愛野茲菜の悩み①
あ、たった今悩みが無くなった。そう感じるほどに、綺麗な景色だった。
ところどころ剥げて木が見えているけど、装飾がいっぱい着いた重い感じの赤い鳥居。くぐった先には深い緑を沢山抱えた木々達。たまに竹。良い味出してる。だけど目の前にズラリと並ぶ石の階段は頂けない。ただ見る分には雰囲気があって良いんだけど、これから登らないといけない事を考えると許せない感じある。
「ちょー神秘! ガチの鳥居エモい!」
湯鬱さを興奮で紛らわせるために、ちょっと盛り気味にテンションを上げる。すぐ後ろを歩いている優香への雑談のつもりでもあった。だけど数秒経ってもリアクションが無い。気になって振り向くと、優香は驚いたように目を見開いて辺りを観察していた。宇宙人でも見たのかな。高校2年生とは思えない小柄さと幼い顔立ち、小学生みたいな見た目で高校の制服をしっかりと着こなしていて、さらにミステリアスでクールな雰囲気がある綺麗な黒目と黒髪、白い肌の3点セット。萌える。可愛い。え、待って、きょろきょろしてるの迷子の小学生みたいで可愛いんだけど。言ったら怒られるから言わないけど。
「優香?」
呼びかけると、優香は「あ」と口を半開きにして、こっちを見て、首を斜めに傾けて、少し俯いてという遠回りな前振りをしてから「いや」と呟いた。
「鳥居じゃなくて山門かな。向かってるの、神社じゃなくてお寺だし、見た目違うし……門だし」
「え、これって豪華な鳥居じゃないの? ていうかサンモンってなに」
「鳥居じゃなくて門だし、サンモンは門の事だね」
言い切って、優香は立ち止まっていた私を越して階段を上り始める。1段上がっても私より背が低い彼女だけど、頭の良さとか振る舞いは私よりずっと大人だ。大人と言っても、高校生基準での「大人」だけど。
「なんか違いがあるの?」
優香の後に続いて階段を上がりながら聞く。すると、優香は「うろ覚えだけど」と前置きをしてから説明してくれた。
「神社にあるのが鳥居。お寺にあるのが山門。ある神様がお隠れになられた時、他の神様が出てこさせるために鳥を木に止めて鳴かせた。神様を呼び起こすための鳥が居る。だから鳥居。対して、お寺はもともと山奥に作られた。山にある門。だから山門。悟りを啓くための三つの関門で、三の門と書いて三門と捩ってるとか」
「うはー、久々のユキペディアだぁ」
少し話を振ると、何故かなんでも情報が出てくる。優香と仲の良い人はこれに対し、親しみを込めてユキペディアと呼んでいる。恐ろしい子なのである。
「寄付金取るよ?」
「え??」
「……あー、いや、今のは忘れて」
頭が良すぎてたまに理解出来ないボケを仕掛けてくるのもご愛敬。
「え、忘れない忘れない。なになに。え、なんで寄付金?」
食い下がって顔を覗き込むと、優香ほんの少しだけ顔を赤くしながら、私から顔を逸らす。
「無理無理、滑ったボケの解説とかさせないで」
「えー、いいじゃんいいじゃん、なんでなんでー?」
可愛くてついついイジってしまう。最近まで、いや、なんならさっきまで、私達の間に不穏な空気があったなんて忘れてしまうくらい――いや、多分、だからこそ、ちゃんと構って貰える事に、ただそれだけの事にテンションを上げてしまうのだ。優香と私の間には、たった今さっきまで溝があった。この神秘的な空間が、その溝を、今だけかもしれないけれど、埋めてくれているような気がした。
そうこうしているうちに階段を上り終える。白と灰の綺麗な砂利の上に、厳かな石畳が真っ直ぐ伸びている。その先に、想像よりは小さな、でも一般的な一軒家よりはずっと大きなお寺があった。石畳の途中で2か所、まっ平に均された石がぽつぽつと続き、小路のようになっている箇所もあった。そのひとつはお寺の隣の一軒家みたいな大きさの建物へ、もうひとつはお寺の裏手へと続いていた。他にも手を洗う場所、ブランコ、人が暮らすのは無理そうな小さな建物がいくつかぽつぽつと立っている。統一感があるのに、情報量はすごく多い。囲んでいる塀と、その周りの木々のせいか、別世界へ来ちゃったような感覚に襲われ、つい振り返る。下から見たらすごく長く見えた階段も、上から見ると大した事は無い。現実世界と繋がっている事に、謎の安心感があった。
「ふう、電波繋がるね」優香はスマホを状態を確認すると、私の肩をポンと叩いた「じゃあ、わたしはあそこのブランコで待ってるから。あとは頑張りな」
「うん、ありが」
言いかけた私の返事を待たずに、優香は石畳の道から外れて砂利道に入り、古いブランコの方へと歩いて行く。せっかく前みたいにイチャイチャ出来ていると喜んでいたのに、ドライなところも以前の通りで、少し残念。
「さて」
ひとつ、深呼吸をする。宗教とかはやってないからマナーが解らない。解らないから怖い。怖いけど、進まないといけない。自分に言い聞かせて、意気込んで、歩を進める。
そうだ、お賽銭、5円玉、と、学生鞄から財布を取り出す。でも、いざ5円玉を取り出そうとしたら、そもそも賽銭箱が無い事に気付く。その変わり、立て看板がある事に気付いた。
『当寺の仏は守銭奴です。お賽銭なんて捨て銭するくらいならお守り買ってください。100円からあります』
なんか罰当たりっぽい。
どうすれば良いのか解らず辺りを見渡すと、他の張り紙を見つけた。
『本堂に向かって「お母さん」と呼び掛けてください。私が出たら当たりです(本堂は今目の前にある大きな建物の事ですよ! 恥ずかしい方は隣にあるインターホンを押してください』
私って誰。あとインターホンあるなら最初からそっちでやれば良いのでは。
多分わざとふざけてい書いているのだろう張り紙の下にまた看板。それには『料金表』と書かれていた。いくつか並んでいる料金の中に目当ての物を見つけた。
『除霊:3万円 ※必要では無い場合、当寺では対処出来ない場合、お断りさせて頂く事がございます』
生々しさに唾を飲み込む。心なしか、鼓動が早くなってきた。体調が悪いような気もしてきた。山門をくぐった後から上がっていたテンションが下がっていく。
さっき5円玉を出し損ねたお財布を開ける。中にある1万円札を数える。5枚ある。足りる。今月のバイト代は全部卸してきた。
もう少し看板を読み進める。マナーとかそういうのは書かれていない。なら、もうあとは当たって砕けるしかない。
インターホンを見つめる。斜め後ろに視線を向ける。ブランコで揺られる優香が、スマホを片手に、だけどスマホは見ずにずっとこっちを見ている。その光景に思わず泣きそうになるけれど、ぐっとこらえて、また前を向く。インターホンを見つめる。
やらなきゃ。
そう言い聞かせ、インターホンに手を伸ばす。私はこれから突拍子の無い事を言いだす予定だ。馬鹿にされたりしないだろうか。そんな不安を飲み込んで、インターホンを押す。
緊張で鼓動まで聞こえてくる中、どたどたと、違うリズムが乗っかってくる。「はぁい」という、少し抜けた、でもどこか色気のある声がして、なんとなく、ああ、当たりの人だ、と思った。そして、出てきた人を見て、本当に当たりの人だ、と驚いた。30代か、もしかしたら40前半にはなっているかもしれない妙齢の女性なんだけど、すごく綺麗な人だった。やわらかい雰囲気で、微笑みが板についたような表情で、まるで安心してと言い聞かせるような優しい瞳で私を見る。
「あら、可愛いお客さん。どうかなさいましたか?」
と、その女性は言う。背丈は一緒なのに、子供と目線を合わせるためにしゃがんでいるような、そんな風景が頭に浮かぶほど、優しさに満ちた話し方に、ああ、この人になら言っても大丈夫だ、馬鹿にされたりしないと確信して、思っていたよりすんなりと、その言葉は出てきた。
「私、呪われていると思うので、お祓いをお願いしたくて来ました」