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小さな一歩

 響都守護職・新撰組屯所である西本巌寺の境内でぼーっとしている歳三を、背後から襲いかかる影があった。


「だーれだっ?」


 もみっ!


「………………」


 背後から襲いかかった手は、そのまま歳三の胸をもみもみしている。


「……何をしている、勇」


 歳三は不機嫌そうに、振り返ることもなく唸った。


「何って、セクハラ?」


「………………」


 もみもみもみもみ……


 そろそろ刀を抜いてやろうかとぼんやりと考えた頃になってようやく勇の手は離れてくれた。


「おっと、危ない危ない。副長に殺される局長なんて洒落にならないからなぁ」


「……だったら最初からやるな」


 気怠い調子で刀から手を離した歳三は盛大な溜め息をつく。


 どうにも気力が萎えてくる。


「元気ないな、トシ」


「仕事はちゃんとしている」


「そうだな。仕事はちゃんとしている。文句を言うつもりはないし、言う権利もない。ただ、今までのトシなら私がセクハラを敢行した時点で鉄拳制裁が下っていたはずなんだよなぁ」


「………………」


「だから、元気ないなって」


「………………」


 どうやら心配しているらしい。


 しかし元気がない理由も分かっているので、しかもそれが解決できない内容であることも分かっているので、歳三は不機嫌そうに黙り込む。


「いっきーが居なくなったからかな?」


「……別に。斑鳩がどこで何をしようと、私に束縛する権利はない。あれが自分の意志でここを離れたのなら尚更のことだ」


「ふうん。一応、脱退は許されない組織のはずなんだけどね、うちって」


「もとより入隊させた憶えはない。保護していただけだ」


「保護、ね……」


 重要な仕事にもいくつか関わらせておいて言う台詞ではないが、そこは勇も深くは突っ込まなかった。確かに斑鳩は正規の隊員として入隊したわけではないのだ。ただ、歳三が気まぐれで保護した暗殺者に過ぎない。


 元より敵だったのだから、居なくなったところで警戒対象が減るだけとも言えるし、さすがの歳三も機密に関わるようなことには触れさせていないと信頼もしていた。


「いっきーは、本当は誰だったんだろうね……」


「………………」


「私はあの顔をよく知っているつもりなんだけど」


「………………」


 それはそうだろう。


 斑鳩と鴨は双子だ。


 その顔立ちもよく似ている。


 だが、お互いに違う環境で成長して、髪型も体格も、顔つきさえも違っている。


 だからそう簡単に正体が露見することはないだろうと思っていた。


 鴨に双子の兄が居たことは、天牙の民の中では歳三と長老衆しか知らないはずだった。しかも長老衆自らの手でその命を絶ったと思っていたのだから、斑鳩が生き残っていることを知っていたのは歳三と、そして成り行きで知ることになった烝だけだ。


「言いたくないのなら、いい。きっと、訊かない方がいいことなんだろう。だけど、これだけは言わせて欲しいんだ」


「?」


「もう一度、いっきーに会う気はある?」


「………………」


 その言葉に、歳三は答えることができなかった。


 もう斑鳩に一度会う。


 その意味を、その未来を、考えたくなかった。


 斑鳩は歳三に言った。


 歳三を守るために、全てを壊すと。


 歳三が守りたいものを含めた全てを壊すと。


 全てを破壊するために歳三の前に立ちはだかる斑鳩を前にして、自分がどういう反応をするのか、その未来を想像したくなかった。


 許せないと憤るのか、それともやめてくれと懇願するのか。


「分からない……」


「トシ……」


「会って、どうしたらいいのか分からないんだ……」


 もう、以前のようには戻れない。


 ただ、守りたかった頃には戻れない。


 ただ、傍にいて欲しかった気持ちには還れない。


「斑鳩はきっと、天牙の民を破滅に導く。仲間のために自らの破滅を受け入れようとした私を拒絶するために、私を壊す全てのものを破壊しようとする。私はそんなこと、望んでないのに……だけど、それが斑鳩の選んだ生き方だから。私はそれを、止められない……」


 目の前で斑鳩が仲間を殺そうとすれば、歳三は斑鳩を止めるだろう。


 命懸けで、それこそ斑鳩を殺すつもりで止めるだろう。


 そして、斑鳩を殺してしまうだろう。


 斑鳩は決して、歳三に刃を向けない。


 守ると決めたものに対して、殺意を向けることが出来ない。


 それ以外の全てに対して殺意を向けているから。


「私が私の想いを通す為には、斑鳩を殺すしかない。だけど斑鳩が斑鳩の想いを通す為には、私以外の全てを殺すしかない」


 守りたいと思っているのに、誰よりも想っているのに、すれ違う事しかできない。


 ぶつかり合う事しかできない。


 二人の願いは、それほどまでにかけ離れてしまっていた。


「だから、本音を言えばもう会いたくない。斑鳩にはもう二度と、会いたくないんだ。あいつに、刀を向けたくないから……」


「トシ」


 刀を握りしめて震える歳三の横で、勇は大きくため息をついた。


 歳三の性格も気持ちもそれなりに分かっていたつもりだが、さすがにここまで重症だとは思わなかった。

 いや、予想しきれなかったというのが正しいだろう。


「ていっ!」


「いたっ!?」


 勇は鞘に納めたままの刀を腰から抜いて、そのまま歳三の後頭部を殴りつけた。


 割と強めに、かなり容赦なく。


「何するんだっ!」


 いきなり殴られた歳三は後頭部をさすりながら勇に怒鳴りつける。


「何するもなにも、トシが悪い」


「?」


 勇は刀を腰に差し直してから両手を腰に当てて仁王立ちになる。


「トシは小難しいことを考えすぎなんだ! もっと根本的な部分で素直になればいいだけなのに!」


「???」


 まだ後頭部をさすりながら、今度は訳が分からず首をかしげる歳三。


「会いたいなら会いたい! 好きなら好き! それだけでいいじゃないか!」


「……いや……さすがにそういう訳には……」


 斑鳩のこととか龍馬のこととか、それに容保のこととか、さすがに事情が込み入り過ぎている。そんな単純な気持ちだけで動ける段階ではないのだ。


「私たちはトシに守られなきゃならないほど弱くない!」


「………………」


「たとえ滅ぼされることになっても、その時は最後まで戦い続ける覚悟を決めるだけだ! 私もみんなも、自分に恥じない生き方が出来ればそれでいい。それなのにどうしてトシだけが一人で背負い込もうとするんだ!?」


「……それは……約束、したから……」


 みんなを守ると。


 大切な人と約束したから。


 そして何よりも歳三自身が守りたいと思っているから。


「そんな約束なんか私たちは知らない。自分の身も守れないほど私たちは弱くない」


「………………」


「だから、トシはトシの一番やりたいことをやればいい」


「私は……」


 仲間を足かせだと思ったことはない。


 大切だから守りたいと思った。


 穏やかな時間を過ごすたびに、ずっとこんな時間が続けばいいと願っていた。


 その為なら、どんなこともするし、どんなことにだって耐えられる。


 そう、信じていた。



 だけど、仲間の、みんなの力を信じていなかったのは自分の方だったのではないだろうか。


 戦いになっても、追い詰められても、みんながいれば大丈夫だとどうしても思えなかった。


 自分が守らなければと頑なに信じていた。


 頑なに信じ続けることで、誰も信じていなかった。


「それは……確かに、私が悪いな……」


 自分一人を犠牲にし続けて、誰一人関わらせようとしなかった。


 一番大切な人を傷つけてまで、自分一人でやりとげようとした。


「分かればいいんだ。月並みなセリフだけど言わせてもらうぞ!」


 勇は歳三の頭に手を置いて、ちょっとだけ乱暴に撫でる。


「トシは決して――」


 ここぞというキメ台詞を言おうとした勇なのだが、



「土方さんは決して一人じゃないんです。私たちがついています。だから、もっと頼ってください。私たちは、あなたに頼られたいとずっと願っているんですから」



 いつの間にか背後にいた一に先取りされてしまう。


 いつも無口で無表情の一が、精一杯の気持ちと勇気を振り絞ってかけてくれた言葉。


 それは、確実に歳三の心に響いていた。


「一……」


「くああっ! いいセリフ取られた! 私がトシに言おうと思ってたのに!」


 その横で悔しそうに歯ぎしりする勇。


 タイミングばっちりだっただけに余計に悔しいらしい。わざとやられたのかもしれないとまで疑っているくらいだ。


「そーですよー。あたしたちは戦うのが仕事なんですから! 土方さんほど強くないかもしれないけど、それでも守ってもらわなきゃダメなほど弱いつもりはないんですから。だから大丈夫です!」


 いつの間にか左之助までやってきていた。


「ぼくはそろそろとっしーくらい強くなってると思うから心配ないよ? むしろぼくがとっしーを守ってあげるねっ!」


 さらに総司まで出てくる。


 どうやらそろいもそろって覗き見をされていたらしい。


「お前らな……」


 情けないやら恥ずかしいやら微妙な場面を覗き見されて、歳三は盛大にため息をつく。


 しかしそういうことをされるほどにみんなに心配をかけていたのだなと猛省もした。


「分かったよ。私が悪かった。もう、一人で抱え込んだりしないって約束する」


「本当に?」


 勇が睨みつけるように確認する。


「本当だ」


「じゃあ、容保公との関係も切ると約束しろ」


「……分かった。だけどそうすれば、本当に後戻りできなくなるぞ」


 バレていたのか、と若干怯みながらもそう返す歳三。


「言っただろう。トシ一人に問題を押し付けるなんてまっぴらなんだ。そんなことをさせるくらいなら最後まで戦う道を選ぶ。それが私たちの誇りだ」


「……言いたくはないのですが、土方さんの行動はそんな私たちの決意を蔑ろにしています」


「う……」


 いつもは歳三の前でさえほとんどしゃべらない一にまで畳みかけられて、さすがに縮こまってしまう。そんな歳三を背後から左之助が羽交い絞めにする。


「っ!?」


「土方さんも悪いけど、もちろんあたし達も悪い。土方さんがあんまりすごすぎるから、あたし達もつい頼っちゃってたんですよね」


 どさくさに紛れてぎゅうぎゅう抱きついている左之助に対して、


「別に、私はすごくなんかないぞ」


 と言い返す。


 いつもなら振り払うところだが、不思議とその温かさが心地よかった。


「うん。今になってようやく分かりました。土方さんだってあたし達と同じ、普通の女の子なんだって。へこたれるし、傷つくし、悩むし、挫折するし……」


「お、女の子って歳でもないぞっ! それにそこまであからさまにへこたれたり傷ついたり悩んだり挫折したりしたつもりはないぞっ!」


 少なくとも、誰かの見ているところでそんな情けない姿を晒したつもりはない。そこは気を付けていたつもりだ。……あくまで『つもり』だが。


「駄目駄目。土方さん自分で思っているほど感情を隠すのうまくないんですよ。無理してるのバレバレだし」


「………………」


「それに、斑鳩のこともね。土方さんってば、斑鳩の前だと普通に『恋する乙女』って感じですからね~。いやあもう、微笑ましいったら……」


「っ!?」


 その言葉に歳三はびくっとなる。『恋する乙女』というあまりにも自分に似合わないセリフを聞いた所為かもしれないし、本当の本当に隠していた本音を晒された所為かもしれない。


「いやいや。バレバレっすよ? だって土方さんってば斑鳩と一緒にいるときはすっげー感情豊かじゃないっすか。怒ったり笑ったりへこんだり。斑鳩と一緒にいるときの土方さんは、少なくとも『副長』って立場じゃなくて、個人として接しているように見えましたけどね。そりゃあ普通の『恋する乙女』みたいに『可愛くデレデレうふふきゃはっ!』って感じじゃないですけど」


「そんな感じになってたまるかっ!」


「そうっすよね~。第一、似合わないし」


「ほっとけ!」


「でも、斑鳩と一緒にいるときの土方さんは自由だったでしょ?」


「自由?」


 その言葉に、歳三が怪訝そうな反応をする。


「そう。天牙の民という立場にも、新撰組副長という立場にも縛られていない、土方歳三個人でいられた。だからあんなに感情豊かでいられた。違いますか?」


「………………」


 言われてみれば、と考える。


 斑鳩と一緒にいた時の自分は、何かに縛られていたという感覚はなかった。


 ああしなければならない、こうしてはいけない、そうでなければなどという、自分自身を戒めていた精神的な枷を、斑鳩の前にいるときだけは取り払っていたように思う。


 斑鳩が鴨の兄だったからなのか。


 正規の隊士ではなかったからなのか。


 それとも……


「だから、それを見て分かったんですよ。ああ、この人はやっと自分の願いを持つことが出来たんだなって。斑鳩が好きなんだなって、分かったんですよ」


「………………」


「だから、斑鳩を殺すなんて言わないでくださいね。あたし達も協力してあいつをとっつかまえますから、さっさと告っちゃってください!」


「なっ!」


「それがいい! というかその場面はぜひとも見物したいな!」


 勇が便乗するように声を上げる。


「見世物じゃないぞ!」


「ほう。では告白するつもりはあると?」


「っ!」


 にやにやと笑う勇。


 うぐっと言葉に詰まる歳三。


 反応が分かりやすすぎる。


「それも、約束したから……」


 坂本竜馬との約束。


 歳三の最後の切り札、その手段を教えてくれた最大の敵。


 そして、自分にとって一番大切な人に残されたたった一人の家族。


 彼と交わした約束を、歳三は守るつもりでいる。


 最初で最後の本当の自分。


 ほんとうの気持ちを、たった一度だけ伝える。


「……うーん。約束に縛られずにそれが言えれば百点満点なんだけど、まあトシにそこまで望むのは酷かな~。なんせウルトラ不器用だし」


「ウルトラ!?」


「ハイパーでもいいけど」


「どっちも嫌だ!」


「どっちでもいいけど頑張れ~。私は応援してるぞ」


「あたしも!」


「……相手が斑鳩というのはちょっと不満ですが、土方さんのためですから私も陰ながら応援しましょう」


「はじめちゃんはいっきーに厳しすぎ~。ぼくはもちろん二人とも幸せになって欲しいからばっりばりに応援しちゃうよ!」


 面白くなさそうに黙り込む一の横で、総司がぽんぽんと肩をたたく。


 そんな面々を前にして、歳三は吹っ切れたように肩を竦めた。


 そして、まっすぐにみんなを見た。


「ありがとう」


 そしてその一言だけを満面の笑顔で告げた。


 言いたいことはたくさんあった。


 言うべきこともたくさんあった。


 だけど、今は感謝の気持ちでいっぱいだからこれでいいと思った。


 言わなくても、伝わることもある。


 伝わっていれば、言葉に出す方が無粋という時もある。


 戦う。


 そして伝える。


 この二つを決意した。


 そして大切な仲間がそれを祝福してくれる。


 だから、これでいい。



 歳三はこのときようやく自分から前へと踏み出すことが出来たのだった。


 それがたとえ破滅への一歩だとしても、胸を張って進むことが出来ると信じている。



















 










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