第73話ー巡り会いの序章ー
18:00すぎてごめんなさい!!!、
――夜。
殲滅を終え、野営地は静まり返っていた。警備の冒険者たちだけが動いている。焚き火の火は小さく、風は止み、空はやけに澄んでいる。
縁は一人、少し離れた場所であぐらをかき、浮いていた。
瞑目。呼吸は深く、全く乱れない。しかしその周囲の空間は、わずかに揺らいでいる。
――空間術式の内部。
そこは本来、完全に支配された領域。時間も距離も、縁の定義のままに在る場所。
だが。
小さな紫の卵の周囲だけ、定義が曖昧だった。
ードクン。
術式の内壁が、波紋のように震える。縁は目を開けない。だが、口元がわずかに緩む。
「……ほう。」
術式内の魔力配列が、一瞬だけ乱れた。いや、乱れたのではない。
“書き換えられた”。
ほんの一音分。世界の式に、異物が触れた。卵は、静かに脈打つ。縁の術式に触れながら、測る。支配の構造。干渉の範囲。座標の基点。測っている。まるで、問いかけるように。
縁は、ゆっくりと呟いた。
「……試しているのか。」
怒りも拒絶もない。ただ、確認。術式を強めれば、卵は沈黙するだろう。だが縁は、そうしなかった。むしろ、わずかに緩める。
「測れるなら、測ってみろ。」
その瞬間。卵の脈動が、一度だけ強く鳴る。
ードクンッ。
空間術式の奥で、紫の模様が淡く光る。その光は、縁の魔力と干渉し――ほんの一瞬だけ、形を取った。
それは翼。影で編まれた、細く鋭い翼。まだ未完成。まだ名もなき影。だが確かに、“竜種”の系譜。
その頃。
ユエは眠っていた。だが夢の中で、音を聞く。
ードクン。
振り返る。闇の中に、淡い紫の光。それは恐怖ではない。
懐かしさ。帰る場所のような。ユエは、夢の中で微笑む。
「大丈夫だよ。」
そう言うと、鼓動は穏やかになる。
現実。
縁は、空を見上げる。星が一つ、瞬いた。その瞬きは、わずかに長かった。まるで、応じるかのように。縁は小さく笑う。
「陰が巡った。ならば――」
視線を、遥か彼方へ。
まだ遠い、まだ眠る何かへ。
「陽も、いずれ。」
――同夜、遥か東。人の踏み入らぬ高峰。雲よりも上、風よりも古い岩の裂け目。そこに、誰も知らぬ空洞があった。
長い年月、光すら届かぬその奥で、岩盤の奥底を流れる地脈が、静かに脈打っている。それはこの大陸の“陽”の流れ。炎の記憶。創世と改変の余熱。
だが――
その流れが、今宵、わずかに乱れた。ほんの一瞬。陰に呼応するように。地脈の奥。黄金とも紅ともつかぬ光が、岩に閉ざされている。
それは卵。
まだ選んではいない。まだ選ばれてもいない。だが確かに在る。その殻の内側で、
――トクン。
微かに、熱が灯る。殻の内側で、まだ名を持たぬ何かが、夢を見る。陰が巡った。ならば、陽もまた、巡らねばならぬ。
それは均衡。
それは理。
誰かが命じたわけではない。
世界そのものが、そうあるように出来ている。
空洞の天井に刻まれた地層が、ひび割れる。崩落はしない。ただ、眠りが浅くなる。
光が、ほんのわずかに強まる。それは怒りではない。
対抗でもない。
“応答”。
遠い野営地。縁は空を見上げている。何も見えぬはずの星の向こうを。一瞬だけ、視線が細まる。
「……そうか。」
それ以上は言わない。
言う必要もない。まだ早い。
陽の卵は、まだ選ばれていない。そして、選んでもいない。陰の卵がユエを選んだように、陽の卵もまた、"誰か"を選ぶのだろう。それがいつかは、分からない。だが確実に。新たな巡りは始まった。
野営地の焚き火が、ふっと強く燃え上がる。風はない。それでも炎は高く伸び、一瞬だけ、黄金に輝く。そして静まる。誰も気づかない。ただ、世界だけが知っている。
――陰、目覚める。
――陽、微睡む。
そして、その間に在る者。
縁。
巡りの中心に立つ、ただ1人の人。
だが、陰も陽も、やがてその手を経て交わることになる。それはまだ、遠い未来の話。ただ、巡りの結節点。陰も陽も、やがてそこへ還るのだ。巡りはまだ、始まったばかりーー




