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二人の別れ

「………………」


 結論としては、やっぱり後悔することになった。


 響都城に忍び込んだ斑鳩が目にしたものは、嫌な予想通りのものだった。


「……何なんだよ、あれは」


 いや。それよりもさらに酷い。


 身体を求められただけならまだ納得できたのに、アレはそういうモノですらなかった。


 愛情もなく、憎悪もなく、ただ愉悦のみがそこにあった。


 アレはただ歳三を痛めつけているだけの行為だった。


 歳三を壊すための儀式だった。


 抵抗できなくするために特殊な薬を飲ませたり(本当は酒なのだが斑鳩は薬だと思い込んでいる)、その様子を心底愉快そうに見下ろしたり。


 松平容保という男は土方歳三という存在を壊そうとしている。


 痛めつけて、屈辱を与えて、苦しめて、その先にあるものを求めている。


 斑鳩が目にしたのは、その仕打ちに無表情で耐え続ける歳三の姿だった。


 誰にも言えず、誰にも助けてもらえず、ただ一人で耐え続ける。


 自分が壊れるその瞬間まで意地を張り続ける。


 大切な仲間の為に、自分を壊し続ける。


 その姿が、その在り方が、斑鳩には耐えられなかった。



『お前も案外しぶといな。そんなに天牙の民が大事なのか? 何もかも切り捨てて、自分一人だけ逃げるという選択肢だってあるだろうに』


 からかうような口調は、天井裏で聞いていた斑鳩ですらひどく癇に障った。


『うる……さい……!』


 そしてそんな言葉にもただ一言しか返さない歳三。


 他の反応をするほどの余裕がないのだろう。


『余はお前を壊したい。お前が壊れる瞬間をこの目で見届けたい。それがお前と天牙の民を生かしてやっている理由だ。だがな、お前は別に逃げてもいいんだ。仲間も、友人も、何もかもを切り捨てて、自分一人が生き延びるための選択肢だってお前にはあるんだよ、土方』


 それが出来ないことを知っていて、容保は歳三を追い込む。


『……黙れ!』


『ははは! いいぞ! もっと楽しませろ! お前のその強情さは実に余の好みだ!』


 それは、緩やかな拷問だった。


 じっくりと、時間をかけてお気に入りの相手を壊していく。


 そういう種類の娯楽なのだ。


「…………!!」


 今すぐに天井をぶち壊して容保を殺してやりたい。


 そういう衝動を必死で抑えつけながら、斑鳩はその行為をひたすら眺めていた。


 これまで歳三がたった一人で耐えてきたものを、自分一人の激情で壊すわけにはいかなかった。  




 歳三が城から出てきたのはそれから二時間後のことだった。


 その瞳は虚ろで、身体の方もかなりふらついている。


「お、おい……大丈夫か?」


 さすがに心配になった門番が歳三を支えようとするが、歳三は乱暴に手を払って拒絶した。


「大丈夫だ。頼むから私に構わないでくれ」


「………………」


 ふらついたままの足取りで、門の外へと出る。


「………………」


 そこには斑鳩が立っていた。


「………………」


 歳三は何も言わない。


 斑鳩がこのタイミングでこの場所にいるという事の意味に気付いていながら、何も言わない。


 言い訳もしない。


 弁明する気もない。


 自分の行動が間違っていると分かっていても、他に方法がないことも確かだから。


「………………」


 それでも斑鳩の姿を見て気が抜けてしまったのが失敗だった。


「あ……!」


 本来なら立っていられないほど消耗している身体は、頼ってもいい相手を目の前にして倒れそうになる。


「っ!」


 その華奢な身体をすばやく斑鳩が支える。


「離…せ……」


 しかし歳三は斑鳩すら拒絶する。


 いま誰かに縋ることは、そのまま己の破滅に繋がる事だと理解しているから。


「………………」


 そんな歳三の言葉を受けて、斑鳩の中で何かがキレた。


 本来なら優しくして傷ついた歳三を少しでも楽にしてやるべきだと分かっているのだが、そんないたわりの気持ちが即座に霧散していく。


 口をへの字にした斑鳩が次にとった行動は、


「かっ……はっ……!?」


 歳三の鳩尾に右こぶしを叩き込むことだった。


「お、おい!?」


 様子をうかがっていた門番がさすがに声をかけてくるが、斑鳩は営業スマイル全開で手を振った。


「大丈夫大丈夫。こいつこうでもしないと大人しく休んでくれないからさ。あとは俺が担いで帰るから問題ないってことで!」


「え? あ? えっと、はあ……」


 門番はどうしていいのか分からず戸惑いながらも返事をする。


 とりあえず歳三の仲間らしいという事だけは分かったようで、そのまま門番の仕事へと戻った。


「き……きさま……なに……を……」


 斑鳩の腕に抱えられながら弱々しい声で抗議する歳三。


「うわ、驚いた。普通なら今ので気絶しててもおかしくないんだけどな。無駄に頑丈だなあ」


「………………」


 軽く殺意を覚える歳三だった。


「まあ大人しくしてろよ。ちゃんと部屋まで運んでやるからさ」


「………………」


 腹部の痛みに耐えながら、歳三はされるがままに斑鳩に背負われた。


「どうして……ここに……?」


 広い背中のぬくもりに触れながら、弱々しい声で尋ねる歳三。


「いやあ。実は俺ってストーカーが趣味なんだよな~」


「………………」


 はぐらかしているのか、半ば本気で言っているのか判断がつかない歳三だった。


 はぐらかしていると思いたいのは山々なのだが、斑鳩のことだから半分以上はそういう趣味も入っているのかもしれないと疑わざるを得ない。


 陽が落ちかけ、茜色に染まった街並みをぼんやりと眺めながら、どうしてこんなことになっているのだろうと考える。


 耐え難い時間がようやく終わって一人で落ち着こうと思ったら、斑鳩が迎えに来ていて、今はその背中に身体を預けている。


 そのぬくもりが何よりも安らげるものだと感じているのに、全てを預けてしまうことが出来ない。


「なあ、トシ」


 やがて斑鳩の方から話しかけてきた。


「俺に、どうしてほしい?」


「………………」


 その言葉の意味を、歳三は考える。


 もしも放っておけ、自分に構うなと言ったのなら、斑鳩はその通りにしてくれるだろう。


 しかしそれは斑鳩が歳三を見捨てるという意味ではなく、斑鳩自身が歳三の意志と無関係に動くという意味でもある。


 斑鳩がその後どういう行動に出るか、歳三には推測がつかない。


 助けて欲しいと望めば、斑鳩は歳三の望む通りに助けてくれるだろう。


「私は……」


(私は、斑鳩に何を望めばいいのだろう……)


 ただ、守りたかった。


 大切な友達との約束を果たすために、斑鳩の事を守りたかった。


 それがいつからか、ただ傍に居て欲しいと望むようになって。


 それ以上は望めない自分がいて。


 同じ場所から動けないまま、ただ追い詰められていく。


「私は、何も望めない」


「トシ……」


 だから、望みは持てない。


 望んではならない。


「私は、もういいんだ」


 大切な人を、自らの破滅に巻き込むわけにはいかない。


 あとは壊されていくだけの人生なのかもしれないけれど、それでも守りたいものがあるから。


 死ぬまで、あるいは壊されるまでそれを貫き通す。


 何一つ捨てられない、仲間を巻き込んで戦う覚悟もできない、中途半端な自分にはお似合いの結末だろう。


 それでもたった一つ、斑鳩と出逢って一緒に過ごせた時間だけは。


 それだけは、歳三が自分で望んだものだった。


 きっかけは鴨との約束だけれど、選んだのは、望んだのは紛れもない自分自身。


 斑鳩のことだけは、歳三が自分のために望んだものなのだ。


 新撰組副長ではなく、天牙の民を守るものでもなく、土方歳三個人の願い。


「お前に出逢えた。それで十分だよ」


「………………」


 望みも気持ちも伝えられない歳三が言える、それが精一杯の答えだった。


 望みも、気持ちも、伝えられない。


 それでも心だけは伝わった。


 斑鳩が歳三に抱いているのと同じ想いを、歳三も抱いてくれているのだ。


 ただ一つ違うのは、斑鳩は歳三の為にすべてを捨てることができ、歳三は斑鳩のためであっても何一つ捨てられないということ。


 それは想いの深さの違いではなく、大切な存在の数の違い。


 自分のためだけに生きることが出来ない、自分で気づいていないだけで誰よりも優しい鬼副長の答え。


 それを責めようという気持ちは、斑鳩にはなかった。


 誰よりも大切な存在だからこそ、歳三が自ら選んだ道を尊重したい。


 それが自らの破滅へと向かう道であっても、斑鳩は止めようとは思わない。


 そもそも、斑鳩の言葉で止まるような歳三ではない。


 そういう女だからこそ、斑鳩は土方歳三に惚れたのだ。


「……そっか」


 斑鳩としては歳三の答えを聞けただけで十分だった。


 出逢えてよかった。


 そう言ってくれただけで、斑鳩も覚悟を決められるから。


「トシが俺に何も望まないなら、俺は俺の望みの為だけに動くことにするよ」


「………………」


 気が付けば西本巌寺からそれほど離れていない宿場にたどり着いていた。


 弱り切って小姓に背負われている副長の姿などを隊士に見せるわけにはいかないという、斑鳩の気遣いだろう。


 斑鳩は一つ部屋を取って、そこへ歳三を運び入れた。


 壁に寄り掛からせて、斑鳩もようやく落ち着く。


 落ち着いたところで切り出す。


「俺は、新撰組を離れる」 


「………………」


 分かっていたこととはいえ、動揺を表に出さずにいることは無理だった。


 傷ついたような歳三の表情を見て、斑鳩もまた苦笑する。


「そんな顔するなって。別に、二度と逢えなくなるわけじゃないからさ」


「……そう、だな」


「トシが俺に傍に居て欲しいって言ってくれたら、その望み通りにするつもりだった。でも、トシはそう言わなかった」


「………………」


「分かってる。言えなかったんだろう? 俺を巻き込みたくないって思ってくれたんだろう?」


「私は……」


「いいんだ。かえって楽になったよ。これで俺はトシの事を気遣う必要はなくなった。俺は俺が望む未来の為に好き勝手に動ける」


 歳三の葛藤も、今まで耐えてきたことも、守りたいものも、すべて無視して動くことが出来る。


 それは歳三の今までをすべて壊してしまうことかもしれないけれど、それでもその破壊が未来につながると信じている。


「俺は、トシが好きだよ」


「っ!」


 そのままそっと唇を合わせてから、斑鳩は立ち上がる。


「だからこの先トシに恨まれることになっても、俺はトシの未来の為に動くよ」


「斑鳩!」


 その意味を理解して斑鳩を引き留めようとするが、その手は届かず空を掴む。


「壊すことでしか変われない未来なら、何もかもを台無しにする」


 歳三だけが耐え続けなければならない、そんなことでしか守れないものなどすべて壊れてしまえばいい。


「待て! 斑鳩……!」


「じゃあな、トシ」


 斑鳩は木枠に足をかけて、そのまま出て行ってしまった。


 部屋には歳三が一人と取り残される。


「斑鳩……」


 斑鳩は間違いなく容保を殺すつもりだろう。


 その所為で天牙の民がどうなろうと、それは斑鳩の知ったことではないのだろう。


 たった一人の為に動くというのはそういう事だ。


 斑鳩は歳三を選んだ。


 歳三を守ることはあっても、歳三が大切にしているものまでは守ろうとしてくれない。


 歳三は天牙の民を守るために自分一人を犠牲にし続けた。


 だから斑鳩は歳三を守るためにほかのすべてを犠牲にするのだろう。


「私は……どうすればよかったんだ……!」


 畳を殴りつけながら、絞り出すように嗚咽を漏らす。


 自分一人が耐え続ければ、その分だけ守れるものがあると信じていた。


 たとえ未来を望めなくとも、今を壊されるよりはずっとマシだった。


 だけど斑鳩は歳三の為に『現在いま』を壊すという。


 歳三以外の全てを顧みることなく、ただ己の願いのためだけにその手を汚そうとしている。


「斑鳩……、私にお前を恨めというのか……?」


 あんな事をしておいて、あんな事を言っておいて、それでも恨めというのか。


 なんという残酷な愛情なのだろう。


「斑鳩……」


 部屋の中には歳三が一人だけ残されている。


 涙を流しても、焦がれるように名前を呼んでも、誰も見ていないし聞いていない。


 だから今だけは弱い自分でいたかった。


「斑鳩……」


 ただ、その名前を呼び続けた。


 誰もいない部屋で、帰ってこない相手の名前をただ呼び続ける。


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