約束と脅迫 04
「いいか! 今度あんな真似をしたら痛覚を持って生まれたことを後悔させてやるからな!」
耳を立てて尻尾をぱんぱんに膨らませた歳三が、真っ赤になって庭まで蹴り飛ばされた斑鳩に怒鳴りつけた。かなり興奮していて、油断するとまた斑鳩を蹴り飛ばしそうな雰囲気だ。
「いてててて……そこまで怒るほどの事か?」
蹴られた頭を押さえながら部屋に戻ってくる斑鳩。
「そこまで怒るほどのことだ! 天牙も民にとっての尻尾というのは……その……なんだ……」
最初こそ勢いよく怒った歳三だが、だんだんと赤面しながらうつむきがちになった。
「?」
勢いを失っていく歳三に首をかしげる斑鳩。その様子をじっと見て、ぽんと手を叩いた。
「ああ、なるほど。感じたのか」
「っっっ!!!!」
ドゴンッ!
「ぐはあっ!?」
再び庭まで蹴り飛ばされる斑鳩。
「何すんだよ!?」
起き上がった斑鳩が理不尽だとばかりに歳三を睨みつける。
「うるさいうるさいうるさいうるさいっ! 余計なことを言っても同じだ!」
フシャーッ、と牙を見せながら再び怒鳴りつける歳三。その様子は狼というよりも猫のようだ。
歳三が響都守護職・新撰組副長としてふさわしい落ち着きを取り戻すまで、ついでに耳と尻尾も元に戻すまで、十分ほどの時間を要してから、再び斑鳩に関する話に戻った。
「つまりだ。お前の本当の名前は芹沢斑鳩。天牙の民の異端児ではあるが、間違いなく私たちの同胞だ」
「……分からないな」
「何がだ?」
「あんたの行動の真意だよ。状況証拠からして、俺が天牙の民とやらの血を受け継いでいることは分かった。だが話を聞く限り、俺はあんたらにとっては存在してはならない異端児だろう? そんな俺をなぜあんたが助けるんだ? あんたの行動は仲間への裏切り行為になってるんじゃないのか?」
「…………歳三だ」
「へ?」
「土方歳三。それが私の名前だ」
「……つまり、そう呼べと?」
「私は斑鳩と呼んでいるが?」
「……分かった、分かったよ。歳三、でいいか?」
やれやれと肩を竦めながら名前を呼ぶ斑鳩。
「ああ。それでいい」
そんな斑鳩を見て歳三は満足そうに頷いた。
「それで話を戻すが、お前を助けたのはあくまでも私の独断だ。天牙の民の意志に反していることは認める。私には仲間を守る責任があるが、それと同じくらいに友人との約束も守りたいと思っている」
「友人?」
「芹沢鴨。お前の妹だ」
「妹、ねえ……」
会ったことも見たことも話したこともない妹の話をされても、いまいちぴんとこない斑鳩だった。
「詳しい事情はいずれ話すが、鴨は天牙の民を守るために命を落とした」
「…………」
存在したはずの妹。
しかし、運命は二人を引き合わせることはなかった。
「そして鴨は死ぬ直前に、私に頼みごとをしたんだ」
『もしも私の半身に会うことがあったら、どうか守ってやってほしい』
死にゆく彼女の、最期の望み。
本当は自分の手で叶えたかった唯一の願い。
それを、鴨は唯一心を許した歳三に託した。
鴨が叶えたかった願い。
それを、歳三が引き継いだ。
「私は鴨の命を守ることができなかった。だからせめて、彼女との約束だけは守りたいんだ」
「それが、俺を守ることか?」
「そうだ」
「俺は多分、歳三たちの敵だぞ?」
「まさか、戻るつもりなのか?」
響都を火の海にした、黒装束たちの組織。その正体はまだ分からないが、今後の脅威になることは間違いない。そんなところに斑鳩が戻るとなれば、いくら歳三でも斑鳩を守ることは不可能だ。
歳三は芹沢鴨の友であると同時に、響都を守護する新撰組の副長なのだ。
「他に俺の居場所はない。俺の出生がどうであろうと、妹との約束が何であろうと、俺には今まで積み重ねてきた人生がある。それを簡単に放棄できるわけがないだろう」
「お前の自由意思を奪うような組織に、どうしてそこまで執着する?」
火の海の中で、強力な精神操作魔法を解呪した斑鳩の姿を思い出す。
あれは解放した歳三の力に、斑鳩の天牙の民としての力が共鳴した結果だろう。
斑鳩は決して自分の意志でその組織にいるわけではないと思っていた。ただ、操られているだけだと思っていたのに。
もしも、そうではなかったら……
「精神操作は俺が受け入れているから問題はないんだ」
「何だって?」
あの強力極まりない精神操作を、自らの意志で受け入れている?
意志に反した行動を封じるためではなく、自分でその精神を封じているというのか?
「俺が所属している組織は、基本的に人殺しが仕事だ。任務に駆り出されれば必ず誰かを殺さなければならない。でも俺は、人を殺せない」
斑鳩は自嘲気味に笑う。
「物心ついた頃から人を殺すための技術を叩き込まれてきた。だけど初めて人を殺した時の感触が、あの気持ち悪さが忘れられない。殺してしまうと思うと、体が震えて動かなくなる。だから、精神操作を受け入れた。俺が人を殺せるように。俺自身が生きるために、他人の命を奪えるように」
「…………」
「おかげでずいぶん楽になった。何せ記憶に残らないからな」
「どうしてそこまでする? 人殺しが嫌ならその組織から抜ければいいじゃないか。私はお前と戦った。お前の戦闘能力なら、単独で組織を抜けるくらい不可能ではないはずだ!」
他の黒装束とは一線を画した実力。
精神操作と薬物投与をされた上であれだけの力を発揮できるのだから、本来の実力はおそらく、歳三よりも上のはずだ。わざわざ向いていない人殺しをするよりは、逃げ出す方が理に適っている。
「抜けてどうしろというんだ?」
「それは……」
「俺は外の世界をほとんど知らない。あの山とそして同じ立場の仲間たち、それが俺の世界のすべてだ」
完結している小さな世界。
斑鳩は今の生活に不満はなかった。
「どこにも行くあてもなく外の世界に出るよりは、変化のない安定した日常にいたいと思うのは当然だろう?」
「人を殺してでもか?」
「俺の記憶に残らないのなら、それで構わない」
「……本当にそれでいいと思っているのか」
「思ってるさ。俺は必要とされてあそこにいるんだ。仕事を与えられ、食事を与えられ、生活を保障されている。だから、あそこが俺の居場所なんだ」
「…………」
何となく、分かったような気がした。
やはり斑鳩は鴨とよく似ている。
鴨もよく自問していた。
自分は天牙の民にとっては異端児なのだと。たまたま女児だったために生きることを許されているだけだと。
だからこそ鴨は必死だった。
天牙の民のために身を粉にして働き、自分の居場所を作ろうとした。
自分はここにいてもいいのだと思いたかった。
仲間に必要とされたかった。
幸い、歳三よりも若い世代は鴨の出生については何も知らない。純粋に仲間として接してくれていた。
だがそれでも、知らないからこそそれが出来るのだと鴨にはわかっていた。
だからこそ鴨は仲間に対して、左之助や一達に対して一線を引いていた。居場所を作りたい、本当の仲間になりたいと思っていても、その先を踏み出せなかった。
本当のことを知って、それでも態度を変えなかった歳三にだけ心を開いた。
鴨も斑鳩も、自分が必要とされる場所、自分が許される場所に身を置きたいのだ。
天牙の民の中に、斑鳩の居場所はない。
少なくとも長老衆が斑鳩の存在を知ったら、間違いなく殺せと言うだろう。
芹沢鶫の罪を知らない若い世代も『女ではない天牙の民』という異物を、簡単に受け入れることは出来ないだろう。
天牙の民の中にも、新撰組の中にも、斑鳩の居場所はない。
(それでも、私は……)
歳三はそっと目を閉じてから、鴨の言葉を思い出す。
『それが自分にとって本当に譲れないことならば、他人の気持ちなんて考える必要はないんじゃないかな』
芹沢鴨はきっと誰よりも、他人の顔色を窺いながら生きてきたから。
『何が何でも通すと決めた我が儘ならば、何が何でも通せばいい』
他人を押しのけてでも。
他人の気持ちを踏みにじってでも。
仲間を裏切ると分かっていても。
『私は、そうしたかった』
本当はもっと我が儘を言いたかったんだと思う。
天牙の民の一員でありたいと思うのと同じくらいに、斑鳩のことを捜しに行きたかったんだと思う。
決して表に出せなかった芹沢鴨の本音を、土方歳三だけが知っている。
(ならば私は、私の我が儘を通そう)
目を開けた歳三は斑鳩を睨みつけながら言った。
「残念ながら、お前を帰すわけにはいかない」
弱々しい本心を殺して、冷徹な感情のみを表に出す。
「……どういう意味だ?」
さっきまでと様子の変わった歳三に気付いて、斑鳩も警戒の度合いを上げていく。
「お前は私の捕虜だと言っているんだ」
「………………」
「ここは新撰組の屯所で、敵として私と戦ったお前はここに囚われているんだ。捕虜と言われても仕方ないだろう?」
「……本気で言っているのか? 拘束すらしていないのに? 俺はいつでも逃げられるんだぜ」
好戦的な目で歳三を挑発する斑鳩。その挑発を受けて、歳三はにやりと口元を吊り上げて剣を抜いた。
「やってみろ。仮に私を倒せたとしても、ここには数十人の隊士がいる。その内八人は私とさほど変わらない力量の持ち主だ」
「……マジかよ」
うげ~、と斑鳩は心底嫌そうな顔をした。
こうして対峙しているだけでも歳三の実力は伝わってくる。おおよそ斑鳩と互角か、すこし下くらい。戦うだけならどうにでもなるが、殺さずに突破するとなると難しい。しかも同じくらいの使い手があと八人……。精神操作を受けていない状態の斑鳩では、いざという時に動きが鈍ってしまう。
「妹との約束だか何だか知らないが、俺は女に守られる趣味はないんだがな……」
困ったようにぽりぽりと頭を掻く斑鳩。
「勘違いするなよ。私はお前に守らせて欲しいと頼んでいる訳じゃない。お前を私の管理下に置くために脅迫しているだけだ」
「……ツンデレ?」
斑鳩がそう呟いた瞬間、真っ赤になった歳三は手にした剣をそのまま斑鳩の頭部目掛けて振り下ろした。
「うおぉっ!?」
咄嗟に白刃取りする斑鳩。額からだらだらと冷や汗が流れる。
「待て待て待て待て! お、俺を守りたいんじゃなかったのかよ!? 死んでるぞ? 今の俺が止めなかったら間違いなく死んでるぞ!?」
「ふふふふ……大丈夫だ。この程度なら止めるだろうと予測済みだ。余計なことしか言わないその口に対するただの調教だよ」
「おおおお落ち着け! 落ち着け! 目がヤバい! 目がヤバいから!」
ちょっとでも力を抜けばすぐさま脳天真っ二つにされそうな刃を両手で挟みながら、がくがくと震える声で斑鳩は訴える。
「と、とにかく剣を引いてくれよ! な? 俺が悪かったから!」
「……本当に悪いと思っているのか?」
「思ってる思ってる。この上なく思ってる!」
「だったら詫びとして私の監視下に入れ」
「……それ関係なくね?」
そう言った瞬間、剣に再び力が入り、挟んでいた斑鳩の両手から刃が若干下にずれた。
斑鳩、ライブで大ピンチ!
「分かった! 分かりました! 何でも言うこと聞くから勘弁して下さい!!!!」
ついに耐えきれなくなった斑鳩は降参してそう言った。
「ほんとか!?」
さっきまでのヤンデレ一歩手前なイッてしまっている表情とはうって変わって、ぱっと明るい表情を見せる歳三。あまりのギャップの激しさに斑鳩の方が拍子抜けした。
「ほ、ほんとほんと! だからその剣引いてくれ! なっ?」
ほとんど宥める様な言い方で懇願する斑鳩。歳三はほっとした様子で剣を引いた。
「ではお前は今後私の奴隷……じゃなくて小姓として働いてもらおうか」
「奴隷って言ったか今!?」
「気のせい気のせい」
「……いや。絶対気のせいじゃねえし……。まあ、当面は飯を食わせてもらえるなら何でもいいけどさ……」
何か納得のいかないものを感じながらも、斑鳩はため息混じりに歳三の提案を受け入れた。
「…………ふう」
刀を腰に収めた歳三は、疲れを取るように大きく深呼吸した。
「どうした?」
急に疲れた表情になった歳三を見て、斑鳩は心配そうに覗き込む。
「いや、ちょっと疲れただけだ。慣れないことをしてしまったからな」
「………………」
本来自分は脅迫向きではないと言いたいらしい。
「いやぁ……むしろ天性のものを感じたというか……ノリノリだったような気が……」
シュン!
「ひいっ!?」
斑鳩がそうぼやいた瞬間、投擲用の短剣が斑鳩目掛けて飛んできた。
首筋にひんやりとした風切りを感じた斑鳩は、恐る恐る歳三の方を振り向く。
「口は災いの元、という言葉を知っているか? 私の側にいる以上、覚えておいて損はないぞ」
ニヤリと妖しく笑う歳三。やはり内心はノリノリのようだ。
「き、肝に銘じておきます……」
ガタガタと震えながら必要以上に首を縦に振る斑鳩だった。