前編
オーロラの下に、小さな村がある。夏に摘むベリーやキノコ、それにトナカイを何頭も飼って糧とする。村の住人は百人もいないが、皆仲良く暮らしていた。
村長の娘は、ミンミという名だった。ミンミはまだ八歳で、村中の皆から愛され、他の子どもたちとともにのびのびと育っていた。
紅や黄の葉が美しい秋の日に、ミンミはたった一人でキノコをとりに森へ出かけた。他の子どもたちやミンミの家族は、台所でソーセージやパイをこしらえたり、大がかりなたき火をするための台を組み立てていた。その夜は秋祭りで、一晩中来る冬に備えて村中で大騒ぎをする習わしとなっていた。
ミンミが森の中で、食べられるキノコを探していると、不意に強く冷たい風が彼女の髪をすくい上げ、耳元でささやいた。
「一緒においで、ミンミ。ここにいてはいけない」
気がついた時、ミンミは青い空のとても高いところで、北風に抱かれて森を見下ろしていた。
北風は、長い長い灰色のマントを着た、年老いた女の姿をしている。怖がるミンミに、北風は優しく語りかけた。
「じっとしておいで。お前は運良く、助かったのだよ。ほら、下をごらん__」
見下ろすと、ミンミが今し方歩いていた森が、いつの間にか真っ白に、固く凍りついていた。木々の枝葉はそよとも動かない。
北風はため息をついた。「氷鬼のしわざだ。まだ秋のさなかだというのに! 冬になるのが待ちきれず、手当たり次第に何もかも凍らせて楽しんでいるのだ」
それから、「いけない!」と一声叫び、ミンミを抱いたまま身を翻した。
北風が向かったのは、ミンミの村だった。きつくつむっていた目をおそるおそる開けたミンミは、「村が!」と悲鳴を上げた。
村は凍っていた。道端を歩く老人も、パイの欠片をくわえて駆け出す子犬も、熱を冷ますために外に出された焼きたてのパイから上がる湯気さえもが、命のない石像や一枚の絵のように固まり、沈黙している。
あまりの出来事に、ミンミがわっと泣き出すと、北風は慌てて彼女の口を塞いだ。
「泣いてはいけない、ミンミ。私の腕の中で、じっとしているのだよ。さもないと、氷鬼に気づかれてしまう!」
にわかに、白い霧が村全体でわいた。北風は上空に逃れ、強い風を村にふきつけた。北風の吐く息は千里を走り、重いトウヒの大木さえも動かす。だが、霧はまるで乳から作るゼリーのように強い。少し揺れただけである。
「氷鬼の力がどんどん強くなっているのだわ。あの連中は、ものを凍らせれば凍らせるほど強くなるから」
ミンミはすっかり怯え、北風のマントにしがみついた。
「お母さんも、みんなも、凍っちゃったの?」
「泣くのでないよ。氷はいずれ必ずとけるもの。あのいまいましい氷鬼さえいなくなれば……」
その時、北風が村に吹きつけた荒々しい風が消え、しんと静まりかえった。急に辺りが冷え込み、ミンミはくしゃみをした。
「しまった」
北風はミンミをマントの中に入れ、村を見下ろした。白い濃霧の中に一対の赤い目が光っており、まっすぐに北風を睨みつけていた。北風のマントの端が凍りつき、鼻につららができた。
北風は、ミンミごと凍りついてしまう前に、命からがら逃げ出した。
オーロラから遠く離れた、南の国へ__北風は雲と渡り鳥をすり抜け、時折風のない村に息を吹きつけながら、無心に飛んだ。そして、肌に感じる空気が暖かくなってきたころ、たまたま見かけた風車に休憩をとった。ミンミはマントから顔を出し、見たこともない眼下の光景に目を丸くした。
北風は、ミンミに言った。
「お前を、どこか安全で、暖かいところに下ろしてあげようね」
ミンミは首を振る。
「おうちに帰りたい」
「それはいけない。私が氷鬼を追い払い、凍った村をとかすまでは、あそこに帰ることはできないよ。お前は、氷鬼が決してやってこない、安全なところで待っておいで、私が、必ず迎えにくるから」
「どのくらい、待てばいいの?」
「そうさね……」
北風は、返事に困っているようだった。
「あたしがあなたを手伝えば、早くおうちに帰れる? お母さんやお父さんに会える?」
北風は、幼いミンミの、強い目を見た。
「手伝ってくれると、嬉しいけどね。氷鬼は、人間がとても太刀打ちできない、強い力を持っているのだよ。この私でさえも、力を増した氷鬼には勝てないぐらいなのさ」
北風がうなだれた時、風車の下から、からからと笑う声がした。
「あなたらしくもないな、北風。いいじゃないか、その子に風の力を教えてやれ。一人ではかなわぬ相手でも、二人ならなんとかなるかもしれない」
話しかけてきたのは、西風だった。西風は、北風よりは軽い装いで、若い男の姿をしていた。風車の羽根につかまって北風とミンミの前に現れ、おかしそうに笑った。
「見どころのある娘だ。北風、若いころのあなたにそっくりじゃないか?」
「お黙り」
北風はぴしゃりと西風に言い返し、ミンミに向き直った。
「風として生きることも、氷鬼と戦うことも、今までの暮らしとは全く違うよ、ミンミ。それでも、私と一緒に来るかい?」
「行く」
ミンミはすぐに答えた。「お母さんたちを、早く助けたいもの」
西風がミンミに言った。
「氷鬼に凍らされた者は、時が止まり、老いることも死ぬこともない。安心して、このおっかない北風の元で立派な風になるんだな」
「うるさいね!」
西風をやりこめた後、北風はミンミに風のドレスを着せた。雲をほどいた糸で織ったそのドレスは、ミンミを人間の目から隠し、また、空を自由自在に飛べるようにしてくれるのだった。
北風とミンミはさらに南を目指した。すっかり暑い海の上で、二人は少年の姿をした南風に会った。南風の吹く風は暖かく、時に火のように暑い。その熱さを二人は南風から分けてもらった。マントやドレスの下に隠した熱は、氷鬼と戦うための武器だ。
空腹になった時、ミンミと北風は島に降りて、食事をとった。肉や魚やくだものを焼く煙を食べるのだ。それから、二人でまたあちこち巡り、マントの下に熱をため込んだ。
そして十分に熱を集めた時、北風はミンミを連れて、オーロラの下に飛んで行った。氷鬼のせいで、相変わらずミンミの村の時間は止まっていた。北風とミンミは森を凍らせていた氷鬼を見つけ、戦いを挑んだ。しかし、どれだけ熱い風を吹きつけても、氷は一滴たりともとけなかった。それどころか、氷鬼は吹雪を二人に送り、体の芯まで冷え込ませた。
やっとの思いで南に逃げたものの、二人はしばらくひどい冷え性に悩まされた。




