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過去篇02 ともだち

 トシが私から一本取れるようになったのは、それから数か月後の事だった。


「はっ!」


「つぅ!」


 トシの連撃をさばききれずに木刀を叩き落とされてしまった私はそのまま両手を挙げて降参の意を示した。


 トシはそのまま木刀を引いて、にっこりと笑った。


「えへへ! やったな!」


 その笑顔は大きな壁を乗り越えた達成感に満ちていて、わずかな悔しさを抱いた私ですら気分が和らいでしまうようなものだった。


「いや、本当にすごいよ、トシ。才能がないくせにこの短期間でここまでの成果を出すなんてさ」


「……才能がないって……それ褒めてんの? 貶してんの?」


「褒めてる褒めてる。ばっちりしっかりごっちり褒めてる」


「……ごっちりって何?」


 もちろんこれは褒めているつもりだ。


 才能がない、というのは妬みでも何でもなく本当の事だったから。


 トシには特別な才能は何も見いだせなかった。


 剣筋も教科書通りで、どこにも個性というものがない。


 定石通りの戦い方は出来ても、自ら変則的な戦い方を生み出したりは出来ないだろう。


 しかし才能はなくとも、個人が積み重ねた努力だけで到達できる最終地点までたどり着くのが恐ろしく早い。


 凡人が数十年がかりで体に覚えさせる極意を、トシはほんの数年で体得してしまっていた。


 強いて言うなら、それが彼女の才能なのだろう。


「言われなくても分かってるよ、鴨。多分、ここが私の限界だ。到達点にたどり着いてしまった以上、その先はない。私には限界突破するだけの才能はないからな」


「トシ……」


「でも、それでいいんだ。私は私の出来ることをする。積み重ねてきた努力の時間は、いざという時に自分を信じる力になるから」


「……うん、そうだな。その努力は絶対にトシを裏切らない。それだけは確かだ」


 トシは本当に強くなった。


 自分に出来るすべての努力で、私の期待に応えてくれた。


 だから、彼女には打ち明けよう。


 私の全てを。


 私の歪みを。


 私が選んで育てた、生涯ただ一人の友達に。



 トシはずっと黙って私の話を聞いてくれていた。


 私は何一つ隠すことなく、私が話せるすべての事をトシに話した。


 私が混血であること、母様が殺されたこと、兄さんのこと。


 私が天牙の民をどう思っているか。



「……ごめん、鴨。やっぱり私にはよく分かんないや」


 最後まで聞き終えたトシが最初に口にしたのはその言葉だった。


「だよな。実のところ、私にもよく分からない。憎みたいのか、許したいのか。自分が本当はどうしたいのか」


 何も知らない若い世代を巻き込んでまで天牙の民を殺し尽くすのも違う気がするけど、だからといって全てを忘れて生きるには私の憎悪は深すぎる。


「えっと、そうじゃなくってさ。憎みたいなら憎んでもいいと思うんだ。鴨が天牙の民を殺したいって思うなら、そうすればいい。その時の私はきっと鴨の味方は出来ないけれど、鴨を止める権利もないから」


「………………」


「私が分からないのは、どうして天牙の民と人間が交わっちゃいけないんだろうってこと」


 トシが抱いた疑問は根本的なことだった。


 あまりにも根本的すぎて、私自身が考えることを避けていた。


 どうして、などと考えても今が変わるわけではないから。


「どうしてなのか、私にも詳しいことは分からない。ただ混血の子供は災いを呼ぶ、とか言われてるらしい」


 考えるまでもなく、閉鎖的な社会にありがちな伝承だった。


「でも鴨は今まで天牙の民の中で生きてきたけど、全然災いになんてなってないよな?」


「……どうだろう。私がいつか復讐したいって思ってる事自体、未来の災いってことになるんじゃないかな?」


 復讐を諦めた訳じゃないし、諦めるつもりもない。


 この憎悪は復讐を果たすまでこの身を焼き続けるだろう。


「でもそれはお母さんとお兄さんを殺されたからだろ? もしも家族みんな生きていられたんなら、災いなんて全然関係なかったんじゃないの?」


「………………」


 言われてみれば確かにそうだ。


 私の気持ち以外で私の存在が災いを呼ぶような事態は、この十四年間全く起きていない。


 そもそも災いとは何なのだろう。


 意味もなく違うものを否定するために、勝手に忌まわしい意味を付け加えただけのものなのではないだろうか?


「……言い忘れていたけど、兄さんは生きてるよ」


「え? でも川に流されたって……」


「ああ。でも、生きてる。私たちは一つの核石を分け合っているからね。私の核石の中には、兄さんと繋がっている力を感じる。この核石が教えてくれる。兄さんは、確か確かに生きているんだって。どうやって生き残ったのか、今はどうしているのかも分からないけど、生きていることだけは確かだよ」


「あ、そうなんだ! 良かったね!」


「ああ」


「だったらお兄さんを捜しに行かないの?」


「………………」


「こんなところでよく分からない感情に振り回されるよりは、自分の大事な人を捜しに行った方がよっぽど建設的じゃない?」


「んー……痛いところを突くなあ……」

  

 トシの言葉に、私はちょっとだけ肩を竦めた。


 兄さんを捜しに行く。


 それはとても魅力的な事柄に思えるけれど。


「あ。ごめん。訊いちゃいけないことだった?」


「そういう訳でもないんだけどね。トシになら全部話してもいいって思ってるし」


「………………」


「私はきっと、自分自身に縛られてるんだ」


「自分自身に……?」


「うん。私はどちらも選べない。どちらかを優先することがどうしても出来ないんだ」


 私が天牙の民を最終的にどうするか。


 その答えはまだ出ていないけれど、一つだけはっきりしていることがある。


 長老衆だけは必ず殺す、ということだ。


 狼奉山の更に奥深い神域に籠もっている長老衆は、滅多なことでは外部に出てこない。


 重要な役割を持った大人が数ヶ月に一回だけ、その神域に入っていくのを見るだけだ。


 神域は結界で守られており、中にいる長老衆の許可がないと、たとえ天牙の民でも足を踏み入れることが出来ないようになっている。


 今の私が無理をすればその結界を壊すことも可能だけれど、その後に何人いるか解らない長老衆を皆殺しにする余力は残らないだろう。


 それでは意味がない。


 いつか長老衆に面会できる立場になって、結界に入れるようになるまで、私はここを出るわけにはいかない。


 兄さんを捜すために天牙の民から離れるということは、母様の復讐を諦めることと同じだ。


「死んでしまった母様よりも、生きている兄さんを優先させるべきだっていうのは分かってる。でも、どこにいるかも分からない兄さんを捜すためにこの復讐を諦めることは、私にはどうしても出来ないんだ……」


「………………」


 トシは何も言わなかった。


 ただ私の隣で、私の話をずっと聞いてくれていた。


 復讐なんて意味がない、憎しみからは何も生まれない、なんて言葉は何一つ言わなかった。


 それが、嬉しかった。


 知ったような事を言わず、分かったような振りもせず、ただ誠実であり続けてくれたから。


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