幸運少年ジャーキー
社会に出てから、幸運に恵まれたと思ったことがない。
営業の仕事をして10年になる川元 春男はそう振り返った。
自分が必死になって、やっとの思いで契約が取れた取引先を、何も関わっていなかった私の上司が手柄を横取りし、その取引先から商品に対してクレームが入った途端、「契約したのはお前だから。」と上司が責任を全て丸投げしてきたこと。部下が全然仕事を進めないから、代わりに陰で私が業務を進め、ある程度キリの良い所まで持っていき今後の対応は任せようと思った矢先、その部下が転職を理由に退社。結局進めていた部下の仕事も、残りの部下の仕事も全て私にのしかかってしまった。
周りはみんな、「運がなかったね。」とプラスに「いつか良いことあるよ。」と無責任なことを言ってくる。だったらいつこの不運から脱却できるのか教えてほしいものだ。
今日も時計を見れば、日付が変わる直前まで時計の針が迫っていた。この階は川元のデスクの卓上ライトとパソコンの光しか灯っていなかった。
「そろそろ帰るか。明日は朝に大事な商談あるし。」
もう今日は限界と感じた川元は、電顕を切ってパソコンを閉じ、鞄に荷物を詰めて退社した。
この時間になると流石に道路には人ひとりとしていなかった。道中、道路沿いにコンビニがあり、川元はどれだけ帰りが遅くなろうとも、このコンビニに毎日通っていた。買うものは既に決まっており、ビール2缶とつまみを3つ。これを帰りに買っては、その日のうちに全て体へ入れ込む。かれこれこのルーティンを始めて何年たっただろうか。
買い物を終え、川元の住んでいるアパートに着いた。ドアを開けても部屋は当然に真っ暗。ほとんどの時間仕事している川元には、奥さんどころか彼女すらもつくっている余裕がない。そもそも本人は、こんな自分にできるわけがないと本気で思っている。
鞄を投げ捨て、ネクタイを緩めながら、使い古されたであろうソファに腰掛け、数分の沈黙の時間を味わう。何も考えないこの数分が、今の人生で一番楽なのかもしれない。カシュっと買ってきたビール缶のふたを開け、一気に喉へと流し込む。「かぁぁ...。」っとため息交じりの吐息が自然と出て、自分がおっさんに近づいたなと思ってしまった。
「仕事して帰って仕事して帰って。俺の人生クソつまらんなぁー。会社辞めたとしても何もしたいことないし、このままなんのモチベもなく淡々と仕事するだけなんかなぁ。」
少し放心状態の時間が続き、ふと買ってきたつまみに手を伸ばそうとした時だった。
「そういえば、前にジャーキー残してたっけか。」
そのことを思い出した川元はソファから立ち上がり、冷蔵庫の方へ向かおうとした時だった。冷蔵庫の方から、ガサガサッと何かをあさるような音がした。一瞬足を止め、息を殺す。この部屋には川元以外誰も住んでいない。いたとしてもゴキブリかその他の害虫くらいだが、そいつらが物を探すためにガサガサするのは考えられない。まさか泥棒かと思い、恐る恐る冷蔵庫の方へと顔をのぞかせた。
「なんだよ、しょうもないのしかないなー。」
ボソッと口にし冷蔵庫の中身をあさっていたのは、幼稚園児くらいの少年だった。おかっぱ頭で白のTシャツに黒の半ズボンを履いているごく普通の少年だ。なぜ少年が、いつからどうやって入っていたのか見当もつかないが、いくら少年でも不法侵入は許されない。川元は少年の前に近づき、 「おい坊主!なに人の家に勝手に入り込んでんだ!」と激しく怒鳴った。少年は一瞬手を止めて、川元の方を振り向く。
「君がここに住んでる人か。こんなんでよく生活できるね。ビーフジャーキーにさきいか、つまみしか入ってないじゃん。冷蔵庫の中身でその人の生活が分かるって聞くけど、貧相な生活してるんだなー。」
「おい、分るよな坊主。これは立派な犯罪だ!不法侵入ってやつだぞ!さっさと自分の家に帰れよ!」
川元は少年に対し続けて激怒したが、少年は悪びれる様子もなかった。
「なんだよ、そんなに怒鳴って。酒飲んですぐ説教たれるやつは飲み会で嫌われるぞ。それよりこのジャーキーもらっていいか?ジャーキーがまだ一番美味そうだし。」
勝手に入り込んだ挙句、ケチをつける少年に対し酒の影響もあってか、既に頭に血が上っていた。川元は右手をグッと握りしめ、少年の頬めがけて鉄拳を喰らわせようとした。
「てめぇ!いい加減にしろよ!」
少年を殴ろうとした時に奇妙なことが起こった。
自分の拳が少年の頬をすり抜けたのだ。何度も殴ろうとしたが、頬だけでなく体すら触ることができない。
「おい...。なんで、触れないんだよ...。」
酒の飲みすぎで錯覚しているのかと考えたが、川元の拳は、紛れもなく少年の頬へ放ったのだった。目の前で何が起こったのか分からず川元は混乱している。「なんで...。」と思わず口に出し、呼吸のスピードも上がっていった。その姿をじっと見ていた少年は少し笑みをこぼした。
「君は僕には触れられないよ。君どころか、誰であろうと。この前行った家の人は、僕を包丁で刺そうとしてきて、殺さないで~って言ったんだけど近づいてきちゃって、僕がすり抜けるもんだから躓いて自分の体に包丁ぶっ刺さってたけどね。ケケケ。」
川元は少年のことを指差しながら震える声で話した。
「それじゃあ、お前は何者なんだ...?幽霊なのか?未練残した呪縛霊とか?」
少年は、はぁーっとため息をつく。
「そういう質問、もう何万回も聞いたよ。幽霊、妖怪、妖、化け物、宇宙人、UMA。人間って色々名前を付けたがるよね~。一つに統一すればいいのに。言っとくけど、僕はどれでもないよ。まぁ、君が僕をどう思うかなんて勝手だけど。名前なんて特にないから、適当に決めといてよ。あっ、ビーフジャーキーが目に入ったし、ジャーキーってどうよ?ケケケ。」
川元の混乱は止まらなかった。突如現れたこのジャーキーとか言う少年は触れることもできない。そして、幽霊でもそれ以外でもない。ただ一つ確実に言えることは、こいつは人間の姿をしているナニカってことだけだ。
「じゃあなんでお前はここにいるんだよ?なんで俺の家に...。」
ジャーキーは、冷蔵庫の奥にしまってあったビーフジャーキーだけを取って、中身を食べながら川元に話した。
「君は、[幸運と不幸の法則]ってやつを信じる?」
急な質問に困惑する。
「は?なんだよ急に。」
「幸運がくればその後に不幸がやってくるってやつ。例えば君がビーフジャーキーを食べたかったのに、店に行くと売り切れだった。これが不幸。そして後日、店の福引きでビーフジャーキーが当たった。これが幸運。人間の人生ってのは、こうやって運が一定になるように保たれているんだ。」
ジャーキーはビーフジャーキーを咥えながら、川元が座っていたソファに腰かける。
「だけど運ってのは、生まれてから死ぬまでのトータルで一定だから、例えば50代まで運に恵まれなかったおっさんが、死ぬ数年前で急に幸運に恵まれるってこともあるし、その逆もしかり。いつ幸運から不幸、不幸から幸運になるかは分からない。」
「さっきからなんの話がしたいんだよ。」
咥えていたビーフジャーキーを頬張り、少しの沈黙があった後。
「最近、不幸なこと続いてんじゃない?」
「え...?」
「なんかこのジャーキー食ってたら分かるんだよねー。さみしー味っていうか。あ、やっぱ嘘。ジャーキーの味しかしないわ。でもまぁ、僕がここに来たってことはそういうことなんだけどねー。ケケケ。」
川元は確かに不幸が続いていた。図星をつかれ、ジャーキーがより一層不気味に感じる。
「お前、会社にもいたことあんのか?なんでそんなこと分かるんだよ。どっかで見てたのか...?」
「見てたっていうかなんていうか...。まぁ細かいことはいいじゃんこの際。」
「仮に俺が不幸だとしても、それとお前になんの関係があんだよ。」
ジャーキーはソファから立ち上がり、川元の目を見つめながら話した。
「ねぇ、君は今からでも、この不幸から脱却したいかい?」
「は?意味わかんねぇよ。」
「脱却したいかって聞いてるんだよ。意味わかるだろ?」
ジャーキーの表情が変わった。にらみつけるように川元を見て、声色も少し低くなる。少しおののいたものの、やはり川元の不運とこのジャーキーが現れたことに対してまだ理解できていなかった。
「お前にじゃあ何ができるんだよ。今までの不幸をなかったことにできるのかよ。」
ジャーキーの声色が元に戻る。
「不幸をなかったことにするなんてのはできない。僕にそんな時を戻す能力なんて備わっちゃいないし。だけど僕のおかげでこれから君の人生を幸運に導くことができる。」
「幸運に導くー?星座占いか血液型占いでもするのかよ?」
「話は最後まで聞けよ。第一君の前に僕が現れたこと事態が最大の幸運と言ってもいいんだ。さっき話した法則で言うなら、今までの不運を帳消ししたも同然だよ。」
「じゃあどうやって俺を幸運に導くんだ?」
ジャーキーは袋からビーフジャーキーを取り出し、それを嚙みちぎった。
「これから君は僕の言うことを絶対に守ること。ただそれだけ。」
「言うことを聞く?」
川元は首をかしげる。
「そう。それで君は幸運を手に入れることができる。最初に話した[幸運と不幸の法則]を完全に無視してね。」
「そんな話、信じられるかよ。いきなり現れた気味悪い少年に僕の言うこと聞けなんて言われて、はいそうしますなんて言えるかよ。」
ジャーキーはビーフジャーキーを食べ終わり、指で歯についた食べカスを取っていた。
「まぁ聞くか聞かないかは君次第だけどね。不幸に振り回されるドMでいいならそれでいいけど。」
川元は頭をかく。こんな子供の言うことにそそのかされていいのかとまだ疑いの目が残っていた。再度ジャーキーはふーッと息を吐きながらソファに座る。
「そんなに疑うなら、実際体験すればいい。早速僕から助言を一つ言うぞ。あとは君の勝手にしてくれ。」
そう言うと、少年はいつの間にかソファから姿を消した。川元はまばたきすらしていなかったので、見逃すはずはなかった。周りをきょろきょろしていると、川元の耳元から声がした。
「起床のアラームを鳴らすな。」
ジャーキーの声だ。しかも怒った時のあの低い声だった。後ろにパッと振り返ったが、ジャーキーの姿はなかった。
「おい、ガキ!どこだよ!アラームを鳴らすなって...。」
やはりどこにもジャーキーの姿はいなかった。最初に見つけた冷蔵庫の所へ行ってもそれ以外を探してもどこにもいない。しかしこれは夢ではない。机の上には、さっきまでジャーキーが食べていたビーフジャーキーの袋が置いてあるからだ。
ジャーキーの助言である「起床のアラームを鳴らすな。」が一体どうなるのか分からなかった。だが少し考えた後、このアラームを鳴らすなは川元にとっては厳しい内容であると自覚した。
「だけど明日は大事な商談があるんだよ。0.1秒でも遅刻なんてできないし。」
そう考えるが、川元はとりあえず机にある空き缶やつまみを片付けた。時間はもう2時を過ぎているため、急いで寝る準備を進める。そしてようやく床に就ける時に、川元は、自分のスマホのアラームを設定しようとする。
「いつも通り8時にくらいに駅に着こうとするなら、7時30分には出ないとだから、6時30分には起きないとなぁ...。」
そう言いながら設定しようとするが、耳元で言われたジャーキーの言葉が耳にこびりついて離れなかった。「アラームを鳴らすな。」と言うあの助言が、何度のループされていた。
「商談に遅れたら、それこそ不幸なんじゃないのか?だけど、それに従えば幸運が訪れるって、アラームを鳴らさずとも、なんらかのかたちで起きることができるってことか?」
色々な考えが頭によぎり、アラームの設定完了ボタンが押せずにいた。スマホの画面をじーっと見つめていた川元は、とうとう完了のボタンを押さずにスマホを伏せた。
「バカだ、俺はバカだ!」
信じるつもりのなかったジャーキーの助言を少しの希望にかけて、彼はそのまま就寝した。
窓から太陽の光が差し込み、その光によって川元は眠りから覚めた。
「朝にしてはやけに日の光が強いな......あっ!」
川元は昨日伏せていたスマホを確認すると、一瞬で眠気が消えた。それと同時に血の気が引く。
「8時!?8時だってーー!!」
川元はすぐに飛び起き、出勤の用意をする。パジャマからスーツに着替えるが、こういう時に限ってボタンやネクタイがうまくできずもたついてしまう。朝食も抜き、歯磨きも高速で終え、昨日ほったらかしにしていた鞄を背負って急いで家を飛び出した。
「やべーよこれ!9時から商談だっていうのに、今から駅まで行って電車だから確定遅刻だぞ!」
いつもの通勤路を全力疾走で駆け抜けた。これまでの乱れた生活習慣のせいか、少し走っただけでもすぐに息が切れてしまう。
「クソッ、あのガキめ!何が幸運だよ!どこかで今俺の姿見てんのか!これのどこが幸運なんだ言ってみろよ!」
余計な助言をしたジャーキーにはもちろん腹が立っていたが、それを信じた自分も情けなくて腹が立ってしまっていた。そうこうしているうちに駅までもう少しと差し掛かったところだった。なにやら人が多く集まっていた。川元は何事だと思い、走るのを止め立ち止まった。周辺にはパトカーやが複数台停まっており、警察官が何人もいた。バリケードが張られており、一時通行止めの看板も設置されている。野次馬であろうおばさんたちが「怖いねぇー」としゃべっていたので、気になって川元は声をかけた。
「あのーすいません。何かあったんですか?」
「さっきねぇ、車が歩道に突っ込んでケガ人がいっぱいでたらしいのよー。ちらっと意識不明だ!って声も聞こえちゃったし...。変な運転する人がいるもんよねぇー。」
「事故があったのはいつ頃ですか?」
「8時頃だったらしいわよ。」
それを聞いた川元は唖然とした。川元はいつもこの付近を8時頃に通っている。もしも遅刻せずにいつも通り通勤していれば、この事故に巻き込まれて、最悪命を落としていたのかもしれない。そんなことを考えていると、川元はジャーキーの言葉を思い出す。
[アラームを鳴らすな]
「...まさかな。」
川元は迂回をして駅につきそのまま電車に乗った。遅刻したにも関わらず、最初の焦りは嘘のようになくなり、じっと電車の窓をただ見つめていた。
しかし遅刻は遅刻。自席に着くなり上司の席まで呼び出され、周りに同僚や後輩がいるにも関わらずお構いなしに声を荒げた。「社会人として終わっている!」「人の迷惑考えろボケ!」など、その後には人格否定など、とにかくこれでもかというくらいに怒鳴られてしまった。自席に戻った後は頭を抱えながら「はぁー...。」っと自然にため息をつく。昼からは別の企業さんとの打ち合わせがあるためその準備に取り掛かるが、気分が落ち込んで中々集中できずにいた。そうこうしているうちにすぐにお昼の時間となってしまった。
社員の休憩スペースで、あらかじめデスクの中で買いだめをしていたカップラーメンにお湯を注ぎ、一人寂しく食べていた。
「何が幸運だよ。あんなに怒られたらせっかくの幸運が台無しじゃないか。結局法則無視とか言ってたけど、嘘じゃんか。」
ラーメンを箸でつんつんしながらボソッと文句を言っていた時だった。
「怒られたくらいで不幸だなんて、君の中での不幸のレベルってそんなものかい?」
聞き覚えのある声が聞こえた。パッと右を見ると、ジャーキーがいつの間にか隣に座っていた。川元は反射的に体がビクッと動いた。
「うわっ!お前、いつの間にいたんだよ!」
「ついさっきだ。あとこのラーメン美味いなぁ~。やっぱりラーメンは濃い~醤油に限るぅ。ケケケ。」
ジャーキーがすすっていたのは、先ほどまで川元が食べていたラーメンだった。
「おいお前!勝手に食べてんじゃねぇよ!」
「せっかく命を助けてやったっていうのに何その口の利き方?お礼を言ってご褒美をあげるのが礼儀だよ。」
「助けったって...。朝のあれかよ?」
「そうだよ。言っただろ?僕の言う通りにすれば幸運になれるって。君があのままいつも通りの時間に通勤してたら、そこでジ・エンド。これで僕を信じたかい?」
確かにジャーキーの言う通りにしたおかげで命が救われたが、川元はまだ腑に落ちないでいる。
「けどだったら、そこで事故があるって言ってくれればよかったじゃないか!」
「勘違いしないでほしいんだけど、僕は預言者じゃないんだよね。あくまで幸運になるためのアドバイスをするだけ。その後どうなるかは僕にも分からないよ。」
ジャーキーはスープをズズッと飲み干した。
「それより、君に次の助言をしに来たんだよ。」
そう言うとジャーキーはまたしても一瞬にしてパッと姿を消した。そしてまた耳元であの低い声が聞こえた。
「今すぐ帰れ。」
川元は振り向いたが、またしてもそこにジャーキーの姿はなかった。
「また消えたぞ。しかもアイツ俺のカップ麺スープまできっかり飲み干しやがって...!」
川元はカップを手に持ちゴミ箱へ勢いよく投げ入れた。少量しか食べていなかったため、川元の腹は空腹のままだった。
「まぁとりあえず助言で今すぐ帰れって言われたし、荷物まとめて帰るとする...。」
席を立ち、休憩スペースから出ようとドアノブを掴んだ時だった。
「帰...る?...帰る!?今!?」
川元はジャーキーの助言が無茶な助言であると今認識した。それもそのはず。彼は昼から打ち合わせが残っているため帰ることなんてできない。
「アイツ何言ってんだよ!どっかで見てるんだったら今日の俺が遅刻してブチギレられたこと分かってるよな!それなのに昼の打ち合わせもすっぽかして帰れなんてできるわけないだろが!」
彼はそのまま休憩室を出て、自分のデスクに戻るため廊下を歩いた。帰らないと固く決意していた川元だったが、今朝の出来事が頭をよぎる。
「けど実際、アイツの助言に従ったら事故に巻き込まれずに済んでるし、やっぱりアイツは本当に...。」
そんなことを思っていると、奥から上司が歩いてきた。さっき怒られたこともあって気まずいため、下を向いて顔を合わせないようにしようとしたが、上司が川元の方に気づき話しかけてきた。
「おい川元!朝遅刻して迷惑かけたんだから、こっからちゃんと行動で誠意みせろよ!ったくお前は仕事の質もスピードも遅せぇのに遅刻なんてどうしようもねぇなぁ。」
「はい。すいませんでした。」
ただ文句だけを言い、上司はそのまますれ違った。いつも聞きなれた罵倒なのに、なぜか今日は無性に腹が立つ。
「1回の遅刻でギャーギャー言いやがって。仕事が遅いのはてめぇが仕事やらないから俺が色んな仕事押しつけらてるんだよ。」
川元は何度も舌打ちをし、不満が隠せないでいる。いつもなら聞き流すのに今日の言葉は頭に残る。
自分のデスクに着き昼からの準備を進めようとしたが、先ほどの不満もあってか仕事に手がつかないでいる。そんな時、川元はジャーキーの助言を思い出す。
「今すぐ帰れ。か。」
その言葉を思い出した時、川元の中で何かが吹っ切れた。川元は、自分の鞄に荷物を詰めそのまま会社を出ていった。周りには不思議そうに見られはしたが、特に何も言われずにすんだ。そして川元は、自分の家に向かっていったのだった。
綺麗な青空が広がる日中に帰宅するというのは不思議な感覚だ。いつもなら人がいない帰路もチラホラ歩いていたり、いつも寄るコンビニも夜に比べて人が多い。川元は別に助言を信じたわけではないが、もしかしたらという淡い期待は持っていた。
「昼間から酒を飲むのもいいかもな。」
まるで退職を決めたかのように、会社のことはすっかり頭から離れ、川元はコンビニに入った。もちろん行くのは酒とつまみのコーナー。ビール2缶を手に取り、つまみのコーナーへ移動する。
「そういえば、アイツにジャーキー食われたから買っておくか。」
そう思い出しながらつまみのコーナーへ行くと、一人の男性が腕を組みながら悩んでいた。川元は買いたいのになと少し邪魔だなと思っていた時、その男性が誰なのか気づいた。
「あれ?勇馬か?」
男性は川元の方を振り向くと、一瞬顔をしかめるもすぐに嬉しそうにこちらに近づいた。
「春男か!久しぶりだなおい!」
男性の名は綾瀬 勇馬。川元とは学生時代の同級生である。
「勇馬こんなとこで何してんの?確か上京したって聞いてたけど。」
「イヤー実は色々あってな。地元に戻って来たんだ。でもお前こそ、今日仕事じゃねぇの?」
「まぁ色々とね。」
にやけた笑いをした川元に、なんだよそれと勇馬は笑う。
「せっかくだしどっかで飯でも食って話さねぇ?」
勇馬の提案を承諾した綾瀬は買い物を終え、二人で近くのファミレス店へと移動する。
案内された席に座り、ドリンクバーだけを頼み二人はお互いにコーヒーを飲みながら話した。
「で、色々ってなにがあったんだよ?スーツ着てんだから仕事だったんだろ?」
「いやまぁそうなんだけどね。」
川元は、今までの仕事の愚痴を踏まえつつ、今日会社を抜け出したまでの話をした。しかし川元はジャーキーの話は口にしなかった。あまりに不可解な出来事のため、話しても絶対に信じないだろうと思っていたからだ。
「そっかー。お前も色々苦労してんだな。」
「ほんとそうだよ。ていうか、勇馬はなんで地元に帰って来たのか教えてくれよ。」
川元はそう言うと、勇馬は置いていたコーヒーを一口飲み、間を取ってから話した。
「実はな、仕事辞めたんだよ。別にやってる仕事が嫌になったわけじゃないんだけど、周りの人があんま仕事してくれなくてよ。俺との温度差っていうか、このままここいても自分の仕事量だけ増えて、ただこなすだけってなるし、それじゃ意味ねぇなって思ってよ。」
川元は、勇馬の気持ちが痛いほどわかる。上司や部下のせいで、川元も同じような目に合わされたからだ。勇馬の話にうなずきながら共感した。
「勇馬も俺も同じようなかんじだな。で、地元で就職先でも見つけたの?」
勇馬は、いや...とどこか言い渋っていた。少し気になった川元は、何かあったのかと心配そうに聞く。
「俺、実は起業しようと思って帰って来たんだ。」
「え?企業?」
川元は耳を疑った。学生から付き合いのある彼だが、学生時代は消極的で人前に立ちたがらない性格をしていたため、そんな挑戦的なことをする人ではないイメージがあった。
「バカだと思うだろ。でも人生一度きりだし、どっかで就職したりするより自分のやりたいことを探して追及して、それが成果でたら最高だと思わねぇか?」
「だけど企業って、失敗したらとか考えたら怖くない?」
「失敗したらじゃなくて、失敗しないように頑張るんだよ。」
昔の勇馬では想像できないほど、やる気に満ち溢れていた。
「すごいな勇馬は。俺には絶対できないよ。」
川元はコーヒーを飲もうと手に取る。
「それと、もしお前が良かったらなんだけどさ...。」
勇馬が言葉を止めた。コーヒーを飲んでいた川元は、ん?っと飲みながら返事をした。
「お前も、俺の企業のサポートしてくれないか?」
川元は予想していなかった発言にコーヒーがちゃんと食道を通らずにむせてしまった。何度も咳き込み、自分の胸を強くドンドンと叩く。
「何言い出すんだよ!」
「だってお前、もうその仕事やめるも同然だろ?ここで再会したのも、何かの運だと思うんだよ俺は!」
昨日からやたらと聞く「運」という言葉に引っかかる。ここで川元は、ジャーキーの助言を思い出す。
「今すぐ帰れ。」
川元は考えた。もしかしたらこの助言は勇馬との巡り合いを示唆したものだったのかと。だとすれば...。
「それって、成功する兆しあるの?」
「あぁ!実は今、上京した時に知り合った人とかに連絡取り合ったりして準備は進めてるんだよ。俺ももちろん勉強とかし始めてるし。」
「んー。そうか。」
ジャーキーの助言のことや、起業という未知なことへの不安に対して、中々勇馬の気持ちに応えられずにいる。
「なぁ頼むよ春男。お前だって仕事が欲しいだろ。だったら俺と一緒にやってみないか?最初は苦労するかもだけど、頑張りしだいでは今の手取りの倍はあるぜ。」
勇馬は必死に川元を説得する。手を合わせてこれでもかというくらいに頭を下げる。川元自身も今の会社へはもう戻ることはできないと思っているし、この先どうするかも考えていなかった。ジャーキーの助言がこれを示唆していたのかも定かではないが、ここは提案に乗ってみてもいいかなと思い始めた。
「勇馬。分かったよ。一緒にやろう。」
勇馬はその言葉を聞いて嬉しさのあまり立ち上がった。
「マジか!やった!」
川元と握手を交わし、何度もありがとうと言いながらグッと手に力を込めた。
「でも、やるからにはちゃんと頼むよ、社長。」
「まだはえーよ。」
二人の間には笑みがこぼれた。この選択は、川元に幸運をもたらす選択だったのか。それとも...。
二人はファミレスで別れ、川元は家に帰った。スマホを見ると会社から鬼のように連絡が来ていたが、今の川元にとってはもうどうでもいいことだった。スマホを机に置き、買ってきたビーフジャーキーを食べようとレジ袋から探す。
「あれ、ビーフジャーキーどこ行った...?」
「家に帰ってきて正解だった?」
パッっと声をする方へ向くと、ジャーキーがソファに座りながら、買ってきたビーフジャーキーを食べていた。
「お前!またいつの間に!それに、俺のビーフジャーキー...。」
「ケチケチするなよ。ご褒美だって言ったでしょ?」
「ご褒美って,,,。てことは、やっぱりあの起業の話は、幸運の前触れってことか!」
「すっかり僕の言うことを聞くようになったね。」
川元は、あっ...。と図星を突かれ、目をそらした。
「でもそれが幸運かは分からないよ。前にも言ったけど、その後どうなるかまでは分からないからね。」
「いや、でも俺は何となくわかってきたぞ!これで成功して、俺の人生が幸運へ向かう兆しが!」
「あんなに信じてなかったのに、急に手のひらを返すんだね。」
ジャーキーは冷ややかな目で川元を見つめながら、ビーフジャーキーを食いちぎるように食べた。
「ごめんって。でもそりゃ急に現れて信じろだなんて言われてもさ。でも、これで確信に変わったような気がする!」
「まぁいいけどね。今日の出来事が幸運だと思うのならちゃんと行動しなよ。」
「あぁ、分ってるよ。」
川元はそう言うと、ふと何かを思い出したのか、机の上に置いてあったスマホの電源をつけた。
「そうだ。会社から鬼の連絡来てて、もうやめよっかなとは思うんだけどどうしたらいいかな?ほらこれ...」
ジャーキーに向けて画面を見せようとしたが、いつの間にか姿を消してしまっていた。今日買ってきたビーフジャーキーは全てなくなっていた。
「あいつ、また俺のビーフジャーキーだけ食べやがって。まぁいいか。」
川元は、ビーフジャーキーの空き袋をポイッとゴミ箱へ捨てた。
「まぁ、今さら会社行ってやめるって言うのも嫌だし、退職代行にでもお世話してもらうか。」
そして約2年後、紆余曲折ありながらも、勇馬の起業は大成功し会社は大盛り上がりだった。勇馬の下準備はもちろんであったが、川元の仕事のできが良く、円滑な運営をすることが可能となっていた。勇馬はその功績を称え、川元を重要ポストへと配置した。それにより、川元の年収は以前の会社とは比べ物にならないほどにアップしていた。そしてその2年の間にも様々な助言をジャーキーからもらい、その助言のおかげで川元は会社の中でも美人と言われている社員である綾瀬と付き合うことに成功した。勇馬はそれに対し、えらく嫉妬をしていたが「ごめんねー」と軽く流しておいた。
川元は現在、前まで住んでいたアパートは解約し、高級マンションへと引っ越し優雅な生活を送っていた。いつもの晩酌は変わらず続けているものの、ビールがワインに、ビーフジャーキーがローストビーフにと豪華なものへと変わっていった。
ここまで変化が起こったのも、ジャーキーの助言による幸運への導きがすべてだった。川元は今この世で一番幸運に恵まれている人だろう。
そして川元は、また今晩も晩酌をしようと、棚からワインを取り出しグラスへと注いだ。
「はぁ。今日も疲れたなぁ。」
グラスを持ち、レザーソファへと腰をかけワインを嗜もうとした。
「そういえば、昨日のローストビーフがまだ残ってたか。」
一旦グラスを机に置き、ローストビーフを取り出そうと冷蔵庫を開ける。しかし、中を見てもローストビーフが見当たらないでいる。
「あれ?確かこのあたりに...。」
「君も良いもの食べるようになったねー。」
先ほど座っていた方から声が聞こえる。どこか聞いたことのある声だった。ソファの場所へ戻ってみると、そのソファに座りながら冷蔵庫にしまっていたはずのローストビーフを手づかみで1枚ずつ食べる少年の姿があった。
「ジャーキー!久しぶりだな!」
久しぶりに会えて上機嫌になった川元は、少年の元へ駆け寄る。
「お前のおかげで見ろよこの生活!まさに貴族って感じだろ!」
川元の発現に表情一つ変えず、もくもくとローストビーフを頬張る。
「帰れって助言からここまでなるとは思わなかったなぁ。てかこのローストビーフってあんまり美味しくないね。ビーフジャーキーの方が味濃くて美味かったのになぁ。」
「ビーフジャーキーぐらい、いつでも買ってやるよ!それよりさ、次の助言とかないの?」
ジャーキーは、ローストビーフを食べるのを止めた。一旦皿を置き、川元をにらみつけた。
「君、欲が出てきたね。それは危険信号だな。」
「え?」
「君は今、かなりの幸せにたどり着いている。それは当然僕の助言のおかげであるんだけど、たまに出てくるんだよね。助言しても自分の欲に負けて言うことを聞かなくなったりする人がさ。念を押しておくけど、君は今後一生、僕の助言を聞かなければならないんだよ。それを忘れるなよ。」
「急に何言い出すかと思えばそんなことかよ。」
川元はへらへら笑っていたが、ジャーキーの顔はいたって冷静であった。
「分かってるよ。お前のおかげでここまで来たんだから。これからも頼むよジャーキー。」
「忠告はしたからね。じゃあ次の助言を言うよ。」
その瞬間、またいつものようにジャーキーはあっという間に姿を消した。そしてまた、川元の耳元から、あの低い声が聞こえる。
「今すぐこの場所から逃げろ。」
「え...?」
川元は困惑した。ジャーキーの助言を素直に受け止められないでいる。今すぐとは一体いつ?どこに逃げる?あまりの言葉足らずの助言に川元は辺りをキョロキョロと見渡し苦笑するように、そこにいないジャーキーに語りかける。
「なぁ、ジャーキー。逃げろってどういう意味だよ!今から誰か襲ってくるのか?全然それじゃ分かんねぇじゃん!」
語りかけても辺りからは一切の物音もしなかった。
「ジャーキー答えろって!どっかで聞いてんだろ!」
だんだんと焦りが出てきて声のボリュームが大きくなる。
「せっかくここまでの生活を手に入れたのに、また一から始めろっていうのかよ!おい!俺の幸運は一生続くんじゃなかったのかよ!」
怒鳴ったところで、ジャーキーの返事が返ってくることはなかった。むしゃくしゃして髪をかき続け、部屋の中をぐるぐる回り落ち着いていられなかった。
「絶対この生活を手放さねぇからな...ジャーキー。俺は絶対ここから逃げねぇぞ!」
そういった矢先、川元の携帯から着信が入った。携帯を確認すると会社の部下からの連絡だった。
「なんだよ!こんな夜中に...。」
「川元さん大変です!しのやま社との契約のやつなんですけど、契約関係の書類が見当たらなくて...。」
「はぁ!?」
突然の連絡に、その場で固まる。しのやま社は大規模な会社であり、川元が勤める会社の中で重要なお得意様だった。その書類がなくなるというのは会社にとって信用問題になりかねない。
川元は声を荒げながら電話越しの部下と話す。
「本当にどこにもないのか!?」
「探せるところは全部探しましたよ。でもやっぱり見当たりません!」
「見当たらないじゃねぇよ!見つかるまで探すんだよ!」
川元は貧乏ゆすりをし、苛立ちが隠せないでいる。大量の汗をかき、どうすればいいか混乱もしていた。
その時だった。
「逃げろって言ってるんだよ。」
聞いたことのある低い声がする。ジャーキーの声だ。だが周囲を振り返ってもどこにも見当たらない。
「おいジャーキー!逃げろってのはどういうことなんだよ!?」
そしてまたしても声だけが聞こえる。
「言葉通りの意味だ。この地域からでも、この国からでもいい。それで君の幸運は約束されるんだよ。」
「じゃあその後俺はどうなるんだ?ここまで幸運で手に入れた幸せを手放して、その先にこれ以上の幸せを掴めるってことかよ!?」
「確かに今のこの出来事は幸運とは言い難いかもしれないが、幸運は必ずしもいい出来事からなるわけじゃない。これは幸せになるための序章なのかもしれない。君はここで、ここまでの幸運の連鎖を断ち切るつもりかい?」
「かもしれないだと?お前は俺と初めて会った時に、お前の言うことを聞けば幸せになると聞いた!なのにここにきてこの不幸はなんだ!やはりお前を信じた俺が大馬鹿だった!ここまで偶然で手に入れたこの幸せを、俺は手放すわけにはいかないんだよ!」
「...決めるのは君だ。だが、もう君とはこれ以上会えないかもな...。」
「ジャーキー!おいジャーキー!」
その後、ジャーキーの返事が返ってくることはなかった。電話越しから、部下が必死に川元の名を呼んでいる声しか聞こえない。
「川元さん!さっきからどうしたんですか?」
再度電話を耳元に当て、川元は指示を送る。
「今から作り直せ。」
「はぁ!?そんなの偽造に...」
「いいから作れって言ってるんだよ!俺の幸運は、まだ続くんだァ!」
電話を即切り、川元は息を荒げているのを落ち着かせるためソファに座った。
どうせバレはしない。
その考えが、甘かったのかもしれない。
後日、内部告発により書類の偽造がバレてしまい、川元はその対応に追われてしまう。ついには会社全体の問題にもなり、社長である勇馬にも話が伝わるが、不自然にも勇馬は忽然と姿を消した。トップがいなくなったこの会社が潰れるたのも時間の問題だった。
川元はデスクで黙々と作業をしていた。気づけばもう少しで日が変わるくらいになっていた。顔は老け込み、髪はボサボサで疲弊しきっていた。
「もう駄目だ...。一旦帰るか...。」
住んでいたマンションは解約し、またしてもボロアパートに逆戻りしていた。一旦そのアパートに帰ろうと鞄を背負って会社を出た。足取りは重く、体もふらふらと揺れ、まともに歩くことができなくなっていた。
「俺は、ただあの生活を続けたかっただけなのに...。俺はあの時にジャーキーのいうことを聞けばよかったのか...。」
頭の中でそう考え、常に後悔してしまう。幸運で手に入れたものは、ほとんど失ってしまったが川元にはまだ失っていない幸運が一つだけあった。
「そうだ、久しぶりに彼女のとこ行ってみるか。ちょっと甘やかしてもらお。」
川元は行き先を変え、彼女である綾瀬のアパートへ向かった。スマホの電源をつけ、綾瀬に連絡をしようか考えたが、突然訪問するのもサプライズ感があっていいかと思いスマホをしまった。
そして川元は綾瀬のいるアパートについた。階段を上り、綾瀬のいる部屋のドアまでたどり着いた。
「そういえば、今起きてんのかな。鍵しまってるかも...。」
そう思ったが、ドアノブを掴んで回すと鍵がかかっておらず開けることができた。ゆっくりとドアを開けると奥でまだ部屋の明かりが点いていた。
「なんか遅くまでしてるのかな...!?」
ふと玄関の下を見ると、綾瀬の靴の横にサイズも違い見た目も選ばなさそうな靴があった。
「ま...さか...!」
川元は急いで上がり、綾瀬の部屋のドアを勢いよく開ける。
すると、目の前には綾瀬が裸の姿でベッドで毛布に包まっている姿があった。
「おい...。お前今何してたんだよ。」
「何急に...。別に何もしてないよ。」
「じゃあ玄関にあった靴なんだよ!お前の靴じゃないだろ!」
「ていうか急に何しに来たのよ!」
「聞いてるのは俺だぞ!」
川元は背負っていた鞄を綾瀬に向けて思いっきり投げた。色々と荷物を詰め込んでいたため綾瀬は腕で防ごうとしたが衝撃で体が押し倒された。
「どこだよ男は!まだここにいんだろ!?」
そう言うと川元は手あたり次第探した。クローゼットの中やカーテンの裏、色んな所を探したが男の影すらも見つけられなかった。
「もうやめてよ!あなたの勘違いだってば!」
「うるさいぞボケェ!」
川元は拳を握りしめ、思いっきり殴った。川元の手に血が付くほどに痛めつけた。
「お前も、俺の幸運の邪魔をするのか...?」
「何、言ってるのよ...?」
「俺の幸運の邪魔をするなぁぁぁぁ!」
叫び声をあげながら、川元はまた綾瀬に殴りかかろうとした。
その時だった。
「うぅっ...。」
川元は動きを止めた。というより何か背中に違和感があり、止まらずにはいられなかった。一瞬何が起こったのかは分からなかったが、その後すぐ急激に激痛が背中から伝わり、それと同時に生温かさを感じる。
「い...いてぇ...。」
川元はその場で倒れこんだ。呼吸が荒くなり、意識がどんどん遠のいていく。自分はもう死んでしまうのだと確信し、最後に今残っている力で、後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは、血だらけのナイフを持っていた勇馬だった。
「お...お前...。」
かすれるような声と共に、川元は静かに目を閉じた。それを見つめていた勇馬は、そっとナイフを落とす。
「勇馬くん...。どうしよう....。」
「お前は悪くない。後は俺が何とかするから。」
既に日付が変わった真夜中。唯一綾瀬の部屋だけが明かりが点いており、それを外から遠くで見つめている少年が一人いた。少年の手には袋に入ったビーフジャーキーがあり、一枚取り出し口へ運んだ。
「あーあ。やっぱこうなるかぁ。」
アパートを後にし、少年はどこかへ歩き出した。
「例え僕が幸運に導いても、結局自ら不幸になるよね人間は。ある意味、僕の力をもってしても法則を破ることはできないのかもね。ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ。」
少年の笑い声が真夜中に響き渡るが、それが次に聞こえるのは誰なのだろうか。




