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営業車に乗ってたら間違えて異世界に行ってしまった話。(仮タイトル)雨内さんと保田くんシリーズ

「年末で道が混んでる上に雪まで降ってきたよ。雪道の運転って県外人からしたらハードル高いんだよな。保田、お前大丈夫か?」

助手席に座っている上司の雨内さんが、窓の外を見ながらぼやいた。


「雨内さん。苗字に名前負けしないくらいの雨男ですけど、今日は雪まで降らせちゃって、年末だからって特別感出しすぎじゃないですか?」

俺は笑いながら軽口を叩いた。


御用納めも終わり、今日から休業の会社も多い中で、俺が勤める会社は30日まで仕事だ。

今日は12月29日。まだこの会社に入社して2年目の俺は、上司である雨内さんと共に、最近取引を始めたK社に年末の挨拶に向かっている。


「クリスマスも結局お前と2人で残業だったのに、年末ギリギリの挨拶回りもお前とか」

雨内さんは、青信号になってもほとんど動かない車を眺めながらため息をついた。

俺が所属する営業5課は若手で形成されていて、上司である雨内さんも30代後半と課長としては若くて、気さくで話しやすい。


「いつまでこの渋滞の中走らないといけないんでしょうか。この先で大型トラックの横転事故ってネットニュースの速報で見ましたけど。迂回路に早く誘導してくれないですかね?」

俺も思わず愚痴を言っていたが、少ししたら、誘導が始まり、迂回路へと進んだ。


迂回路に入る直前に、事故をおこしているトラックを見た。

そのトラックは横転しており、荷台からは沢山の段ボールが落ちて道いっぱいに散乱していた。

単独事故のようで、他に巻き込まれた車は見えない。

「ボディが紫色で、派手なトラックだな。救急車も来ていないし、怪我人はいなかったみたいだね。よかったー」

雨内さんは窓からトラックをみてそう呟いた。


トラックを横目に見ながら、ゆっくりと迂回路へと進んだ。


片側3車線の国道で渋滞にはまっていた沢山の車が誘導されたのは、細い1車線の道だった。

古い家がまばらに立ち並んでいる。


建物がない所は、雪で覆われているが多分、田んぼだろう。

「ここって旧道ですかね?」

細道に大量の車が侵入してきているので車はノロノロと進んでいた。


「だろうね。次、コンビニでもスーパーでも見つけたら寄ってくれない?ちょっと喉乾いた」

雨内さんがそう言っていると、左側に小さなスーパーマーケットが見えた。

「あそこ寄ってよ?」

「わかりました。入りますね」

俺はハンドルを切ると駐車場へと入った。


その店は田舎町のスーパーにありがちな、入り口に手書きのお知らせの紙が貼ってあり、自動ドアの外には箱に入ったバラ売りのリンゴやミカンなどが並んでいる。


「ちょうど昼時だしさ、何か買おうよ。この先、食べ物屋さんがあるとは限らないしさ」

雨内さんの提案で2人でスーパーに入った。


俺たちのように一旦休憩を取ろうと考える運転手はいないようで、今しがた走っていた道路は渋滞しながらかろうじてノロノロと動いていた。

みんな早く目的地に向かいたいのであろうか、俺達の車の後に続いて駐車場に入ってくる車はおらず、お客さんは俺たち以外にはいなかった。


田舎町にある小さなスーパーにありがちな事だが、店内に陳列してあるお菓子はメジャーな物の他に、見たことのないお煎餅や駄菓子が並んでいる。


小さなスーパーなのであっという間に店内を見て回ってしまった。

「おっ。レジ側にお惣菜コーナーがある。コロッケと、おにぎり。保田もこれでいい?」

「あっはい」

雨内さんは、店内で作ったであろう手作りおにぎりと、コロッケとペットボトルのお茶を2人分取ると、レジへと向かった。

ペットボトルは、年末の販促用なのか、販促用のペットボトルカバーが袋に入って貼り付けてあった。


レジは一つしかなく、そこにはダウンベストを着て、ニット帽を被ったお婆ちゃんがいた。


「お兄ちゃん達、そこの渋滞に巻き込まれたの?」

「ええ。大通りが事故で通行止めなんですよ。S市B町に行きたいんですけど、この渋滞の抜け道ってないですかね?」

雨内さんはお婆さんに聞いた。


「あるよ。この店、裏の集落からも入って来れるように入り口が二つあるんだよ。お兄ちゃん達が入ってきた表通りの道じゃなくて、裏側の集落の方から出て、集落を抜けて、南に進む道をまっすぐ行くと、信号がある。そこを左に曲がるとS市のH町に入る。H町の隣町がB町だよ」

お婆さんは少し笑った。


「その道、通れます?雪で通れないとかないですか?」

俺はお婆さんに質問した。


「多分、大丈夫だよ。ここの集落の人の生活道路だからね。でも、念のため雪かき用のスコップを貸してあげるよ。返しに来るのはいつでもいいよ」

お婆さんは入り口の横に立てかけてあるスコップを指差した。

「え?いいんですか?ありがとうございます」

雨内さんはそう言ってお金を払った。


すると、コンビニ袋のような小さなレジ袋に入った唐揚げをくれた。

俺はお婆さんから袋を受け取って鞄の中に入れた。

「この店、明日からお正月休みなんだ。この時間にお惣菜が売れなかったら廃棄するだけだからオマケだよ」


「ありがとうございます」

お礼を言って、お婆さんのご好意で借りたスコップを車の後ろに積んで言われた道に向かった。


「確かに、ナビで見るとお婆さんの言っている方角で合ってますね」

俺は地元の人の生活道路だという、農道を走った。ブルドーザーで除雪をしたようですごく走りやすい道だ。


「地元の人はやっぱり抜け道を知ってるんだね」

雨内さんはそう言いながらパソコンを開いた後、スマホを開いた。

「あれ?調子悪いな。田んぼの真ん中の道だから電波ないのかな?パソコンもスマホも電波悪いな……スマホ3Gになってる!」

「見渡す限り田んぼですから仕方ないですね。でもお客さんの家は電波問題ないですから大丈夫ですよ」

俺はナビを見ながら答えた。ナビはちゃんと動いている。

「あー。スマホ死んだわ。充電忘れてた。パソコンは電波の状況改善したら動きそうだな」

雨内さんはそう言うと、スマホを鞄に放り込んだ。


お婆さんに教わった通り、ずっと信号がない。さすが農業道路だ。

対向車もないから快適に進んで行った。かなり進むと信号があった。片側二車線の道路と合流したからだ。ここを左に曲がる。


「ここまでナビを使わず来ましたけど、ナビを設定しましょう。この道、全然車来ないし、真っ直ぐな道ですから、ハザード出して停まっても大丈夫ですよね」

俺はそう言ってナビを入れた。


ナビの表示は目的地まであと30分だ。

「迂回しているからあんまり距離は変わってないなー。まあ仕方ないか」

雨内さんはナビを見ながら答えた。


しばらく進むが一向に目的地までの到着時間が縮まらない。

知らない田舎道だし仕方がないのかな。道はまた片側二車線から1車線へと変わった。


「何か見えて来たね。集落じゃない?」

雨内さんの言葉通り、目の前には民家がまばらに見えてきた。その奥には小高い小さな山が見える。


「民家が増えて来たね。まあ雪だし焦らずに行こうよ」

雨内さんはお茶を飲みながら呑気にそう言った。


集落の中を進むと、目の前に山を抜けるためのトンネルが現れた。昔のトンネルとは違い、中はLEDで照らされていて明るい。

「田舎町ですけど道は整備されていて走りやすいですね」

俺はそう言いながらトンネルに入った。トンネルは少し登りで、カーブしており、スリップしないか心配しながら走った。


「意外と長いトンネルですね」

トンネルを抜けると、本来走る予定だった片側3車線の国道を横断した。

「よかったよかった。到着予定時間も、あと15分になったよ。さっきの国道のどの辺りで事故だったのかな」

雨内さんはナビを見ながらそう言った。


国道を横切り、山手の方に進むとアポイントをとっているK社についた。

K社への入り口の道路は道が悪くて車がハマりそうになりながら、なんとか駐車場に入ったが、会社は電気がついていない。


「あれ?休みですかね」

「保田、お前ちゃんとアポイント取ったんだろうな?」

「はい。お隣が自宅なので行ってみます」

「自宅前も雪かきしてないじゃないか。社長、旅行にでも行ったんじゃないのか?」

「そんなはず…」

「そうだよな。だって会社の駐車場は綺麗に雪かきしてあるもんな。とりあえず、会社に行ってみようか」


念のため、スコップを車から下ろして、会社の入り口に向かった。入り口のドアは押すと開いた。


「こんにちは。TE社の保田です」

大きな声で言ったが、返事はない。


「不在、ですかね?」

「会社の鍵あけてか?それはないだろう。おい、社長に電話してみろよ」

雨内さんに言われて、俺は社長に電話をした。


社長の携帯にかけたが、事務室から固定電話が鳴る音がする。

「転送電話か。じゃあ、社長の自宅にかけてみろよ」

雨内さんはそう言ってから、

「こんにちは。TE社です」

さっきの俺の声より大きな声で言った。やはり誰も出てこない。


俺は社長の自宅にかけたが、留守番電話にもならずただ呼び出し音が鳴るだけだ。


「おかしいね。どうする?」

雨内さんは、事務室のドアをノックした。すると中から、足音がしてドアを開けてくれた。


「あれ?どちら様?」

そこに居たのは、社長以外の人物だった。

歳の頃は50歳くらいの、黒縁のメガネに、作業服の上からベンチコートを着た、中肉中背の男性だった。


「恐れ入ります。TE社の保田です。本日、社長様と13時にアポイントをいただいてたんですが」

俺の言葉に相手はかなりびっくりした顔をした。


「ここ、廃業して2年経つよ」

俺はびっくりして次の言葉が出ない。

「そうなんですか。じゃあ社長様は、会社の整理にいつもここに来ていたんですかね」

雨内さんは笑顔で男性に聞いた。


「それはありません。ここを管理しているのは不動産管理会社で俺はそこの社員ですから」

男性の言っている事は本当っぽいが、なんだか胡散臭い。


「あの、それなら何故、駐車場は雪かきがされていて、ここは電気や電話が使えるんですか?」

俺は思い切って聞いた。


「駐車場はこの先にある工場の社員用として別に貸しているんだよ。電気は、昔工場として使っていた所を貸し倉庫にしてるんだよ。そして、電話はこの倉庫の管理用」

そう言うと、男性は事務所横の工場に続く扉を開けて中を見せてくれた。確かに、工場の中は、段ボール箱が山積みになっていた。


「じゃあ…前社長の家に行ってみます。車、少しの間停めていいですか?」

あまり納得できなかったが俺はそう答えた。男性は入口から見える位置に停めてある軽自動車に目をやって、

「あの白い軽自動車ですね?わかりましたよ」 

そう答えて倉庫の中へと入っていった。


俺と雨内さんは外に出ようと扉に近づいた。

「先月、保田と来た時は、普通に工場稼働してたよな?何か不思議」

雨内さんは小声でそう呟いた。

「社長は何にも言ってませんでしたよ」

俺は雨内さんの独り言に答えるように小さな声を出した。


扉を開けて外に出ようとした時、足に絡みつく何かに気がついた。足元を見ると、そこに居たのはやせ細った猫だった。

「なんだ猫か。工場に迷い込んで出れなくなってたのかな?」

猫は人間の言葉などわかるはずもなく、足に絡みついてくる。というよりも鞄に寄って来ている。 


「その猫、空腹なんじゃないの?ほら、さっきの店の食べ物、保田のビジネスバッグに入ってるでしょ?」

雨内さんの言う通り、猫はビジネスバッグの後をついてくる。


「とりあえず、建物から出よう。車の側で何かあげたら?敷地内で野良猫に餌付けしてると思われたら怒られるでしょ」

雨内さんの提案に俺は頷き、営業車の側に来た。


「しかし、細い猫ですね」

俺は猫を見た。子猫とは呼べないが、成猫とも呼べる大きさではなかった。

野良猫なのに、不思議な事に、痩せているのに毛並みはくすんでいない。こんなに細かったら、もっと顔つきはげっそりするはずなのに、猫の顔は凛としていた。

もしかして飼い猫が工場に迷い込んだのだろうか。


猫はそんな会話を無視して、鞄をじっと見ている。

俺は鞄の中のレジ袋を出すと、発泡スチロールのトレーに入った唐揚げを出してボンネットの上でラップを剥がした。


「猫に塩分ってよくないんじゃないですか?」

「だからって猫缶は持ってないだろ?腹減っている猫への応急措置だよ。周りの衣、剥がして中だけあげたらどうかな」

雨内さんはそう言いながら、唐揚げを一つ手に取ると、衣を剥がして、鶏肉をトレーに戻し、衣はトレーを包んでいたラップの上に乗せた。


俺も雨内さんの真似をして残りの唐揚げの鶏肉だけを取り出してトレーに戻すと、そのトレーを猫の目の前に置いた。


猫は嬉しそうに鶏肉を食べた。

「今、気が付いたんですけど、このレジ袋の中に、いろんなもの入ってますよ」

俺は袋の中を雨内さんに見せた。

そこには、板チョコ、飴、スナック菓子も入っている。

「何かあのお婆ちゃん、沢山おまけを入れてくれてたね。スコップ返しに行く時、今度はもうちょっと沢山買い物しようよ」

雨内さんは楽しそうな声で言った後、自分の鞄も覗いた。

「あっ。俺のおにぎりにも、オマケがついてる。200mlの牛乳と、飴。お婆ちゃん太っ腹だな」


その時だった。


「めっちゃ美味しい!」

どこからか女の子の声がした。

「もうちょっとないの?」

尚も声は聞こえる。俺と雨内さんは目を見合わせた。


「なぁ、今、すぐ側で……女の子の声……聞こえた?」

雨内さんは怪訝そうな顔をしている。


「ねぇ聞いてる?おかわり欲しいんだけど。すごいお腹空いてるのよ」

声のする方を見ると、それは先程、唐揚げの中身をあげた猫だった。


「ねぇ、無視しないでよ」

猫は怒り気味にこちらを見ている。

俺と雨内さんはこの状況が理解出来ずに固まった。


「何で無視するの?久々の食事なのに」

俺たちは猫を見た。

「雨内さん。俺おかしくなったかもしれません。猫が喋ってます」


俺たちがじっと見ると、猫もこちらをじっと見た。

「私、多分人間なの。でも記憶が曖昧だけど。

いつから猫としてここにいるか憶えてないの。

ただ、朝寒くてお腹が空いて倉庫に間違えて迷い込んだのだけはわかってる。ねぇ、だからその唐揚げの衣でいいからちょうだい?」

猫の声ははっきり聞こえた。


「俺も頭おかしくなってるわ。これは夢!これは夢!」

雨内さんはそう言ってポケットからガムを出すと食べ出した。


俺は怒っている猫をなだめるために唐揚げの衣をトレーに入れた。

「ありがとう!」

猫はそう言うと、衣を食べ出した。


俺はそれを呆然と見ていると、

「今、禁煙中だからガムしかないけど、お前も食え」

雨内さんはそう言ってガムをくれたので口に入れた。


「あー美味しかった。お腹膨れたわ。なんとなく記憶が戻ってきた…。私やっぱり人間だわ」

猫はつぶやいた。

「人間なの?じゃあ何で猫になっているわけ?」

これは夢だと思っている俺は猫に聞いた。

「ここは死後の世界なの?」

雨内さんの声はちょっと震えている。


「ここは異世界。私達はまだ生きているわ。…多分」

猫はそう答えた。

「私、怖い話とかが大好きで、異世界に憧れていていたの。ある日『これであなたも異世界に行ける』ってサイトを見つけて、そこに書いてあることを試したの。…内容は今は思い出せないわ。それで、この世界に来たの」

猫は周りを気にしながらそう答えた。


「何で猫になったの?」

「異世界に来たらすごい田舎でしょ?迷っていたら喉が乾いて。親切な人がお茶をくれたの。それを飲んだところから記憶がないわ。あっ。迷った時、手元の…何かを見たんだけど…それが何だったかは覚えてないわ」


猫の言葉で、

「手元の何かってスマホ?俺はさっき使えたよ?」

そう言いながら、スーツのジャケットからスマホを出して見た。待ち受けはいつもの画像だけど、日付や時間が出てこない。


顔認証で起動したけど、待ち受けいっぱいにあるアプリが何一つ表示されなかった。

「あれ???」

俺は焦って、スマホを再起動しようとしたが雨内さんがそれを止めた。


「どうせこれは夢だ。スマホは動かない。それなら猫の話を聞いてみようよ」

真顔で俺に向かってそう言うと、雨内さんは猫に向かって話しかけた。

「えっと。猫さんは、さっき記憶が戻ってきたって言ってたけど。今まで忘れてたの?」

雨内さんはしゃがんで猫の目線になると聞いた。

「…そうよ。…そうね。何で思い出したのかしら?オジサンの顔みたから?」

猫は首を傾げた。


「オジサンって!たしかに俺はオジサンだけどさ。思い出すきっかけは?」

猫は少し考えてから、空っぽのトレーをツンと触り、

「これ食べてたら『唐揚げ美味しい!あー、鳥天食べたい』って思ったの」

雨池さんは少し混乱した様子で、息を吐いた。

「それで思い出した?」

雨内さんの問いに猫は、頷いた。


「さっきの話だとお茶を飲んでから記憶がないって事だけど。勝手な考察だけど、この世界の物を食べると記憶がなくなるのかな?」

俺は独り言を呟くと、

「多分そうじゃないかしら?SFあるある、よね」

猫は尻尾を振り回しながら答えた。


「じゃあ、他にもそんな人が居るかもしれないわけだ。見つけられないけど。ちなみに、この世界を何だと思ってるの?」

俺の問いに猫の尻尾が止まった。


「うーん。わかんないけど、お茶をくれた人が居るから、他にも人が居る世界としかわからないわ」

猫はそう答えた。


「他にも人が居る世界か…。とりあえず、この建物の中に人が居るのはわかった。これからどうするかだ。まあ夢の中だからなんとかなると思ってるけどね」

雨内さんは楽観的に答えた。


「ねぇ、喉乾いたの。ついでに飲み物もくれないかしら?」

猫はトレーを叩いた。それを見た雨内さんが、自分の袋に入っていた牛乳を出してトレーに注ぐ。


「牛乳!久しぶりに飲むわ」

猫は美味しそうに牛乳を飲み出した。そしてあっという間に飲み終わると、猫は小さな声でつぶやいた。

「思い出したんだけど…この世界に文字は見つからないのよ。電波がないからではないの。スマホのメモ機能も使えないのよ。文字がないから打てないの」

猫は自分の手を眺めながらゆっくりと話してくれた。


「印字されているものは?」

俺が質問すると、

「私はスマホしか持たずにこの世界に来たからわからないわ」

猫の答えに、俺と雨内さんは目を見合わせて鞄の中の物を出した。

雨内さんの鞄には、年末の粗品用のカレンダー、おにぎりなどが入った何も書いていないレジ袋と、スマホ、サイフ、名刺入れ、パソコンが入っていた。

その中から名刺入れを出して中を見る。

「文字は消えてない。印字されたものは消せないんだよ」

雨内さんはそう言って名刺を見せてくれた。


「この世界の文字を探そう」

俺の提案に雨内さんと猫は頷いた。

「まず、あの会社に戻って事務所の電話を借りよう。TE社に電話するんだ。そしてこの世界と、現実が繋がっているか確認しよう」

俺は思いついた案を話した。

「お!それいいな。保田賢いぞ。でも…猫は中に入れられないな。…どうする?」

「じゃあ、俺の鞄に入れます」

車のドアを開けて、鞄に入っている物を全部出した。鞄を空っぽにしてから、猫に入るように促す。


「おい、猫が丸見えだぞ」

雨内さんの指摘で、猫の上からレジ袋を乗せて、見えないように隠した。

「猫さん、息苦しくない?」

鞄の中を覗いて問いかけると、

「全然平気。さっきから寒かったから鞄に入った方があったかくて快適」

猫の答えに安心した。


ここからは気を引き締めていく事にする。

もう一度、会社のドアを開けた。

「すいませーん。TE社の者ですが」

そう言いながら事務所と、倉庫のドアをノックした。


今度は誰も出てこない。

俺と雨内さんは息を呑んで、それからゆっくり事務所のドアを開けた。


中は真っ暗だ。


スマホが使えないからライトがない…。


すると雨内さんはポケットを探り、ライターを出した。

「禁煙中だけど、ライターとタバコがないと落ち着かないんだよ」

そう言い訳をしてから、雨内さんはライターをつけた。


うっすらと揺れるライターの光で辛うじて事務所の中が見える。

「カレンダー類はないね。電話は…文字盤が擦り切れて見えないな」

資料棚は鍵がかかっていて開かないが、背表紙はどれも白紙だ。誰かが来たらまずいので一旦建物から出た。


「本当に文字がない…」

雨内さんはつぶやいて、またガムを口に入れた。

無言で俺にも一つくれたので、俺もガムを食べた。


雨内さんは俺の鞄の猫に、

「とりあえず隣にある『社長の家』に行ってみて、誰か居るか確認してみよう」

と問いかけると、猫は、

「私は、この世界にいる時間が長いせいか、時間が経つとさっき話していた事を忘れるの…。どうしよう。何で?」

と震えている。


何かを食べると思い出すのに、食べてないと忘れていく…。


あ!


「猫さん、俺たちはずっとガムを食べてるから忘れないけど、『猫』はガムを食べれないから…どうする?」

猫の答えは意外な物だった。


「それなら人間の仲間を見つけて、みんなでガムを食べながら考えてよ。私は忘れていってしまうから、役に立てないかもしれないわ」

猫の声は沈んでいた。


「ようは忘れても思い出せばいいわけだよな?」

雨内さんは何かを思いついたようで鞄の中のレジ袋から、ペットボトルの販促用オマケのペットボトルカバーを出した。それはレッグウォーマーのような筒状の形のペットボトルに被せるだけの物だった。袋状にはなっていない。

販促品なので、飲料メーカーの名前と、お茶の葉の絵が書いてある。


「ここに猫が入ったら、猫の腹巻きみたいじゃない?これには飲料メーカーの名前という『文字』がある。それに加えて、腹巻になる部分に俺たちの名刺を挟んでおけば、常に文字と触れている。だからもしかしたら忘れないんじゃない?」

雨内さんの提案に俺は目を見開いた。

「雨内さん、頭いい!」

早速、猫の頭に被せて、それから腹巻きのようになるように無理矢理ペットボトルカバーを着せた。


「これ暖かい!」

喜ぶ猫のお腹の部分に2人分の名刺を突っ込む。

「はは!『おひねり』みたい」

雨内さんは笑いながら猫を見た。


猫は、お腹の名刺が心地悪いのか身じろぎをしている。

「我慢してよ」

俺は猫の背中を撫でた。

「女の子に気安く触れるなんて有り得ないわ。学校では…学校?私、学生みたい」

「少し思い出せたなら、文字の効果があったみたいだね」

俺は、なんとかこの奇妙な夢から覚めるために、社長の家まで歩いて行き、インターフォンを押した。


しかし、誰も出てこない。


ここは建物はまばらで、社長の家から一番近い建物でも50メートル先くらいだ。

そこまで歩くか?

俺は悩んだ。


「ここが留守なら、やはり会社に行って、さっきの男性を探そう」

雨内さんはそう言ったので、それに従う事にした。


「あの男性になんとか食べ物を口に入れたもらおうよ。何かいい案ない?」

雨内さんの提案に俺は色々と考えた。

「これが夢なら、無理矢理口に飴玉を入れるとか?」

「バカ、オジサンの口に指入れるとかどんな罰ゲームだよ」

雨内さんは身震いをした。

「文字を触ってもおもいだすとしたらペットボトルをあげる…とか。ここにまだ飲んでいないペットボトルがあります。ペットボトルのラベルは文字がいっぱいありますよ」

俺の案を気に入ったのか雨内さんは、

「よし!それで行こう。もしも、あの男性がこの世界の人間で、俺たちを追いかけてきた時のために車のエンジンをかけておこうな」

雨内さんはそう言うと、車のエンジンをかけた。


それから、もう一度、会社に行った。

「こんにちは。TE社です!」

雨内さんは、倉庫の扉を開けて大きな声で叫んだ。


すると、奥から先ほどとは違う、背の小さい細い初老の男性が出てきた。

「お兄さん達、どうしたの?」

初老の男性は私達をみて質問をしてきた。

「ここに車を停めさせてもらいましてありがとうございます。これ、よかったら飲んでください」

雨内さんは男性にペットボトルを押し付けた。


男性の手の中にあるペットボトルを見ると、ラベルが剥がしてある!

雨内さん、何で??

これって意味ないんじゃ…。

俺は困惑したが、雨内さんは自信ありげな顔をしている。


「この冬の新作なんです。我が社で開発した物なのですが飲んで頂けませんか?」

俺は雨内さんの唐突な言葉に困惑した。うちはコンサルタント社であって、食品会社じゃない。

この人は何を言い出すんだ???


「このお茶、実は試作品なのです。

私達は今商品開発の真っ只中で、お会いした方皆様にお渡しして感想を伺い、商品の改良に役立てさせてもらってます。

お手数ですが、今お飲み頂けませんか?」

雨内さんは畳み掛けるように男性にお願いをした。


男性は困惑した顔で雨内さんを見た後、ペットボトルを開けてお茶を一口飲んだ。


何も起こらない???

男性はこの世界の人間なのか…。


「えっと、このお茶、よくあるペットボトルのお茶…ですね。飲み慣れてないから苦手です」

男性の感想はいたって普通だった。


「…そう…ですか…ありがとうございます」

雨内さんの声から落胆が感じられた。

「ところでオジサン。ここ…って…?」

目の前のオジサンは雨内さんに向かって『オジサン』と話しかけて戸惑っている。


「…どうされました?」

雨内さんが聞き返した。

「私、何でここにいるんでしょうか?こんな寒い所に」

目の前のオジサンの困惑した様子をみて、俺は内心ガッツポーズをした。


「オジサン、この工場の人じゃないんですか?」

俺はオジサンに話しかけた。

「え?あ?私がオジサン?」

工場から出てきたオジサンは戸惑っている。この状況が長く続くと、人が集まってきてやばい事になるかもしれない。

俺は、一歩前に出ると、

「すいませんが、車が雪にハマってしまって。手伝ってもらえませんか?」

と言って強引にオジサンを連れ出した。


そして、車の前まで行くと、ガラス越しに写る姿を見せた。

「え??私、オジサン?」

混乱している様子なので、

「お茶を飲んで落ち着いてください」

と言って強引にお茶を飲むように促した。


オジサンはお茶を飲むと、まじまじとガラスに写る自分の姿を見た。

「これが私じゃない事だけはわかる」

自分の顔をみて呟くオジサンを見て、俺と雨内さんは安堵した。

「あなたも僕達と同じ、この世界の人間では無いのですね」

雨内さんの言葉が理解できないのかはじめはキョトンとしていたが、やがて険しい顔になって、「…多分…」とただけ答えた。


「緑茶が苦いならこれを」

そう言って雨内さんはキャンディを取り出した。キャンディの包み紙には『いちご味』と大きく書いてある。


オジサンはそれをじっと見て、それからゆっくり開けると口に入れた。

「ゴミは捨てずに握っといてください」

雨内さんはオジサンにそう言ってから、

「貴方は…どこから来たんですか?」

ゆっくりした口調で雨内さんはオジサンの目をみて言った。


猫の理論が正しければ、飴が口にある限り、このオジサンは正気に戻るかもしれない。

「…わからない。でも…異世界へ行く話を読んで、異世界に憧れてた。ここに来た時は嬉しかったけど…戻れなくなって」

オジサンは虚な目をした。


「このオジサン、もしかして飴、飲んじゃった?」

雨内さんはそう言って、急いでまた飴を渡した。今度は開封して、飴玉そのものを渡した。


オジサンはまた口に入れた。

雨内さんは、オジサンが飴を口に入れたのを確認してから、飴のゴミをオジサンのポケットに押し込んだ。


「オジサン、この倉庫にはまだ何人か人がいるの?」

俺はオジサンに聞いた。

「…いるよ。全員、異世界から連れてこられたんだと思うけど、確信はない」

ここから少し考えた。


「猫、ねぇ。猫さんはどう思う?」

俺の問いに猫は鞄から顔を出した。

「貴方の本当の姿は…オジサン?」

猫はオジサンに問いかけた。

「嫌。違うと思う。ここに連れてこられた人は多分、皆若い人だと思う」

とオジサンは答えた。

「やっぱり?私もそう思うの。俗に言う神隠しにあったやつよね。きっとこの世界を壊さない限り、元に戻れないと思う」

猫の言葉にオジサンは反応しない。


「ねぇ、このオジサン、きっと私より長い間この世界にいるのよ。だからそんな飴玉くらいじゃ全然、普通に喋れないわ。私のようにお腹いっぱいにして、それから文字のある物を身につけないといけないと思うの」

猫はあくびをしながら答えた。猫の考察を聞いた雨内さんは、先程買ったおにぎりをオジサンに渡した。


「お願いです。これを食べてください」

そう言ってオジサンにおにぎりを渡した後、

「俺たちも食べよう。空腹は大敵みたいだからね」

と俺にもおにぎりをくれた。


俺と雨内さんとオジサンは、営業車の前で立っておにぎりを食べた。

シュールな光景だ。


「私、もう眠い…猫の本能に勝てない…」

猫は俺たちがおにぎりを食べている間に寝てしまった。


食べ終わると、雨内さんは、すぐにまたガムをくれた。

「これ。何かを食べたままでいないといけないらしいから。ガムのストックが無くなる前に帰ろうぜ」

そう言って、ガムをまた口に入れた。


「オジサン、何か思い出した?」

雨内さんはもう一度オジサンに話しかけた。


「あっ!少し。でも、ぼーっとすると何も考えられなくなる」

オジサンの言葉に雨内さんは、ガムと飴を出した。

「保田、チョコレート出せ」

そう言われて、チョコレートを出すと、

「この3つのうちどれかを口に入れて、なるべく長い時間飲み込まないで」

雨内さんはオジサンにそうお願いをした。


オジサンは無言で板チョコを手に取ると、包み紙を開けて、小さく割って口に入れた。


雨内さんはそれを見ながら、販促品のペットボトルカバーを出して、オジサンの腕にリストバンドのように嵌めさせた。


もちろん、ペットボトルカバーの中に、俺と雨内さんの名刺を入れて。

「これで文字に触れているから多少大丈夫だろう」

俺たちの予想通り、オジサンは会話ができるようになってきた。


「この倉庫は何の倉庫?」

雨内さんの問いかけにオジサンは、

「この倉庫の物はこの世界にとって大切な物で、この倉庫の中の物を作るのも、管理するのも異世界から連れてこられた人。

多分倉庫の中にいる人は、みんなこの世界の人じゃない。

そして、この世界は、他の世界を『この倉庫の中の物』を使って占拠して乗っ取ろうとしているみたい」

オジサンはそれだけを言うと口を閉ざした。


「オジサンの仕事は何なの?」

雨内さんはオジサンを怖がらせないように、ゆっくりとした口調で聞いた。

「私の仕事は…。青い物は、青い箱へ。赤い物は赤い箱に入っているか確認する係。私が確認した後、その箱を駐車場に停まっているトラックに積んで何処かに運ぶ」

オジサンは小さな声で言った。


「どこに運ばれるかは知らないんだね?」

「はい。ただ、赤い箱と黄色の箱は一緒に運ぶけど、赤い箱と青い箱は一緒に運ばない。それだけは知っている」

オジサンは周囲を確認するようにさらに小さい声になった。

そして俺を指差した。

「多分、狙われたのは君。この世界は25歳以下の人を連れてきて、その人の魂のカケラをもらって何かを作っている…ような気がする。どっかで聞いた。…でも思い出せない」

オジサンは尚も周りを気にしている。


「そろそろいなくなった事がわかる。仕事が滞っているはずだから」

そう言ってから次は雨内さんを見た。

「君がこの世界の人間じゃないとわかると危ない。隠れた方がいい。危険だ」

オジサンはそう言うと仕事に戻ろうとした。

そんなオジサンの腕を雨内さんは掴んだ。


「どうすれば戻れるんですか?」

雨内さんは真顔で聞いた。オジサンは少し考えてから、

「この世界は小さいらしい。だからそう遠くない所に『この世界の果て』があるらしい。それを壊せばいいらしいけど、よくわからない」


雨内さんはオジサンの腕を掴んだまま何かを考えた。

それから、

「わかりました。オジサンはここに残ってください」

そう言うと、後部座席のドアを開けた。

「元の世界に帰りたいでしょ?この車は、元の世界から来た物だから、乗るともっと思い出すかもしれない」

そう言って有無を言わさない目をした。


オジサンはその圧に押されて渋々乗った。オジサンの横に、猫が入った鞄を置いた。

これで車から降りにくくなった筈だ。

俺と雨内さんは、車には乗らずに外から話しかける。


「保田。カレンダーを開封して見せてやれ」

そう言うと、カレンダーを鞄から出して俺に渡した。

俺はカレンダーを開封してオジサンに手渡した。その間、雨内さんは自分の鞄からボールペンを出して、袖を捲ると、腕に自分の名前と俺の名前を書いた。


「ほら、保田も書け。この世界に飲み込まれないように。見えるところに書くと、俺たちはこの世界の人間じゃないってバレるから見えないところに書けよ」

俺は雨内さんを見て頷くと、ペンを受け取り、それから袖を捲り、腕に俺と雨内さんの名前を書いた。


「名刺入れと財布は個人情報の塊だ。これはスーツのポケットに入れとけよ。これで、やれる事はやった」

雨内さんは満足そうだ。


それとは対照的に、オジサンはカレンダを手にしたまま動かなくなってしまった。

「オジサン?」

俺の呼びかけにも反応しない。

「大丈夫ですか?」

もう一度呼びかけた。


すると、オジサンは真っ直ぐカレンダーを見たまま早口で話し出した。

「ここは狭間の空間。ここに呼ばれた人は、異世界へと飛ばされる。乙女ゲームの主人公に転移したり、悪役令嬢に転生したり。聖女として転移する者や、勇者になる者もいる。

狭間の空間に呼ばれたが、転移、転生できなかった者は、記憶を消されて『転移や転生のための薬品』の製造に従事させられる」

一気に言葉を吐き出した後、オジサンはこちらを向いた。


「私は異世界に憧れて自ら迷い込んだから転生者に選ばれなかった者」

オジサンはそれだけを言うと無言になってしまった。


「転移者や、転生者として選ばれる者は法則がある?」

俺の問いかけにオジサンは首を振った。

「帰る方法は知ってる?」

雨内さんの問いかけにもオジサンは首を横に振った。


「オジサン、とりあえず飴を食べてよ」

俺は包み紙を開けた飴を手渡した。

オジサンはゆっくり飴を口に入れる。


すると、オジサンが光って、高校生くらいの女の子の姿になった。

突然の事に、俺と雨内さんは声が出ないが、

「さすが…夢だな…」

雨内さんは絞り出すように呟いた。



「さっきの猫にも何か食べてもらいながらカレンダーを見てもらった方がいいと思う」

女の子はそう言うとチョコレートを置き、鞄の中で眠っている猫を引っ張り出した。

「ねぇ、起きなさいよ。人間に戻りたくないの?」

女の子はそう言いながら、乱暴に猫を揺さぶった。

「…うーん。眠い…でも戻りたい…」

猫は、なすがままにされている。眠気の方が勝っているようだ。


「それならこれを見なさいよ」

女の子はカレンダーの上に猫を乗せて、チョコレートを手に取ると、

「起きなさいよ!」

そう言いながら猫の口にチョコレートを押し込んだ。


猫はびっくりして目を覚ますと、カレンダーを見た。


しばらくすると、猫は光って茶髪の女の子へと変化した。

「寒い!なにこれ!」

女の子は、Tシャツにジーンズ姿で震えている。

「夏からやってきたのね」

高校生くらいの女の子が、茶髪の女の子を見てそう言っていると、会社から人が数人出てきた。


「やばい見つかったかな。保田、車に乗れ!」

雨内さんは運転席に乗って、俺は助手席に乗った。

「とりあえず国道を目指そう」

そう言って雨内さんは車を急発進した。来た道を戻っていく。

「明日で仕事納めな筈だったのに、どうなってるんだよ。夢なら早く覚めろよ!」

雨内さんは大きな声で独り言を言った。


バックミラーを見ながら雨内さんは焦っている。

「あいつらトラックで追いかけて来だぞ。しかもメチャクチャ早い!」

振り返ると、すごいスピードで追いかけてくるトラックが見えた。

追いつかれる前に、あの広い3車線の国道に出た。


国道をTE社の方に向かって走らせていく。

「後部座席の2人はチョコを食べ続けて!」

雨内さんは車を走らせながら言った。


「やばい!あいつらこのまま突っ込んでくるかも!」

雨内さんはそう叫びながら、急ハンドルを切ってターンする。

「さすが軽自動車!小回りききますね」

俺は、雨内さんの急ハンドルを見ながら言った。


トラックもブレーキ音を鳴らしながら、ターンをしてついてこようとする。


「逃げきれないかも!」

雨内さんは、またハンドルを切りながらそう言った時だった。

茶髪の女の子が後部座席の窓を開けて、おもむろにスコップを手に取り、

「おりゃー!」

叫び声を上げて急ハンドルを切っているトラックに向かって投げつけた。


スコップはトラックのフロントガラスを直撃した。そして、そのまま横転した。

トラックの荷台から沢山の段ボールが落ち、段ボールの中に入っていたガラス瓶が勢いよく飛び出すと、地面に叩きつけられて割れ、真っ赤な液体と、真っ青な液体が流れ出した。


2つの液体が混ざり、紫色の液体の湖が出来た。するとそこからモクモクと煙が出て、辺り一面を覆い隠した。

先ほど窓を開けたせいで、煙は車の中に入ってきて、何も見えなくなった。


ゲホッゲホッゲホッ


目を閉じて咳き込んだ後、目を開けると、そこは渋滞にはまっている営業車の中だった。

助手席には雨内さんがいて、苦しそうに目を閉じて同じく咳き込んでいる。


…今、白昼夢を見たような…


「雨内さん!」

俺の声で雨内さんは目を開けた。

「保田!助かったのか?…って…あれ?…夢?」

雨内さんは混乱したように俺を見た後、前を見た。

「渋滞…」

そう呟いてから安堵した顔をした。


「ハハハハ!なんか一瞬、目を閉じた時に悪い夢を見たんだよ」

雨内さんは俺を見てそう言った。

「俺もです。非現実的な夢でした」

そう話しているとまもなく、迂回路への誘導が始まった。


トラックの横転事故だったようで、迂回路に入る直前に横転したトラックの側を通った。


横転していたのは飲料メーカーのトラックで、荷台に積んであった葡萄ジュースの紙パックが散乱しており、その紙パックが後続の車に轢かれて、あたり一面、紫色のジュースの海と化していた。


それを見た俺と雨内さんは絶句した。

「ごめん、保田。年末の挨拶、俺行けないわ」

雨内さんの顔色が変わった。

「…私も今日はちょっと辞めておきます」

夢の中で見た紫色の液体が溢れ出す光景と重なって、気持ちが急降下し、今日はこのまま引き返したくなった。


帰りの車は2人とも無言になった。

本当は、訪問予定だったK社に電話をしてアポイントメントのキャンセルを依頼しないといけないが、K社に電話をするのがなんとなく怖かった。


急いでTE社に戻って、会社の固定電話からキャンセルの電話をかけた。

K社の社長は笑いながら、「年初でも顔を出してくれ」と言っていた。


よかった。よかった。

あれは白昼夢だったんだ。そう考えながら、スーツのジャケットを脱いだ。

あれ?ワイシャツの袖のボタン外したっけ?そう思って袖口を見ると、袖を捲った場所には、雨内さんと自分の名前がボールペンで書いてあった。


「雨内さん!」

俺は、雨内さんのデスクに行って、そっと袖を捲って見せた。

俺の腕を見た雨内さんは、自分の腕も見た。

すると、雨内さんの腕にも、俺と雨内さんの名前が書いてある。

雨内さんも俺もなにも言えずに、呆然とした。


そんな時だった。

「雨内さんと、保田くんに来客です。『アポイントはないけど、どうしても会いたい』って人が来てます。来客用ルームにお通ししてあります」

そう言われたが、気持ちの切り替えが出来ずに混乱したまま来客用ルームに2人で向かった。


ドアをノックして中に入ると女性が応接用の椅子に座っていた。

30代から40代くらいのその人はニコニコと笑っている。

「はじめまして。塙と言います」

女性は立ち上がるとお辞儀をした。


「本日はご来店ありがとうございます。ご指名頂いたようですが、ご紹介でのご来店ですか?」

雨内さんが一歩前に出て挨拶をした。

「いえ。違います。どうしてもお礼が言いたくて。あの異世界で私を助けてくれてありがとうございます」

そう言って、女性が鞄から出したのは、俺と雨内さんの名刺と、そして販促用のペットボトルカバーと、チョコレートの包装紙だった。


「高校1年生だった私は、友達から聞いた『異世界へ行く方法』を一人で試して遊んでいたんです。ある日、異世界に行くことが出来ました。でもそこから記憶が無くて、気がつくとオジサンの格好で倉庫にいるところを、お二人に助けられたのです」

女性の言葉で冷や汗が出てきた。


「あれは…夢じゃなかったんですか?」

俺が聞くと、

「ええ。私はうっすらとおにぎりを貰った辺りから覚えてます。トラックが横転して、目が覚めると私は自分の部屋に居ました。…高校1年生のままで」

女性は古ぼけた俺たちの名刺を眺めた。

「高校生が、どこかの会社に電話をするのは勇気が必要です。でも勇気を振り絞って、名刺に書いてある電話番号に連絡してみたら、そんな人は居ないと言われました」

女性の言葉に「はあ…」と雨内さんは気の抜けた返事をした。

「私はどうしたものか、と色々と考えていると板チョコの包装紙が目に留まりました。

賞味期限が…私のいる世界より、25年先だったのです。未来から私を助けに来てくれたんだとあの当時の私は考えました。

そして…『あと1日で仕事納めだ』と言っていたのも覚えていたので、お二人にとって12月29日の出来事だったと考えたんです」

女性の言葉に雨内さんは何も言えずにいる様子だ。

「じゃあ…塙さんにとって25年前の記憶なんですか?」

俺は疑問に思った事を口にした。

「ええ。お二人からしたら、きっと今日の記憶ですね」

「なんで『今日』だと思ったんですか?」

俺は興味が湧いて聞いてみた。

「5年ほど前から12月29日になるとこちらの会社に電話をして、お二人が在籍されていないか聞いていたんです。今日、電話をしたらお二人が在籍されていて外出していると言われたので、急いで来ました」

塙さんは笑顔で笑った。


「塙さんは今までどうしてたんですか?」

雨内さんは、少し落ち着いたのか声をかけた。

「異世界から戻って、どうしてこうなったのか考えて、考えに考えて物理学を専攻しました。それが功を奏して、今は海外の研究機関にいます」

そう言うと塙さんは名刺をくれた。

「お二人のお陰で今があるので、本当に感謝しています」

そうして、この後、3人でご飯を食べる約束をして一旦、塙さんは帰って行った。


怒涛の1日が過ぎて、塙さんとの待ち合わせの場所に行こうと勤務先を出た時だった。

「すいません、保田さんですか?」

そこに立っていたのは、茶髪の女の子だった。

…猫だ!…。


「もしかして猫?」

女の子は俺の呼びかけに満面の笑みを浮かべて、

「はい!」

と言った。猫は海外留学中の大学3年生だった。

「年末になっので、急いで日本に戻ってきました!私の事、わかってくれるんですね」

猫と合流して、それから『オジサン』だった塙さんの待つ店へと急いだ。


「ちゃんと話すのは初めてですね、保田さん」

「猫は2枚の名刺をみて、なんで私が『保田』だってわかったの?」

俺の質問に猫はニヤニヤした。

「それはですね。雨内さんの名刺には課長と書いてあったからです。年上が雨内さんだと思ったの」

「なるほど…。猫は…猫って変だね」

「フフフ。私は盛山っていいます」

「盛山さんね。わかった」

俺の頷く顔を見て、猫…じゃなかった盛山さんはやっぱりニヤニヤしている。

「盛山さんが異世界に行ったのはいつ?」

その問いかけに、盛山さんはフッと息を吐いて、

「夏。今年の夏に海外留学したんだけど、留学当初はなかなか友達が出来なくて。暇すぎでネットを見ていたら異世界トリップのやり方が出ていたの」

「それで試したの?」

「うん。元にもどれてから、年末になったら日本に行こうと思ったの」

そう言って名刺2枚とペットボトルカバーを見せてくれた。

「雨内さんと保田さん見てて、こんな上司や先輩だといいなって思ったから、来年TE社受けるわ。絶対に受かってこの支店に来てみせるから」

盛山さんは強い口調で言った。

「ハハハハ…」

本当に盛山さん、入社してくるのかな?わからないけど、今は楽しく飲む事だけを考える事にした。



この後、雨内さんも合流して4人で飲み明かした…。

異世界ってなんだったのか……。




いかがでしたか?

初めて異世界ものではない小説を書いてみました。

反響が大きかったら上司と部下シリーズにするかも?

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