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中にいるの、知ってるよ

作者: 天月瞳
掲載日:2026/07/02

ある夜、奥野は突然、ドアを叩く音を聞いた。



コンコンコン。


「誰だ?」


少し苛立ちながら玄関へ向かう。


部屋を間違えたか、どこかの酔っ払いだろう。

奥野はドアスコープを覗いた。




誰もいない。



ノックの音も同時に止んでいた。

まるで何事もなかったかのようだった。


聞き間違いだったのだろうか。

そう思った、その時。


ドアスコープの端を、赤い影が一瞬だけ横切った。


奥野は勢いよくドアを開けた。


人気のない廊下には、誰の姿もない。




「……ん?」


床に、うっすらと濡れた跡があった。



靴跡だ。


玄関から階段の方へ続いていたが、途中で途切れている。


まるで途中で消えてしまったかのようだった。



奥野は不思議そうに建物の外を見た。


「おかしいな……今日は雨なんて降ってないのに」


首をかしげながら部屋へ戻る。


ベッドに入ったあとも、どこからか水の滴る音が聞こえ続けていた。

その夜、奥野は赤い靴の夢を見た。





翌日の夜。


再び玄関からノックの音が聞こえた。



コンコンコン。



そして次第に激しくなり、誰かがドアを力任せに叩いているような音へと変わっていく。


ドンドンドンドンドンッ!


奥野はびくりと肩を震わせ、警戒しながら玄関へ向かった。


右手にはスマホを握り、いつでも警察に通報できるようにしていた。



ドアスコープへ顔を近づける。


やはり誰もいない。


ぺたっ。


水をたっぷり含んだような足音が、少しずつ遠ざかっていく。


ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ。


「……行ったのか?」


奥野は安堵し、その場にへたり込んだ。


ドンッ!


突然の轟音に、全身が跳ね上がる。


震える手で、もう一度ドアスコープを覗いた。


廊下には、人の気配すらなかった。


「ねぇ」


だが、女の声だけが、ドア一枚隔てた向こう側から囁くように聞こえてきた。


「中にいるの、知ってるよ」


その夜、奥野はほとんど眠れなかった。


まどろみの中で、赤い靴がゆっくりと水の中へ沈んでいくのが見えた。




眠っては目を覚まし、それを繰り返しながら、ようやく朝を迎えた。


奥野は慎重に部屋を出て、会社へ向かおうとした。


「……え?」


鍵を持った手が空中で凍りついた。


ドア一面に、無数の暗赤色の手形が残されていた。


小さな手形だった。


子どもか、女性のもののように見える。


奥野は魂が抜けたような足取りで会社へ向かった。


「どうした? 顔色悪いぞ」


同僚が心配そうに声をかける。


奥野は無理やり笑みを作った。


「大丈夫です。ただ寝不足なだけで」


どうやってこの一日を乗り切ったのか、自分でも分からなかった。




奥野はふらつきながら帰宅し、ドアを開けて中へ入る。


そのままドアを閉め、ソファへ倒れ込んだ。


意識は、そのまま闇へ沈んでいく。


ぼんやりとした意識の中で、またあの場所へ戻っていた。


どこからか、泣き声が聞こえる。



ドンドンドンドンドンッ!



激しいドアを叩く音で、奥野は飛び起きた。


彼は自分の部屋へと駆け込み、ドアに鍵をかけた。


布団の中で体を丸め、耳を塞いで震えた。


ドアを叩く音がピタリと止んだ。


それに伴って聞こえてきたのは、はっきりとした足音だった。




ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ。


水をたっぷり含んだような、重い足音がゆっくりと近づいてくる。




コン、コン。


静かなノックの音。


奥野は震えを抑えられなかった。


顔から血の気が引いていた。


その音は、ドアの内側から聞こえてきた。


コン、コン。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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