Ⅰ・12月26日
—Jesus
マリアの処女懐胎により、イエスはベツレヘムに生まれた。
一般的にイエスの誕生日は、十二月二十五日だと思われているが、イエスの誕生について、詳しい日付を記録したものは残されていない。
十二月二十五日は、誕生日ではなく、イエスの誕生を記念する日であり、クリスマスがイエスの誕生日であると言うのは誤解である。
◇ ◇ ◇
何がクリスマスだ。何が年末だ。浮かれやがって。クリスマスは昨日で終わったんだ。それなのにまだイルミネーションには、白い明かりが灯っていやがる。
田村晃平は東口へ向かうため、新宿通りを歩いていた。
ボトルの半分は煽っただろうアルコールが、躰を温めてくれていたのは、ほんの数分の事で、ダウンのフードで隠したとしても、冷たい北風が耳を切りつけていた。
子供の頃からクリスマスは嫌いだった。
何が悲しくて、イエス・キリストと同じ、十二月二十五日に生まれたのか。誕生日、それにクリスマスと普通の子供なら、年に二回プレゼントを貰うチャンスがある。
それなのに、誕生日とクリスマスは一緒に祝われ、プレゼントなんて物は、年に一度しか貰えなかった。クリスマスに焼きもちを焼いたところで仕方ないが、自分だけのためにある誕生日が、世界中の全ての人の祝いの日にすり替えられ、子供ながらにクリスマスに恨みを抱いていた。
ただそんな誕生日も、二十歳を超えたあたりから、何の有り難みもなくなり、三十を超えた今となっては、昨日と明日が変わらないように、誕生日も他の何でもない一日と変わらなくなっていた。
昨日で三十四か。誕生日を一日過去にして、ようやく一つ歳を重ねた事を思い知る。
毎年、この時季になると、同じような飾り付けをしやがる。新宿通りの両脇。歩道の上を見上げれば、嫌でも白いイルミネーションが目に飛び込んでくる。目を歩道の上に向けなかったとしても、数メートル先、数十メートル先の明かりが、目に飛び込んでくる。
東口までずっと続いているだろうイルミネーションに、酔いを忘れる程の不快感が生まれる。目を瞑って歩く事なんて出来ない。このまま東口へと向かえば、目に飛び込む明かりから、逃げる事は出来ず、不快感が別の感情に姿を変えるかもしれない。
——仕方ないな。
立ち止まり進路を変える。
東南口へ向かうため、首を左へ回し、明治通りを視界に収める。飾り付けは違うように見えるが、やはりそこにイルミネーションがある事に変わりはなかった。
——逃げ道はないのか。
無駄な行為に嫌にもなるが、あの明かりに見下されなくて済むなら、よっぽどマシだ。踵をターンさせ、歩いてきた道を折り返す。
このまま新宿駅へ向かえば、終電には充分間に合う時間だ。もしここで折り返し、無駄な時間を費やせば、終電なんてものは無くなってしまうだろう。タクシーと言う手もあるが、もうそんな事はどうでもいい。今はイルミネーションから逃れ、欲を言えば、この寒さから逃れてしまいたい。
足を止めた三丁目の交差点から、振り返った先を見る。数十メートル先には、もうイルミネーションを見る事は出来ない。あと数十メートル、いや数メートル。意味もなく息を止め、足早に新宿通りを引き返す。
——逃げ切れた。
三丁目の交差点から、二つ目の信号で、イルミネーションが終わる。ほっと吐き出した息は白く、改めてその寒さに身が震えた。
信号を渡る。何分位前だろうか。会計を済ませたバーを避けるように、一つ目の路地へは踏入らず、新宿通りを直進する。まだ終電前ではあるが、平日とあってか仲通りの人影はまばらだ。そんな仲通りを通り過ぎ、次の路地を左へ踏み入る。角のコンビニの明かりが、やけに温かくて、寒さを忘れさせてくれそうだったが、そんなコンビニも通り過ぎ、二歩三歩と進む。
同じ新宿とは思えない静かな一角。その静けさに安堵の息が漏れる。
路地を進み二ブロック。右手の塀の向こうが墓地である事は知っているが、丑三つ時にはまだ早い。それにこんな寒い日に幽霊なんてものは似合わない。塀の向こうの墓地に気を留める事なく、左手に見えてきた階段を上がる。
周りをぐるりと見回してみたが、近くに人影はなかった。人の目を気にするような場所だと、無意識ながら認識していたのだろう。
一階分の外階段を上がり、自動ドアを抜ける。外気との差はいったい何度くらいだろうか。効き過ぎた暖房が一瞬にして体を解かしていく。
六十一番。下足用のロッカーに十円玉を落し入れ、フロントで精算を済ませる。タオルとガウンの入った、ビニール製のバッグを受け取り、廊下を進む。
普通のサウナではない。確かに浴場があり、サウナもあるが、ここを訪れる者の目的は、サウナで疲れを癒すためではない。勿論それを目的とする者も中にはいるだろうが、それならもっと安く、衛生的なサウナは幾らでもある。
ずらりと並んだロッカーから六十一番を探す。その間にもちらちらと値踏みをする、男達の視線が刺さってきたが、その視線に振り返る事なく、纏っている物を順に剥いでいく。
脱いだダウンを投げ入れただけでも、ロッカーの半分は埋まってしまう。それでも何とか纏っていたものを全て投げ入れ、バッグに入っていたガウンを羽織り、肩にバスタオルと、小さなタオルを掛ける。
少し廊下を歩いただけで、飢えた男達の視線が何度も刺さる。
はだけたガウンの隙間から見せている、厚めの胸に視線が集まっている事は承知していた。意図してはだけさせている訳ではなかったが、しっかりと腰紐を結び、窮屈さを感じる事は避けたかった。
熱心に鍛錬していたのは一時ではあったが、その時に造られた体を、今でも維持できてはいる。そんな胸に感じた視線を、振り払うつもりではなかったが、短い廊下を足早に抜け、階段を上がる。二階にも喫煙所はあったが、四階の喫煙所の方が何故か落ち着けるからだ。