破滅へと焦がれるもの
オオオオオオオオォォォォォォォ――!!
「っ!」
「何!?」
軍勢の様子を眺めていた容保と敬助は、腹の底に響いてくるような遠吠えに思わず身を竦めさせた。
街に視線を移すと、大きな狼が暴れ回っている。
西本巌寺から出てきたように見えるその狼は、軍勢を蹴散らしながら、ひたすらに暴れ回っていた。
「な、何ですかアレは!?」
敬助が本能的な恐怖を感じ、声を荒げる。
「………………」
容保だけはその狼をじっと見詰めている。
そして、歓喜に震えながら呟いた。
「……土方」
と。
「……なんですって?」
その言葉に、敬助が眉を顰める。
「あれは、土方だ。余には分かる」
「………………」
「以前、魔法師協会の方で天牙の民の身体を調べたことがある。永倉や藤堂、そして芹沢だ。覚えがあるだろう?」
「………………」
敬助にとっても最悪の記憶なので、つい容保を睨みつける。
しかし容保は気にした様子もなく続けた。
「その時に一つ、分かったことがある。天牙の民は核石を最大解放することで狼の形を取るらしい。いつもの半端な人狼ではなく、完全に異形の狼だ」
「……では、あれが完全解放した姿だというわけですか?」
「そうだ。ただし、核石を完全解放すれば二度と人型には戻れなくなるとも言っていたがな」
「っ!」
「恐らく土方は仲間を逃がす為にあの姿になったのだろう。二度と人の姿に戻れないことを理解して、それでも異形の化け物になることを選んだのだろう」
「………………」
「実に、あの女らしい」
「……トシさん」
敬助が痛々しいものを見るような視線で狼を見る。
狼はそこそこ軍勢を蹴散らし、恐らくは仲間が逃げていくのを確認してから、くるりと身体の向きを変えた。
「っ!」
「ふっ……」
その双眸は、まっすぐに理の樹を向いていた。
「ここに来るか土方。いいぞ。本当のお前が余を殺すというのなら、それもまた一興だ」
容保は心から歓迎するように狼に向けて両手を広げた。
まるで、抱き締めようとするかのように――
「……うそ。あれが、トシさま……? 二度と戻れないって、嘘ですよね……?」
二人の会話を聞いていた烝も、巨大な狼を見詰める。
狼は真っ直ぐにこちらへと向かってきている。
「!」
烝は自分がどうするべきか、まだ分からないままだ。
「トシさま……!」
このまま二人を見張り続けるか、それとも歳三と合流するべきか。
歳三がこちらに到着するのを待ってから、合力するべきか。
そんな風に悩んでいる間に、歳三はその巨体をすぐ傍に着地させた。
「……わっ!」
隠れていた烝は巨体の着地衝撃で吹き飛ばされてしまう。
そのまま転んでしまい、すぐに起き上がる。
「……烝か」
歳三が狼の姿のまま烝に視線を向ける。
「トシさま……なんですか? 本当に……」
「………………」
歳三は気まずそうに目を伏せてから、首を縦に振った。
「勇たちは北に逃がした。今なら合流できるはずだ。斑鳩の事はもういいから、行くといい」
「嫌です!」
「……烝?」
「トシさま一人置いていけません!」
「……烝。気持ちは嬉しいが、この二人との決着は、私がつけたいんだ。だから、頼むよ」
「駄目です!」
「………………」
「トシさまは斑鳩さんともう一度会わないとダメなんです! 絶対に、ここで死んじゃったりしたらダメなんです!」
「死んだりしない。この姿になった私は、ほぼ無敵状態だからな。安心していい」
「安心できません! 仮に生き延びたとしても、トシさま姿をくらますつもりでしょう!」
「う……」
「ボクはトシさまに一人きりになって欲しくないですし、きっと斑鳩さんも同じように考えています! だからボクはここに居ます。何もできなくても、トシさまを見張って、逃がさないようにしますから!」
「……まいったな」
「困ってもダメです!」
歳三が本気で困ったように唸ると、敬助が声をかけてきた。
「……驚きました。本当にトシさんなんですね」
「敬助か……」
「申し訳ないんですけど、容保公を殺すおつもりなら、もう少しだけ待ってもらいたいですね」
「………………」
「もう少しだけ待ったら、何が起こる?」
「世界の崩壊が引き起こされます」
「……それが、お前の望みか」
「ええ。驚かないんですね」
「まあな。すべてを巻き添えにした破滅。それこそが敬助の望みだろう?」
「斑鳩さんから訊いたんですか?」
「いや。最初から知っていた。私はこれでも、敬助の傍には結構いたつもりだからな。傍にいる相手が何を考えて、何を望んでいるのか、正確には分からなくとも感じとることくらいは出来る。決定打になったのは新八や平助、そして鴨の事件だろう?」
「……その通りです。私を責めますか?」
「いや。責めるつもりはない。そのつもりならとっくに話をつけている。私はただ、私の望みを果たすためにここにいる」
「勇さんたちを守る事、ですか?」
「そうだ。だから、崩壊は最低限に留めなければならない」
歳三の言葉に、敬助は泣き笑いのような表情を見せた。
「ねえ、トシさん。勇さんたちを守って、何になるっていうんですか?」
「………………」
「天牙の民は救われない。あのときに、思い知ったはずじゃないんですか? 救われない存在が人間の顔色を窺いながら生きるよりも、すべて巻き添えにして破滅した方がはるかにマシとは思いませんか?」
「敬助……」
壊れたように笑いながら、敬助は続ける。
「ねえ、トシさん。壊しましょうよ。何もかも、もういいじゃないですか。トシさんは十分すぎるほどよくやったと思います。私たちを、守ってくれていたと思います。だから、もう、楽になってください。どうせ私たちの生きる場所なんて、この世界にはないんです。どこに行っても化け物扱いで、迫害されて、追いやられて、最後には殺される。だから……終わりにしましょうよ……」
「それが……望みか……」
「ええ。最後に残った唯一の望みです」
「……分かった。終わりにしよう、敬助」
歳三は一度だけ目を閉じて、それから一瞬で敬助の胸元をその巨大な爪で切り裂いた。
「あっ……」
鮮血をまき散らしながら、敬助が倒れる。
「トシ……さん……」
爪を鮮血で染めながら、歳三は敬助に覆いかぶさる。
「敬助。私の望みとお前の望みは相容れない。だからせめて、私が終わらせてやる。私の手で、楽にしてやる。もう、苦しまなくてもいいから……」
「……この先も、苦しみ続ける道を選ぶつもりですか?」
「望むところだ。辛くても、苦しくても、諦めきれないものがあるからな。精々最後まで足掻いて見せるさ」
「…………私は、トシさんほど強くないんです」
「そんなことはない。敬助は、十分に強かったさ。ただ、目指すものが違っただけだ」
「私を……恨んでいますか……?」
この状況を作り出した一人は、間違いなく敬助だ。
響都を、天牙の民を破滅へと導くために、敬助はずっと仲間を裏切り続けてきた。
仲間を、大切な人たちを安らかにするために。
「天牙の民を楽にしようとしたことは、恨んでいない。それも一つの終わりのかたちであり、救いのかたちだと思うから」
「………………」
「ただ、斑鳩を殺そうとしたことだけは、少し恨んでいる」
「……本当に、トシさんは最後まで……」
最後の最後でそんな事を言った歳三に、思わず笑みがこぼれる。
そんな風に言えるようになった彼女を、祝福する気持ちになりながら、敬助は目を閉じた。
「トシさんは、生きて足掻いてください。私はもう、楽になりますから……」
「………………」
そして歳三は敬助の首筋に深く噛みついた。
一瞬で敬助は絶命した。
その顔は、とても安らかだった。




