表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 恵
2/2

終戦

勝人のところに真紀子から返事が届いた


真紀子『勝人さん、お元気でしょうか私も春人も元気ですあなたが戦に行ってから春人がよくお布団を食べようとして産まれてからまだ1年ですが食いしん坊のようです、勝人さん必ず帰って来てください生きて。』



勝人「真紀子、、春人、、、必ず。」


1944年更に戦局が悪化し、勝人は硫黄島への転属は保留となり翌年1945年2月栗林陸軍大将が硫黄島に赴任する時、兵力増量のため勝人が所属する部隊も硫黄島に行くことになった。


その頃真紀子は広島で両親、息子の春人と共に暮らしていた最後に真紀子のところに勝人から手紙が届いたのは硫黄島へ転属する5日前であった。


その手紙には、生きて帰りたいがもしかしたら生きて帰れないかもしれない春人を頼む。と書いてあった。


1945年2月19日

硫黄島へアメリカ軍が上陸し始め海岸が米兵で埋め尽くされた時日本軍の攻撃開始海岸が一瞬でしたいで埋め尽くされた戦闘開始から優勢に思えたが徐々に押され始め消耗戦となった、勝人は栗林大将と共に行動していたが途中ではぐれ、1945年3月24日玉砕に参戦し左腕、腹部に銃弾を受け生きていたため捕虜となった。


真紀子のところには捕虜ではなく戦死したと告げられた真紀子は泣き崩れ春人にお母さんが絶対に守るからと言い続けた。


1945年3月26日硫黄島はアメリカに占領され沢山の戦略爆撃機B29が配備され本土爆撃は激しさを増し8月6日アメリカは遂に大量殺戮爆弾を広島に投下しその話しは捕虜になった勝人の元に伝えられ終戦8月15日まで泣き続けた


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ