過去篇02 ただそうしたいと願うから
勝負の結果は鶫の敗北だった。
ものの見事に敗北した。
龍馬の連撃を防ぐも、力ずくで押し切られてしまい、そのまま壁ぎわまで後退させられたのちトドメの一撃が首筋へと突きつけられる、という結末。
智羽道場一の使い手であった鶫としては道場に対して申し訳ない気持ちになりながらも、それでも智羽流として勝負したわけではないので道場の名前そのものに傷が付かなかったことにほっとした。
「参りました」
あっさりと負けを認め、竹刀を床に置く。
「感謝するぜよ」
龍馬の方も竹刀を退いて、ぺこりと頭を下げた。
「………………」
坂本龍馬。
確かに恐ろしいほどに強かったが、しかし鶫が本気を出せば、もう少しくらいはやり合えるはずだった。
しかし必要以上に本気を出した場合、天牙の民の本質が顕現してしまう恐れがある。
耳と尻尾の生えた異形の姿。
それを人間達の前で晒すわけにはいかない鶫は、常に己の力をセーブして戦いに臨んでいる。
それでも普通の人間よりは遥かに高い戦闘能力を有しているはずなのだが、しかし龍馬は普通の人間どころではなかった。
膂力も、スピードも、剣士としての技量そのものも、人間としては並外れている。
間違いなく彼は天才の部類だろう。
「なかなか楽しめたぜよ、芹沢さん」
「こちらこそ。初心を思い出させていただきました」
その後は通常の指導に戻り、龍馬も鉄芯と上座で何やら盛り上がっている。
夕食を一緒に摂ることになり、鉄芯と一部の食客、そして龍馬と鶫が食堂で円を囲んでいた。
「いやあ。坂本さんはとんでもなく強いですね。僕は鶫さんに勝てる相手がいるなんて思いもしませんでしたよ」
食客の一人がそんな事を言う。
「確かに鶫さんは強かったけんどまだ本気を出してる感じじゃあなかったにゃあ」
龍馬がそう返すと鶫は肩を竦める。
「言い訳する気はありません。坂本さんは私よりもずっとお強い」
「………………」
鶫の本当の力を見抜いているのかそうでないのか、飄々としすぎていまいちつかめない。
「ま、まあまあ。今日はレベルの高い試合を観させてもらって門下生共々いい刺激になったと思う。二人には感謝しているよ。どんどん食べてくだされ」
若干空気が張り詰めたのを察した鉄芯が、その場を和ませるように割り込んだ。
龍馬もそれ以上追求する気はないらしく、和気藹々とした会話に戻る。
鶫もにこにこしながら相槌を打つ。
どこか演技じみたやりとり。
この男はどこか自分と似た部分がある。
鶫は龍馬に対する警戒心を一層強めた。
智羽道場を出た鶫は一人で帰路につく。
お裾分けしてかなり減ってしまった食材の詰まった袋を片手に、特に急ぐでもなくのんびりと歩く。
気配が感じられるぎりぎりの距離を保って尾行してきている相手をじらすように、人気のない場所へと入っていく。
鶫が終点に選んだのは打ち棄てられた廃墟の中だった。
人の住まなくなった廃墟区画。
そこに一人きりで入っていき、その内の一軒に足を踏み入れる。
「もういいでしょう。何の用ですか?」
尾行者に対して自分から対話を始めた。
「やっぱり気付いちょったがか、芹沢さん」
「……あれだけあからさまな尾行をしておいて、よくもまあぬけぬけとそんな事が言えますね、坂本さん」
中に入ってきたのは龍馬だった。
ずっと鶫を尾行していたらしい。
「それで、一体何の用ですか?」
鶫はあらためて尾行の用件を尋ねる。
「分かっちゅうやろ。おんしともう一度戦いたい」
龍馬は腰に差した刀に手を掛ける。
竹刀ではなく今度は真剣での勝負を望んでいるようだ。
「あなたの勝ちだと言ったはずですが。それとも私を殺したいのですか?」
「違うぜよ。おんしの本気を見たいだけぜよ」
「………………」
「おんしはまだ力を隠しちゅう。ワシは全力のおんしと戦いたい」
「……どうして」
「ワシはな、ただ強くなりたいだけぜよ。強い相手と戦って、自分がどこまで強くなれるか確かめたいぜよ」
「………………」
「だから頼む、芹沢さん。おんしの全力でワシと戦ってくれんか?」
「……全力を出せば、私はあなたを殺す以外の選択肢が無くなる。つまりこの戦いを開始するならば試合ではなく殺し合いということになります。それでも構いませんか?」
鶫が天牙の民の能力を解放して戦うのならば、その姿を目にした龍馬を殺さなくてはならなくなる。
殺せないのならば殺されることになる。
だからこれは試合ではなく殺し合い。
強くなる喜びという健全な目的のための戦いではなくなる。
「構わんぜよ。真剣を抜いた以上、無傷で済むとは思っちょらん。お互い本気の本音でぶつかり合おうぜよ」
「……分かりました。あなたの要望にお応えしましょう、坂本さん」
鶫は腰にある核石に自らの血を付着させる。
普段は押さえ込んでいる天牙の民としての能力を開放する。
耳と尻尾が顕現して、紅い瞳はさらに紅い光を帯びる。
「それが、おんしの本当の姿か」
「……あまり驚かないんですね」
天牙の民本来の、つまりは化け物としての姿を目にしても、龍馬の態度は全く変わらなかった。
そのことに鶫は若干の驚きを憶える。
「驚いてないわけじゃないぜよ。ただワシのように安全とか保身とかを度外視して武者修行を続けちょるとな、不可思議なもんに出会うことがごくたまにあるぜよ」
「……なるほど」
何も自分たちだけが人外の存在ではない。
この世界には鶫たちの知らない化け物的な存在も、確かに在るのだろう。
そして龍馬はそれを知っている。
「それにその姿、普通に可愛いぜよ」
「え?」
きょとんとなる鶫。
何を言われたのか理解できないらしい。
「……あ、いや。忘れてくれ。ちょっとした気の迷いぜよ」
「はあ……」
これから殺し合いをする相手に対して言うべき言葉ではなかった。
「では、行きます」
鶫は刀を抜いてから龍馬と向き合った。
そして宣言ののち、神速の踏み込みで龍馬へと斬りかかる。
せめて一撃で殺せるように、全力で。
「つあっ!」
「!!」
しかし龍馬はそれを止めた。
天牙の民の全能力を開放した攻撃を、ただの人間でしかないはずの龍馬が正面から止めている。
かたかたきちきちと金属音を鳴らしながら、その手はぶるぶると震えている。
限界近い力を振り絞っているのだろう。
その顔からは冷や汗らしきものが流れている。
「くっ……さっすがじゃのう……!」
少しでも力を緩めればそのまま斬り殺される。
龍馬はそれが分かっていて、いや、それが分かっているからこそ笑う。
凄絶な笑みを浮かべ、そして歓びを前面に表す。
「おんしのような奴と戦いたかったぜよ。ワシの全力で、全霊で、すべてを出し切れる相手と!」
「………………」
その声と表情、そして感情。
鶫はそのすべてを受けて理解した。
彼は渇いているのだと。
全力を出した人外の力と互角に渡り合える、驚異的な身体能力。
天賦の才というべきその異端。
戦いの道を選んだ時点で、彼はずっと探していた。
自分が全力で戦える相手を。
どれだけ戦い続けても、どれだけ繰り返しても、これだけの力を持っていては対等な勝負にはならない。
人間が相手では彼には絶対に敵わない。
武者修行と言っていた。
しかし本当の目的は自分と対等に渡り合える相手と出会うことだったのだろう。
そして出会った。
芹沢鶫という、唯一の存在に。
「くっ!」
「はははっ! これが全力! これがワシの極限! 初めて見える世界のなんちゅう鮮やかなことか! おんしは最高ぜよ、芹沢さん!」
本当に崖っぷちでの命の削り合い。
わずかでも対応を誤れば振るわれる刃は即座にその命をえぐり取る。
そんな状況での剣戟を繰り返したのち、ついに二人の決着がついた。
「っ!?」
廃墟の中から始まり、その舞台を外にまで移し、目撃者に気を使う余裕もなく戦い続けた二人の決着は、実力ではなく運でついてしまったと言ってもいいだろう。
辺り中に打ち捨てられた瓦礫の一つに足を取られた鶫が体勢を崩してしまう、という形で。
「っ!」
もちろん龍馬がそんな隙を見逃すはずもない。
振り下ろされた刀は正確に鶫の首を狙っている。
龍馬の斬撃は重く、足場が固定できないまま防げるものではない。
鶫は己死を覚悟した。
しかし……
「……?」
振り下ろされると覚悟した刃は、鶫の首筋でぴたりと止まっていた。
「勝負ありぜよ」
「………………」
龍馬はそのまま刀を引いて鞘に納める。
「ちょっと……」
鶫は文句を言いかけるが、龍馬は右手を差し出してそれを止める。
それは手を差し伸べているようにも見えた。
「………………」
「勝負はついたぜよ。殺さなくて済むなら、その方がいいに決まっちょる」
しかし鶫はその手を取らない。
刀からも手を離さない。
龍馬が戦いをやめても、鶫にやめるつもりは毛頭ないらしい。
「……芹沢さん」
鶫を宥めるように呼びかける龍馬。
その手も差し伸べられたままだ。
「最初に宣言したはずですよ。私がこの姿を晒せば、貴方を殺す以外の選択肢はなくなると。ですからそうされたくなければあなたが私を殺せばいいのです」
「………………」
「貴方が私を殺せないというのなら、私が貴方を殺します」
「………………」
龍馬は刀から手を離さないままの鶫をじっと見つめている。
そして困ったように頭を掻く。
「ワシがおんしを殺せん理由はもう一つあるぜよ」
そして鶫の傍にしゃがみこんでその頬に触れる。
「っ!?」
そっと触れられた手は、とても温かかった。
「ワシがおんしに一目ぼれしたからぜよ」
「え?」
鶫に返答する暇は与えられなかった。
龍馬はそのまま鶫の唇を奪って、そのまま強く抱きしめる。
「んっ! んぅっ!?」
口の中に侵入してくる熱は抗いきれない甘さを秘めていて、鶫は手にしていた刀から手を離してしまう。身体から力が抜けて、されるがままになってしまう。
「あ……」
気が付いたら瓦礫の上に押し倒されていて、それでも鶫が瓦礫で傷つくことのないように、そっと抱きしめられている。
「なんかややこしい決まりとか色々あるかもしれんけど、ワシはもうそういうのはどうでもいいぜよ」
「………………」
「生まれて初めて全力で戦えた。ずっと渇いていたものが満たされた。ワシの旅の終わりは鶫さん、おんしぜよ」
「私……が……?」
鶫は戸惑ったまま、それでもまっすぐに龍馬を見上げる。
正体を知った後も変わらない態度で自分を求めてくれる、初めての相手。
お互いにかけがえのない相手に出会えたような、そんな気持ちになっていたのだ。
ずっと演技をしてかかわっていくしかないと思っていた。
本気でぶつかりあえる相手なんて存在しないと思っていた。
だけどそれは単なる思い込みでしかなくて、きっかけ一つで、わずかな気持ちで、超えることができる壁でしかなかった。
「きっと細かい理屈とか、どうしてそうなったとか、そうゆうんはどうでもいいことだと思うぜよ。ただ、こうしたい。今はそれがすべてじゃき」
「どうでもいい……?」
「今はただ、答えが聞きたい」
「………………」
「ワシと一緒に生きてくれ、鶫さん」
人間と天牙の民とか、敵同士とか、何もかもすっとばして、ただ一つの想いがそこにあった。
それ以外はどうでもよくて、それだけが叶えたい願いで。
本当にただ、それだけだった。
龍馬にとって旅の終わりが鶫だったように、鶫にとっても迷い続けてきた旅路の果ては、龍馬だったのかもしれない。
だから鶫の答えも決まっていたのだ。
「はい」
一番の気持ち。
そうしたいと願う事。
ただ、その欲求に従っただけ。
芹沢鶫はこの時、生まれて初めて心の底から微笑むことが出来ていた。
たった一つの幸せを見つけたから。
二人は出逢って、家族になって、そして――
壊された未来を違う形で取り戻すために、坂本竜馬は戦っている。
これまでも、そしてこれからも。
その命の使い方を、鶫を失ったときに決めたのだ。




