将軍の悩み事
ラルムがアマドール宮殿の後宮内にある最高位の妃が入る部屋に入った事はごく一部の者以外には知らされていなかった。しかし、後宮に愛娘をいつ入内させようかと前々から情報網を張り巡らせていたアントス将軍の耳には遅れる事3日目にはその情報が届いていた。
娘のクララを差し置いて入内した謎の女の情報は思ったほど集まらない事にもアントス将軍の苛立ちは募っていた。更には当の本人であるクララがあまり入内に乗り気で無いことも薄々感じていた。
━━だからと言って今さら手の内を変えようなどとは思わない。何としてもクララを後宮に入内させねば!お妃の輩出は我がアントス家の長年の悲願でもある。
アントス将軍は焦る想いを抱えながら上院貴族会議に出席していた。聞くところによれば、陛下はどんなに多忙でも必ず昼か夜どちらかを後宮に赴いて食事を摂ると聞く。
━━━あの冷静沈着で、感情を表には殆ど見せることのない陛下が一人の女の元に通うなどあり得ない。
一度、部下の数名を後宮近くの中庭に接近させたが陛下のシールドに阻まれて先には進めなかったという。元々、後宮には独自の手厚い警備体制が敷かれているのにも関わらずこれ程の厳重警戒とはもはやただ事ではない。
ここは直接、陛下に正面きってクララの入内をお願いするしかないとアントス将軍は判断した。
上院貴族会議が終わると直ぐに、アントス将軍は皇帝陛下に個人的な面会を求めた。
「この度は陛下に、以前よりお願いを申し上げておりました我が娘のクララにつきまして改めて後宮入内の件を進めて頂きたくお時間を頂きました」
「アントス、その件は以前に断ったと思うが」
「陛下、聞くところによりますと既に後宮の王妃の間に町娘を置いておられるとか。まさかアマドーラ帝国を治められる皇帝陛下がそのような娘をいきなりあの間に入れるとは何かの間違えではありませんか?そもそも王妃の間は―」
「間違えなどではではない。私の意志だ」
「陛下。事は陛下お一人の問題ではありません。王妃の間に入る女性はいずれ皇后様とお成り頂く方しか入れないのが慣わしのはず。ただの町娘にそのような大役が務まるはずがありません。その点、我が娘クララならば幼き日よりお妃になるべく徹底した教育を受けさせておりますゆえ、きっと陛下のお役に立てるでしょう。もしその町娘がそれほどまでにお気に召したのであれば側室に迎えればよいではありませんか」
「…アントス、私は幼き頃よりお前に剣の手ほどきを受けて育った。初めての戦もお前の背中を見て学んだ。そこには大きな恩がある。しかし、それとこの件とは別だ」
冷静かつ穏やかな口調でレオナルシスはアントス将軍と視線を交えた。
アントス将軍は大きく溜め息を吐くと首を左右に振った。
「賢い陛下のなさる事…きっと理由がおありなのでしょう。それでも陛下、町娘はなりませぬ。しかもいきなり王妃の間とは…」
「まだ…詳しい事情は話せぬが、彼女はただの町娘ではない。私の祖母であるサマトーラ家のスベリアが後見人である由緒ある家の令嬢だ」
レオナルシスがうっすらと笑みを浮かべた。
「ルシアのサマトーラ家…スベリア様と?」
「そうだ」
「それではただの町娘ではないと?」
「そうだと言っている」
「それならば何故、人目から隠すように後宮の奥にお囲いか?」
「まだ彼女の存在は事情があって伏せている。それなのに何故、その事をアントス将軍が知っているのか逆に私が尋ねたい」
━━またしても…陛下にやられた。
こうなっては明らかにアントス将軍の不利である。
「そ、それは…色々と事情がありまして」
「敢えて今はそれ以上は突き詰めぬが、クララ嬢の幸せをよく考えてやるべきだと思うぞ、アントス」
レオナルシスは祝賀会の後半からクララの視線が誰を追っていたのかを知っていた。またその者に向けられた熱い想いも同時に感じていたのだ。
アントス将軍は天井を見上げて目を閉じた。
━━陛下は全てをお見通しか…。
以前より分かっていたことではあってもレオナルシスの前に敗北を認めるしかないアントス将軍は静かに息を吐いた。
「さすがに陛下は全てをお見通しか…。全くもって世間では百戦錬磨の策士と言われる私の考えなど陛下の前では何の役にもたちませぬな」
レオナルシスは穏やかな表情で静かにアントス将軍を見つめていた。
「それならば陛下、お妃候補としてクララを後宮に上げるのではなく、王妃の間にいらっしゃる方の学友として少しの期間だけでも受け入れては下さいませんか…何もなく他家へ嫁がせるのは幼き頃よりお妃教育を受けさせてきた私どもアントス家の…」
「面目が立たぬか…」
「はい、あっ、いいえ…しかるに例え半年、いや数ヶ月でも後宮に上がってお妃教育の学友としての役割を果たせたとなれば私どもも鼻が高く娘の嫁入りにも箔がつくというもの…せめてものご慈悲を賜りたく存じます」
レオナルシスはアントス将軍の愚直で誠実な人柄を知っていた。他の貴族と違って飾らない言葉や態度も信頼のおけるものであり、幼き頃から剣の手ほどきを承けた恩も少なからず感じていた。
━━ラルムの退屈しのぎに、歳の近いクララは良き話し相手になるかもしれない。
「…分かった。またその件は追って伝える」
レオナルシスの言葉を受けて、アントス将軍はほっと溜め息を吐いた。
━━これで何とか我家も面目が保てる。クララが誰に想いを寄せているかは、だいたいの検討はついている…今後はそれについても少し吟味せねばなるまい。
「陛下、ありがとうございます」
アントス将軍はレオナルシスに深々と頭を下げると安堵の表情を浮かべて退室したのだった。
その後、アントス将軍から遣わされていた後宮の侍女によって事実が歪曲されてクララの入内が世間を騒がす噂に発展するなど、この時のレオナルシスは知る由もない。




