戴冠式1
―レネット
―レネット…私が必ず見つけてやる。
また同じ夢を見て、ラルムは目を覚ました。
―夢の中では、いつも私はレネットと呼ばれている。
…誰かにそう呼ばれていた事は記憶にないが、ラルムは「レネット」とは自分の呼び名であると分かっていた。
今日はいよいよ、第8代皇帝 レオナルシス カーラ アルカサンドラの戴冠式である。帝都アマドールだけでなく、アマドーラ帝国全土が新しい皇帝誕生の慶びに包まれていた。
しかし、その反面、アマド火山が小規模な噴煙を上げたことから、いよいよアマドーラ帝国は【火】を司る皇帝に支配され焼き尽くされるのだと一部で噂が立っているのも事実であった。
物心がつく頃、レオナルシスはその【火】を操れる事を理由に、一時期は皇太子廃位を、タクシン派に属していた大臣や貴族達に求められた事があった。また、しばしば毒を盛られたり、外出時に馬車が奇襲されるなどの暗殺未遂事件が起きたこともある。そのため、レオナルシスは本来の自分の姿を騎士レオに変えて、外部と接点を持ちながら社会情勢を把握し、自己の見識を深めるようになった経緯がある。
ラルムは一昨日の出来事を思い出すと、少々…胸が痛んだが、取り合えずアドリアンには手紙を出して、もう少し帝都アマドールに滞在したい旨を綴った。《消された記憶を取り戻したい》とは…やはりアドリアンの気持ちを想うと…書けなかった。
きっと彼は私に良かれと思ってしてくれた事だと、どこかで信じたかったからかもしれない。
更には…騎士レオの姿と宝石商のポスターで見た皇太子レオナルシス様の姿がどうしても重なってしまい、そんな自分にもラルムは戸惑っていた。
―色々な事が頭の中で…ぐるぐると混乱している。
あまり深く考えると、余計に苦しくなるのでラルムはそこで思考を停止させた。
ドレッサーに吊るしたドレスに視線を移す。
この薄紫色のドレスを、ラルムはとても気に入っていた。
昨日、ルカから今日の祝賀会で着用するドレスをプレゼントしたいと申し出があったのだが、ラルムは丁寧に断った。ルシアから持参していたこのドレスを着たいと思ったからにほかならない。自分の瞳の色に似たこのドレスは…全く記憶には無いものの…ルシアの離宮でラルムが着ていた物だと言う。その証拠に…華奢なラルムの細い身体にドレスがぴったりフィットしたのだ。そして更に、アドリアンがこのドレスを処分しようとしたということは…ラルムは自分の失われた記憶に繋がる大事なものであると思ったからだ。
―祝賀会で…あの黒髪の騎士レオさんに逢えるかな…。
私をラルムと呼んだ、あの声は…どこか夢の中で私を呼ぶ人と似ている気がして、懐かしさと安堵感を覚えた。
新皇帝陛下であるレオナルシス様にも…もしかすると拝謁することが叶うもしれないと思うだけで、ラルムの鼓動はよけいに高まった。
―新皇帝、レオナルシス様はいったい、どんな方なのだろう…。
ルカの計らいで…今日、ラルムはブラッセリーの休みをもらっていた。祝賀会に行くことを知ったナーラさんは、昔、貴族のお屋敷で髪結いの仕事をしていたという知り合いの女性を紹介してくれた。《うちのブッセリーから、祝賀会に参加するレディを送り出せるなんて…すごいわ!》当事者のラルムよりもナーラさんの方が、興奮しているといってもいいくらいだ。
夕方、ルカがブラッセリーにラルムを迎えに来る頃には、素敵なレディ ラルムが仕上がっているはずである。
レオナルシスは昨夜、遅い時間に夕食を終えると、ある場所へ瞬間移動した。それは、ホーンの泉に近いラルムの働くブラッセリーだった。あまり近づき過ぎないように、周りに気づかれないように…静かに影に同化していた。相変わらず…騎士団のメンバーが何人もいて、その中心となっているのは紛れもなくあの、ルカだ。しかし、レオナルシスの視線はすぐに…ゴールドの髪を後ろで一つに結んで、笑顔を浮かべて接客するラルムの姿を捉えた。それは…紛れもなく、ルシアの離宮で熱い口づけを交わした…ラルム、その人である。
―ラルム…。アマドーラの雫…。
明日に控えた戴冠式の準備は、息つく間もないほど多忙を極め、さすがのレオナルシスも疲れがピークに達していた。それでも、こうやって元気なラルムの姿を見ると…レオナルシスの気持ちは軽くなり、疲れが癒されるように感じた。
相変わらず…ラルムの周りにいる者の思考は読めるのに、肝心のラルムの思いは全く読み取ることができない。
―その事実だけでも…十分に、君はレネット…いや、レディ ラルムなのだが…。
レオナルシスはこの数分間の幸せを糧に…明日からの怒濤の日々を…また一人で乗り越えていかなければならない。
《もし、私が大きくなって碧の皇子様を忘れたら、どうしよう…もう会えなくなっちゃう》
《レオ、私のファーストキスを…謝らないで》
―君の失われた記憶を取り戻すには…私はどうすればいい?
実はレオナルシス自身、皇帝になる時が近づくにつれて、自己のパワーが勢いを増している事に気がついていた。アマド火山が活動を始めたのも、自分に関係があると自覚していたし、それに伴って悪い噂が囁かれていることも十分に承知していた。
―昨日のように…己の感情に呑まれてはならない。心を【無】にして、パワーを制御しなければ…帝国も同じように【火】に呑まれてしまう。
レオナルシスは王者ゆえの孤独と、とてつもない力を秘めた己のパワーと、これからも永遠に戦い続けなければならないのだ。
レオナルシスは最後にもう一度、ラルムの姿を目に焼き付けると、静かに闇の中に…姿を消した。
雲ひとつない深い青空が広がる晴天の下で、レオナルシスの戴冠式は粛々と進められていた。アマドーラ帝国を治めた初代皇帝 アマドーラ カーラ アルカサンドラの霊廟宮殿において、レオナルシスは帝国の皇帝となる決意を述べて、正式に第8代皇帝 レオナルシス カーラ アルカサンドラの頭上に、王冠が載せられようとしていた。全ての統括を取り仕切るのは、霊廟宮殿の最高責任者であるアザライ法王である。
「レオナルシス カーラ アルカサンドラに王者の象徴となる王冠を授ける」
ここに、代8代皇帝 レオナルシス カーラ アルカサンドラが誕生した。
誇り高き孤高の新皇帝は…歴代皇帝の中でもトップクラスの超能力王者であることは皆もが周知している事実であった。
その後、アマドール宮殿に設けられたパブリックバルコニーに、新皇帝となったレオナルシスが姿を現すと、帝国全土から押し寄せた数十万人にのぼる大衆は、一斉にどよめき、歓声を挙げた。バルコニーを望むロイヤルガーデンはパニックさながらの大盛況となった。
―レオナルシス様、万歳。
―アマドーラ帝国、万歳。
【火】を司るパワーキングであっても…大衆は、生まれながらにして王者としての宿命と器を承け継いだレオナルシス カーラ アルカサンドラの戴冠を待っていたのであった。
―帝国の民のために私はこの身を捨てよう。
レオナルシスは皇帝としての自覚と決意を新に、パブリックバルコニーから手を挙げて大衆に応えた。




