ラルムの記憶1
……ラルム。
……ラルム。
―貴方は誰?なぜ、私を呼ぶの…?
…レネット…その時は、私が必ず君を見つけてやる。
―私は貴方を知っている…でも誰なのかは思い出せない…。
ラルムがルシアの湖畔にあるアドリアンの屋敷に運ばれてから今日で3日が経過した。
ラルムは離宮の回廊でアドリアンに助けられ、プロポーズを受けた後、急に気を失ってその場に倒れた。咄嗟にラルムを抱き留めたアドリアンはその身体が燃えるように熱いことに気がつく。離宮の執事であるモルト氏が、ラルムを預かろうと駆け寄ってくる頃には、アドリアンは既に馬車を発車させていた。
「アドリアン様…今、ラルムの【火】にまつわる記憶を消しましたので…徐々に目が覚めると思います。少し身体を休めてくださいませ…」
アドリアンは、ラルムを屋敷の自室に運び込んでから、ずっとその側を離れなかった。
「治療師マタリ、ラルムの【火】の記憶とは…もしかして、昔、離宮からラルムが帰って来た時と同じ…ではないよね…」
ヒーラーマタリは、ラルムのベットサイドで頭を抱えているアドリアンに真実を告げるべきか否か悩んでいた。
ヒーラーマタリはルシアでは有名な治療師であり、アドリアンの幼い頃からの主治医でもあった。超能力を治療として使う能力に優れ、相手の記憶を読む事に長けていた。
あれは、今から14年程前、アドリアン様が8歳の時だった。あの当時はまだアドリアン様の体調が不安定で、私はここスモン家の屋敷に毎日通っていた。
そんな時に、隣に住むラルムという娘が、ルシアの離宮から戻って熱を出したので診てほしいとアドリアン様に頼まれた。当時、彼女は5歳だったと記憶している。
忘れられないのは、熱に苦しむラルムの記憶には、《碧の皇子》の記憶が鮮明であり、切り離されるショックから彼の【火】を無意識に体内に取り込んでしまっていたことだ。
ラルムの記憶から《碧の皇子》【火】の記憶は、カーラ アルカサンドラ家、第1皇子のレオナルシス様だと直ぐに分かった。
通常はレオナルシス様のパワーを体内に取り込んむことなどあり得ない。身が持たないからだ。しかし、この5歳になる娘はレオナルシス様のパワーの一部をわが身に…忘れない為とでもいうように…体内に取り込んでいる事に私はただ驚いた。
アドリアン様は既に《碧の皇子》の存在を知っていた。何故なら、ずっとラルムが熱にうなされながら、「碧の皇子様…」とその名を呼んでいたからだ。
「マタリ、ラルムから、碧の皇子という人の記憶を消してよ…僕以外にラルムを守る男の子はいらないから」
身体の弱いアドリアン様が初めて、しっかりと自分の意見を主張をされた。
そして私は…この娘が、アドリアン様の元気になられる源ならばと…寝ているラルムから《碧の皇子》の記憶を消したのだった。
今思えば…あの時からアドリアン様は見違えるように元気になられた。
しかし、その《碧の皇子》がレオナルシス様だとは当時の幼いアドリアン様には告げてはなかった。
14年前と同じように、今もまた、熱にうなされているラルムの記憶には鮮明に…レオナルシス様の記憶が残っていた。今回はレオナルシス様の切なる想いを無意識に全身で受け止めたようだった。
昔も今も…レオナルシス様のパワーを抜く術はない。その記憶ごと消し去ることでしか対処は出来ない。しかし…私は気づいていた。
レオナルシス様のパワーを取り込める娘は同じように水の力を持つ者であることを…。ただ未だこの娘が自らの水のパワーに気がついていないだけだ。その能力に目覚めた時には…。
―マタリ…ラルムの記憶をかつてのように…消してほしい。
悲愴感に充ちた苦渋の表情で、辛そうにそう告げるアドリアン様の頼み事を…私は今回もまた、拒む事など出来なかった。
もしも…このまま、アドリアン様の身体に異変が生じたら、そちらの方が深刻であると昔と同じように感じたからだ。
14年前と同じように…私はラルムからレオナルシス様の記憶だけを消し去った。
頭を抱えて、ラルムのベッドサイドにうなだれつつも、その側を離れようとしないアドリアンの姿をマタリは静かに見つめていた。
ラルムがアドリアンの屋敷に運ばれたと言う情報は、スモン家にメイドとして忍び込ませているモンダールの者から直ぐに、アリスの耳にも届いていた。
《アドリアン様が離宮から倒れたラルム連れて戻られ、そのまま自室に運び込まれて三日三晩、片時も側を離れずに看病しています》
アリスは、嫉妬と怒りで気が狂いそうであった。
「ラルムを早く、スモン家から追い出して!!その為なら、手段は選ばないでいいから…」
アリスから命を受けたメイドのマリがアドリアンの自室の外で耳を傾けていた。
「マタリ……ラルムが頭に着けていたティアラからして、彼女はアルカサンドラ王家の晩餐会に出席していたと思う。これは…あの時の《碧の皇子》と関係があるのか?」
「……アドリアン様…」
「…マタリ、僕は大丈夫だから本当の事を教えてくれないか!」
「……」
「……もう僕はあの時のように…8歳の子どもじゃないんだ。今度ははぐらかさないで教えほしい」
アドリアンがマタリに視線を向ける。
「……分かりました」
マタリがゆっくりと口を開ける。
「……ラルムの記憶に以前あった《碧の皇子》と今回の記憶にある人物は同じ方です。…わが帝国で【火を司る者】と言えば……アドリアン様もお分かりでしょう…」
アドリアンはハッと気づいたように、ラルムに視線を戻した。
少しづつ、呼吸が穏やかになってきているラルムの寝顔は…うっすらと笑を浮かべているようにも見えた。
「…アルカサンドラ王家の……第1皇子、レオナルシス様だと、言うのか…!?」
マタリは静かに頷いた。
「さようでございます…今も昔もラルムが【火】を取り込んでしまうのはレオナルシス様の…」
「――何故…だ!! なぜ、ラルムが…レオナルシス様と接点を持つんだ …!?」
マタリの言葉を遮るように…アドリアンは視線をラルムに向けまま、強い口調でマタリに問いかけた。
「……それは、アマドーラの雫だからでございましょう」
―アマドーラの雫 !?
あれは1000年前の物語のはず…本当に存在するはずがない…。
―ラルムが…!? ラルムがアマドーラの雫だと…。何を言っているんだ !!
アドリアンはベッドサイドの席を立つと、そのまま屈んで、ラルムの顔に自分の顔を近づけた。
「…ラルム、君がアマドーラの雫なんて僕は信じない」
小さな声でアドリアンは呟くと、ラルムの額にかかる髪をそっと手で寄せて…静かに口づけた。
―あの、ラルムの誕生日…ルシアにはレオナルシス様のシールドが張られていて、僕はルシアに帰って来ることが出来なかった。
レオナルシス様が自ら動かれるとは、珍しいことだと言っていたエスパーアランの言葉が思い出される。
まさか、あの日に…二人は出会ったと言うのか !?
もう二度と離したくないと…離宮から大切に抱きかかえてきたラルムが…急に遠く感じてしまう現実を、アドリアンにはとうてい受け入れる事など出来なかった。
ラルムの額から長い口づけを終えたアドリアンは少しふらついた足取りで手を貸そうとする側近の手を振り払い…出口へと進む。
「…少し、休む。隣にいるから、ラルムが目を覚ましたら…呼んでほしい」
マタリはあまりにも痛々しいアドリアンの姿に…大きなため息をついた。
―このままでは、アドリアン様がもたない。
マタリは、ゆっくりと寝ているラルムの近くに寄ると、その額に軽く手をのせた。
―ラルム、貴女を呼ぶのは…スモン家のアドリアンです。
―ラルム、貴女の想う人は…スモン家のアドリアンです。
マタリは、ラルムから既に消し去ったレオナルシスの記憶を新たな記憶で埋める作業を…14年前と同じように行っていた。




