忘れていたこと
「………………」
「天牙の民からおんしがいなくなれば、あとは簡単に潰してしまえるぜよ。鴨も斑鳩もおんしだけは殺せん。じゃったら味方に引き入れるしかないぜよ」
「………………」
「天牙の民も人間も関係なく、すべてのしがらみから解き放たれた新しい世界で生きてみたいとは思わんか?」
「………………」
歳三は迷わなかった。
向こうにはきっと鴨がいて、歳三がそちら側に行けば斑鳩も戻ってくる。
そうして歳三の大好きな二人と一緒に、すべてのしがらみから解き放たれた新しい世界で生きる。
そんな夢を諦めることに、一瞬たりとも迷わなかった。
返答次第ではすぐにでも自分を殺すてのひらを首に感じながら、歳三ははっきりと告げた。
「断る」
「………………」
「私は、大切な人を裏切るような生き方だけは絶対にしない」
鴨も、斑鳩も歳三にとっては大切な二人だ。
しかし歳三にとってはほかの仲間も大切なのだ。
勇も、総司も、一も、左之助も。
未来がないと分かっていて一緒に戦ってくれている仲間たち。
彼女たちを見捨てて自分だけ幸せな未来を選ぶことは、歳三にはできない。
「……そうか。まあおんしはそう言うと思っとったぜよ」
龍馬の両手に力がこもる。
「ぐっ……」
呼吸が圧迫される苦しさに呻きながら、それでも歳三は龍馬から目を逸らさなかった。
抵抗するほどの力も残っておらず、だからと言って逃げ出すこともできない。
だったらせめて気持ちの上だけでも屈服したくない。
最期まで意地を張り続ける。
それが、歳三に出来る唯一の抵抗であり、誠意だった。
「………………やめた」
しかし龍馬はすぐに手を離した。
「……っ! げほっ……かはっ……」
首から手を離された歳三は足りない酸素を貪欲に取り戻すように咳き込む。
「ど、どうして……」
殺される覚悟を決めていた歳三は、突然辞めてしまった龍馬に問いかける。
「うぅ~。おんしが悪いぜよ」
しかし龍馬はなんともやりにくそうな表情で頬を掻く。
「………………」
人を殺そうとしておいて、勝手にやめておいて、どうしてそんなことを言われなければならないのだろう。
歳三はかなり理不尽な気分だった。
「ワシはなぁ、そういうまっすぐな覚悟に弱いぜよ。未練も後悔も全部自分の中で飲み込んで、潔く終わることに何の躊躇いもない。そういうのは見ていて胸が詰まるぜよ」
「………………」
「まっとうな斬り合いでならともかく、抵抗できん状態で殺してしまうにはあまりに純粋すぎる」
「……私は、そんなんじゃない……」
まっすぐで、純粋で、まるで尊いもののように言われる。
自分はそんなものではないのに、誰も彼もがそういう風に扱う。
歳三はそうされる度にどうしようもない息苦しさを感じてしまうのだ。
「おんしは斬り合いで殺すことにする。人でなしなワシでもそうせんと気が済まんくらいの誇りは残ってるつもりぜよ」
「………………」
「不思議な奴ぜよ。どうしても卑怯な手を使おうっちゅう気にはなれんからにゃあ」
「……いいのか? 万全の私は恐らく、かなり手強いぞ」
「ふふふん。舐めてもらっちゃあ困るにゃあ。ワシだってかつて天才の名を冠した剣士の一人ぜよ。剣技だけなら天牙の民にも遅れはとらん」
「……天才、か」
「ん? どうした?」
「……いや。私はそれの『成り損ない』でしかないからな。その領域にたどり着けた存在が正直羨ましい」
かつて歳三が目指して、焦がれたもの。
才能という生まれながらの特別性。
それがあればきっと、自分の無力さを呪う事もなかったかもしれないのに。
「何を言っちゅう。おんしだって相当なもんじゃろうが、新撰組副長。土方歳三は新撰組最強の使い手だって聞いてるぜよ。あの沖田総司でさえおんしにはまだ敵わんと」
「……私は『極限』だからな。凡人が辿りつける最終地点にいるんだ。だから総司にもいずれ追い抜かれる日が来る」
「………………」
「だがそれでいいと思っている。総司は本物の天才だ。いつか総司が完成したら、きっと天牙の民は何の心配もいらなくなる。あの子は私の……いや、私たちの希望なんだ」
それだけの可能性を総司は秘めている。
歳三はそう信じている。
まっすぐに強さを目指す総司は、いつかきっと誰にもたどり着けない境地に立つことができると。
それは力だけでなくもっと大きな何かを手に入れること。
ギリギリで生かされているだけの天牙の民を、もっと違う方向に導いてくれる存在になれる。
「だからそれまでは、私があの子たちを守る」
それが歳三の決意。
希望を託せる相手がいるからこそ、それまでは自分が踏ん張るという覚悟。
そんな歳三を、龍馬は痛々しい表情で見つめていた。
「……おんしは、いつまでたってもそうなのか?」
「………………」
「守る、託す。そして耐える。それだけ聞けば大層聞こえのいい言葉ぜよ。じゃがな、おんしは自分自身で何一つ変えようとしとらん」
「っ!」
「自分に力が足りんと思うんは自由ぜよ。じゃが本当に未来を変えるんは力じゃなくて『変えようとする意志』ぜよ。おんしにはそれがない」
「………………」
「そんなおんしに希望を託される相手が、本当に未来を変えてくれると思うんか?」
「それは……」
「土方さん。ワシはおんしの敵じゃが、それでも一つだけ助言しておくぜよ」
龍馬は歳三の華奢な両肩を掴んで、そして言い聞かせる。
「おんしの考え方は間違っちゅう。本当に変えたいと思うんならまずは自分が変わらんといかんぜよ」
「……私は」
「土方さん。おんしはかつて鴨に言ったことがあるはずぜよ。『自分で幸せになろうとしなくちゃ駄目だ』と」
「っ!」
「鴨にそう言ったおんしこそが、今は真逆の生き方を選んどる。それは何よりも鴨に対する裏切りぜよ」
「あ……」
幼い頃の言葉。
まだ何も知らず、闇にも触れず、無垢でいることを許された眩しい過去。
今はもう、こんなにも遠い。
だけど、その時の気持ちも、言葉も、決して嘘ではないのだ。
そしてだからこそ忘れてはならないものだったのに。
幸せになろうとすること。
それは、生きようとすること。
未来を生きて、光を掴む。
そういう生き方を、かつての自分は目指していたはずなのに……




