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前編

 電話にメール、SNS……

 世の中便利になったもんで、すぐ人と連絡を取り合える時代になった。

 だけど。

 そんな時代に俺は、電子機器に頼らず文通をしたことがある。


 こんなふうに自分がスーツを着ていることなんて、想像すら出来なかったあの頃。

 忘れもしない、高校三年生にあがる春休みのこと。



 あの時、届くことのなかった手紙と言葉を――

 ――いま君に届けに行くよ。




――・――・――・――・――



「砂糖に醤油、料理酒、それに米……何だこれ。重いもんばっか」

 歩きながら指を折り曲げ、頼まれた買い物を一つ一つ確認していく。



 久しぶりに通った懐かしいこの道。

 左側には桜並木と道路、右側には味気ないコンクリートの壁。

 三月下旬の今は、桜が咲くには少しばかり早く、まだつぼみも固く閉じている。



「ったくばぁちゃん、ここぞとばかりに買いこんでおこうとしてるな」

 そうでなければ一度にこんなに調味料がなくなるはずがない。



 この春、高校三年生になる俺、中町(なかまち)隼人(はやと)は現在春休み一日目。

 来年は受験の年だし、春休みは思う存分遊びまくる、という計画をたてていたのだが、隣町に住むばぁちゃんが腰を痛めたため、その計画は断念せざるを得なくなってしまった。


 母さんの指令の下、ばぁちゃんの手伝い要員として今日から二週間、派遣されることになったからだ。



「今頃ヨシキたちは遊園地でジェットコースターか」


 友人たちは遊び回っているのに、俺はと言えばばぁちゃんの雑用係。

 助けになれるのは嬉しいが俺だってもうすぐ受験生だし、春休みくらいはめをはずして遊び回りたかった。



 がっくりとうなだれたまま商店街へと向かう大きな坂道を登っていくと突然、視界の端っこに白くて大きな花びらのような物を捉えた。

 それは、風に吹かれながら静かに舞い落ちて、かさりと音を立てながら、俺の目の前に着地した。



「何だこれ?」

 拾い上げてみると、それは白い封筒で。

 裏には洒落(しゃれ)た金のシールが貼られていた。


……もしかして手紙、か?



 落とし主を探そうと上を見上げてみるがそこには誰もおらず、真横にはコンクリートの崖が続いているだけで、その天辺も下からじゃよくわからない。


 崖の天辺に何かがあったような記憶はないし、たぶん雑木林が広がってるとかそんな感じなんだろうけど……。



 この手紙はいったいなんなんだ?


 封筒の表と裏を見ても、何も書かれていないし、太陽に透かしてみても中の字は見えない。


 突然現れた真っ白な封筒と、差出人も宛て先もわからない不思議な手紙……。

 そんな手紙に俺は強烈に惹き付けられてしまっていて。



「開けてみないことには、誰の物かもわかんないしな」

 そう自分に言い訳してゆっくりと封を切り、かさかさと音をたてながら、破けないように白い便箋を開いていく。

 目に飛び込んできたのは、クセのない綺麗な女性らしい字で、封筒にきちんと入れられているわりに、文章の量は少なかった。


 手紙に書かれていたのも予想外のことで『もし良ければ文通させてください』という内容と、手紙のやりとりの仕方だけ。



 あぁ、そうか。

 これは他の誰か宛てではなく、ここを通りがかった誰か……つまり俺に宛てて書かれた手紙だったんだ。



 うむ。俺宛ての手紙だということはわかった。

 問題は『誰から』の手紙なのか、ということ。


 こんな字に見覚えはないし、差出人はきっと俺の知らない人。



 だけど……



「このまま春休みを終えるなんてつまらない、か」


 相手の顔も名前もわからない。

 そんな人と俺は、春休みの退屈しのぎに文通をすることに決めた。



――・――・――・――・――


「ただいま」

 がらり、と音を立てて横開きの玄関を開けていく。


「隼人~、ありがとなぁ。ばぁちゃん助かったよぉ。後で小遣いやんなきゃなぁ」

 ひょっこり現れた、白髪にぽっちゃりとした丸顔で腰の曲がった小さいおばあさん。

 この人は俺のばぁちゃん。


「ばぁちゃん、そんなん気にしなくていいよ。母さんからバイト料貰う予定だしさ。またなんかすることあったら言って」


 ふすまを開け、母さんが若いころ住んでいたらしい部屋に入る。

 

 ちなみに、この春限定でここの部屋は俺の部屋……って言っても、テレビもゲームもないという、ただ寝るだけの部屋だったりする。



 畳に机、古い木の本棚とたんす。草木の茂る庭が見える雨戸付きの大きな窓。

 窓の向こうでは温かくなってきたからか、小鳥たちが楽しそうに歌っている。


 俺は窓の外を眺めながら座卓の前に座り、小鳥の声を聞きながらわくわくと胸を高鳴らせ、ペンを手に取った。

 目の前に広げたのは買ってきたばかりのシンプルな水色の便せん。


 一時それを眺めていた俺は、コツコツとペンで便せんをつつき、頭を抱えていった。



「あ〝-わっかんねー! 手紙なんて普段書かないし、何書きゃいいのかわかんねぇよ」

 悩んだ俺はばぁちゃんに文通はどんなことを書くのか聞いてみることにした。



 ぼんやりとテレビを見ているばぁちゃんに声をかける。

「なぁ、ばぁちゃん。文通したことある?」


「そりゃあるよ~。北海道の恵子ちゃんは文通友達だったんだもの」


 よし、これは期待できる。


「文通ってさ、どんなこと書いたらいいのかな?」


 ふむふむとばぁちゃんは俺の話に頷いて、得意げにこう話していく。

「隼人は文通をはじめようとしてるのかい? 好きなこと書けばいいんだよ。何でも自由に書けばいい」 


 ……ばぁちゃん。悪いけど、あんまり参考にならない。



 何を書いたらよいのかわからないまま、結局俺は今の状況を書くことにした。

 自分の名前はハヤト、ということ。(見知らぬ相手宛てだし、名前だけカタカナで書くことにした)

 高校三年生に上がる春休みなのに、遊べずにばぁちゃんの手伝いをしていること。

 友人たちは遊園地、ビレッジランドに行って楽しんでいること。

 がっくりとしていた時に、この手紙をもらったこと。 

 

 下に結構な隙間ができてしまったから『ばぁちゃんと北海道の恵子さんも昔、文通をしていて、今でも仲良しなんですよ』というどうでもいいことまで書いた。

 

 文通はこんなことを書くものなのか良く分からないが、ついに俺の手紙が完成した。


「よし、これを今から出しに行くぞ」

 机に両手をついて、勢いよく立ちあがる。

 一刻も早くこの手紙を差出人に渡したくて、じっとしていられなくて。



「ええと、確かこの辺だよな……あった、これだ!」


 先ほど通った坂道に辿りつき、手紙が落ちてきたあたりの木を見上げた。

『もし、私と文通をしてくださるなら、早咲きの桜の木に手紙をくくりつけてください』


 手紙に書かれていた変わった文通方法。

 その不思議さがまた、俺の心を踊らせた。



 坂の下の方にある一本だけ早く咲き始めた桜の木。

 他の木と種類が違うのだろうか、みずみずしい白いつぼみがふんわりと開きかけている。


「風で飛ばないようにしないとな」

 背伸びをして、指定された通りに桜の木の枝に手紙をくくりつけていった。

 まるで、神社でおみくじを結んでいるみたいだ。


「これでよし、っと」

 パンパンと両手をはたき、くくりつけた手紙を見つめて達成感に浸る。


 これで近いうちに返事が来るはずだ。



――・――・――・――・――



「あれは……返事だ!」

 俺はいま、あの坂道にいた。

 只今の時刻は朝八時。


 体力づくりという名目で朝っぱらから走っていたのだが、本当はあの手紙がちゃんと回収されたかどうかと、返信があるのかどうかが気になって仕方なかった、というのが本当のところで。


 くくりつけられた桜色の便せんをゆっくりと外し、俺は帰り道を急いだ。


「ただいまー!」

 勢いよく靴を脱ぎ捨て、部屋に直行していく。 


「おかえりなさい。おやおや、元気いっぱいだねぇ」

 楽しそうに笑うばぁちゃんの笑い声を聞きながらぱしっとふすまを閉じ、畳の上にあぐらをかいて手紙をゆっくりと開いていくと、たくさんの綺麗な文字が目に映っていった。


『ハヤトさん、はじめまして。私はミウと言います。突然のお願いにも関わらず、文通をしてくださってありがとうございます。本当に嬉しいです』


 穏やかな口調で書かれた文章。俺の文通相手は、ミウと言うのか。



『春休みなのにお手伝いなんて、ハヤトさんは優しいんですね。おばあさんも喜んでいると思います。恵子さんとおばあさんは文通のお友達なんですね。私たちもそんな風になれたら、楽しいですよね」


 ミウはきっと優しい人なんだろうな。

 文通がきっかけで友達になるっていうのも確かに面白いかもしれないな。



『お友達はビレッジランド……ですか。私、遊園地に行ったことがないんです。どういうところなんですか?』

  

 遊園地に行ったことがない?

 んなバカな。

 あ、もしかして、ビレッジランドに行ったことがないってことか。

 誤字脱字ってやつだな。



 俺はまた、昨日買った便せんを取り出し、ペンを走らせていく。


「……ビレッジランドはジェットコースターが有名です。上下左右に暗闇を駆け抜けるスリルが最高ですよ。俺も遊園地行きたかったけど、大学に受かってからの楽しみにします。ちなみに俺はこれから、海釣りに行く予定です……っと」


 昨日とは違い、筆が進んで気づけば手紙は二枚にわたっていた。


 左手にはバケツと釣り竿。右手には書いたばかりの手紙を握りしめてばぁちゃん家を出る。

 最初に向かうのはあの坂道。

 細長く折って手紙をくくりつけ、海に向かって歩いて行った。



――・――・――・――・――


 オレンジ色の夕陽に向かって坂道を下っていく。


 今日はメバルの煮付けをばぁちゃんに頼もう。

 心の中でそう呟く。


 右手に持つバケツの中にはメバルが二匹。

 ばぁちゃんが作ってくれる和食は最高だし、自分が釣った魚ならなおさらだ。


「ん? あれは……」


 帰りの坂道、桜色の便せんがくくりつけられているのを見つけた。

 近づいてそっと、便せんをはずしていく。

 顔がにやけていくのが自分でもわかった。

 今日の昼間にくくりつけた手紙の返事が、夕方の今もうここにある。

 ミウも俺との文通を楽しみにしてくれているんだ。  



 それから、毎日俺はミウと手紙のやり取りをしていった。

 ミウは俺の書く手紙を真剣に読んでくれているようで、ずいぶん前に話した些細なことも覚えていてくれたし、友達と喧嘩をしたことを報告すると自分のことのように悲しんでくれて、仲直りをしたことを伝えると本当に嬉しそうにしてくれていた。


 フルネームも顔も知らない人。わかっているのはミウということだけ。


 ミウはどんな人なんだろう。


 年齢は?

 顔は?

 声は?


 いつも、優しい言葉をくれる君は一体どんな顔をして笑うんだろう?

 

 いつからか俺は『ミウに会いたい』そう思うようになっていた。



――・――・――・――・――


 春休みも終わりに近づき始めた頃、誰とも遊びに行っていない俺に気づいた友人のヨシキが、気をまわしてくれて遊びに来てくれることになった。

 自転車でばぁちゃんちまで迎えに来てくれたヨシキ。

 今日は彼と二人で海釣りに行く予定だ。


 前かごに入れたバケツを魚でいっぱいにするという妄想を膨らませながら、ヨシキと自転車でいつもの坂道の前を通っていく。


 あれ? こんなところに道なんてあったっけか?


 木々に隠され、今まで気づかなかった細い道。

 今日になって気付いたのは、赤いコーンがぽつりとそこにあったから。



「一週間近くもいるのに、こんなところに道があったなんて知らなかったよ」

 ヨシキにそう言うと、彼はけらけらと笑った。


「お前どこかぼやっとしてるもんな。俺さ、さっき道間違えて上の道通っちゃったんだけど、でっかい屋敷があるのを見たんだ。改修工事中で出入り厳禁なんだって。この道、たぶんそのお屋敷に続いてんじゃないかなぁ。それにさ、お屋敷の窓から覗いた女の子が可愛いのなんの!」

 ぽうっと頬を染め、ぼんやりと空を見上げるヨシキ。


 コンクリートの崖の上にある屋敷と女の子……

 道があるのは、ちょうど早咲きの桜の前だ。

 もしかして、その女の子はミウ……なのか?


――・――・――・――



 毎日続いていた文通。

 それがぱたりと止まってしまった。

 文通が止んだ日……それは、あの赤いコーンが置かれ始めた日だ。

 やはり、ミウは上にある屋敷の住人なのか?


 いてもたってもいられず、いつもの坂道に行き、横道から降りてきた工事のおじさんに屋敷に行きたいことを伝えてみたのだが、ヨシキの情報通り「改修工事中は出入りはできない」と言われてしまった。

 がっくりとうなだれていると、おじさんは俺の肩を歩くたたいて豪快に笑った。


「工事の予定は三日間。今日の昼過ぎには工事も終わる。そしたら行きゃいいさ」


「おじさん、ありがとう!」

 ようやく君に会える。

 そう思うと、胸が高鳴っていくのを感じた。

 午後になるのが待ち遠しくて、ばぁちゃんに頼まれた買い物を早く済ますため商店街の方へと急ぎ向かっていった。



――・――・――・――・――


 太陽が真上を越えた。

 時計の針は午後二時。


 赤いコーンが撤去されているのを確認し、俺は木々に囲まれた横道へと入って行った。

 鬱蒼としていたのは入口だけで、中の方の枝葉は綺麗に刈りそろえられ、上へと続く階段も掃除されていて。

 空から差し込む光が枝葉に遮られ、まばらに地面を照らしていく。


 木のトンネルを抜けた途端、光が差し込み視界が急に開けていった。

 

 青々としたグリーンの芝生。色とりどりの花が植えられ、木陰には真っ白な机といすが置かれている。

 どこかのおしゃれなカフェのような庭だ。



 美しい庭に見入っていると突然声をかけられた。

 年配の人の穏やかで優しく低い声。


「失礼ですが、どなたでしょうか?」


 ロマンスグレーの髪に上品な漆黒のスーツ、手には真っ白な手袋をはめている、とても優しそうなおじさんが目の前に立っていた。

 どうやら、庭の手入れをしていたようだ。


「あ、あの……ここに住んでいる女の子に会いたくて来ました」


 おじさんは、俺の言葉に怪訝な顔をしていく。


「お嬢様に、ですか。申し訳ありませんが、それは出来かねます」


 そんな、せっかくミウに会えると思ったのに。

 

「俺、ミウさんと文通させていただいているハヤトです。ここに住んでいる女の子がミウさんなのかもしれない、そう思って来たんです。お嬢さんに会ってもらえないか聞いていただくのもダメですか?」


 そう言って俺が食い下がると、おじさんは驚きの表情を浮かべていった。


「ハヤト様、ですね。只今お嬢様に聞いてまいりますので、中でお待ちください」


 客間に通され、メイドのような人からいい匂いのする紅茶を入れてもらった。

 豪華なライトに、磨きぬかれた机にちりひとつない床。

 こんなきらきらした場所にいるのは場違いな気がしてしまって、そわそわしてしまう。



 ミウ、君はこんなきらびやかなところに住むお嬢さんだったのか。

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