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予測可能ベースボール ―鬼の系譜―

作者: ほぼひつじ

 ワールドシリーズ終了後、会見室にはいつもより大勢の記者が集まっていた。

 お世辞にも若いとは言えないドノヴァン監督は、更に老け込んだ様子だった。監督は力無く、会見の最後にこう述べた。

「スポーツとしての野球は死んだんだ。試合は解析結果の検算でしかない。熱が冷めた」

 今年、他を圧倒するチーム成績を残しながら、その言葉を最後にドノヴァン監督は球団を去った。この後、すぐにAIが球界を圧巻することになる。

 そのときの監督の覚悟を持った眼差しを、僕は今でも覚えている。



■■■■■■■■■■



 第1戦、クライマーズ対メイソンズは4対1で終えた。


 クライマーズのベンチから、僕はロッカールームへ向かっていた。中からは、聞き慣れた怒鳴り声が聞こえくる。


「クソったれ!」

 ロッカールームに入ろうとする直前、グローブが僕の横を飛び抜けていく。この球団ではある意味、平和な日常の風景だった。


「ちょっと監督、俺のグローブ投げないでくださいよ、ルイスを怪我させる訳にもいかないでしょう」

 ビリー・ブッカーが、苦笑いしながらグローブを拾いにいく。


「ルイスをそんなヤワに育てた覚えは無い!」

 監督は僕を指差しながら、彼に怒鳴る。

「おい、皆よく聞け。とにかく、今回の怠けた態度を徹底的に改善しろ。さもないと、パウエルと、計算機の塊と、あの不愉快な操り人形どもに、負けると思え、以上だ」

 一語一語に語気を込めて監督は言うと、すぐに大股でロッカールームを後にした。



 監督がこんなにも苛立っているのには訳がある。今年、優勝争いをしているメイソンズは特殊なチームだったからだ。彼らの参謀は、まさしく“計算機の塊”だった。その名はRobbie[ロビィ]、野球の分析予測に特化したAIだ。


「チーム編成については、Robbieに従うのよ」


 メイソンズのGMのスーザン・パウエルは、年俸査定やチーム戦略、スタメン起用等々の権限を、Robbieに受け渡した。つまり彼女は、徹底された理性にチーム編成を任せたのだ。彼女自身は、AIの性能向上と、メディアや他球団の対応に力を入れた。つい数年前の話だ。そして今日、Robbieの高速かつ大規模な計算という力業ひとつで、ワールドシリーズの舞台に登ってきた。


 メイソンズとは、交流戦で幾度となく戦っている。誰が言ったか分からないが、メイソンズとの試合はシンギュラリティ・シリーズと呼ばれるている。悪趣味なネーミングだと思う。

 シンギュラリティ・シリーズの度に僕らは勝ち越し、またその度にドノヴァン監督はこう言っていた。

「野球は、人間の独創と勝負勘が必要だ。計算機ごときにやられてたまるかよ」

 監督は野球に誇りを持っている。メイソンズのやり方は、人間の領域を奪われるようで、堪らなく嫌だという様子だった。もちろん、僕もチームメイトも気持ちは一緒だが、それでも彼のメイソンズ嫌いは執着にも近かった。



「監督、キレ過ぎだぜ、ありゃあ。なぁ、ジム」

 ビリーはグローブを気にしながら、僕に声を掛けた。

「あんな言わなくてもいいのに、試合には勝ったんだからさ」

 彼は首をすくめて、笑顔を見せた。


 ワールドシリーズは僕らのチーム、クライマーズの勝利で幕を上げた。7試合中、4試合勝利すれば、今年のメジャーリーグの王座につく。

 正直、最初にしては余裕に勝てたと思う。しかし、今までの試合よりも、相手の不気味さをひどく感じていた。選手ではなく、その背後の不可知な存在と戦ってるようだった。そのことをビリーに打ち明ける。


「それは、あれだな。『パウエルの不文律』の不気味さだ」

「え、何それ?」

 他のチームメイトが笑っているのを見ると、知らないのは僕だけのようだった。


「今じゃ、もっぱら噂だよ」

 ビリーに教えてもらったパウエルの不文律は、密かに相手チームで共有されているルールということだった。


 第1条、パウエル及びRobbieに、批判を加えてはならない。

 第2条、Robbieの指示に服従しなければならない。

 第3条、前掲第一条及び第二条に反しないかぎり、チームが勝たなければいけない。


「勝敗よりも沈黙と服従を。上記ふたつを守れば負けても構わない、それが不文律のポイントだ」

「また、悪い冗談だな」

「あながち間違いじゃないと思うぞ。監督が操り人形と言うわけだ。見ただろ、相手投手のがらんどうな眼」

 ビリーは荷物を纏め、立ち上がった。

「そんな生気の抜けた奴等に、負ける訳ねぇよ」

 じゃあなと彼は言い、ロッカールームを出ていった。


 今になると彼の言葉は、楽観だったと言わざるおえない。



 ■■■■■■■■■■



「よし、完璧だ」

 試合直前、僕はドノヴァン監督から、ミーティングルームで個人指導を受けていた。「お前は歴代最高の打者になれ」監督の掲げた途方もない目標により、これをルーキーのときから続けている。僕とドノヴァン監督にとって、これは儀式のようなものだった。僕が素振りをして、監督はそれを眺める。監督が良しと言うまで振る。だたそれだけだったが、これがあっての現在の僕だ。


「さあ、行くぞ、ルイス。これで最後だ」


 これから第7戦を向ける。ここまで3勝3敗、最終戦まで争ってしまった。第1戦の違和感が、今でははっきりと感じ取れる。手の上で踊らされている感覚だ。勝った試合でさえ、相手が“既に知っていた”という疑念に駆られた。ワールドシリーズが終われば、それが何か、はっきりするだろう。


 ベンチへ向かうためにバックヤードを行く。その途中、ふいに声を掛けられた。


「ねぇ、メイソンズのミーティングルームってどこかしら? あまり、こういうとこ来ないのよ」


 振り返ると、思いがけない相手に僕は一瞬、言葉が出なかった。スーザン・パウエルだ。


「ほぉ、計算機に聞いても駄目だったのか?」皮肉を吐いたのは、ドノヴァン監督だった。


 スーザン・パウエルは表情ひとつ変えずに、僕を見た。背後に一人、若い女性を連れている。球団関係者だろう。


「泣いても笑っても、最後の勝負になるわ。散々、予測を裏切ってくれたけど」そして彼女は宣言した。「シンギュラリティは今日、これからはAIの時代よ」


 ドノヴァン監督は、鼻で笑う。

「甘いな、パウエル。負けるのはこの老いぼれ、俺だけだよ」

「え?」僕は驚く。監督は当然と言わんばかりの顔だった。


 パウエルは、眉を寄せる。

「言葉遊びしている訳じゃないのよ、ドノヴァン」

「いや、違う。お前の予測を裏切るような、第2、第3の天の邪鬼が必ず現れるぞ」

 彼女はあからさまに嫌悪感をあらわした。

「そう、楽しみだわ」

 その直後、相手側の関係者が彼女を呼びにきて、会話が打ち切られた。


「おい、ルイス。精一杯やれよ」監督はそう言い、歩きだした。「これからが大変だ」



 ■■■■■■■■■■



「僕の名前は、ジェイムズ・ルイスだ。よろしく」

 ミーティングルームで彼に名乗り、握手をする。彼は英語に戸惑ってはいたが、僕のことを知ってくれていた。


「君は、朝井一[アサイ ハジメ]君だね、君の活躍は知ってるよ」

 新海ノイールズの4番、6年目、ライト、右投左打。メジャーに居るときから気になっていた。



 長い時間を経て、僕は日本に来ていた。この地で監督をするためだ。

 あのワールドシリーズが終わりドノヴァン監督が去った後、すぐにクライマーズはAIを導入した。毒を持って毒を制すだ。


 第7戦の直前、監督は負けることを予見していた。もしも、最後の試合を勝っていれば、監督はまだ続けただろうか。あのとき、もっと打てればと、今も悔いる。


 だから、僕はまだ戦おうと思っている。

 この日本のプロ野球は、歴史が長くてデータが蓄積されている上、チーム数がメジャーより少ないので計算量も減る。なにより日本人特有の勤勉さや精密さが、AIの予測と相性が良かった。日本野球は、より洗練された予測野球だ。

 だからこそ、僕はここを選んだ、天の邪鬼として。AIの最前線で、人間の領域を留めるために。


「じゃあ、まず素振りを見せてくれ。君には歴代最高の打者になってもらおう」



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