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相互憧憬型両片想い

憧憬

作者: シャット

 ──届かない、と思った。

 壇上に立つその姿はとても美しく、佇まいは堂々たるもので、瞳に宿る意志は力強く、そして口から発せられる言葉には、一切の迷いがなくて。


「新入生の皆さん、藤ノ森高校へようこそ」


 生徒会長と名乗るそのひとを初めて見た俺は、彼女が自分の手では届かない高みにいる人物なのだと、すぐに悟っていた。


「あなたたちは、これからさまざまなできごとを経験することになるでしょう。楽しいことだけではなく、もちろんつらいこともあると思います」


 なにもかもに差がありすぎる。格が違うとすらいえる。到底追いつけるとは思えないような、それほどの凄みが、新入生への挨拶を行う彼女にはあった。

 でも。

 けれど。


「ですが決して、そこで折れないでください」


 それでも俺は、彼女のいる高みにまで達してみたいと考えてしまっていた。願ってしまっていた。焦がれてしまっていた。


「ありふれた言葉だと思われるかもしれませんが……諦めてしまったら、そこでなにもかも終わりなのですから」


 なぜかと問われたら、それはひどく単純だ。よくある話で、使い古された、すでに陳腐と化している、そんな感情。


 つまるところ俺は、彼女に惚れてしまっていた。


「この場を借りて、皆さんにお伝えしたいことはそれだけです。諦めないことの大切さ。それをもって私は、新入生への挨拶と代えさせていただきます」


 一目惚れ、というやつだ。

 恋物語の中にしか存在しないと思っていたそれが、まさか自分を訪れることになるとは想像もしていなかったけれど。


 一礼して壇上を去っていく生徒会長の後ろ姿を見つめながら、俺はひとつの決心をしていた。



 結論からいえば。

 入学式の直後に生徒会への参加を希望するような新入生が、今年度は何人もいたらしい。



   1



 この高校の生徒会制度が他校のそれと比べて変わっているのかどうかは、入試の際に学校調べをおろそかにしていた俺には定かではなかった。


 自由参加型、というと語弊があるだろうか。しかし少なくとも、希望者が募集の段階で蹴られることはまったくないようだ。いくつかの役職に分かれはするものの、全員が生徒会役員という立場を得ることができる。もちろん、高い地位に就きたいのであれば相応の努力は必要らしいが。

 中学における生徒会とは選挙で選ばれた者だけが仕事をするものだったから、高校のそれはだいぶ違って感じられた。


 とはいえ、そういった制度面の話に限るなら、似たような高校はいくらでもあるだろう。進学校と呼ばれるようなところが同様だとしても不思議はない。しかし本校の生徒会にはもうひとつ、一風変わったところがあった。


 ──生徒会長が、異様な働き者だということだ。


「では、新入りくんはそちらのほうをお願いできるかな」

「わかりましたけど……今日の会長はもう充分に仕事をしているんですから、あとは俺に任せてもらっても」

「私も働くほうがより早く終わるだろう?」

「……まあ、確かに」


 説得に失敗した俺は、おとなしく会長と仕事を分担することになった。とはいえ、明朝各学級に配布される資料を人数毎に分配するだけだから、それほどの労力を必要とはしない。俺ひとりでもすぐに終わるような作業だ。


「これが終われば今日の仕事はおしまいだからね」

「はい」


 頷きつつ、ふと手許にある資料に意識を向けてみる。いわゆる海外留学の希望者を募るそれには、アメリカに位置する高校の名前が記されていた。姉妹校、というやつなのだろう。今年の夏頃に行われる交換留学を知らせるプリントだった。


 まあ、生徒会の一員となった俺には関係のないことだ。


 それぞれのクラスに相応の枚数を数え、配布物を入れる箱に放りこんでいく。本来その作業は別の人の仕事であるはずだとは思うが、どんなことでも引き受けてしまうのが会長の癖だった。それが良い癖か、それとも悪い癖なのかはさておくとして。


 現生徒会長の最大の特徴は、校内におけるありとあらゆる仕事を担おうとすることにある。もちろん手伝えることに限界はあるのだが、その限界を超えない範囲であれば好きなだけ協力してしまうのだ。それも、彼女ひとりで。

『自分にできる領域の仕事しか請け負っていない』とは彼女自身の弁だったけれど、かといってそれを見過ごせるわけもなく。生徒会に入ってからおよそ一ヶ月半の間、毎日のように俺は会長に同行していた。


 そしてつけ加えるならば、生徒会長としての彼女にはもうひとつの特徴がある。


「……ふう、これでなんとか仕事は終わりだ」


 単調な行程の終了を告げる彼女の言葉に応じながら、俺は時計を見上げた。その針はいまだに五時を回ってもいない。それを昨日と同様しっかりと意識した俺に向けて、会長は笑いかけてくる。


「では、悪いけれどこれで私は帰らせてもらうよ」

「はい。お疲れさまでした」


 頷きを返し、颯爽と生徒会長は去っていく。それはいつもの光景だった。普段から彼女は、必ず五時前には帰宅する。その日の仕事量には関係なく、である。てきぱきと作業を終えて、定刻には帰ってしまう。

 端的にいえば彼女は仕事が早い、ということなのだろう。けれど俺には、どこかそれだけではないようにも感じられていた。どこがどういうふうに、と問われたら、言葉を濁すことしかできないけれど。


「……俺も帰るかな」


 独りごちながら、校内を歩いていく。部活には所属していない現状、会長が定刻に仕事を終えれば俺も同時に帰れる、というのが毎日の流れだった。


 教室に置いてきた荷物を取りに向かう途中で、ふと足を止める。そこに掲示されているのは順位表と呼ばれる類のものだ。つい先日行われた中間考査、その結果である。

 第一学年、上位三十名。その中に俺の名前はない。まあ、順当な成果だった。合格点すれすれで入学してきたような身分の自分が、そう早く上がってこられるとは思っていない。対して、第二学年のほうはといえば──


「……やっぱり、すげえよなあ」


 それを目にしたことは数えきれないけれど、つい感嘆が口に出てしまう。二年生の学年一位、そこに生徒会長の名は載っていた。聞いたところでは、一年の頃から変わることなく、追随を許すこともなく、継続しての順位だという。


 敵わないな、と思う。

 生徒会の仕事ではいろいろなことを教わってばかりで、たいして役に立てているわけでもなく。学力の面でも、学年が違うとはいえ大きな差が開いていて。

 依然として、彼女は遠い存在のままだった。


「だけど」


 でも、いつの日か──、


 なんて叶わないだろう夢を抱きながら、俺はその日も帰路についた。



   2



 生徒会所属の新入生は例年と比べて若干多いという。しかしながら俺は、その大部分とあまり関係をもっていなかった。


 定期的に開かれる生徒会内部での会議を除き、他の部活動に専念している者もいる。会計といった書類関連の仕事を担当しており、純粋に直接的な関わりが少ない者もいる。生徒会に入りはしたけれど諸事情で継続が難しくなった、という者もいるかもしれない。


 ほとんどの時間を生徒会長に同行して働き、ついには庶務の肩書きを得ることになった俺とは異なる方面の生徒が多い、ということだろう。

 週に一度の定例会で、名前程度なら憶えている。逆にいえば、それ以外の場面で生徒会の面々が顔を合わせることは非常に少ない。その数少ない機会のひとつが、本日の体育祭である──。


 というふうに俺は思っていたのだけれど、実情は違っているらしい。


「そもそも、たいていの仕事は専門の委員会が分担しているからね」

「運営は実行委員会で、実況は放送委員会。救護などは保健委員の担当ですし、会場の設営は運動部が前日に終わらせた、と」

「私が手伝うような仕事もない。雑事はともかく、本職に口を挟んだら怒られる。つまり今日は、生徒会にとっての休暇だというわけだ」

「普段からそれほど多くの仕事をしているのは会長くらいのものだと思いますけど」

「働きすぎて庶務と呼ばれるようになった君も大概だろう」


 ふたりで顔を見合わせて苦笑する。そもそも、学校行事を休暇だとみなせてしまう毎日を送ってきた時点で問題ありではないかと思わないでもないが。仕事中毒、というやつなのかもしれない。


「そういえば、会長はどの競技に出場するんです?」

「ああ、訊かれるだろうとは思っていたが、残念ながら私はどれにも出ないよ」

「出ない、って……そんなことが認められるんですか」

「生徒会長の特権、なのかもしれないけれどね」


 いつも過剰に働いている会長を少しは休ませてやろう、という配慮だろうか。クラスメイトが同意するのは納得できるとしても、それを教師側が見過ごしたというのは不思議な話だった。


「そういう君のほうこそ、どの競技に出るんだい?」

「俺は二種目ですね。午前と午後の目玉競技、騎馬戦とリレーに」

「そうか……では楽しみにさせてもらうよ、庶務くん」


 何はともあれ、今日は生徒会の仕事を気にせず競技や観戦に専念できる日である、ということは確かだ。ひとまず俺と会長は、最初の競技が行われる場所に向かうことにする。



 その年の体育祭は、今までに俺の経験してきた体育祭や運動会のような行事の中で、最も楽しかったと間違いなく断言できるものだった。



   3



 最近、理解できてきたことがある。一般論として広げると、他校の人に怒られるかもしれないけれど。少なくともこの高校における生徒会は、裏方の役割を果たすことが多いということだ。


 裏方、という言葉では誤解が生じるだろうか。たとえば三ヶ月前の体育祭において、生徒会の出番はほとんどなかった。普段の学校生活でも、表立って活動することは少ない。強いていうならばたまに集会で会長が演説するくらいだ。基本的には陰で生徒たちを支えるのが、この高校の生徒会の役目のようだった。

 その例外のひとつが、今日と明日に行われる文化祭である。


 というふうに俺は認識していたのだけれど、それは同輩たちによって覆されることになった。


「『いつもはふたりが仕事の大部分を担ってくださっているんですから、たまには骨を休めてくださいよ』、か」


 打ちあわせにおける誰かの発言が反芻される。


「良い部下をもったものだな、私は」

「会長の人徳だと思いますよ」


 そもそも彼らの普段の仕事量が少ないのでは、とか、流石に生徒会長という立場が必要な場面における役割は残っていますよね、とか。言いたいことはたくさんあったけれど、実際に口に出した言の葉もまた、俺の本心だった。


「人徳、か……。果たしてそれは、本当に私のものなのかな」

「……え?」


 その本心が、会長自身の言葉により揺さぶられる。


「聞いたよ」


 言って彼女が指し示すのは、偶然そこにあったもの。夏休み明けに行われた実力考査、その順位表だった。


「学年三位、だったか? たいしたものじゃないか」

「ありがとうございます……でも、一位だった会長に比べたら、それほどたいしたものでは」

「そうかもしれないな」


 君にとっては、と。

 その静かな一言で凍りついた俺に、会長は続ける。


「だが、生徒たちにとってはどうだろうか」


 言いたいことをぼんやりと察した気がして反論したくなったけれど、俺が選んだのはその衝動を覆い隠すことだった。


「単に同じ順位を維持しているだけの私と、努力によって少しずつ登りつめてきた君と。果たして、一般的な生徒から見たとき──」


 その先の台詞は聞きたくなかった。聞こえないふりをしたかった。けれど、聞かなかったことにはできなくて。


「……確かに、そうかもしれませんね」


 でも。


「それでも俺は、そのことを認めたいとは思いません」

「……どうして、」

「なぜなら──」


 ──俺が高みを目指そうと思ったのはあなたがいたからだ、なんて言えるわけがなくて。


 口を濁し、言葉をごまかして、視界の隅の時計を指差した。


「……それよりも、そろそろ時間ですよ。文化祭の開会の言葉、という形容が正しいのかはわからないですけど。オープニングセレモニー、でしたよね」

「ああ、わかった」


 先ほど聞きかけたことをなかったことにしてくれたのか、会長は頷くと、身を翻して歩いていく。

 その後ろ姿を見つめながら、俺の心は乱れたままだった。


 そうして幕を開けた文化祭は、たいした問題が起こるわけでもなく、平穏無事に終わっていく。



 そして、


 そして。



   4



 生徒会長が体調を崩して入院したという知らせを聞いたのは、文化祭が終了した翌日のことだった。



   5



「……どうして、話してくれなかったんですか」


 白い、部屋だった。

 病室。病人の部屋。味気ない白色の家具が散った部屋。単調なその空間を唯一、会長の黒髪と白い肌のコントラストが彩っている。


「話す理由がなかったからだ、なんて言ったら怒るかな」


 まあ事実だったのだけれど、と。

 病衣を纏い寝台で身体を起こしている彼女は、静かな調子で言葉を紡いでいく。


「話したところで、どうにもならないだろう。現在の日本では治療できない病気だとか。過度な運動は危険を招く、とか。言ったところで、なんになる?」

「どうにもならない、かもしれないですけど。でも、知らないよりはましでした」

「……まあ、そうかもね」


 黙っていたことはすまなかった、と微笑する会長の表情はどこまでも穏やかだ──その身を蝕む病魔のことを、感じさせないくらいに。


「とはいえ私も、いつ露見するかと戦々恐々していたのだけれど。どんな状況であっても五時には下校したり、体育の授業では必ず欠席したり、明らかに怪しいだろう?」

「後者の事情を今の今まで知らなかった俺からは何も言えないですね」

「極めつきは体育祭だ。生徒会長だから競技に出なくても許される、なんてことはない──むしろ逆に、学校の顔である私こそが競技で活躍すべきはずだろうに」


 言われてみれば、確かにそのとおりではあるのだ。思い返せばこの半年近く、実にさまざまなできごとがあった。会長の身体が弱っていることが暗示されていた場面も、きっと数多くあったのだろう。

 それに気づけなかった俺が、あまりにも愚かだった、というだけのことで。


「まあそんなわけで、しばらく……海外に渡ってから手術をしたあとでリハビリ、という過程にどのくらいかかるかはわからないけれど……この先一年くらいは、高校には通えなくなる」

「わかり、ました」

「次期生徒会長には、君を推薦しておいたよ」

「……は?」


 その一言で時が止まったかのような錯覚を抱いた俺には注意を払うことなく、会長は話を進めていく。


「そもそも、本来なら生徒会長に選ばれるべきは現二年生だからね。去年の私が一応の特例だったとはいえ、今年もまた一年から会長を出す決定に反対する人も多かった。説得には苦労したよ」

「いや、あの」

「説得が通ったのは君自身の力だった、といっていい。入学当初と比較して、成績を順調に伸ばしていること。これまでの生徒会活動において私を補佐し、勤勉に働いてきたこと。体育祭での活躍を評価している向きもあったが、流石に少数派だったな」

「その、ちょっと……」

「それもこれも、すべて君の実力だよ。高校に入ってからひたむきに働いてきた君の頑張りが、二度目の特例を許したのだから。その成果を、私は誇らしく思う」

「ちょっと、待ってください……!」


 声をあげる直前に自分がいる場所を思い起こして声量を抑えることはできたものの、込められた怒りまでは隠しきれなかったらしい。突然に激情を受けた会長が怪訝な顔をする。


 そしてそれは、俺も同様だった。


 自分が、何に抗弁したいのかわからない。本当に抗弁したいのかすらもわからない。それでも制御しきれない情動のままに、俺は口を開く。


「それは、違います」

「違う……? 今の話にどこか間違いがあっただろうか」


 そう、違うのだ。決定的に違っている。

 俺が考えたこととは。願ったこととは。焦がれていたこととは、絶対的に、違う──。


「これは、違う」

「だから、その違いがどこにあるのかと──」

「──俺は、」


 なおも尋ねてくる会長の言葉を遮って、俺ははっきりと、叫ぶ。


「俺は、こんなかたちであなたを超えたいわけじゃなかった!」

「────、」

「病気なんていう無関係な、互いの実情を関知しないで襲ってくるようなもののせいなんかじゃなく、もっとしっかりと、自分自身の力で、自分の努力によって、俺は!」


 ──あなたの隣に立ちたかった。


 そう、思うがままに言葉をぶつける。


「あのときからそうだった。入学式で、新入生に挨拶するあなたを見たときから」


 俺には到底たどり着くことのできないような高みにいる、その生きざまの一端を目のあたりにしたときから。あのときからずっと、


「届かない、と確かに思った。自分には無理だとすぐに確信した」


 けれど。


「それでも俺は、あなたのいる高みに登りつめたかった」

「……それが、君の動機か」

「そうです」


 遠いあの日のことを思い出す。入学式が終了した直後のこと。生徒会室に向かい、入りたいという旨を告げた俺に、会長は問うたのだ。

『なぜ君は、生徒会に入りたいと思ったのか』と。

 あのときは適当なことを言ってごまかしていたけれど、今ならしっかりと断言できる。


「俺はあなたの横に並ぶために生徒会に入ったんだ」

「……それはわかった。けれど、どうしてそこまで、」

「そんなの、決まりきっているでしょう」


 自分の口調が敬語とそれ以外で入り乱れていることを自覚しつつ、俺は苦笑する。生徒会長の鈍感さはこの数ヶ月で知っていたつもりだったけれど、この状況に及んでもなおわかってもらえないとは思ってもみなかった。

 だから、自分で口にする。


「──あなたに惚れてしまっていたからですよ」

「……え?」

「一目惚れ、というやつです」


 言いながら、身体のどこかが震えるのを感じていた。心臓の拍動が加速する。顔が赤くなっている気がしてならない。

 そんな俺の様子を知ってか知らずか会長は、


「く、はは」


 唐突に、笑った。


「ははは、はは、は」


 こらえきれないかのように、かといって嘲笑っているというわけではまったくなく、心の底から嬉しそうな表情で。

 笑って、笑って、


「はははは、はは、は──」


 そうして笑い尽くしたあと、ぽつりと言った。


「──私も、同じだったよ」

「…………」

「ずっと、羨ましかったんだ。定めた目標に向けて、まっすぐに努力を続けられる君のことが」


 その目標の正体を理解したのは、ついさっきのことだったけれど。

 そう語る会長の顔は、まるで憑きものが落ちたかのような微笑みを浮かべていて。


「私は違ったからね。誰かの頼みに応えて、ある人の依頼を受けて、他人の要望に沿って──生徒会長という名を背負っていながら、自分の意志なんてあったものじゃなかった」

「それは、」

「違わないさ。いや、私が自主的にそうしているように見えたのなら、それは偽装がうまくいったということなのだろうが」

「でも、生徒のことを全然考えていなかったというわけでもないですよね」

「そうかもしれないな。でも私があれほど働き続けていたのは、自分ではなにも決められなかったからだ」


 他者の望みに応じていなければ、なにかをしようとも思えなかったから。


「だから君が、入学式が終わったあと真っ先に生徒会を訪れてきたとき──敵わないな、と思ったんだ」

「…………」

「あのときはごまかそうとしていたようだけれど、はっきりとした理由があるということはすぐにわかったよ。それから一緒に行動するようになって、その認識はますます強くなった」

「…………、」

「そんな君のことが別の意味で気になり始めたのは、いつのことだっただろうかね」

「それは、つまり」

「そのとおり。……私も、君のことが好きだ。同じことを君からついさっき言われたときには、とても驚いたものだったけれどね」

「それは、なんというかその、まあ、あれですね」


 自分がなにを考えているのかは完全にわからなくなってしまっていた。喜びかもしれない。嬉しみなのかもしれない。歓喜なのかもしれない。つまりきっと嬉しいのではないだろうか。きっと嬉しいはずだ。


 叶わないだろうと思っていたことが意図せずして叶ってしまって、嬉しくないわけもないのだから。


「さて、それじゃあ話を戻そうか」


 仕切り直すように手を叩いて、会長は話を進めていく。


「先述のように、これから少なくとも一年間、私は高校に通えない。その間は君に生徒会長を務めてもらう。それを代理というか否かは君次第だろう。だが少なくとも私は、君が代理人程度の器に収まる人間だと思ってはいないよ」

「確か、アメリカの病院での手術、ということでしたか」

「そうだ。ちなみに、本校が主導する海外留学の参加者が送られる高校は、偶然にもその病院に近いのだけれど──君ならば絶対に、この選択肢を選ぶことはないだろう?」

「でしょうね」

「さて、そこでだ」


 ひとつ約束をしてみないか、と。


 そう言った生徒会長は、悪戯っぽく笑う。



   *



 壇上の舞台裏に隠れた俺は、外からは見えない位置で体育館の中を見渡していた。そこにひしめいているのは今年度の新入生たち。男子に女子に、身長が高かったり低かったり、痩せていたり体格が良かったりと、それぞれ個性に溢れていそうな一年生だ。


 要するに、今日は入学式の日なのである。


 開会の言葉を終えた教頭の先生に代わって、校長先生が壇上の中心へと向かっていく。その話が終わったところで俺の出番になる、というわけだ。

 校長先生の話はありふれたものだった。去年も同じことを同じ口調で語っていたような気がするけれど、どうだっただろう。入学式に参加する在校生はほとんどいないため、それでも問題はないのかもしれない。

 少なくとも、話す内容をすでに決めていた俺から直接いえることが何もないというのは確かだ。


『続いて、生徒会長からの挨拶です』


 放送に従って舞台裏を出ると、背筋を伸ばして歩いていく。その最中に思い出されたのは、半年前に交わした約束のことだった。


『一年経ったら、たぶん私は高校に戻ってくることになると思う。もし君がそのときも生徒会長をしていたら、』


 前生徒会長は、かすかに脅すような調子を帯びた声で、言っていた。


『そのときはちゃんと、私の名前を呼んでね?』

『……気づいていたんですか』

『当たり前だろう。いつ話しても、どんな状況でも、君は私のことを「会長」としか呼ばなかった』

『それはお互いさまだと思いますけれど』

『……ともかく、その逃げが通用するのも、私が生徒会長でいられる間のことだ。だから覚悟は決めていてくれよ?』

『はい』

『──そして、忘れないでくれ』


 忘れられるわけがないでしょう。

 そう呟きたくなったけれど、壇上にいるということを想起して我慢せざるをえなかった。


『知っているとは思うけれど』


 回想が終わりに近づいたところで、ちょうど目的地にたどり着く。


『私の名前は──、』

「さて、と」


 記憶の再生をとりやめて、マイクの前でいずまいを正す。

 さあ、ここからが本番だ。先代の生徒会長に恥じないように。彼女のあとを受け継ぐ者として。悔いのないように俺は、生徒会長としての役割を果たさなければならない。


「新入生の皆さん、藤ノ森高校へようこそ」


 堂々とした佇まいを心がけて、目に強い意志を宿したつもりになって、一切の迷いもなく、口を開く。


「生徒会長の──」


 そうして俺は、自分の名前を告げた。

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