王室スキャンダル
アントス将軍とレオナルシスの間で、クララをラルムのお妃教育の学友とする件が話し合われてから一週間が経ったが、未だはっきりとした内容は決められていなかった。レオナルシスはラルムのアマドーラの雫を取り戻してお妃教育が実際に始められてからでよいと考えていたからだ。更に彼は以前にも増して分刻みの忙しいスケジュールをこなしており、食事を共にするどころか仕事の合間にラルムの顔を見に来る程度にしか会えない日々が続いていた。
そして今は国境警備を兼ねて帝国の要たる東西南北の4つの塔のうち北の塔に巡視に出向いていた。
全行程に一週間はかかるとラルムはレオナルシスから聞かされてはいたものの一抹の不安は募っていた。
レオナルシスは出発する日の夜明けに、ラルムの顔を見に部屋を訪れた。
「ラルム、一週間は城を留守にするが大丈夫か?今回の北の塔の国境巡視を終えればひとまず時間が取れる。巡視から戻り次第アマドーラの雫を取りにルルドに向かおう」
忙しいスケジュールをこなすレオナルシスの言葉にラルムはただ頷いた。
━━私はレオの負担になってはいない?
優しい碧の瞳に見つめられてラルムは紫色の瞳を潤ませた。
「早く…帰って来てね、レオ」
ラルムの不安を宿した瞳と小さな声にレオナルシスは目を細める。同時に自分の腕の中にラルムを引き寄せるといつになく深い口づけを続けた。そしてラルムの胸元に手をかけて少し寝衣をずらすと、他者からは見えにくい場所に初めて【火の華】の印を残した。
「ラルム、今回は君がまた私の【火】の熱を無意識に取り込まないように印を残した。この華が消える前には必ず戻ると約束する」
それから…数日後。
レオナルシスがアントス将軍一行を伴って北の塔へ向かって4日目に何の前触れもなくその事件は起こった。
今までも王室関連のニュースを主に取り扱ってきたロイヤル新聞の一面に【クララ嬢ついに入内決定】の記事が、後宮侍女の証言として大々的に載せられたのである。
またその後を追うように【皇帝陛下のお妃内定】や【クララ アントス正妃候補か?】など他社の新聞や雑誌も競うようにクララの記事を掲載し始めたことで帝都は一気にお妃内定ブームに沸き上がる様相となった。そこには戴冠式後の祝賀会におけるレオナルシスとクララが歓談している様子や舞踏会での二人の様子をとらえた写真が大きな見出しとなって掲載されていた。
その新聞の一部が、アントス派の侍女から朝早くにラルムの手元に届けられるまで時間はかからなかった。
「――これは、本当なの…?」
ラルムは手にした記事を読み終えると、崩れるように部屋のカウチにもたれ掛かかりそまま床に座り込んでしまった。
ラルムが手にしていた新聞には美しい絵画のような皇帝陛下とクララ様のダンスをしている写真…。記事の内容によれば、後宮の侍女からの情報として未だ公表はされていない事を前置きした上で、将軍家息女クララアントス嬢の入内が極秘に決められた模様であるということやクララ嬢は国内における正妃の第1候補であるという事が事細やかに記されていた。どれもラルムが知らない事ばかりだった。
続いて部屋を訪れた女官長の言葉も更にラルムの胸を鋭くえぐった。
「ラルム様、近くクララ様が入内されますので直ぐにこの王妃の間を明け渡して頂きたく準備をお願い致します。事はアルカサンドラ王家の重大事です。分かりますね」
アントス将軍派の侍女数名から得た情報は、長年後宮で女官を務めていた女官長にとって耳を疑うものだった。待ちに待った将軍家クララ様の入内の目的が本来の目的とは全くかけ離れたものだったからだ。どこの馬の骨ともわからないラルムという娘が王妃の間に入っただけでも納得がいかないのに、クララ様がその娘のお妃教育の学友として後宮にいらっしゃるなど絶対に有り得ない。女官長は敢えて皇帝陛下が留守にしている間に事を起こしたのだ。
《私達後宮の者は皇帝陛下を幼き日よりお守りしてきました。この最も大事なお妃選びは何としても成功させなければなりません。そして世間の者からこのアマドール宮殿を寂しい城などと言われる時代を終わらさなければならないのです。》
女官長の言葉にラルムの侍女アン以外の誰もが大きく頷いて、後宮はクララを迎える準備を一斉に始めたのだった。
━━何かの間違えであってほしい。私はまだ何もレオから聞いてはいない。
顔面蒼白で床に座ったまま放心状態でいるラルムの姿を傍らから見て、ラルムの侍女である アンは《皇帝陛下に確認を!》と何度も女官長やアントス派の侍女達に掛け合っていたが、誰一人話を聞こうとはしなかった。
━━正妃を迎えようとしていたレオが、国境巡視を終えたらアマドーラの雫を取りに行こうと言うだろうか…?
北の塔に向かう前の熱い口づけとこの胸元に残る【火の華】の印はどういう意味があったのだろう…。ラルムはそっと胸元に手を当てた。
━━レオ…。
そこでラルムはいつかのレオナルシスの言葉を思い出した。
《アマドーラの雫を取り戻したら…頼み事がある》確か…彼はそう言っていた。
━━もし、その頼み事がクララ様入内の件だとしたら!?
「・・・・」
━━優しい彼はその事を、未だ完全に記憶を取り戻せない私に言えなかったとしたら!?
まして彼は私の身の上に起きたマテリアス家の悲劇を知っている…。
もしかして彼は責任を感じて…!?
マテリアス家を取り潰したのは紛れもない…アルカサンドラ王家だから。
レオはその責任感から私の面倒をみようとしていた…。
「あぁ……」
ラルムは不安の宿った紫色の瞳を静かにを閉じた。
━━私はなんと愚かなのだろう。あの時私はレオの言葉を愛の囁きと勘違いして勝手に一人で胸を踊らせていた。その前に《マテリアス家の称号を取り戻す》とも言われていたのに…。あれは私が一人でも自立して生きていけるようにレオが配慮してくれた事…。
ラルムの中では全てが符合してひとつのシナリオができあがっていた。
━━私は…もうここにはいられない。これ以上、レオに迷惑はかけられない。
「邪魔なのは…わたしだ」
ラルムは重い身体をカウチを支えにしてなんとか床から立ち上がると王妃の間から出ていく準備を始めた。
後宮に入ってレオナルシスから贈られた数多くのドレスは衣装部屋で保管されているため持ち出せるものはごく少量の荷物だけだ。せめてあの祝賀会で着た薄紫色のドレスだけでも手元に置きたいと思ったが…レオナルシスを思い出すものは敢えて持たない方がいいと思い直した。
不思議な事にラルムの身体は鉛のように重いのに…涙が一滴も出なかった。
その訳を…レオナルシスの側にいられるのは稀有な事と日頃からラルムが自分自身に言い聞かせていたからなのか、それとも本当に大事なものを奪われたショックからなのか…淡々と荷造りをするラルムには考える気力さえも残されてはいなかった。
━━レオ、いつも足手まといでごめんなさい。私ったら鈍感で…何も貴方の役には立てなかった。まして貴方のお妃選びの邪魔をしていたなんて…本当にごめんなさい。
でも、少しの間でもレオの側にいられて私は幸せだった。
ラルムはアンが制止する言葉に何も反応することはなかった。ただ静かな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。《アン、色々とありがとう》女官長を始めアントス派の侍女達の誘導に従ってその夜、ラルムは自らの意志で後宮を後にした。
━━レオ、黙って後宮を出る事を許して下さい。でも私は…貴方の幸せを心から願っています。
馬車の窓から遠ざかるライトアップされたアマドール宮殿を見つめてラルムは初めて頬に涙が伝っていることに気がついた。
「将軍家のクララ様が入内されれば、やっと寂しい城と呼ばれる宮殿も華やぐようになります。先代皇帝陛下の時代から皇后様亡き後、アマドール宮殿は一切の女性を遠ざけていましたが、レオナルシス様にはそのようにはなって頂きたくはないのです。皇帝陛下にはぜひ新しい時代を作って頂きたい」
王妃の間を出る時に最後、女官長から言われた言葉を思い出す。
初めてこのアマドール宮殿を見たときにエスコートしてくれていたルカが馬車の中で言っていた《寂しい城》の意味と先の女官長の言葉が重なって、今は少し安堵感さえ感じる。
━━新しい時代。これでレオはずっと抱えていた寂しさから解放されるのだ…それならば私は自分の想いなど封じ込めよう。
ラルムは涙の溢れる瞳を細めると敢えて微笑を浮かべた。
━━さようなら帝都アマドール、さようなら私の碧の皇子さま…。
ラルムが慌ただしく城を発った後に、アンは使いの者に緊急の書簡を持たせて皇帝陛下居住の宮殿に向かわせた。後宮はアマドール宮殿の一番奥に位置するため少し時間を要する。
書簡は皇帝陛下の執事カタドールに宛てられていた。
「このような時間に何事ですか?」
執事のカタドールは書簡を携えている者が後宮のアンからだと見るや直ぐに書簡を自ら手に取る。
「なっ、なんとした事か!?」
書簡に目を通したカタドールから徐々に表情が消えていく。
━━これはなんたる一大事!直ぐに皇帝陛下に連絡をせねばならん!!
《皇帝陛下、一大事でございます。ラルム様がクララ様の事をお妃候補と誤解されたようで後宮を出て行かれました。至急捜索を開始致します。》
緊急時に用いられる黄金の鷹に小さな書簡をくくりつけて夜空に放つ。
━━レオナルシス様が【火】を制御出来なくなれば大変な事になる。早くラルム様を追わねば!
カタドールは直ぐにレオナルシス直属の騎士数名をラルムの捜索に向かわせた。
━━ラルム様、どうかご無事で!!
ラルムはルシア行きの船が出る港で馬車を降りた。
ホーンの泉のブラッセリーに戻る事も一時は考えたが今更帰れない、帝都の騎士ルカにも合わせる顔がないと思った。
━━お礼も言わず、逃げるように帝都を後にする事になるなんて…皆、ごめんなさい。
早朝ルシアに向かう船のチケットをなんとか手にいれたラルムは、自分で手荷物を抱えて大きな客船に乗り込んだ。
執事カタドールがレオナルシスの直属騎士を動かした事を、早速自分の主に伝達した一人の男が港に着いた。彼もまた超能力を持つエスパーだった。レオナルシスが城を離れると同時に城に潜入して皇帝陛下に関する情報を収集していたのだ。何度か後宮に近づく事を試みていたが、幾重にも張り巡らされた防護壁は外部からの一切の侵入を許さなかった。しかし、チャンスは廻って来るものだ。内部から自分の意志を持って外に出る者に対してはその効果は及ばない。
ここ数日の間に王妃の間に囲われた女が、我が主がずっと捜し求めていた娘だということは容易に察しがついていた。しかしその女が今、自らの意志で、しかも一人で外に出たのだ。
《タクシン様、極上の贈り物が用意出来そうでございます。もうしばらくお待ち下さい》
男はラルムの居場所を確認すると、少し離れた場所から中を透視した。ラルムが一人でいることを確認すると素早く瞬間移動して、ラルムに背後から近づいた。
「…女、静かにしろ」
男はラルムが後ろを振り向くと同時に素早くラルムの鳩尾に拳を一発入れた。
「…うっっ」
ラルムはそのまま意識を失ってその場に倒れ込むが男はラルムのぐったりとした身体を難なく支えた。
「なんとも容易いものだ」
意識がないラルムを軽々と抱き抱えると男はそのまま闇に姿を消した。
遅れてレオナルシスの直属騎士達がラルムの居た部屋に突入した時には、既にラルムの姿はなく、ただ荷物だけが残されていた。




