帝都アマドールヘ1
ラルムが帝都アマドールに着いてから…早くも一週間が経過しようとしていた。
慌ただしくルシアを出発したので、帝都に着いてからの事をゆっくりと考える暇がなかった。
ルシア以外の都市を殆ど知らないラルムにとってこの一週間は驚きの連続だった。
第7代皇帝、オンドール カーラ アルカサンドラの崩御から1ヶ月は、帝国全体が喪に服することから帝都アマドールも閑散としていた。それでも都市ルシアに比べれば、大都会であり、高い建造物が所狭しと建ち並び…石畳の広い道は行き交う馬車と人で溢れている光景には驚かずにはいられない。時折、自分がいかに小さな存在かを実感して…弱気になることもあった。
ラルムが宿泊していた小さなホテルは、アマドールの中心部から少し離れた場所にあった。近くに大きな噴水があることが、ラルムのお気に入りのエリアとなり、この辺りで仕事を探そうと決めたのだ。
古くからある竜のモニュメントが中央にある噴水は《ホーンの泉》と呼ばれていた。
ラルムは先日、その泉が見える一軒のブラッセリーでウェイトレス募集の広告を見つけて応募すると、直ぐに採用が決まった。
土地勘もなく、誰も知り合いがいないこの場所で、これからの生活に不安がないと言えば嘘になるが、この帝都でなら、ラルムは自分が何か探せるような予感がして、新たな生活を始めたのだった。
「君みたいなお嬢さんが…うちのブラッセリーに来てくれたら、きっと大繁盛さ…」
店主のビリーは気さくな人で、あまりラルムの身辺について詮索することもなく、あっさりとラルムを雇ってくれた。
また、ラルムの住む場所が決まるまでは、店の上階にある一室を貸してくれることにもなった。ビリーと妹のナーラは二人で両親の残した店を守っている真面目で仲の良い兄妹である。
「ビリーさんとナーラさんには、本当に感謝しています」
ラルムの紫色の瞳に見つめられると、ビリーは何でも許してしまいそうな自分にしばし慌てた。その度に、妹のナーラから睨まれて、背中を叩かれるのだ。
「ラルム…ビリーと呼んでくれ」
「ラルム、ナーラと呼んで !よろしくね」
兄妹に同時に握手を求められ、ラルムは冷えきっていた心が久しぶりりに人の暖かさに触れて、ほのぼのと温まるような気がした。
ビリーの営むブラッセリーは、アマドールでもそこそこ有名な店らしく、ランチタイムに増して夕方からの混み具合は大変なものであった。
初めての仕事に戸惑いなからも…ラルムは日々の仕事に楽しみを感じていた。
ラルムが…やっと仕事にも、帝都での生活にも慣れたのは、ルシアを離れてから1ヶ月がすでに過ぎようとしていた。
そして、いよいよ1週間後にはアマドーラ帝国第8代皇帝陛下、レオナルシス カーラ アルカサンドラの戴冠式を迎えることになる。
「ラルムちゃん、今日もいつものちょうだい~」
明るい声を弾ませながらブラッセリーに入って来たのは、この店の常連客である帝都の騎士、ルカ アルカサスである。ラルムが働き始めてからというものディナータイムだけでなく、時間を空けてはランチタイムにも、この店に足を運ぶようになった。
ルカ アルカサスは、代々帝都の騎士を務める貴族の生まれであり、長身で華やかなルックスと甘いマスクも相まって帝都中の女性を夢中にさせていた。
そんなルカがブラッセリーに通いつめるのだから、ギャラリーは大変なものであった。
お陰で店の売り上げは大盛況であるが、ルカのお目当てであるラルムにとっては、たまったものでない…。
「あの娘、ウェイトレスなのに生意気よ !」
「貴族でもないのに、ルカ様に名前を呼んでもらえるなんて許せない!」
など、いわれなき悪口中傷が日々増していたのである。
「ラルムちゃんを悪く言うのは僕が許さないよ」
さすがに、お気楽なルカも黙ってはいられずに取り巻き女子に声をあげたのだった。
加えて、そんな礼儀作法の悪い客は、いつも体の大きなナーラが追い返してくれるのだ。
それでも、ラルムの悩みの種であることに変わりはない。
「そうだ、今日はラルムちゃんにお願いがあって来たんだよ」
いつものお気に入りのワインを片手に少し真剣な表情でルカが話しかける。
注文された料理を運んできたラルムはにこやかにルカに視線を向けた。
「ラルムちゃんの紫色の瞳はズルいね。本当に男を惑わすよな…」
少しはにかんだようにルカが言う。
「プレイボーイのルカさんに言われても、あまり響きませんけど…」
「キツいな…ラルムちゃん。可愛い顔して言うねぇ!そこがまた好き」
「ルカさん、私は次のお料理を運ばないと…」
「あ~ごめん、ごめん…実は1週間後に行われるレオナルシス様の戴冠式の日なんだけど、ラルムちゃん夜は空いている?」
「戴冠式の日ですか…?きっとお店が…」
「僕がビリーに頼んで休みをもらったら、空いてるってこと?」
いつになく真剣に話を進めるルカに驚いて、ラルムは言葉に詰まってしまう。
「実はこの戴冠式の夜に、アマドールの宮殿で祝賀会があるんだ。僕たち騎士団も出席させられるんだけど、パートナーが必要でね」
「パートナー…?」
「そう、パートナー。レオナルシス様もまだ独身でいらっしゃるし、宮殿には華が必要でね…」
「お誘いは、とても嬉しいですが…」
ラルムは咄嗟に…アドリアンの事を思い出した。戴冠式の祝賀会ともなればスモン家も参加するのではないだろうか…。そして、レオナルシス様と言えば、アルカサンドラ王家の象徴となるお方。私が以前ルシアの離宮でアルカサンドラ王家所縁のティアラを着けていたことも未だに思い出せないし…アルカサンドラ王家と聞いただけで近づくことに抵抗を感じてしまうのは、何故だろう…思い出せない自分に戸惑う。
「ラルムちゃんなら、大丈夫だよ。君のような娘が何でこんなブラッセリーでウェイトレスをしているのか分からないけど、君は上流階級の所作を身に付けた本物のレディだから…ね!?」
「…ル、ルカさん?」
「はははっ!プレイボーイを甘く見ないでよ…!?それとも何か出れない理由でもあるのかな?」
「それは…」
「まさか、意に添わない婚約者から逃げてきたとか言わないよね?それならそれで、話は早いけど」
「はっ?」
「一応…こう見えても、僕だってアルカサス家の跡取りだよ。帝都ではそれなりの名家だし、僕の婚約者になれば、君の悩みも解決だし、僕の望みも叶うし、一石二鳥だよ」
ラルムは…呆気に取られ、開いた口が閉じられない。
「ル、ルカさん?」
「うん。じゃー決まりね !ラルムちゃん。ここ一ヶ月、君に会うために昼も夜も通った甲斐があったよ…ありがとう」
ルカの勢いに圧されてしまい、ラルムはまだ返事をしていない。焦るラルムの前に、ルカは満悦の笑顔で優雅に席を立つ。ギャラリーの注目を浴びる中に、ルカはたじろぐ様子もなく、さっと礼を尽くして身を屈めると、ラルムに手を差し出した。
「レディ ラルム、どうぞ…僕と祝賀会に」
ラルムはその瞬間…店内に沸き起こる奇声も拍手も冷やかしの声も全く聞こえず…全身が硬直していた。ただうっすらと夕暮れ時のランプのついたカフェで、同じように同伴を求められたような記憶を思い出していた。
―私…前にも同じように、誰かに礼を尽くされて、その手を取った事がある。
あれは…いったい誰だったのだろう。アドリアン?…いいえ、違う、けれど思い出せない。私は、誰を忘れてしまったの?
ラルムはその瞬間に気を失ってその場に倒れこんでしまった。ルカが直ぐに支えたことで、事なきをえたが、ラルムの頬には、ひと筋の涙の雫が伝っていた。
その場面を見ていた店内の客は、ハッピーエンド的な展開に皆一様に興奮して、たいそうな盛り上がりをみせていた。
しかし、その一方で、ラルムを抱き留めたルカの表情は険しいものになっていた。
「ラルムちゃん…いったい君に何があったんだい !? そして、君にこんな思いをさせる奴は誰なんだ …」
プレイボーイでポーカーフェイスのルカにしては珍しく高まる感情が言葉になっていた。
同時に、ルカの取り巻き女子達が、その場で続けて失神したのは…言うまでもなく、その後も夜遅くまでブラッセリーは大盛況であったことも付け加えておこう。




