Ⅱ・11月1日
いつの間にかソファで朝を迎えていたようだった。充電器に繋いだままのスマホは、百パーセントを示していたが、ニュースを検索するなんて気にはなれない。もし今テレビを点ければ、全てのチャンネルで"TAMTAM"の動画を、流している事も予想は出来る。
昨日の今日だ。
今、静かな朝を迎える事は出来たが、これからどんな渦に巻き込まれるかは分からない。それなら暫くの間、全てのものから目を逸らし、一瞬の静かな朝を堪能してもいいのでは? そんな甘い考えが浮かんだが、自分への甘さは、葉佑の一言で終了させられる。
「おお、光平。起きたか?」
シャツの胸元を開けさせた葉佑が、ソファの空いた席に座るでもなく立っていた。
「あれ? お前帰っていなかったのか?」
「帰れる訳がないだろ。一晩大変だったんだから」
「ああ、ごめん」
「謝らなくてもいいさ。これが俺の仕事だ。それより、あの動画はやはりフェイクではなさそうだ。俺も全部確認したし、詳しい分析も今、捜査二課でやってくれているんだけど。さっき連絡が来て、フェイクではない。作り物じゃなく本物だって」
「お前も全部見たんだな」
「ああ、昨日アップされていた、六つの動画は全部見たよ」
「それで? それでどうだった?」
「田村周平で間違いないよ。全ての殺害は田村周平の手によるものだ。アンデレ、田村浩之。フィリポ、田村晃。小ヤコブ、田邑春夫。ペトロ、田村俊明。トマス、田村優希。そして大ヤコブ、多村仁。六人を殺したのは間違いなく田村周平だった」
「で? 動画はその六つだけなのか? 他の十二使徒は?」
「今のところはその六つだ。ただ……」
「ただ……?」
葉佑が困った顔を見せる。ただ、何だと言うのか。
「To Be Continude.だとよ。ふざけやがって。奴はまだ動画を持っているはずだ。それを出し惜しみして、愉しんでいるんだよ」
「続くって、言っているんだな」
「ああ、動画を六つアップしたあと、そう書き込んできやがったよ」
「って言う事は、やっぱり"TAMTAM"は二人だな。バルトロマイ、田村周平を殺した奴が、今そんな書き込みをしている"TAMTAM"って事か」
「そう言う事だな。お前が言っていた通りだよ。"TAMTAM"は田村周平だった。あの田邑春夫のメールの相手、S・TAMURAも田村周平だろう。ヨハネの動画はアップされていなかったけど、七人を手に掛けたのは田村周平だ。そして田村周平を殺した奴が二人目の"TAMTAM"って訳だ。全部お前が言っていた通りだった。お前のな。……って、まさかお前が二人目の"TAMTAM"じゃないだろうなあ。文章作法も知っていたし」
「はあ?」
一晩寝なかったせいで、葉佑の頭は可笑しな事になっていた。
「すまない。光平のはずがないんだけどな。でも全部お前が言った通りだからさ」
「お前なあ、俺のはずがないだろ! サイモン神父と田村拓海が殺された時も、一緒にいたんだし。ああ、思い出した、あの防犯カメラ。晃平さんに頼んだあの防犯カメラ。あのカメラに何かが映っていれば、二人目の"TAMTAM"が映っているかも」
「ああ、そうだな。もう待つ必要はない。警備会社に強制的に提出させるか」
田村周平の殺害を収めた動画があるなら、そこには間違いなく、二人目の"TAMTAM"が映っているはずだ。だが自分を映し出した動画など、アップするとは思えない。それならやはりあの防犯カメラが決め手になるだろう。少なくとも田村拓海はあの庭に倒れていた。あのオキザリスの庭に——。あのカメラが庭を捕えていたら、何かが映っているはずだ。
「——あ、はい。松田です。あ、おはようございます。あ、はい。分かりました。すぐ向かいます」
「誰から?」
「田村さんだよ。田村巡査部長」
「えっ? 晃平さんがなんて?」
「今すぐ東新宿まで来てくれって。あの警備会社まで」
「防犯カメラの件だな。何か映っていたって事だ」
「二人目の"TAMTAM"が映っていたって事かも。今すぐ確認しに来てほしいって」
スマホをポケットに滑らせ、リュックを背負う。
テーブルの上に置きっ放しにしていた、B5のノートを手にし、ジャケットを羽織った葉佑に続く。
呼び出された警備会社の応接室に、晃平は一人で座っていた。その顔は葉佑と同じで一晩眠っていなかったのか、酷く窶れているように見えた。
「晃平さん、お待たせしました。それで防犯カメラの映像は?」
「ああ、今、ディスクに落として貰っているところだ」
「田村さん、ありがとうございます。それで? それで映っていたんですね」
「ああ、あの防犯カメラは、しっかりと田村拓海が殺害されるところを捕えていたよ」
晃平の言葉に一面のオキザリスを思い出す。
来年の春のために球根を植えていた田村拓海。自分が死ぬ事を知りながら誰のために球根を植えていたのだろうか? サイモン神父のためなのか? いや、違う。自分が殺される事を知っていた田村拓海は、サイモン神父が殺される事も知っていた。
「それで? それで誰が田村拓海を殺したんですか?」
葉佑が晃平に迫っている。
「それがだな。それが——」
どうして言い出せないのだろうか? 言葉を詰まらせる晃平の目をじっと見る。
「晃平さん、誰なんですか?」
「ああ、それが信じられないんだが。田村慎一だった」
「えっ? 田村慎一? タムシンですか?」
突拍子もない声を出した葉佑に、先を越されたような気がして、すぐに驚く事が出来ない。だが葉佑のように、驚きを露わにしなかったぶん、まだ脳には考える余地がある。
「ああ、俺も今でも信じられない。だから映像を見て、確認して貰いたかったんだ。何で殺されたはずの田村慎一がって」
「お待たせしました」
晃平が一人待たされていた応接室に、警備会社の人間だろうか一人の男が入ってきた。見覚えのあるその顔に、近藤と名乗られた事を思い出す。
「近藤さんですね。ご協力ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ遅くなって申し訳ございません。新宿カトリック教会の責任者の方に許可を取ってと思っていたんですが、あんな事になってしまって。私の一存では何も出来ないので、本社に許可を取っていまして、すみません。遅くなりまして」
申し訳なさそうに話す近藤が、晃平にディスクを渡している。
「ありがとうございます」
「それでその映像は今見る事が出来ますか?」
「ええ、そのディスクを再生頂ければ。それかちょっと場所を移して頂ければ、先ほど田村さんにお見せしていた映像をご覧いただけますが」
「すみません、すぐにお願いします」
田邑先生の死に様を目にする事には大きな躊躇があったが、今は何の躊躇いもなく、田村拓海の死に様を目にする事が出来る。それは田邑先生と言う近さにない、人間の死に様だからだろうか。いや、目を閉じれば球根を植える田村拓海の姿は、すぐに浮かべる事が出来る。一晩経った事で、ただ落ち着きを取り戻しただけなのかもしれない。
応接室から隣の部屋へと移動する。
晃平に促され、モニターの前の椅子に、葉佑と並んで座る。振り返って晃平を見ると、何やら近藤に指示を出しているところだった。
「それでは流しますね」
近藤の声と共にモニターの電源が入る。
画面が一瞬砂嵐になり、葉佑が唾を呑み込む、微かな音が聞こえたと同時。砂嵐だった画面が庭だと思われる静止画を映し出す。
見覚えのある庭だった。一面にオキザリスが咲いている。静止画だと思ったその庭に黒い影が侵入する。黒い影はカメラの後ろ、教会のドアから出てきたようだった。
画面の中央、オキザリスの庭の中央に立つ黒い影。一瞬ではあったがカメラが、黒い影のその顔を捕えた。
間違いない。田村拓海だ。
少しずつ目が慣れ、黒い影が黒いキャソックである事を知る。オキザリスの庭に立つ田村拓海。あまりにも静かなその佇まいに、静止画であるような感覚さえする。
その時だ。
教会の中からもう一つの影が現れた。もう一つの影の顔はまだ見えない。だがその背格好から男である事は分かる。男がゆっくりと庭の中央に立つ田村拓海に近付く。田村拓海が静かに男の前に跪く。
そしてその数秒後、男が手にした大きな何かを振り下ろした。
跪いていたはずの田村拓海が静かに倒れる。男がもう一度、手にした大きな何かを振り下ろす。
——タダイよ! 斧に首を刎ねられ、息絶えよ!
あれは斧なのだろうか?
斧が振り下ろされ、田村拓海の首を捕える。男が斧を持ったまま田村拓海から離れる。カメラが男の顔を捕える。
——田村慎一だ。
晃平が言ったように、田村慎一で間違いはない。
教会の中に戻ったのか、男の姿が画面から消える。オキザリスの庭に倒れた田村拓海だけをカメラが捕えている。
「田村慎一だったな」
ごくりともう一度唾を呑み込み、葉佑が目を合わせてくる。
「ああ、間違いなく田村慎一だった」
「いったいどう言う事なんだ? 信じられないんだが」
背中に晃平の声が掛かる。
その言葉の通り信じ難い話ではあるが、田村拓海を殺したのは間違いなく田村慎一だった。死んだはずの田村慎一が田村拓海を殺した。
「まさか幽霊とか、そんなんじゃないだろな?」
「幽霊に人を殺せるはずがないだろ?」
「それじゃあ」
「田村慎一は死んでいなかった。田村慎一として殺された奴は別の人間で、替え玉だった」
晃平が告げる推測に、納得をさせられる。先にこの映像を見ていた、晃平なりの結論なのだろう。田村慎一は死んでいなかった。そうなれば田村慎一として殺された男も、おそらく田村慎一が殺したのだろう。田村周平を殺し、替え玉の男を殺し、サイモン神父と田村拓海を殺した。
——二人目の"TAMTAM"は田村慎一で間違いない。
「そう言う事か」
「何がだ? 山﨑、何か分かったのか?」
「いや、分かったと言うより、納得したんですよ。サファイアです。テレビで見せつけていたあのサファイアです。急にあんな大きな宝石を付けてテレビに出たって事にもちゃんと理由があったって事ですよ」
「どう言う事だ?」
「替え玉の男を自分に見せ掛けるために、わざとあの指輪をアピールしていたんですよ。それに確か、葉佑、お前言っていたよな。サファイアは宝石の中で一番燃えにくいって」
「ああ、そう言う事か」
葉佑はまだ気付いていない様子だが、晃平は理解したようだった。
「そう言う事です。田村慎一は死体が丸焦げになっても、サファイアは燃えずに残る事を知っていた。替え玉の男を殺すために、わざとサファイアをアピールしていた。ああ、だからマタイなのか」
「マタイがどうした?」
「マタイよ! 火刑に見舞われ斬首されよ! ですよ。火刑です。丸焦げになった死体は、DNA鑑定もされないだろうって踏んでいたって事ですよ。現にDNA鑑定なんてされなかった。奴の思い通りになったって事ですよ」
「でも何で田村慎一は田村周平を殺して、わざわざ自分が"TAMTAM"になったんだ?」
「それは前にお前も言っていただろ? 有名になりたかった。俺はあんまりテレビを見ないから知らないけど、田村慎一って、昔は売れていて、でも最近は全然テレビに出ていなかったんだろ?」
「動機としてはくだらないな」
有名になりたい。確かにくだらない動機ではある。だからと言って殺人を冒すのに、立派な動機を述べる事が出来る殺人鬼なんて存在するのだろうか。本人にとっては立派な動機だとぐだぐだと並べられても、他人から見ればそんなものは、全てくだらない動機に決まっている。
「松田警部。まだ田村慎一はどこかに潜んでいるはずです。奴を止めないと。あと一人、まだイスカリオテのユダが残っていますし」
「そうですね。すぐに全国指名手配にかけます」
葉佑が慌てて飛び出していく。
確か五年前もこんな状況に置かれていたような、そんな記憶がある。
何の手掛かりもなく藻掻き続けた割に呆気なく訪れた結末。ここまで時間を掛けたのが嘘のように全てが繋がっていく。
十二人の殺害を企てたのは田村周平だ。
十二使徒に擬え、一人、二人と聖名祝日に殺害を繰り返した。
そんな田村周平は八人目の犠牲者として田村慎一に殺された。
"TAMTAM"に成り代わった田村慎一は替え玉の男を殺し、サイモン神父と田村拓海を殺した。そして今もどこかで喃々と生きているのだろう。事件の大概なんてそんなところなのか。だがもしそうなら、田村慎一は文章作法を知っていた事になる。