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つめたいてのひら

「久しぶりね、斑鳩兄さん」


 鴨は穏やかな表情で微笑んでいる。


 あの日の黒装束と同じ声で語りかけてくる。


 ゆっくりと斑鳩に近づいて、そしてその両頬に触れた。


「……鴨。どうしてここに?」


「兄さんに、逢いたかったから」


 その手はひどく冷たくて、体温というものが感じられなかった。


 それでも自分を思ってくれることだけは伝わってくる。


 体温の感じられない手の震えも、今にも泣きそうなくらい切なげな瞳も、その心を十分に伝えてくれる。


「気持ちは嬉しいけど、鴨はここにいたらまずいんじゃないのか?」


 芹沢鴨が生きていることを知っているのは、今のところ斑鳩だけなのだ。


 歳三や勇、ほかの幹部たちに知られるとまずいことになるのではないだろうか。


「少なくとも、今の鴨は俺たちの敵なんだろう?」


「……私は、兄さんの敵になるつもりはないのよ。私が憎んでいるのは天牙の民そのものだから」


「………………」


「ここでするような話じゃないわね。移動しましょうか、兄さん」


 鴨は懐から転移呪符を取り出す。


「あ」


 斑鳩が何かを言う前に、二人の姿は西本巌寺から消えてしまった。



 二人は西本巌寺からかなり離れた場所、響都城の近くにある川辺に転移していた。


 夜の川はどこまでも深い闇の流れのようで、あまり見ていて気分のいいものではなかった。


「それ、実は貴重品なんだってな」


 斑鳩が使用済みの転移呪符を指さしてそう言った。


 用途を終えて魔力の尽きた呪符はただの紙キレに戻っている。


「ああ。確かに一般人からすればそうかもしれないわね。でも私たちには翁がついてるから。こんなものは頼めばいくらでも作ってくれるわよ」


 鴨は紙キレになったものを数回折り曲げて、そのまま紙飛行機にして川の方へと飛ばした。


「山を出てから色々なことが分かったよ。逃げ出したつもりも裏切ったつもりも、実のところないんだけどさ。でも、俺はこれでよかったと思っている」


 なんとなく、鴨が自分を組織に連れ戻しに来たような気がしたので、一応そんな風に言ってみる。


「兄さんは優しいから。誰かを傷つけたり殺したりするのが嫌なのね。だったら兄さんはもう戦わなくていい。私が兄さんを守るから」


「………………」


「兄さん。兄さんはただ、私の傍にいてくれればいいから。だから組織に、軌兵隊きへいたいに戻って」


「軌兵隊?」


「私たちの組織の名前よ」


「初耳だ」


「………………」


 自分が所属していた組織への無関心さに、鴨は思わず口をへの字にする。


 斑鳩が組織の名前を知らなかったのは知らされていなかったというのもあるが、それ以上に斑鳩自身が組織そのものへの関心が薄かった所為でもあるらしい。


「俺は帰らないよ、鴨。組織……軌兵隊は俺がいなくても問題なく活動できるだろ? 俺なんて所詮ただの一兵卒に過ぎないんだからさ」


「兄さん……」


「鴨が何で生きているのかなんて、今は聞かない。何か理由があるんだろうし、鴨が天牙の民を恨む理由も理解できるから、俺たちと敵対することになっても責めたりしない。だけど俺は、一緒には行けないよ」


「……どうして?」


「どうしてって……」


「兄さんは生まれてすぐに天牙の民の手によって殺されかけたのよ。……盟主が助けてくれなければ、あのまま死んでいたのよ。私たちの母さまだって、あいつらに殺された! それなのに……」


「俺を殺そうとしたのは長老衆って奴らだろ? 母さんのことも、あいつらの所為じゃない。あいつらはきっと、何も知らないんじゃないか?」


「………………」


「俺はさ。記憶にない出来事に対して憎しみを抱くよりも、今の俺自身が守りたいって思えるものを大切にしたいんだ」


「トシを、守りたいの……?」


「トシと、トシが守りたいと思うものを出来るだけ守りたい。それが今の俺が選んだ答えだ」


「……似てるのかしらね。私たち」


「鴨?」


「私もね、あの時トシを守りたいって思ったの。天牙の民とか関係なく、彼女を守りたかった。トシさえ無事なら、ほかはどうなってもいいって思ってた」


 鴨の瞳は響都城に向いている。


 歳三が今、あの場所でどんな目に遭っているのかを理解しているかのように。


「兄さん」


「鴨?」


 鴨は斑鳩の手を取ってそっと両手で握る。


「っちょ!?」


 そして握った斑鳩の手をそのまま自分の左胸に当ててくる。


 決して小さくはない、柔らかな胸の感触に戸惑う斑鳩。


 いくら妹相手と言ってもさすがに動揺してしまう。


「……!?」


 しかしそんなささやかな動揺も、さらに大きな動揺に塗りつぶされてしまう。


 斑鳩は鴨がその手を離してからも、鴨の胸に手を置いたままだった。


 その感触を、その向こうにあるはずの音を確かめるかのように。


 しかし……


「どういう……事だ……?」


「そのままの意味よ、兄さん」


 その手に伝わるはずの鼓動。


 心臓の音がまるで聞こえないし、伝わってこない。


 鴨の心臓は全く動いていなかった。


 手だけではなく胸も、そのほかの部位も、鴨の体に体温というものは存在していない。


 これではまるで、動く死体そのものだ。


「私はもう生きていない。今は屍術しじゅつで動いてるだけの屍人形なのよ」


「っ!!」


 実の妹から告げられのは、あまりにも残酷な事実だった。


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