後編
二度、三度、四度……二人は何度も何度も氷鬼と戦い、負け、逃げた。そして今、ミンミは十六歳になっていた。
ミンミが凍りついた村を逃げ出してから八度目の秋、彼女と北風は並んで空を飛び、オーロラの下を目指していた。
「氷鬼は、今年はちょっとは弱っているんじゃないかしら」
ミンミが北風に尋ねた。
「さてね。なにしろ、あいつは凍らせれば凍らせるほど強くなるんだから」
ミンミは明るく笑う。
「平気よ、わたしたちも、強くなっているんだから」
「そうだといいけどね」
北風は、ミンミのまっすぐな瞳を横目で眺め、ため息をついた。
「ね、北風。氷鬼と戦った後は、また西風のいる風車の町に行きましょ。今年もあの、あめを焼く甘い煙が食べたいわ」
北風は苦笑いした。ミンミは、すっかり風として生きることに慣れてしまったようだ。それが本当に良いことなのか、北風にとっては分からなかった。
その日のうちに、見慣れた、白い氷の森や村に着いた。北風は松の樹氷を揺らし、その怒りの息を吐いた。氷鬼が暴れ出すより前、この森や村に冬を届けるのは北風の役割だった。呑気にしている獣たちを冬ごもりにうながし、木々を眠らせ、秋祭りのパイを焼く煙を食べる喜びを、氷鬼は冷たい雪氷の中に閉じ込めてしまった。小さな一つ一つの樹氷の、星のような輝きを、土の中で眠る新たな命の気配を、全て自分だけのものにして。
北風は、時を運ぶ自分の仕事を愛していた。寒く厳しい冬の季節も、好きだった。だからこそ、冬を終わらせようとする自分の試みを憎み、そうさせる氷鬼を憎んだ。
「あそこ!」
村の上空で、ミンミが下を指さして叫ぶ。氷鬼が、霧を少しだけまとわせて、村の中を歩いていた。
「よし、行こう」
北風はマントをはためかせ、屋根まで降りた。だが、氷鬼は二人の気配を感じ取り、霧を濃く生んだ。
北風とミンミは、とびきりの熱い風を氷鬼に送った。氷鬼は怒りの声を上げ、霧が晴れた。
氷鬼は霜を全身にまとった、獣と人間の間のような格好だった。赤い目がぎらりと光り、大きな口を開けた。口から、すさまじい冷気が吐き出された。
何もかも、風でさえも凍らせてしまう冷気__いつも、二人はこの冷気を避け、大した抵抗もなしに逃げ出してしまっていた。だが、この瞬間北風は、それではいけないのだと悟った。
北風は、氷鬼の前に降り立ち、両手を広げた。
「北風、逃げて!」
ミンミが悲鳴を上げる。北風は動かない。氷鬼が、一瞬で北風を固く凍らせた。勝利の雄叫びを挙げる氷鬼の目には、真っ白になった北風しか映っていなかった。
ミンミは、氷鬼の上から、とっておきの砂漠の熱を、ありったけ氷鬼にぶつけた。
氷鬼はぶるりと震え、あっという間にとけて小さな水たまりになってしまった。地面の霜が崩れ、太陽が分厚い雲の後ろから顔を出した。大地が、森が、柔らかく緩んでいく。
だが、ミンミは変わりゆく周りの景色には目もくれず、北風だけを見つめていた。北風は無数の氷の粒となって今にも崩れようとしていたが、ミンミが彼女を抱きかかえると、優しく微笑んだ。
「よかったね、ミンミ。冬はもう終わりだ!」
ミンミの頬に北風は手をあてて、温かい彼女の涙をすくい上げた。
「家にお帰り、ミンミ。あんたのお母さんの元に……」
それっきり、北風も、北風のマントも、彼女の最後の息とともに空に飛んで行った。
村に時が戻ってきた。あの日焼いていたパイを持って、人々が往来を歩き始めた。村長の家からミンミの母親が出てきて、娘を呼んだ。
「ミンミ、森から帰ってきた?」
ミンミは母親に応えて駆け出そうとした。けれど、自分が風のドレスをまだ着ていることに気がついた。ドレスを脱ごうとしたが、彼女の中の何かがそれを引き止めた。
ミンミが息を吐くと、柔らかい風が起こり、人々は体を縮める。ミンミの心にも、強く温かい風が吹く。
それは、ミンミが風となって、二人っきりで世界中を飛び回った、楽しい日々だったかもしれない。氷鬼と戦い、西風や南風と交流する中で知った、風の役割の大事さでもあるかもしれない。師であり母親のような存在だった北風を失ったミンミの心が、悲しみに叫んでいる声かもしれなかった。
ミンミは風のドレスを着たまま、空へ飛び上がった。秋祭りにはしゃぐ村の人々の声に耳を塞ぎ、空を漂っていた北風の灰色のマントを捕まえて羽織り、南西へ飛んで行った。
母親が「ミンミ、ミンミ」と呼ぶ声が、いつまでも秋の村に響いていた。
新たな北風となったミンミは、今も世界中を飛び回り、季節を届けている。そして、オーロラの下の小さな村では、彼女の両親がいつまでも娘の帰りを待っている。