小野優香の手記①
5月10日、16時30分。大光寺の参道から外れた遊具にて。
私は愛野茲菜の友人だ。出会いは一年前の春、中間テストの準備期間中。それから茲菜とは喧嘩はもちろん摩擦も無いまま、休日以外の毎日を一緒に過ごしている。だからこそ、違和感があった。愛野茲菜の友人だ、と書き記す事に違和感を覚えている事に、違和感を覚えた。よって、以前より計画していた、大光寺へ茲菜を連れてくる作戦を実施し、成功に至った。当初の予想通り、茲菜が境内へ消えて数分もしないうちに、クラスメートの大光司が現れ、境内へ消えていった。それから数分が経過しているが、茲菜の心配が拭えない。強面の大光司にビビッて変な事を口走っていないか、強がって喧嘩みたいになっていないか、心配だ。私は今、まっとうに、ちゃんと茲菜を心配している。
「……ふう」
スマホのメモ機能に記した数百程度の文字列を、2週ほど読み返した。誤字脱字も嘘偽りも、誇張も曲解も無い。事実のみを記した、私の現実感想文。他の人がどうか知らないけれど、スマホのメモ機能をここまでフル活用している女子高生というのはあまり居ないのではないだろうか。可愛いデコレーションで着飾ったメモ帳にプリクラを貼ったり、加工した動画や写真でエモーショナルなファンタジーを混ぜた現実を保存したり、という子も居るが、今時のメモといえばやはり主流はSNSだろう。かくいう私も、私の現実感想文やなんとなく思いついた言葉遊び、冗談や面白かった事などは、SNSで皆に見せびらかすのが人生最大の楽しみだった。
「っと、これはなかなか面白いんじゃないかな」
エモーショナルなファンタジーで加工した写真、という表現は、中々表現し甲斐がありそうだ。丁度今はお寺に居る事だし、良い写真を撮って、良い具合に加工をして、少しジョークを交えて、SNSに投稿しよう。必死に自撮りしている私を盗撮の角度で撮影して『煩悩消し去る悟りを啓くための場所で、全身全霊で煩悩に身を任せている小人』という私の状況も撮れたら良いが、今はカメラマンしてくれる友人が居ない。これはまた次の機会にしよう。
「ストーリーは、そうだね、うん、お祈りのために階段を上ってきたけれど、階段が辛すぎてお祈りが『せめて下りはラクに下りられますように』となった私だ。悪くないね。どういう写真で表現しよう」
楽しみになってきた。良いネタが投稿出来そうだ、と、ニヤニヤしながら行動を開始する。思いついたネタをスマホのメモ機能に保存し、登ってきた階段の前まで来て、登ってきた時の疲労感を思い出す。適度な疲労感と適度な達成感で悪くない気分だったが、とはいえだ、どうでもいい茲菜のためにわざわざこんなところまで来てしまったのだから、せめて良いネタ投稿くらい出来なきゃ割に合わない。いや、罰が当たると言っても過言では無いね、お寺だけに。
「さっそくだね、そうなる、うん、そうなる。それにしても、早いな」
丁度良いタイミングで不快感が込み上げてきてくれたおかげで、良い表情が撮れた。これを疲れ果てた私としよう。このまま続きの作品作りへと移りたいところだったが、気持ちが萎えてしまったせいでなかなか次の絵が思い浮かばない。辺りを見回しながらスマホのメモを開く。
「参道、手水舎、本殿、あっちの建物は檀家さんのご実家かな? 近づくのはやめるとして、ご神木か池は無いかな、裏にも続いているようだからそちらも探そう。各所、10秒で、最後に遊具に戻る感じかな」
巡る場所と、10秒ずつ居座る事をメモに示す。
まずは参道の右わきにある手水舎の前に立つ。柄杓を右手に持ち清水を掬い、左手を洗い流し、右手を洗い流し、もう一度清水を掬い、左手で柄杓の水を受けて口をすすぐ。左手を洗って、残った水で柄杓の柄を洗い、元の位置に戻す。多分作法は間違えていない。如何せん無宗教のため正確な作法を学んだわけでは無いが、神社仏閣に来る際は失礼の無いよう、調べてから来るようにしているのだ。階段を上ってくる時に山門について知っていたのも、そういうわけでつい最近調べたばかりだからなのだ。
それにしても、こういう神聖な場所というのは面白い。こういう所作にまで心を込めると心まで神聖に近付くような感覚を味合わせてくれる。むろん気のせいなはずなのだが、今はご利益が欲しい。悩める友人の助けになるのなら、多少の調べものくらいは苦ではないのだ。
そう感じたので、そう考える事が出来たので、私は柄杓をおもいっきり掴み、清水を掬い、頭から掛けてみた。
「ふう」
5月の夕方にしては、今日は暑い。正直少し涼みたかったのが本音。これを自撮りして『全身、清めてみた』と投稿するのも悪くは無いのだけれど、不謹慎だと燃える可能性があるので、撮影は控えた。身を清めたのに心が汚れてしまった。これでは茲菜のご利益にはなりそうに無い。
「これは本殿と呼ぶべきなのか、講堂と呼ぶべきなのか」
手水舎を後にして一番大きな建物の前まで来るが、そもそも建物の名称を間違えてしまったらSNSを楽しむどころでは無いのだけれど、先日ネットで調べた時とこの寺の構成自体がネットに無かったパターンなので、どの建物がどれ、というのは、実は解っていない。胸ポケットから取り出したハンカチで髪を拭きながら、立て看板や張り紙をいくつか見つけたので読んでみた。
『除霊:3万円 ※必要では無い場合、当寺では対処出来ない場合、お断りさせて頂く事がございます』
その文章を見て、うん、ネットで調べた通りだと、少しの達成感を得る。パズルゲームのようで面白い感覚。これくらいの褒美はあっても良いはずだ、なにせその調べた経緯が、あんなクズを助けるために、というだから。
正直うしろめたさみたいなのはある。あいつは久美を泣かせた張本人だ。高校に入ってからの、まだ一年しか経っていない関係とはいえ、それでも久美は私の友人を泣かせた。許すなんて出来るわけが無い。それでも私は、私の筋を通すために色々と手を回しているのだ。
10秒経ったら次へ、と自分で決めた自分の筋があるので、その場で留まってはいられないが、濡れてしまっているのもちゃんと拭きたいので、さっきまで居たブランコに戻る事にした。ブランコに戻りながら、心の中で状況を整理する。
勝俣久美は高校1年で同じクラスになり、茲菜と私、久美の3人でよく一緒に居た。むろんいつも3人というわけでは無くて、2人になったり5人になったりと、割と流動的なグループではあったが、3人それぞれがちゃんと仲が良かったと思う。しかし、恋は人を変えるというか、茲菜は久美が吉本に恋をしていると知っていながら、吉本と付き合うつもりも無いのに吉本をたぶらかして吉本に告白させて、たぶらかしておいて無責任に振って、久美の恋を終わらせた女だ。目的不明だからこそ、そういう遊びだったのでは、という噂が広がった。人の恋を終わらせる遊び。そんなものを嗜むクズ女だと。
「そんなわけないんだって……頭おかしくなりそう……」
戻ってきたブランコに体を預けて、おかしくなっていた頭をまた整理する。こういう時は細かく整理せず、簡潔に、簡単に、事実のみで筋道を立てたほうが現実が見えるものだ。その現実が、エモーショナルなファンタジーであっても、非現実的であっても、反証出来ない限り、その可能性を認めなければならない。
「ブランコ……結界あるなぁ」
どうやら私は、しばらくここを動かないか、手水舎の清水で全身濡れっぱなしの状態にならなければいけないらしい。ブランコを離れると、今現在茲菜を蝕んでいる呪いーー不自然なほど理不尽に人から嫌われるという呪いに侵されてしまうようだ。
「ていうか、結界が移動した?」
最初は山門に入った瞬間に茲菜への嫌悪感が消えて、ずっと平気だった。しばらくブランコで休んだら、参道に出ただけで、今まで通りに茲菜への嫌悪感が溢れてきて、手水舎で身を清めたら、それこそ頭から被ってみたらとくに嫌悪感が少し薄れて、身が乾くにつれてまた嫌悪感が溢れてきてしまった。そして戻ってきたら少しまでの通り、多分茲菜が呪われる前までの通り、茲菜大好き人間である私が戻ってきた。さっきまでは山門から寺全域にあった結界が、大光司が帰ってきてから部分的に限定された?
「ああ、そうか、視れるんだ。結界があったら茲菜に憑いているものも入ってこれないから、結界を解いて呪いを敷地内に居れた。なら今、大光司は茲菜に憑いているものを見てくれているはずって事だ。ブランコに結界があるのは私が居たからだね、それなら辻褄は合う」
いや、そのつもりで来たのだけれど、どうやら大光寺を治める大光司彼方は本物で、本当になんとかしてくれるのかもしれない。