踏み出せない一歩
「…………!」
斑鳩は一瞬だけ見えた黒い影を見失わないように追いかけていた。
かつて斑鳩自身も纏っていた黒装束。
それと同じものを着ている刺客。
確信はないが、予感はある。
あれはきっと、斑鳩がかつて所属していた組織の人間だ。
衣装だけではない。
身のこなし、攻撃や逃走の手法までもが、かつて斑鳩が叩き込まれたものと同じなのだ。
少なくとも表の世界で活動している奴の仕業ではない。
「俺は……!」
今追いかけているのはかつての仲間かもしれないのだ。
追いかけて、追いついて、そしてどうする?
戦って、倒して、その後は?
決めたはずの覚悟が揺らぐ。
しかしそれでも放っておくわけにはいかず、斑鳩は敵の姿を追いかけた。
斑鳩はそれほど苦労せずに敵を追い詰めた。
最近になって響都の細かい地理を調べた斑鳩は、どの道が逃走に向いていないか、どの場所に追い込めば逃げることが出来なくなるかなどが、ある程度頭に入っていたのだ。
屋根の上を伝ったり、裏道に入ったり、隠密行動が基本である以上、目立った行動は取れない。
だからこそ逃走経路も限られている。
あとは不利になる場所へと誘導して追い込むだけだった。
位置関係を巧みに操り、ついには橋の下へと追い込んだ。
敵は石壁を背に刀を構えて斑鳩に対峙している。
対する斑鳩は川を背にして短刀を二本構える。
「………………」
交わす言葉は何も無い。
何故歳三を狙ったのか、などと訊いたところで答えないのは分かりきっているからだ。
斑鳩が敵の立場だったとしてもそれは同じだ。
言葉は無意味。
戦って倒すだけだ。
――――そして、刃のぶつかる音がした。
――――決着は、思っていたよりもあっけなかった。
十合も刀を合わせない内に、斑鳩はあっさりと敵を倒していた。
決め手というほどのものでもない。
ただ相手の攻撃を避けて、隙があったから攻撃しただけ。
その攻撃が相手を行動不能にさせるほどのものだっただけ。
「むう……」
斑鳩は改めて実感する。
新撰組に来てから自分がどれだけ強くなったのかを。
敵の戦闘能力はそこそこ高い。決して弱い相手ではなかった。
しかし左之助や一、そして総司との模擬戦を繰り返すことにより、斑鳩は以前よりもずっと強くなっていたのだ。
自分の身体をどう使うべきか、相手の攻撃をどう避ければ無駄がないか、どう行動すれば次の一手に繋がるのか。
攻撃動作への対応が飛躍的に上昇しているのだ。
「………………」
あとはこいつを殺すだけ。
斑鳩は二本の短刀の内一本だけを鞘に収め、残った一本の短刀を敵の喉に突きつける。
「…………く」
殺さなければ。
こいつは歳三を狙った。
今こいつを見逃せば再び歳三が危険に晒されるかもしれない。
「ころ……さないと…………」
突きつけた短刀がぶるぶると震える。
斑鳩が自分の意志で人を殺すのはこれが初めてだ。
今はもう、自らの精神を制御してくれる魔法もかかっていない。
自分の意志で、自分の覚悟でやらなければならない。
「あっ……!」
しかし、その迷いが仇になった。
倒れていた敵の身体がバネ仕掛けのように跳ね上がり、斑鳩の喉元を目掛けて刀を突き刺しに来た。
倒れていた敵に、回復させるだけの時間を与えてしまったのだ。
「くっ……!!」
喉元に襲いかかってくる切っ先をなんとか避けようとするが、間に合わない。
迷いが断ち切れないままの斑鳩は、咄嗟の反応がどうしても遅れてしまう。
「!!」
殺される! と確信した瞬間だった。
「………………」
斑鳩の喉元を突き破る寸前で刃は止まっていた。
「………………」
そのまま、刀は持ち主と共に地面へと崩れ落ちた。
敵の心臓には、この上なく正確な狙いで放たれた投擲用の短刀が刺さっていた。




