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TAMTAM 〜十二使徒連続殺人事件〜  作者: かの翔吾
PROLOGUE +++ イエス +++ Jesus
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Ⅲ・12月27日

 

 閉鎖された空間での騒ぎにまだ気付いていない、静かな町に胸を撫でる。冷たい風が首筋を()める。手にしたままのダウンに慌てて袖を通す。


 その時だ。


 ウーウーと遠くにサイレンの音が聞こえたような気がした。そのサイレンが救急車のものなのか、パトカーのものなのかは、聞き慣れた音であったとしても、今のこの状況では判断ができない。


 とにかくここを早く離れないと。路地を右に進めば仲通りだ。百メートルも歩けば、ここよりは人通りもあるだろう。


 百メートル先。仲通りに足を入れてみたが、そこには紛れられるような人込みはなかった。週末の夜なら、溢れる人で埋め尽くされる通りも、平日のこんな時間であれば仕方ない。数人の酔っぱらいの姿は見受けられるが、全員に職質(しょくしつ)をしたとしても、さほどの時間は掛からないだろう。


 ウーウー。さっきのサイレンがさらに近くに聞こえる。このまま仲通りをふらふらしていれば、駆け付けた警察官に、声を掛けられる事は間違いない。だからと言って、通りまで出てタクシーがすぐに捕まるかどうかは分からない。


 ウーウー。一段と大きくなるサイレン。


 ウーーーーー。一段と大きく響いたはずのサイレンが()んだ。


——到着したのだろうか。


 快楽を得させてもらったのに申し訳ないが、関わる訳にはいかない。名前も知らない行きずりの男だ。あんな暗闇の中での行為、誰があの男の相手を言い当てられるだろうか。


 どこかに身を隠そう。そう思い見上げた看板には、まだ明かりが灯っているものもあった。ぐるりと首を回す。例えこんな時でも知らない店には入りづらいものがある。GO EAST。常連と言う程ではないが、何度か訪れボトルも入っている店の看板が目に飛び込む。


——助かった。まだ明かりが点いている。


「いらっしゃいませ」


 三階分、階段を駆け上がり、押し開けたドアの中から声が聞こえた。


「あら、晃平ちゃんじゃないの。久しぶり」


 マスターのユウさんが、カウンターの中から首を伸ばす。店の中には他の客の姿は見えない。


「お久しぶりです。まだ大丈夫ですか? あ、まだボトル残っていましたっけ? あ、でもその前にビール一杯お願いします」


「ビールね。ちょっと待ってね。先に、はい、おしぼり」


 手渡されたおしぼりの温かさが指先に心地いい。逃げ切れたと言う安心感よりも、今はその温かさが有難い。


「そう言えばさっきまでサイレン鳴っていたわね。何かあったのかしら」


 ビールの入ったグラスを差し出すユウさんに、さあ? と、言わんばかりの顔を向ける。


 こんな所まであのサイレンは届いていたのか。ふと目をやった窓は半分ほど開けられていた。換気のために開けられたその隙間から漏れ聞こえたのだろう。


「火事とかじゃなきゃいいけど。この辺りって古いビルばかりでしょ。どこかで出火したら、すぐ飛び火が出て、回りも巻き込まれるのよね」


 まだ半分以上の焼酎(しょうちゅう)が残っているボトルを、ユウさんが傾けている。


 氷を入れたグラスに注がれる焼酎を眺める。あのサイレンは間違いなく、サウナでの騒動のために駆け付けたものだろう。今頃、仲通りでは警察官達の職質が行われているかもしれない。(しばら)くはここで飲んでいるのが一番の得策だろう。


「いらっしゃいませ」


 ビールが入ったグラスを空にして、新しいグラスを手にした時、背中でドアが開いた。新たな客の登場に、何故だかさっきの騒動を、遠くに追いやれそうな気になる。


「すみません。初めてなんですけど、まだ開いていますか? けっこう閉まっているお店が多くて」


「大丈夫よ。どうぞ」


 ユウさんに促された新しい客は、一つ飛ばした右隣の椅子に腰を下ろした。緑のチェックのマフラーと、紺色のダッフルコートを膝掛(ひざかけ)にして、すぐに落ち着いた様子だ。


「何召し上がりますか?」


「えーっと、ビールとか焼酎飲めないんで、何か甘めのリキュールとか、あっ、カシスありますか? あとオレンジジュースと」


「カシスオレンジね」


「はい、お願いします」


 カシスオレンジを頼んだ男は、祥太(しょうた)と名乗っていた。他に客がいない店で、いつの間にかすぐ隣の椅子に移り、ユウさんを介して話をしている間、その腕がずっと触れていた。


 適度にアルコールが回り、一時間も経った頃には、サイレンの音もサウナでの騒動も、頭の中から綺麗に消し去られていた。


 四時を回り、ユウさんがそろそろと言い出す。他に客が来なければ、大した売上も見込めない。そろそろ店を閉めるから帰ってくれと言う、サインの伝票を差し出される。


 支払いを済ませ、祥太と一緒に店を出る。


 話の中で意気投合したのかも定かではないが、こんな店ではよくある事だ。最後まで残った客二人がそのままどこかへ連れ立っていく。


 仲通りを流していたタクシーの、空車のサインを確認し、手を挙げる。停まったタクシーに祥太を押し込み、その横に座る。一段と人の気配がなくなった仲通りに、サウナでの騒動を思い出す。


 閉鎖された空間での、あの騒ぎは、外の町には届かなかったのだろうか。何も無かったように朝を迎えようとする通りに、あの騒ぎも、あの場所に居合わせた事も、無い物に出来そうな気になる。ただそんな事はさせるものかと、目を閉じれば、あの薄暗闇で見た端正な顔と、湯船に浮かんだ紅潮した顔が、(まぶた)の裏にくっきりと描かれる。隣に祥太がいる事も忘れさせ、あの顔が何かの(いん)のように思えてならない。

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