ホーンの泉
アマドール宮殿から、ルルドの方角にある下町にホーンの泉は造られた。帝都アマドールは元々、水源に乏しい土地であったが、その昔、ルルドから嫁いできたアマドーラの雫を持つ皇后が、ホーンの土地に湧き水をもたらしたのだと伝えられている。
近年、その湧き水も少なくなり、今では人工的な水源から水を引いていた。
また、この泉は昔から再会の泉ともいわれ、運命の相手や離ればなれになった恋人同士が再び巡り逢える場所として語り継がれていた。
ラルムが、ルカと分かれブラッセリーの上階にある自分の部屋に戻ろうとした時である。
「ラルム…探したよ…」
聞き慣れた声だった。でも、身体が硬直してラルムはすぐに後ろを振り向くことが出来なかった。
「なぜ…僕のもとから勝手にいなくなったりしたんだ…?僕はずっと君を探してたんだよ」
「…アドリアン、私…」
「僕から離れないと、約束したのに…。なぜラルムは僕の帰りを待っていてくれなかった?」
「アドリアン…私の手紙を読んでくれたでしょう…?」
以前、ルシアを発つときにラルムはアドリアンに宛てて手紙を残していた。そこには、今までの感謝の気持ちと、アリスと幸せになってほしいという正直なラルムの想いが綴られていた。
…ラルムはまだアドリアンの顔を見ることが出来ない。
「こっちを向いて…ラルム。アリスとの婚約は正式に解消したよ。今回の皇帝選出の貴族会議でモンダール家と訣別したんだ。それに、スモンの家も本邸のある都市ドルカ以外の資産を売却することにした。事業も大幅に縮小することになったから、却って僕としては助かった…」
タクシンを次期皇帝に推していたスモン家にとって、今回のダメージは相当大きく、資産運用を抜本的に見直す必要があったのだ。
「ラルム…僕らの結婚には何も障害が無くなったんだ。僕と一緒にルシアに帰ろう。あの湖畔の家は僕が相続することになったんだよ…」
アドリアンの熱い視線を感じて、ラルムはゆっくりと顔を上げた。
「今はエスパー アランにパワーを借りての瞬間移動だから、あまり時間がない。ラルム、早く…」
ラルムは…アドリアンと過ごした幼い日々を思い出して、うっすらと目を閉じた。
―私はアドリアンのことが…昔から好きなはず。それなのに、なぜ…素直に彼の胸に飛び込めないのだろう…。
「アドリアン様、時間がありません。それに、すぐ近くにレオナルシス様を感じます…取り合えず一旦、ドルカの本邸まで、お戻りください」
どこからか、エスパーアランの声がした。
「レオナルシス様、だって!?…ダメだっ!ラルムは連れていく…」
アドリアンがラルムに手を伸ばした瞬間、アランのパワーが途絶えて、アドリアンは…消えた。
「アドリアン…ごめんなさい」
小さな声で呟くと、ラルムは溢れる涙を堪えて、その場に座り込んだ。
―なぜ、私は…アドリアンの手を取ることが出来なかったのだろう…。
ラルムは、涙を拭うと一息ついて階段を降りた。少し気分を変えようと、ホーンの泉に向かって石畳を歩き出した瞬間…急に誰かに抱き留めらた。
「ラルムっ…本当に、ラルムなのか…!?」
しっかりと、その大事な存在を確かめるようにラルムを抱き寄せる長身の黒髪の男性に、ラルムは驚いて、直ぐに声を出すことができなかった。
全く身に覚えがない人…なのに、私はこの声を、この温もりを知っている…!?
咄嗟に、ラルムは男性から逃れようと身をよじった。
「…貴方は、どなたですか?人、 人違いです… 」
震えながら、拒絶の言葉を口にしたラルムに、レオナルシスは、思わず身体を離してラルムの顔を覗き込んだ。
「…ラルム、何を…言っている?」
しかし、ラルムの感情に揺れ動く変化はなく、ただ戸惑った表情を浮かべているだけだ。
―何が…起きた…!?
ラルムが、私を忘れていると…!?
「ラルム…、君は…私を忘れたか…?」
お互いに、視線を重ねていても…それ以上の言葉が出ない。
「手を離してくれるかな…レオ !」
ラルムとレオナルシスは同時に声のする方へと顔を向けた。
そこには、今にも剣を抜きそうな緊張感を漂わせたルカが立っていた。
「ラルムちゃんにお別れのキスをしわすれたと思って戻って来たんだ…離れろよ…レオ!」
いつもは陽気で、ことに女性に関しては寛大なルカが、本気で殺気立っているのが分かった。
「ラルムちゃん、大丈夫だよ。こいつは、騎士団の仲間で、僕の同僚…レオと言うんだ」
レオナルシスの顔を再び見上げたラルムは、切ない表情を浮かべた、レオという騎士と再び視線が重なって…思わず、視線をそらしてしまう。
―でも…もう一度、彼の声が…聞きたい。
「人違いを…されたのですね…。私、ビックリしてしまって…すみません。その、大切な方だったんですね…」
ラルムは自分が余計な事までも口にしていると分かっていた。それでも…騎士レオの反応がもっと知りたくて、もう一度彼の声が聞きたいと思ってしまって…話しかけている自分に驚いた。
しかし、騎士レオは一言も言葉を発しない。切なそうな表情はより色を増しても、熱い眼差しだけは、そのままラルムに注がれていた。
再びラルムは騎士レオに視線を向ける。
無言のまま、見つめ合う二人…。
「ラルムちゃん、風が強くなって来たから、早く部屋へ戻った方がいい…また連絡するからね」
ルカが、ラルムとレオの間に入り込むようにして言った。
その言葉に、ラルムはハッと我にかえる。
これ以上、ここに居てはいけないとルカに警告されたようだった。
「そ、そうですね…ルカさん、レオさん、それでは…また。さ、さようなら…」
ルカは片方の目を閉じて、ウィンクをすると、にこやかに微笑んだ。
騎士レオは…そのまま静止して目を閉じている。
ラルムはその場の緊張感を辛く感じて、また自分の気持ちの高まりを二人に感じ取られまいとして…降りた階段をまたかけ上がったのだった。
見送っていたラルムの姿が見えなくなると、ルカはレオに視線を向けた。
「レオ、いつも冷静沈着な君が…どうしたんだ?相手が君じゃなかったら、僕は剣を抜いていたよ」
「……」
レオナルシスは目を閉じたまま…無言で佇んでいる。
「君が以前、悩んでいた、あの時の彼女と似ていたのか…?」
ルカはどうしても、レオがラルムに摂った行動が信じられなかった。
あの頭脳明晰で冷静沈着、人に感情を見せることのない氷の騎士レオが、人を見間違えたりするだろうか…まして、自分から女性を抱き締めて熱い視線を送るなど、あり得ない事だ。また、ラルムも一瞬、レオに惹かれていくかのように見つめ返したので、ルカは慌てて、ラルムとレオを離そうとしたのだ。
ルカの不安と嫉妬を見抜いたように…レオナルシスはゆっくりと目を開けた。
「ああ…似ていた」
―いや、紛れもなく…本人だ。と言う言葉を呑み込んで、レオナルシスは短くそう告げると、自分の愛馬に騎乗した。
ルカはそんなレオナルシスに、釘を刺すかのように告げた。
「彼女は…明後日の祝賀会に僕が誘った」
ルカの言葉にレオナルシスが表情を変えることはない。
「彼女は僕が初めて見つけた…ルルドの雫だ。それを忘れないでくれ」
ルカはそれだけ言うと、さっと騎乗して馬を回し、そのまま駆け出して行った。
ルカが遠ざかった後、レオナルシスはラルムが上がっていったブラッセリーの上階を見上げた。
―ラルム…いったい、君に何があったのだ。
しかも、この私を忘れるとは…何事か。
まして、私の戴冠式の祝賀会に他の男と出席するなど…有り得ない話だ。
レオナルシスは足元が崩れるような大きな衝撃を感じていた。
―よりにもよって…記憶を無くしたラルムとの再会が、ホーンの泉の前でとは…。
それから数分後、地響きと共に、帝都アマドールに程近いアマド火山が小規模な噴煙を上げたのだった。




