球は、人間の独創と勝負勘が必要だ。計算機ごときにやられてたまるかよ」
監督は野球に誇りを持っている。メイソンズのやり方は、人間の領域を奪われるようで、堪らなく嫌だという様子だった。もちろん、僕もチームメイトも気持ちは一緒だが、それでも彼のメイソンズ嫌いは執着にも近かった。
「監督、キレ過ぎだぜ、ありゃあ。なぁ、ジム」
ビリーはグローブを気にしながら、僕に声を掛けた。
「あんな言わなくてもいいのに、試合には勝ったんだからさ」
彼は首をすくめて、笑顔を見せた。
ワールドシリーズは僕らのチーム、クライマーズの勝利で幕を上げた。7試合中、4試合勝利すれば、今年のメジャーリーグの王座につく。
正直、最初にしては余裕に勝てたと思う。しかし、今までの試合よりも、相手の不気味さをひどく感じていた。選手ではなく、その背後の不可知な存在と戦ってるようだった。そのことをビリーに打ち明ける。
「それは、あれだな。『パウエルの不文律』の不気味さだ」
「え、何それ?」
他のチームメイトが笑っているのを見ると、知らないのは僕だけのようだった。
「今じゃ、もっぱら噂だよ」
ビリーに教えてもらったパウエルの不文律は、密かに相手チームで共有されているルールということだった。
第1条、パウエル及びRobbieに、批判を加えてはならない。
第2条、Robbieの指示に服従しなければならない。
第3条、前掲第一条及び第二条に反しないかぎり、チームが勝たなければいけない。
「勝敗よりも沈黙と服従を。上記ふたつを守れば負けても構わない、それが不文律のポイントだ」
「また、悪い冗談だな」
「あながち間違いじゃないと思うぞ。監督が操り人形と言うわけだ。見ただろ、相手投手のがらんどうな眼」
ビリーは荷物を纏め、立ち上がった。
「そんな生気の抜けた奴等に、負ける訳ねぇよ」
じゃあなと彼は言い、ロッカールームを出ていった。
今になると彼の言葉は、楽観だったと言わざるおえない。
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「よし、完璧だ」
試合直前、僕はドノヴァン監督から、ミーティングルームで個人指導を受けていた。「お前は歴代最高の打者になれ」監督の掲げた途方もない目標により、これをルーキーのときから続けている。僕とドノヴァン監督にとって、これは儀式のようなものだった。僕が素振りをして、監督はそれを眺める。監督が良しと言うまで振る。だたそれだけだったが、これがあっての現在の僕だ。
「さあ、行くぞ、ルイス。これで最後だ」
これから第7戦を向ける。ここまで3勝3敗、最終戦まで争ってしまった。第1戦の違和感が、今でははっきりと感じ取れる。手の上で踊らされている感覚だ。勝った試合でさえ、相手が“既に知っていた”という疑念に駆られた。ワールドシリーズが終われば、それが何か、はっきりするだろう。
ベンチへ向かうためにバックヤードを行く。その途中、ふいに声を掛けられた。
「ねぇ、メイソンズのミーティングルームってどこかしら? あまり、こういうとこ来ないのよ」
振り返ると、思いがけない相手に僕は一瞬、言葉が出なかった。スーザン・パウエルだ。
「ほぉ、計算機に聞いても駄目だったのか?」皮肉を吐いたのは、ドノヴァン監督だった。
スーザン・パウエルは表情ひとつ変えずに、僕を見た。背後に一人、若い女性を連れている。球団関係者だろう。
「泣いても笑っても、最後の勝負になるわ。散々、予測を裏切ってくれたけど」そして彼女は宣言した。「シンギュラリティは今日、これからはAIの時代よ」
ドノヴァン監督は、鼻で笑う。
「甘いな、パウエル。負けるのはこの老いぼれ、俺だけだよ」
「え?」僕は驚く。監督は当然と言わんばかりの顔だった。
パウエルは、眉を寄せる。
「言葉遊びしている訳じゃないのよ、ドノヴァン」
「いや、違う。お前の予測を裏切るような、第2、第3の天の邪鬼が必ず現れるぞ」
彼女はあからさまに嫌悪感をあらわした。
「そう、楽しみだわ」
その直後、相手側の関係者が彼女を呼びにきて、会話が打ち切られた。
「おい、ルイス。精一杯やれよ」監督はそう言い、歩きだした。「これからが大変だ」
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「僕の名前は、ジェイムズ・ルイスだ。よろしく」
ミーティングルームで彼に名乗り、握手をする。彼は英語に戸惑ってはいたが、僕のことを知ってくれていた。
「君は、朝井一[アサイ ハジメ]君だね、君の活躍は知ってるよ」
新海ノイールズの4番、6年目、ライト、右投左打。メジャーに居るときから気になっていた。
長い時間を経て、僕は日本に来ていた。この地で監督をするためだ。
あのワールドシリーズが終わりドノヴァン監督が去った後、すぐにクライマーズはAIを導入した。毒を持って毒を制すだ。
第7戦の直前、監督は負けることを予見していた。もしも、最後の試合を勝っていれば、監督はまだ続けただろうか。あのとき、もっと打てればと、今も悔いる。
だから、僕はまだ戦おうと思っている。
この日本のプロ野球は、歴史が長くてデータが蓄積されている上、チーム数がメジャーより少ないので計算量も減る。なにより日本人特有の勤勉さや精密さが、AIの予測と相性が良かった。日本野球は、より洗練された予測野球だ。
だからこそ、僕はここを選んだ、天の邪鬼として。AIの最前線で、人間の領域を留めるために。
「じゃあ、まず素振りを見せてくれ。君には歴代最高の打者になってもらおう」