過去篇 小さな一歩
私の中にある最初の記憶は、母様の核石が砕かれていく場面だった。
仲間であるはずの天牙の民に殺されてしまった母様を、私はずっと見ていた。
崩れていく母様の形を、私はずっと見ていた。
ずっと、見ていた。
目を逸らすこともできずにずっと。
どうしてそうだったのかは分からない。
ただ『私』という存在は生まれながらに何かが完成していた。
あるいは、何かが欠落していたのかもしれない。
そこにある全てを認識できて、そこにある全てについて思考を巡らせることが出来ていた。
自分がどういう存在なのかも知っていた。
二つに分かれた母様の核石は一つは私に、そしてもう一つは私の半身に受け継がれて。
その核石がすごく強力な力を秘めていることを、私は受け継いだ瞬間に理解した。
これは母様の命。母様の力。
だけどそれでも、母様自身ではないことも理解できてしまった。
天牙の民は私を芹沢家の後継者として残し、兄さんを川に流してしまった。
私はやめて欲しくて暴れたけれど、やめて欲しくて叫んだけれど、それでもどうにも出来なかった。
いくら中身が完成していても、器そのものは生まれたばかりの赤子なのだ。
私は兄さんが遠ざかっていくのをただ眺めることしかできなかった。
成長した私は、表向きは天牙の民を率いる存在としてその立場を確立させていった。
芹沢家の核石が強力な力を秘めているからという理由もあるけれど、私自身が幼い頃から早熟だったせいもある。
強力な能力、物事に対する冷静な判断力、そして誰かを引き付けるカリスマ性。
皮肉なことに、天牙の民を誰よりも憎んでいた私こそが、天牙の民の中心的存在になる素質を持っていたらしい。
そして更に救えない事実として、私は何も知らない若い世代に自分の憎しみをぶつけることが出来ない性格だった。
私を慕ってくれる仲間たちを、私を信じてくれる友人たちを裏切ってまで、自分の思いを通そうという気にはなれなかった。
だから私は常に憤りを感じながら生きていた。
これは私じゃない。
みんなから慕われて、信頼される『芹沢鴨』は私がなりたかった『私』じゃない。
私はすべてを壊す者になりたかった。
すべてを殺すモノになりたかった。
愛憎で動く、ただそれだけの存在になりたかった。
そんな私を少しだけ変えてくれたのは、土方歳三という一つ年下の少女だった。
「鴨! 今日も稽古に付き合ってくれ!」
十二歳になったばかりの彼女は、木刀を持って私のもとへと毎日通っていた。
「いいけど。でも毎日毎日剣術の稽古ばかりじゃつまらなくない? たまにはほかの子たちと遊んだりすればいいのに」
その時の私は無条件に私を慕ってくれるトシの存在が少しだけ疎ましかった。
何も知らない無垢な瞳がたまらなく嫌だった。
「ちゃんと遊んでるよ。でも稽古もおろそかにしたくない。私はちゃんと強くなりたいんだ」
「………………」
そう言いながら木刀を私に向けてくるトシ。
仕方なく私も壁に立てかけてあった木刀を手に取る。
「いくよ、鴨!」
「いつでもどうぞ」
まだ力みが取れていないトシの構えに対して、私の方は楽に構えている。
下手に力まず自然体で構えていた方がどんな攻撃にも対処できる。
「はあっ!」
まっすぐに踏み込んでくるトシ。
その剣を軽く受け流す私。
トシと私の実力にはまだ大きな開きがある。
それでもここ数年でトシはめきめきと腕を上げている。
トシは決して才能のある子ではなかったし、戦いを好むような子でもなかった。
それでもトシは諦めることもへこたれることもなく、ひたすら努力を続けた。
その努力が実を結ぶ程度には強くなった。
「トシはさ。なんで私に学びたがるわけ?」
「え?」
「剣術を学びたいなら道場でちゃんとした先生に学んだ方がいいんじゃないかなって思うんだけど」
狼奉山を下りた響都の街では、成人したばかりの近藤勇が試衛館という道場を開いている。
彼女は剣術が大好きで、自分が学んだ術をほかの人にも教えたいと思ったらしい。
天牙の民でありながら好んで人間と関わろうとする変わり者だけれど、私はそんな彼女の事があまり嫌いではない。
人間も天牙の民も分けて考えない彼女の在り方は、どこか母様を思い出させるせいかもしれない。
勇の腕は一流だし、他人に教えるのもうまい。
少なくともただ戦う事しかできない私のやり方よりも、彼女に教えてもらう方がよほど効率がいいはずなのだ。
「ん~。勇さんに教えてもらうのもいいけど、私は鴨に教えてもらいたかったから、かな」
「どうして?」
「……あ、呆れない?」
「? 呆れないと思うけど、何?」
「その、さ……勇さんは道場主だから『みんなの先生』だろ?」
「そうだな」
「でもこうやって私に剣術を教えてくれている鴨は『私だけの師匠』だから」
「………………」
その言葉を聞いた私は思わず固まってしまった。
「あ、あう……だから、その……えっと……独占欲とかそういうのじゃなくて……」
真っ赤になって両手をばたばたさせるトシ。
思わず言ってしまったけれど本当は何を言いたいのかが明確に言葉に出来ないらしい。
「なんとなく分かった。つまりトシはとんでもなく寂しがり屋なんだな」
「…………!!」
自覚したくなかったことを的確に突かれたトシはびくっと身体を震わせてその場にうつむいた。
「あう……」
情けない、とか思っているのかもしれない。
「ははは。そんなに落ち込まなくてもいいってば。トシの気持ちはなんとなく分かるからさ」
「え?」
「勇は誰にでも平等だからな。平等ってのはとてもいい言葉だけれど、同時に残酷な言葉でもある」
「えっと……よく分からない」
「誰に対しても優しいってことは、誰の事も特別に思ってはいないってことだ。トシはきっと誰かに特別に思われたいんじゃないのかな?」
「そ、そうなのかな……?」
「でも残念なことに、私にとってのトシは特別な存在ってわけじゃない」
「………………」
「それでもトシは私に学びたいのかい?」
「………………」
トシは目に見えて傷ついた表情になったが、それでも私から目を逸らすことはなかった。
無垢な瞳がまっすぐに私を見つめてくる。
まるで視線だけで串刺しにされているかのような気分になる。
彼女の素直な感情を受け止めるには、私の中身は歪み過ぎていたから。
「それでいいよ。大事なのは私が鴨をどう思っているかだから」
「トシ?」
「いつか私がもっともっと強くなって、鴨の事を守ってあげるよ」
「え?」
守ってあげる?
トシが、私を?
「鴨はさ、なんだかいつも一人みたいな眼をするよね」
「それは……」
「ほかの人といても、私といても、自分だけは壁一枚隔てた向こう側にいる、みたいな眼をしてるんだ」
「………………」
「一緒だけど、一緒じゃない。私はそんな鴨と一緒にいるとすごく寂しくて辛い気持ちになる」
だったら何故私と一緒にいるのだろう?
辛いのならば離れればいいのに。
何故、そこまで私の事を分かっていてそんな眼を向けてくるのだろう?
「でもさ、だからこそ分け合いたいって思うんだ。辛いことも苦しいことも、孤独も悲しみも。全部じゃなくていいから、少しでも預けてもらえる存在になりたい」
だから、私なのか。
勇ではなく、ほかの誰でもなく私に……
「鴨がいつか私を認めてくれたら、そのときは友達になれると思うから」
「トシ……」
「なんて、まだまだなんだけどね!」
言っているうちに照れてしまったのか、トシは赤面しながら頬を掻いた。視線の方もわずかに逸らしている。
トシの言葉に嘘はない。
私を慕うだけではなく、信頼するだけでもない。
全てを分け合えて助け合える友達になりたいと、そう言っている。
対等な存在になりたいからこそ、彼女は努力を続けるのだろう。
その気持ちが、私の中の凍てついた部分を少しだけ溶かしてくれた。
今はまだ、その気持ちにこたえることは出来ないけれど。
この小さな存在がいつか私に追いついたなら、その時は……
「いつか私から一本を取ることが出来たら、その時はとっておきの秘密を教えてあげるよ」
「頑張る!」
その時は、私はここで生きていけるかもしれない。




