月明かりの下で
祝賀会の優雅な時間が流れて、誰もが新皇帝陛下の戴冠の喜びを口にしていた。
当の本人であるレオナルシスは、あまり楽しんでいる様子は見受けられなかったが…。
続く舞踏会では、皇帝レオナルシスと隣国のマリン王女のペアが広間の中央で優雅な踊りを披露していた。蕩けてしまいそうなマリン王女の表情に対して、レオナルシスの表情は平然として何ら変わりはない。洗練された無駄のない動きで王女をリードしている姿は完璧である。
ラルムも、ルカにリードされて、久しぶりのダンスを楽しんでいた。でも、どこかで騎士レオの姿を探していた。もし彼が、レオナルシスに次いで何処かの美女をリードしていたら、余計に落ち込むであろうことは…容易に想像できたことだが…それでももう一度、彼の姿が見たいと思う気持ちをどうすることも出来ずに、ラルムはルカと二曲目のダンスに入った。
ふと…ラルムが周りに視線を向けると、騎士ルカとダンスを切望する貴族の女性達の鋭い眼差しに気づいた。
―私ったら…自分の事ばかりで…。
ラルムは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ラルムちゃん、どうしたの?」
「私…少し疲れたみたいで、この曲が終わったらちょっと休ませて頂きます」
「気づかなくてごめん。そしたら僕も一緒に…」
「ルカさんはダメです!」
「えっ―!?」
「…あっ、あのもう少しルカさんはご自分の役割を果たして下さい。ルカさんとダンスをしたいと待っていらっしゃる方がたくさん…」
「僕は、ラルムちゃんとしか踊りたくない」
「…ルカさん。そんなこと、おっしゃらないで下さい。私はルカさんとご一緒できて…充分、楽しませて頂きましたから。ね…」
ラルムは、意識して愛らしい微笑みをルカに向けた。
「…ラルムちゃんはずるいよ!そんな顔をされたら僕は断れないじゃないか」
「ルカさんは…優しいですね」
「ラルムちゃん、わかったよ…」
渋々、納得したルカの返事に、ラルムは胸を撫で下ろした。
少し離れた場所から、ラルムとルカのやり取りをルカの思考を介して把握していたレオナルシスは、うっすらと笑みを浮かべていた。
レオナルシスの本日の公務は、この二曲目のダンスまでだ。義務付けられた皇帝としての役割は、これで終了となる。
ラルムは、このまま広間でレオナルシスが他の美しい女性達とダンスを続ける姿を見たいとは思わなかったし、ルカからは少し離れた方がいいと判断して、外の空気を吸いに中庭に続くバルコニーに出た。
―ここにも…噴水がある。
ラルムは、ホッと一息ついて肩の力を抜いた。
「レディは…お一人かな?」
暗がりの場所であり、声をかけてきた相手はラルムの後方にいるので顔は見えない。
―でも、この声は…!?
急にラルムの鼓動は早打ちをはじめた。
―もしかして…騎士レオ、さん?
ラルムは静かに後ろを振り向いた。近づいて来た男性の顔を見上げる…。
「……えっ!?」
そこに立っていたのは…まぎれもなく、第8代皇帝 レオナルシス カーラ アルカサンドラその人…であった。
ラルムは驚きと、緊張のあまり一瞬そのまま固まってしまった。しかし長年、女学院で躾られてきたレディとしてのたしなみをラルムの体は覚えていた。
「皇帝陛下、本日はお招きを頂きまして、誠にありがとうございます…」
慎ましやかで正統な会釈と挨拶の言葉を述べた直後…ラルムはレオナルシスに抱きすくめられると同時に…その場から消えたのだった。
―ラルム…。
一瞬、何が起きたか分からなかったが、ラルムが気がつくと…そこは宮殿の屋上だった。なんだかとても暖かいと思ったのは、レオナルシスの腕の中だったからだ。ラルムは焦りと緊張で体が動かない。
「ラルム…やっと二人になれた」
―ラルムって…私の名前を、なぜ?
「君が記憶を無くしているのは、承知している。だが…少しこのままで、いてほしい」
レオナルシスの鼓動が聴こえた…。
―私…なぜか説明はできないけれど…確かにこの声と、香りと、そして温もりを知っている。
ラルムは言い様のない…安堵感に包まれていた。
「私を…ご存じなのですね」
ラルムは静かにレオナルシスを見上げた。
「…ああ」
レオナルシスは優しく笑みを浮かべると、そっとラルムの唇に自身の唇を重ねた。
「すまない…」
レオナルシスの熱い眼差しからラルムは目を逸らすことができない。
「…謝らないで、下さい」
かつての離宮で、同じように…ラルムが反応したことを思い出し、レオナルシスがクスリと笑った。
「…なぜ、お笑いになるの?」
ちょっと怒ったようにラルムが顔をしかめる。
「いや…すまない。前にも同じように…ラルムに叱られた事を思い出したのだ」
「えっ…!? 私がレオナルシス様を、叱ったのですか…?」
「…そうだ。そして私はこうした…」
レオナルシスは、驚いたように見つめ返すラルムに再び顔を近づけると、もう一度、更に深く唇を重ねた。
ラルムは、驚き以上に…嬉しさが増す自分の気持ちをどう扱えばいいのか…分からない。
―もう…離れたくない。
―もう…離したくない。
レオナルシスはよりいっそう…ラルムを強く抱き寄せる。二人はお互いの存在を確かめ合うように、月明かりの下…熱い口づけに酔いしれた。
「レオナルシス様、私がなぜ…貴方の記憶を失ったのか、何かご存じですか…?」
レオナルシスは無言でラルムから身体を離すと…一瞬、片手を宙で半回転させた。
そして…その左手の掌の上には、アドリアンの邸宅で見たティアラが乗っていた。
マジシャンの様な神業に…ラルムはただ見つめることしか出来ない。
「スモン家のアドリアンから今朝届いた。私がルシアの離宮で、今日、君が着ているそのドレスと一緒に贈ったティアラだ。君の記憶を消した理由については、手紙が添えられていた」
「アドリアンが…手紙を?」
「そうだ…レネット、いやレディ ラルム…。君と私は昔、ルシアの離宮で会っている。その時の記憶も消されていたとは…」
「昔…貴方とお会いしていた?」
「君が5歳位で…私は君を【レネット】と呼んでいた。君は私を【碧の皇子様】と呼んでいた…まさかあの後、君が私の【火】を自分の体内に取り込んでいるなど…知らなかった」
ラルムは、レオナルシスが切なそうに目を細める意味が、まだ理解出来ない。しかし、一つ分かったことがある。
―あの…レネットと私を呼ぶ声は、レオナルシス様…だった。
「そして、君の19歳の誕生日に、私達はもう一度、会っている。君はアマドーラの雫を身に付けていた…」
―アマドーラの雫…。
―アマドーラ、の、雫…!?
月の明かりに照らされて…ティアラが光を増した。
ルルドの森…アマドーラの雫、ミラの家…私は……マテリアス家の息女、ラルム マテリアス !?
記憶の欠片が…少しづつ、ラルムの頭の中で映像化されていく。
―アマドーラの雫は…【火】を司る男性と運命で結ばれている。アマドーラの雫…伝説、アルカサンドラ王家!?
―マテリアス家は、アルカサンドラ王家に貴族名簿から…除籍された!!
「…いやっ―!!」
ラルムは小さな悲鳴を上げた。
「なぜ…アルカサンドラ王家はマテリアス家を潰したの?」
「…ラルム、すまない。それには説明が必要なのだ。ただ、まだラルムに全てを告げる時期ではない。しかし、近き日に必ず私が、このレオナルシス カーラ アルカサンドラが…全てを明らかにしてみせると誓う。だから、今は私を信じて待っていてほしい…」
真剣な眼差しがラルムを捉える。むやみに人を寄せ付けない絶対的なオーラをもつ孤高の王者…。自身の名に懸けて語る目は…本物だった。
崩れ落ちるように、その場に座り込んだ震えるラルムの身体を優しく包み込むように、レオナルシスは身を寄せた。
「…ラルム、本物のアマドーラの雫を取りに帰ろう。私の【火】をこれ以上、君が取り込 むことがないように」
「貴方の【火】を…取り込む?」
「君は私と離れる時…無意識に私を忘れまいとして、私の【火】を自分の中に取り込んでしまうらしい…しかし、アマドーラの雫の力を未だ発揮できない君は、その熱を抱えてしまうのだ。だから、アドリアンは私の記憶を全て君から消したと記していた…」
―戴冠式の当日に…なんと負担のかかる荷物を、皇帝陛下に背負わしてしまったことだろう…。そうでなくても、この方は、この帝国の全てを一身に背負われていらっしゃるというのに…。
「アドリアンは…君は私の元では幸せに暮らせないと言う。しかし、私は…君が私の【火】を取り込んだとしても、対処できる方法が必ずあると信じている」
ラルムは、自分が自分で制御出来ない一部を抱えていることに、そして…その為に、レオナルシスの重荷になることに…怯えた。
レオナルシスはラルムが落ち着きを取り戻すまで、しばらくそのままの姿勢で…ラルムを抱き寄せていた。
「そのように…怯えなくてもよい。私が…ついている」
ラルムの紫色の瞳に涙が溜まる。
「私はまだ完全に…貴方の記憶を、思い出してはいませんが…私は、貴方を…レオナルシス様を信じます」
―この方を…私は信じたい。だって記憶がないのに…私はまた、この方に…恋をしてしまったのだから。
ラルムは、心の中でそっと…呟いた。
「…ラルム、もう離さない」
レオナルシスはラルムの存在を再度、確かめるように…更に自身の胸の中に引き寄せた。




