愛野茲菜の悩み②
「呪われてるなら除霊ですね。引き受けたいところなのだけれど……」
優しい女性は口元に手を当てて少し考える。何かまずい事でもあるのだろうか。この人になら馬鹿にされないと信じたは良いけど、後になって恥ずかしさが込み上げてくる。その女性は優しい笑みをわずかに渋らせ、私をまじまじと観察している。だから、その間に私もその女性を観察する。
なんと呼ぶのか解らないけど、お坊さんがよく着ているあの着物を着た、美人のお姉さん。真っ直ぐな黒髪なのは優香と同じだけど、優香の黒は細くて純粋に黒髪 って感じの黒で、この女性の黒髪は、ひたすらに青を濃くした結果黒く見える青! って感じの黒で、雰囲気が全然違う。メイクをしていないのか、細く、薄いのに存在感のある唇は、メイクでちょっと盛っている私に「お淑やかな美しさとはなんぞや」とお説教をしてくるようだった。何より特徴的なのは目だ。全てを許してくれそうな、母性の塊みたいな優しい目で私を見つめながら、その女性は呟く。
「この制服、清氷高校よね? ちょっときまずいかも……うーん、でも、ま、いっか」
独り言をわざと声に出しているのか、天然なのか、もしかして私に話しかけているのか? なんとも言えない喋り方でまって今「ま、いっか」って言った?
「じゃあ、ちょっと境内に上がってもらって良いかしら? まず、本当に除霊が必要かどうかを見たいから、少し、お話を聞かせてちょうだい」
敬語は一瞬で終わり、優しそうな女性は優しそうな笑みを浮かべなおしてから、私を奥へと案内する。すぐに広い空間に出て「ここに座って」と座布団を出してくれたので、そこに正座する。「ラクにして良いのよ」と言うから、体育座りと迷ってから胡坐をかく事にした。
優しそうな女性は一人でさらに奥の部屋へと進み、すぐに戻ってきた。手にはお盆とグラスがふたつ。中身は療法お茶っぽい。この世には茶色い飲み物が多すぎて、見た目だけじゃ何か解らない。
「紅茶と麦茶どっちがお好き?」
それ今聞きます? 持ってくる前に聞く物では? と思いつつ、少し考える。あの中身が紅茶なのか麦茶なのか、それによって、私の回答次第ではもう一度取りに行かせる事になるかもしれない。それは避けたい。
「どちらでも大丈夫です」
こういう時は本当は程よく甘えたほうが好感度は高いんだけど、無難な回答をする事にした。その返事を聞いた女性は「ふふ」と笑ってからこう言った。
「良かったわ。実は私も、どっちがどっちか解らなくなってたから」
どっちやねん。
どうやら、両方持ってきていたらしいその人は「恨みっこ無しってことで」と言いながら、どちらか解らない飲み物を私の前にひとつ置く。少し匂いを嗅いで「こっち紅茶ですね」「こっちが麦茶だったわ」という益体の無い会話を少しだけ楽しんだ。大人の色気がある女性だけど、すごく可愛らしい人だな、と感じた。
「私の名前は遠子。あなたは?」
「茲菜です。愛野茲菜」
「珍しい名前ね」
「よく言われます。学校の先生なんて、ほとんどの人が最初は読めないんですよ」
「聞いた事無い名前だものね。どう書くの?」
「愛する野原、茲に菜が咲く、で、愛野茲菜です」
「お洒落! ご両親、すごく良いセンスしてるわね!」
ドヤ、と胸を張る。褒められているのは私じゃないけど、私の名前だから誇って良いよね、と思っていたら
「お洒落な名前に負けないくらい自分磨きもしっかりしてるお洒落な子。素敵ね」
と、不意打ち気味に私まで褒められて、少し頬が熱くなった。可愛いとか美人とかスタイルが良いと褒められる事は沢山あるけど、そうやって外見を褒められるより、ダイエットとか、美容とかに気を使って自分磨きをしているという私自身の行動が褒められた気がしてうれしかった。
「褒め上手なんですね」
というと、遠子さんは上品に笑い、
「褒めて心を開いてもらうのが私の仕事だもの。それに、あなたそれ、Fくらいはあるでしょ? スタイル褒められるのなんて逆に嫌じゃない?」
なんていう下品な話題を打ち明ける。私もそういうノリは嫌いじゃないどころか好きまであるから、つい身を乗り出してしまう。
「そうなんですよ! いや、褒められること自体は好きですよ? あんまりいやらしい言い方とか下心見え見えとかじゃなきゃ全然良いんですけど、たまに下心全然隠せてない男子とか、嫉妬むき出しの女子とかが居るんです!」
「あら、おばさんも若い頃に心当たりあるわ。セクハラとアプローチの違いが判ってない男子とか、こう言っておけば敵意隠せると思って口だけ良い事を言う女子、居るわね」
「それです! 敵意! そんな敵意向けてくるなら近付いてこなきゃいいのに! 敵意あるのにわざわざ友達になろうとしてくるんです! なんなんですかね、あれ」
「フレネミーって言うらしいわね、そういうの。フレンド・エネミーでフレネミー」
「わあ、言語化ありがたみ深い!」
盛り上がり過ぎてついついいつものノリが出てしまった。なるほど、さすが心を開いてもらうのが仕事のプロ、と、内心でスタンディング・オベーションする。
遠子さんはひとくちお茶を口に運んで、
「もしかして、呪われてるかもって思ったのは、そういう友達関係?」
そう言った。
ピタリ、と私の中で時間が止まるような感覚が走る。この場所に居ると忘れる事が出来るけど、私の現実を支配しているのは、遠子さんの言う通り、友人関係の……人間関係の悩みだ。
「そうなんです、実は私――」
「ちょっと待って」
意を決して話しはじめようとしたら、遠子さんに止められた。
「私はお祓いをする本人じゃなくて、補佐役? みたいな人なの。専門家がもうすぐ帰ってくるから、そしたら悩みの内容を――」
「その必要はねぇよ」
私を止めた理由を説明していた遠子さんを、なんだか聞いた事があるような気がする男の声が止めた。ギザギザして、乱暴そうな調子で、だけど、少し若い声が私の後ろの方から。振り向くと、境内の入り口には、私が毎日のように見ている学校の制服を着た男子が立っていた。
凍らされそうなほど冷たい青を突き詰めたような黒い瞳、黒い髪。この世の全てを小馬鹿にしてそうなへの字の口元。けれどどこか凛々しさがあるのは、姿勢とスタイルのせいだろうか。細いのに筋肉はありそうな安定感のある佇まい。私は彼を知っている。クラスメートだ。
「た、大光司? なんで居るの……? ていうか、睨まないで」
大光司彼方。接点は全く無いけれど、珍しい名前なのと、学園1のイケメンと噂されている男子生徒といつも一緒に居るから、女子の話題には割と名前が挙がる人物だ。怖くて近づけないという意見が殆どだが、不良好きとか、危険な香りがするのが好き、みたいな人からは、割と人気がある。ちなみに私の彼への評価は「超怖い」だ。待ってホントに怖い。睨まないで。
「なんでも何も、俺の家だ、ここは」
「へ?」
どかどかと歩いて、私の横を通りすぎて、透子さんの横に立つ大光司。ポケットに手を突っ込んだまま、座布団に座る遠子さんを見下ろして吐き捨てる。
「制服見りゃ解んだろ。同じ高校だぞ。お勤め出来るわけねぇだろ」
私ならもう口論にならずごめんなさいしかねない威圧感の大光司。しかし遠子さん、目元の笑みを崩さないまま、
「そんな事無いと思うわよ。同じ高校だからこそ、アフターケア含めて面倒見れるんじゃないかしら」
と、余裕の切り替えし。
「そこまでやれと?」
「そこまでやれと」
食い下がる両者。むろん、私は何も着いていけてない。なにこれ、何が起きてるの?
「馬鹿言え。こいつもこいつだ、同じ高校の仲良く無ぇ異性にえぐい悩みを相談するのなんざ御免だろうが。光峰のとこを紹介したほうがオール・ウィン・ウィン。お引き取り願え」
なんの話か全く分からないけど、なんとなく大光司のほうが優勢……
「あら彼方。藍衣さんの紹介が必要なほどの子だと判断した上で、このまま帰らせるの?」
「ぐっ」
逆転したっぽい。というか本当になんの話をしているんですか?
「あ、あの、これって……」
恐る恐る遠子さんに状況を確認すると、遠子さんは言った。
「このお寺の名前は大光寺よ? 一文字違うとは言え、気付かなかったの?」
お寺の名前も把握してませんでした。だってお寺の名前って難しい漢字ばっかりなんだもん!
遠子さんは続ける。
「私の名前は大光司遠子。ここ、大光寺で尼をしているわ。そして息子の大光司彼方。この寺での……そうね、祭祀みたいなものを担当している。お祓いをするのは、こっちの彼方のほうよ」