終わりゆくもの
核石の消失。
それは、天牙の民である証を亡くしたということでもある。
「そんな……」
核石を消失した天牙の民がどうなるか、一は知らない。
少なくとも今までと同じではいられないだろう。
人間に近い存在である天牙の民。
しかし、人間では有り得ない。
そのはずだったのだ。
「……総司に何をした、鴨」
歳三が怒気を孕ませた声で鴨に問いかける。
「殺さなかっただけでも感謝して欲しいものだわ」
「………………」
分かっている。
あの時、鴨は総司を殺せたはずなのだ。
歳三が叫ばなかったら、総司は間違いなく殺されていた。
しかし鴨はそうしなかった。
恐らくは、歳三のために。
だから歳三は本来、鴨に文句を言える筋合いではない。
しかし、問わずにはいられない。
「ねえ、トシ。天牙の民がどうして人間と交わってはいけないか、本当の意味で考えたことはある?」
「………………」
歌うように、鴨は語り出す。
「長老衆は『混血の子供は災いを呼ぶ』などと言っていたし、私が殺したときも『忌子め……』とか色々言っていたけれど。ある意味その通りなのよね」
「それは混血の子供だからというより、長老衆の仕打ちに対する復讐心がそうさせたのだろう? 鴨が混血であることは災いとは関わりがないはずだ……」
「自分でも信じ切れていないことを、自分を誤魔化すために口にするのは良くないわね。あなたらしくないわよ、トシ」
「………………」
言われて、唇を噛む。
その通りだったからだ。
災いの内容。
恐らくは、今の総司に関係がある、ということくらいは推測がつく。
「不完全な存在は完全を求める本能がある。これがどういう意味か解るかしら?」
「……癒えない乾きを抱えながら生きる、ということか?」
「さすがね。その通りよ。私と兄さんは混血であるがゆえに、不完全。でもね、不完全であるからこそ、完全な存在にはない未知数の可能性を秘めている。その内の一つが、『核石の吸収』」
「っ!」
つまり、総司の核石を、天牙の民としての力を吸収したのか!
「そういうこと。私と兄さんには他の天牙の民の核石を吸収して、自分の力にする能力がある。もっとも、どれだけ吸収したところで完全な天牙の民になることは出来ないし、人間の血は消えないけれど。でもだからこそ、ほぼ無制限に力を吸収できる。長老衆はこの事を知っていたのね。だから『災い』と呼んだ。だってそうでしょう? 私と兄さんがその力を行使すれば、天牙の民は全て核石をなくして人間になってしまう。天牙の純血はあっという間に滅びることになる」
「………………」
では、今の総司は人間だということか。
天牙の民の力を失い、ただの人間になった。
それは、必ずしも悪いことではないはずだ。
しかし力に意味を見出していた総司にとって、それは死よりも辛いことなのかもしれない。
強くなって、大切な仲間を守りたい。
その為に努力を続けてきた。
才能もあった。
それなのに、その力の大部分を封じられた今の総司は、目標を見失ったも同然なのではないだろうか。
「……刀が……重い……。どうして……」
総司は未だに自分に起こったことを正確に把握しておらず、ただ手に持った刀の重さに首を傾げている。
自らの身体の一部のように扱っていた刀は、両手で持ち上げるだけで精一杯の有様になっている。
「天才ともてはやされていても、それはあなた本人の力ではなかったということよ、総司。あなたは天牙の力を使いこなすことにかけては天才的だったのかもしれない。だけど『沖田総司』という個人の強さは、それほどでもなかったのよ。今のあなたに残ったのは『沖田総司』としての力だけ。刀を一本持ち上げるだけでも苦戦するような、その程度のモノなのよ」
「ぼく……は……」
追い討ちをかけるような鴨の言葉に、総司は唖然とする。
天牙の力を使いこなすことにかけては天才的。
それは言い換えればその力にそれだけ依存していたということだ。
天牙の力に依存した天才性。
ならばその源さえ奪ってしまえば、ただの人間以下。
無力な子供そのものでしかないということだ。
「あなたはその程度なのよ、総司」
「……っ!」
それは、高みを目指した少女にとって、
強さを最優先目標に据えた少女にとって、
死刑宣告にも等しい――
放心したような目で俯く総司。
しかし今は総司だけに構っている場合ではない。
命だけは助かったのなら、他に優先することがあるはずだ。
歳三はさっそく思考を切り替えて、再び鴨と向き合う。
「……その力のことを、斑鳩は知っているのか?」
「知っているわ。私が教えたもの。でも、兄さんはそんなものを使う気はないみたい。私だって本来、使うつもりはなかったしね」
「……そうか」
使うつもりはない、と聞いて安心する。
少なくとも今後斑鳩に『仲間が核石を奪われる』心配はないわけだ。
斑鳩がそんなことをする場面など、見たくもない。
「ならば、ここでお前を止めれば、核石略奪の被害はなくなるわけだな」
歳三は再び刀を構えて鴨を見る。
「その通りだけれど、無駄よ。どのみち天牙の民は滅びるしかない。いいえ、この響都の人間全てが死に追いやられるでしょうね。その周辺の被害も決して小さくはないでしょうけれど、今回は響都を中心に破滅する。それだけは言っておくわ」
「どういうことだ……?」
「計画が開始されたのよ。六刻を破壊して、世界の楔を破壊する。そして私たちは世界の外側へと旅立つ。すでに軌兵隊の仲間が六刻破壊に向かっているわ。全て、手遅れよ」
「っ!」
それは、響都の破滅を意味する。
外側の力が流れ込んでくる。
一都市など瞬く間に蹂躙されていくだろう。
六カ所の封印を同時に破壊する。
それを防ぐには、どうやっても戦力が足りない。
だったらどうするか?
鴨は響都を中心に破滅すると言っていた。
ならば仲間を、天牙の民だけでも逃がすことが最優先なのではないか?
響都の住民は諦める。
元より、契約以外の理由で守る必要のない存在だ。
歳三の中でめまぐるしい計算が渦巻き出す。
ここから逃げるために。
ここから逃がすために。
何をして、どこへ行くべきか。
「ふふ。今、何を考えているか手に取るように分かるわよ、トシ。本当に変わらないわね。そんなあなたが私はとても好きだったけれど……今回は、あなたの望みは叶わない」
「足止めするつもりか? お前一人で?」
「……さっきまではそうだったけれどね。足止めというより、トシ以外をこの手で皆殺しにしたかったんだけど」
「………………」
鴨はかちゃん、と右手に持っていた刀を地面へと落とした。
「……鴨?」
「もう、時間切れみたいね……」
そして刀を持っていた右手の指、その人差し指と中指が、欠け落ちた。
「っ!?」
欠け落ちた指は乾いた土のように、ポロポロと崩れて、塵へと還った。
鴨の身体はその崩壊をきっかけに、どんどんとひび割れていく。
整った顔立ちにひび割れが走る。
「鴨っ!」
刀を鞘に納めた歳三が、鴨に駆け寄る。
戦うべき敵であるはずなのに、最後の最後だけは、心で味方になってくれる。
傍にいてくれようとしている。
それが、鴨には嬉しかった。
歳三は鴨の肩に触れようとして、躊躇った。
きっと触れた先から壊れていく気がしたのだろう。
そして、それは正しい。
「……私にかけられた屍術の最も強い源は、天牙の民への復讐心だったから。長老衆を皆殺しにしたことで、そのほとんどが達成されてしまった。そしてトシがいる以上、私は総司や勇たちを殺せない。だから、私を繋ぎ止めていた力が薄れていくのは必然なのよ」
「……私の所為なのか」
「そうね。残りの復讐を果たせなかったのは、トシの所為だわ」
それでも、歳三を恨むような表情はしない。
むしろほっとしたような、ようやく終わることができるような、安らいだ表情だった。
「でも、いいわ。私はトシが好きだから。トシを好きでいたいから。だから、この終わりに後悔はないの」
「鴨……」
泣きそうな表情になった歳三を前にして、鴨が困ったように苦笑する。
この表情は苦手だ。
大好きな彼女には、いつだって笑っていて欲しいのに。
自分の所為で泣かせたくなんか、ないのに。
「そんな顔しないでよ、トシ」
崩れていく左手のカタチをなんとか繋ぎ止めながら、そっと歳三の頬に触れる。
「歪な命として長らえたけれど、私は幸せだったわよ。兄さんに会えたし、あなたにもう一度会えた。だから、満足しているわ」
「勝手なこと言うな! 私はお前の所為で散々なんだぞ!」
泣きそうな表情で、涙を目に浮かべたまま、それでも泣くまいと耐えながら、歳三が言い返す。
「知っているわ。だから、これは最後の嫌がらせ、ね」
大切だけど、追い詰める。
自分にも後に引けない目的があるから。
「容保の軍勢がここに向かっているわ」
「何!?」
「六刻破壊は容保自身の破滅も意味しているから。自分が生きているうちに、あなたからすべてを奪うつもりでしょうね」
「どういう事だ?」
「……それが響都領主の本当の役割だから」
教えてあげたい気持ちもあるけれど、やはり最後は意地悪することにした。
自分で答えを見つけて欲しかったから。
「どうしても知りたいのなら、本人に訊くといいわ。彼は、理の樹にいる」
カタチを保つことが出来なくなった鴨は、最後に少女のように微笑んだ。
「兄さんをよろしくね。トシ……」
「鴨!」
そして、芹沢鴨だった肉体は完全に塵へと還った。
後に残るのは、魔力の残滓のみ。
繋ぎ止めていた憎悪をなくした魂は、今度こそあるべき場所へ逝くことが出来たのだろうか。
「鴨……」
結局、最後まで分かり合う事が出来なかった。
繋がっているようで、決定的にすれ違っていた。
目指した先が違うのだから、それは当然だ。
だけど、歳三は信じている。
それでも、二人が結んだ絆だけは、本物だったのだと。
鴨が歳三を慕う気持ちと、歳三が鴨を慕う気持ちは、間違いなく本物だったのだと。
だったら、それだけでいい。
それがあれば、歳三は鴨を大切に思える。
ずっとずっと、大切な存在であり続ける。
遠くから軍勢が近づいてくる。
鴨が打った最後の手。
憎しみを捨てきれなかった彼女の、復讐の残滓。
受け止めよう、と覚悟を決める。
復讐に生きた彼女自身も、歳三にとっては大切な友だったのだから。




