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空白のセト  作者: 四ツ橋ツミキ
第1章:始まりの地にて
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邂逅 1

 あれから数日。村は何事もなかったかのような平穏さを保ち続けている。

 村を出入りするのは馴染み顔の商人ばかりで、例の件に関連していそうな外部の人間が来た様子はない。また雫の仕事にもこれといった変化は見られず、あの夜の出来事は夢だったのではないかと思えるほどに坦々たる日々を過ごし、今日もこうして平和な朝を迎えた。

 温かい春風が道のわきに並ぶ草花を撫で、なだらかな曲線を描かせている。青空は雲に邪魔されることなくどこまでも続き、今日一日の晴天を約束してくれているかのようだ。

 雫は軽く伸びをしてから、詰所へ向かうべく歩き出した。今日は森の巡回を任されているから、春の陽気に充てられないよう特に気を引き締めなくてはならない。そう自分に言い聞かせながら行く道中、いつしかその思考はあの夜のことに及んでいた。

 岩佐からの無茶な要求に対する村長の応えや、十郎が岩佐との秘められた繋がりを匂わせる内容の発言をしたこと、そして湯殿で葵が不意に見せた涙……。色々と熟考したいことはあったが、その中で雫が最も心掛かりにしていたのは、会合の終わった後、一対一で話した時の十郎の様子だった。

 あの瞳――月明かりに照らされて露わになったあの赤い眼光。何か恐ろしいものに取り憑かれたのか、それとも十郎自身が異形のものに変異したのか、などと、現実的ではない憶測を展開してしまう程に、あの時の十郎は人間離れした何かを醸し出していた。

 実は翌日、雫は綾竹に、十郎の異様な様子をそれとなく伝えてはみたのだ。綾竹は首を傾げながらも「配慮しておく」という返答をしてくれたが、雫の不安は消えないままだった。それこそ直感や当て推量の類でしかないが、何か良くないことが起きる前触れのような気がしてならなかった。

 明るく賑わい始めた通りを、どこか物憂げに視線を落として歩く雫。よほど沈思黙考していたせいか、先程から自分の名を幾度も呼ぶ声にすぐに気付くことができなかった。


「おおい、いい加減にしろよ。何べん呼ばせるんだよ、雫」


 振り返ると、漉慈が不機嫌そうな渋い顔をして立っていた。


「……ああ、なんだ。漉慈か」

「なんだとはなんだ。ぼんやり歩いてると、森の獣どもに食われちまうぞ」


 親が子を諭す口調でそう言いながら笑う漉慈。雫も笑顔で返そうとしたが、そのたたずむ姿に違和感を覚え、思わず真顔でまじまじと見つめてしまった。身につけている装備が、いつもの狩りに出向く際のものとはいささか違っているのだ。


「今日は休みなの?」

「へっ? いや今日は……あ、あー」


 雫の問い掛けに否定しようとしたところで、自分の出で立ちを指摘されていることに気付いたらしい漉慈は、頭を掻いて少し困った表情を見せた。


「いや、その……おれ、今日は鉱石の採取に行くことになってんだ」

「えっ……」


 口ごもりながらもそう返す漉慈に、雫は驚きの声を発した。


「どうして急にそんな……。怪我でもした?」

「いやー……。そういうわけじゃ、ないんだけど」

「でも、禁猟期までにはまだ日があるでしょう?狩り役が別の仕事を回されるなんて、よっぽどの理由があるとしか……」


 不安げに見つめる雫に、漉慈は困ったように眉を下げ、どう説明すべきかと思案する素振りを見せた。

 狩り役は、護り役・賢役と並んで”(おん)(さん)(やく)”と称されている。御三役は基本的に任された務め以外の仕事をすることはほとんどないが、狩り役だけは他二つの役職と違い、気候や時期によっては仕事ができなくなることがある。たとえば雨風があまりにひどいとか、吹雪いて視界が悪い時などは狩り場である森には出られないし、”禁猟期”と呼ばれる期間に入れば、鳥と魚を除いて一切の狩猟が禁じられる。

 数日待てば変わる天候と違って禁猟期は長い。春を迎え、ハルナキ滝の水量が今より落ち着いてくる頃から、ナバの葉が赤く色づくまでは、防衛目的を除いて森の獣に武器を向けることはできないのだ。

 仕事の減るその間、手の空いた狩り役はもっぱら森の中を駆け回り、次の狩猟時期に役立ちそうな、あるいは絶対不可欠なあらゆる情報を収集することになっている。が、それだけの為に危険な森へ赴いて労力を消費するのは効率が悪く非生産的だ。その為その期間は、彼らの持つ情報収集力・分析力を最大限生かす仕事の一つとして、果実や木・竹材、鉱石の採取を任されることがある。

 しかし禁猟期以外、すなわち狩り役としての仕事がある今の時期に採取に回されるということは、雫が先ほど言っていたように、何かよほどの理由があるはずなのだ。


「……実はおれ、ここ最近あまり猟課を出せてないんだ」


 詳細を聞くまでは納得しそうにない雫に観念して、漉慈は重い口を開いて打ち明け始めた。


「皆の足引っ張るよりは役に立てる仕事してる方がいいし、それに環境を変えれば雲行きも変わるかなって思って、おれが狩猟団長と村長に頼んでこっちの仕事回してもらったんだよ」

「そう、だったんだ……」

「だから……なんて言うのかな、ちょっと早めにおれだけ禁猟期が来た、みたいに思ってくれれば有難いんだけど」


 まるで自分のことのように落ち込む雫を気遣い、いつもの軽い調子で笑う漉慈。雫もその配慮に心づき、何とか前向きに受け止めようとしたが、本業で成果を上げられない点はやはり心配だ。

 雫はどう言葉を掛けたらよいか思案し、結局巧い言葉は浮かんでこず、無言で漉慈の肩をポンポンと叩いた。


「そんな心配するこっちゃねえよ、おれは才能の塊だからな。どこで何してても大活躍する自信あるし」

「……そういうところが、一番心配だな」


 苦笑いする雫に、漉慈は首を傾げて「そうかなー」と呟いた。


「まあとにかくそういうわけだから。おれが留守の間、(さく)()(こう)()のこと頼むわ」

「えっ、あっ、うん……?」


 突然思わぬ要請を受け、訝しがりながらも頷く。

 採取の仕事は狩りと違って日を掛けて行うことはなく、朝から出て夕刻に戻ってくるのが定石だ。

 まるでしばらく帰ってこないかのような漉慈の口ぶりに、雫は戸惑いと不安を覚え、再び心配顔に逆戻りした。


「……念の為だよ、念の為。意外と迷子になったりして、帰りが遅くなるかもしれないだろ」

「何よそれ。普段『森はおれの庭だー!』なんて豪語してる奴が言うことじゃないでしょ」


 含み笑いでそう返す雫に、漉慈も笑顔で「それもそうだなー」と呟いた。


「そろそろ行くよ。お前もこれから警備だろ」

「あ……、うん。今日は外回りで……」

「じゃあ森で怪しい奴見つけたら、おれがやっつけといてやる」

「ふ……期待しないでおくよ」


 軽く手を上げ、漉慈は雫を追い越すかたちで背を向ける。一歩、また一歩と離れていくその後ろ姿に、雫は何故か引き留めの言葉を掛けそうになった。寸でのところでなんとか口は噤んだが、得も言われぬ不安感はその胸に残ったまま消えようとしない。


「何も……何も、起きないよね」


 まるで願掛けをするかのように天を仰ぎ、ぽつりと小さく呟く雫。

 一点の雲をも留めぬ空の下、春陽に弛むことを許さないかのように、心にまた一つ黒い染みが落ちた。







長い!ので、後半部分は次の8話に移しました。(2016/01/03)

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