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死の国日本 ~三玉華瑠美の日常~

作者: 長谷部 慧

 2020年代前半に世界的に大流行した新型コロナウィルス(COVID-19)を他国の力に頼りきった乗りきり方をした日本に、もうあとはなかった。「勤勉な国民性」が失われたわけではなかった。「礼儀・礼節」が失われたわけではなかった。それでも、国民の心は政府から離れ、政府は福祉の重要性を将来のために必要である主張を変えず、現体制、政権を維持し続けた。最もダメージが大きかったのは安全性だ。相次ぐ偽装、隠蔽工作の発見、暴露により「日本人は真面目」という印象を、一市民が信じることはなくなった。全体は真面目なのだろう、勤勉なのだろう、だがその裏で、悪事をたくらみ、企て、実行し、私腹を肥やす輩・・・実際には全体の 1 割満たない数であろうが、その疑心暗鬼が国民のやる気を殺したのは事実だ。もはや、多くの国民、特に若い世代は、国に、日本に、期待することなど、すべてなくなっていた。

 そんな中、業を煮やした一人の若き政治家、国立直素くにたちなおもと率いる未来実現党が、長く政権与党を譲らなかった自民党を総選挙で破った、西暦2041年141代内閣総理大臣所信表明演説は、世界を震撼させた。

 「希望する 60 才以上の人は、二親等以内の人 5 人以上、または全員の署名捺印をもらうことをもって、安らかな死を迎える施設へ入所させ、1 週間から 10 日で死ねるようにする」と宣言。もちろん、選挙公約であったため、その場での反対は、誰にもできなかった。事実上の殺人国家の誕生であった。

 総選挙以前から世界中で問題視されていた国立直素の未来実現等のマニュフェスト「死にたいときに死ねる国」は、それでも多くの若者から隠れた支持をされていた。彼は膨れ上がる社会福祉費の問題を「これひとつで解決できる」と断言した。実際、「いつ死ぬか」「いつまで働けるか」わからない上、この2つのタイミングは同時ではないのだ。だから金を貯えなければならず、使えない。

 「両親の介護があるから、子供は 1 人に抑えよう。」それ以前、多くの日本人家庭が持っていた概念。これを「広義に、子供の、未来の命に対する、殺人にあたる」とさえ断言した。そして、それらの消極的思考が経済を冷やし、将来のお金のために少子化を加速させる。よって、死を与えることを許可し、死のタイミングを選べるように、社会を作り替えたのだ。


 その宣言から、5 年後、三玉華瑠美みたまかるみ 17 才は、中学卒業と同時に、その施設「迎死館 参号館」、通称「マーダーホール」に就職した。寮つき、初任給 30 万、当時の一般的な大学卒業者と同じ額を中卒でもらえる、死を希望しない祖父母がいる三玉家からすれば、ありがたい話ではあったが、祖父母をますます意固地にさせたのは事実だった。

 華瑠美自身は、ギクシャクとした祖父母のいる実家を出たい一心での決意ではあった。両親、その両方の祖父母、7 人家族で過ごした 16 年間は地獄のようだった。「子供は両親の面倒を見るのが当然」という考えで育った両祖父母は、現代の死の政治を全力で否定し、「未来実現党には投票しないんだよな?」と両親に念押しするのは、選挙前のお決まりの光景だった。未来実現党を支持する両親は、自分達は適当なところで死にたいらしい、いつも返答をにごしていた。その態度が気に入らず、両親と両祖父母では、意見の食い違いが絶えず、無言の食卓、凍りついた居間が繰り返されていた。

 華瑠美の主担当業務は簡単だった。昼過ぎから勤務を開始し、迎死者に施設の中庭でラジオ体操を含む、軽い運動、その補助をし、迎死室に戻らせ、夕飯を配膳し、就寝前に医師、看護師が取り付けた翼状針の先にある点滴液容器2つを取りつけるだけであった。点滴液容器には、睡眠薬と、栄養剤、通常の点滴と同じものか、心筋を弱らせ死に至らせる薬、通称「心停止薬」のどちらかが入っている外見が変わらないパックだった。もちろん睡眠薬は固定だ。華瑠美はもちろん、入館している迎死者達にもわからないようにできていた。最初は交換に抵抗のあった華瑠美だが、3 日目には、その抵抗感はなくなっていた。

 迎死者とは言え、死が怖いことは変わらない。そのため、死なない予定の迎死者は、夜の間に総引越しさせられる。そのため、就寝前と起床後で、初対面の人と同室で目覚めることになる。そのため、華瑠美も前日にパックを付けた人と会うことはほぼなく、誰が死んだのかも把握することはできなかった。しかし、「みたま」という名前、名札を付けて仕事するため、稀に「昨日パックつけてくれたわよねぇ」と話しかけられることがある。迎死者が「御霊」を連想し、印象に残る、もちろん、明らかに周囲と比べ若いため、印象に残りやすいことは言うまでもない。当人は、もはや覚える気がなかったが、「死んでくれる人には、安らかな最期を迎えてもらえるよう努力すること」が副業務であるため、「そうですね。よい夢はみられましたか?」と、軽く雑談はする。この時間の華瑠美は、複雑な心境だ。その人を殺さなかった事実に安堵するとともに、就寝直前のパック交換時に声をかけられるかもしれない・・・過去への安寧と、未来への不安が葛藤を起こすのだ。また、迎死者であるため、どうしても話が死や、死後に関することが多く、憂鬱な気分にもなる。高給である理由もここにある。スタッフは、心を壊しやすく、ある日突然来なくなることが頻繁にある。しかしながら、国は、迎死館の運営を当面、取りやめるつもりはないようだ。

 ある日、「みたまちゃん、聞いてくれる?」と少し震えた声で話しかけてきた初老の女性がいた。「今朝ねぇ、起きたら隣の人が亡くなって・・・少し怖くなってしまったのよ・・・」と打ち明けてきた。エンカウントビクティム・・・稀にある、起床まで生きていて、部屋全員を起こすまでに亡くなってしまうケースだ。繰り返しになるが、死は怖い。それは迎死希望者も例外ではなかった。亡くなった遺体は、丁寧に運び出され、夜間の迎死者と同じ場所へ運ばれるが、その間、同室の人間が、遺体を見続けることは事実で、それが自身の死への恐怖を生むのは、自然の摂理であった。エンカウントビクティムは、死亡した当人ではなく、それを目の当たりにした同室の人間を指す言葉だ。

 しかしこの「死が怖い」というワードを聞くと、華瑠美自身は、安堵する。恐怖を覚えてしまったのであれば、それはカウンセラーの領域、職域となり、いちタッフでしかない華瑠美は、手順に従い、カウンセラーのもとまで案内するだけでよいため、憂鬱な時間が少なくて済むためだ。

 カウンセリングルームに案内を終えた華瑠美は、早めの夕食を摂り、夜間作業にはいる・・・自覚はあった、自分が取り付けているパックで人が死ぬ・・・実際に死へ誘っているのは、自分なのだと・・・それでも実家には戻れない、自分を便利な財布のように扱う友人も切り捨てた。複雑な心境ではあるが、楽な仕事でもある・・・この微妙なバランスで、華瑠美の仕事は、今日も終わる。何人が迎死するのか知らないが、「今日の死神の仕事、終了」と、心の中で呟くと、不思議と心が軽くなる。そしていつものように・・・迎死者の就寝する部屋の電気を消した。


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