Ⅲ・7月1日
「晃平さん、昨日一人で捜査に行っていたでしょ?」
山﨑が口を尖らせている。子供じゃあるまいし、本当によく口を尖らせる奴だ。そんな山﨑を面倒臭そうに見上げてみる。
いつものように陣取ったソファ。山﨑が尻を捻じ込んでくる。
山﨑のその尻に、朝の訪れを知らされているような気にもなる。くだらないと言われれば、くだらないが、それは毎朝の日課だ。
飲んで帰って、ベッドに倒れこみ、三時間で鳴ったアラームに起こされた。そんなまだ起ききっていない頭を、毎朝の日課が起こしてくれる。
「あ、また頭洗ってないでしょ? 何か臭ってきそうなくらい油っぽいですよ」
「ああ、昨日シャワー浴びられなくて、朝もあんまり時間なかったんだ」
「夏なんだし頭は毎日洗いましょうよ。髪もこんなごわごわだし、子供じゃないんですから」
逆に子供じゃないんだからと言われ、のそりと体の向きを変える。口を尖らせる方がよっぽど子供だよ。そう言おうとしたが止めた。
起ききっていない頭で聞かされはしたが、一人で捜査に行っていた。今はその言葉の方が気になる。
「さっきのどう言う意味だ? 一人で捜査に行っていたって?」
「さっき電話ありましたよ。杉並南署から。晃平さん、昨日一人で蚕糸の森公園に行っていたんでしょ? 田村晃、それと一昨日殺された、田村俊明の殺害現場を見るために。俺も連れて行って下さいよ。相棒なんだし」
「あっ? 電話があったのか?」
「はい、ありましたよ。晃平さん、名刺を渡していたんですよね? 一応確認だって」
所轄が違う刑事だとも、気付けない奴だと、見下した昨日の夜を思い出す。あの若い警察官、意外としっかりしているじゃないか。
「ああ、ちょっと気になってな」
「ほら、晃平さんだって、所轄の違う事件に、首突っ込んでいるじゃないですか」
山﨑が更に口を尖らせる。
「ああ、すまない。本当ちょっと気になっただけなんだよ。蚕糸の森で、似たような変死体が発見されたんだ。連続殺人かもしれないってな」
「そうですよ! 間違いなく連続殺人ですよ。晃平さん、前に何かのプレイだって、そのプレイの延長で殺されたんだって、そんな事言っていましたよね?」
正直に話したところで、おかしな勘繰りをされる事もないだろう。山﨑と言う奴は、頭はいいが、世間に疎いところもある。
「ハッテン場なんだよ。あの蚕糸の森は」
「発展場? ですか?」
初めて聞く言葉なのか、山﨑の顔が難しいものに変わっている。一から説明するのは面倒臭い。そう言って要所を絞るのも難しい。田村晃と田村俊明の二人は同性愛者だ。そう言ってしまえば、簡単に説明できるが、その情報の出所を勘繰られるのは一番面倒だ。
「同性愛者の男が集まる場所だよ。蚕糸の森は有名な場所なんだ」
「へえ、そんな場所があるんですね」
山﨑の顔が素直に崩れる。新しい知識を得た事に単純に喜びが滲む。そんな顔だ。
「そう言う事ですか」
一人納得する山﨑に難しい顔を向けて見せる。ほんの数秒前と立場が入れ替わっている。まさか余計な勘繰りをされた訳じゃ。
「何がそう言う事なんだ?」
「いや、晃平さんが何かのプレイの延長だって、言っていた意味が分かったんで。事件の現場となった蚕糸の森公園は、発展場でしたっけ? 同性愛者が集まる場所で、勿論集まるからには理由がある訳ですよ。それは性交を求めての事で、だから全裸に精液って言うのも納得がいくものですよね。十字架に見立てて縛っていたって言うのも、そう言うプレイの最中だったって事ですよね。これで一つ確かな事は二人を殺したのは男だって事ですよ!」
瞬時に犯人が男だと断定してしまうのだから、山﨑の頭の回転は、ずば抜けて早い。これが所轄内の事件ならどれだけ役に立っていただろう。少ない情報でどれだけ状況を把握できても、他所の所轄の事件だ。頭の回転の速さも無駄になる。
「でも、やっぱり十字架に見立てているのは、宗教も絡んでいるんじゃないですか? しかも今回は逆さ十字だし」
「逆さ十字?」
山﨑がハッテン場と言う言葉にピンと来なかったように、その言葉にピンと来るものはない。逆さまの十字架。それ以上の意味を持っているのだろうか。
「ペトロの逆さ十字だと思うんですよね」
「ペトロ?」
更に訳が分からなくなっていく。
今、山﨑の頭の中にあるものが全く想像できない。逆さ十字にペトロ。山﨑が口にした見解に、ほんのわずかだが興味が湧いてくる。
「わざわざ木に角材を打ち付けているって事は、十字架に見立てているのは間違いないですよね? 晃平さんもそこに異論はないですよね?」
「ああ。まあ、そうだな」
静かに返事をする。今は自分の見解より、山﨑の見解が先だ。
「十字架と言う事は磔です。何かの私刑的なものかとも考えられるんですけど、問題は二人目の被害者、田村俊明です。田村晃は普通に十字架に張り付けられていた。でも、田村俊明は逆さまに張り付けられていました。わざわざ逆さまに張り付けた理由。それはペトロの逆さ十字を、模したんだと思うんです」
言いたい事は分かるが、そのペトロの逆さ十字が分からない。
「だから、何なんだ? そのペトロの逆さ十字って?」
山﨑が一人勝手に話を進めている事に、大きな鼻息が漏れる。
「サン・ピエトロです。ローマの、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院です。サン・ピエトロ寺院に行った時、ペトロは逆さ十字に掛けられて殉教したって、そんな話を聞いたんです。その話を思い出して」
「お前、ローマになんか行った事があるんだ」
「はい、卒業旅行ですけどね。大学の卒業旅行でイタリアを回った時に」
高卒で警察学校に入った。勿論、高校でも警察学校でも卒業旅行なんてものはなかった。山﨑がさらりと口にした卒業旅行という言葉が、何故か山﨑を遠い次元に持っていってしまう。
「師に当たるイエス・キリストと同じ格好での磔は畏れ多いって、自ら逆さに張り付けられる事を希望した。そんな話を聞いたんです」
「イエス・キリストが師に当たるって事は、イエス・キリストの弟子だったんだな」
「そうですよ。俺、ちょっと調べてみます。何らかの関係性があるって考えた方が、筋が通るじゃないですか。晃平さんが言うプレイですか? どんなプレイか分からないけど、逆さ十字に見立てるプレイって、ピンと来るものがないんですよね」
「しょうがないな」
何か好からぬ事を企んでいそうな、その顔に声が漏れる。付き合ってやる訳にはいかないが、止めようが聞かない事は充分承知している。山﨑は相棒という言い方をしたが、確かに一緒に組んで動きはしてきた。と、言っても二年とちょっとの仲だ。ただその二年ちょっとの時間でも、山﨑と言う男の為人はある程度、理解しているつもりだ。
何か気になる事があれば、とことん追求しなければ気が済まない。何にでも首を突っ込みたがる。頭の冴えは良く回転も速い。学歴に伴った知識を蓄えたうえ、勉強熱心でもあるから、日に日に知識も増やしていっている。そんな所が検挙率の高さに繋がっている事は充分承知している。それは署長や課長が認めざるを得ないもので、山﨑がある程度、野放しにされている理由に繋がっている。
こんな風に並べると、一見完璧な男にも思えるが、山﨑にだって欠点はある。一八〇センチを超す背があるくせに、とにかく体力がない。尻にはいい感じに肉も付いているが、見るからに痩せた体型が表すままの体力だ。それに何よりも足が遅い。今までに何度容疑者に逃げられたかは分からない。