6.ファンでいるのはお金がかかる
「お金がありません」
「いや聞こえてる」
言われた言葉に呆けるヴァルに対し、スピカは再び同じ言葉を繰り返した。
ヴァルはトントンと、頭痛をこらえるように額を指でたたく。
「このお店の支払いは問題ありません。食料もある程度は買えますが、資金はそれで底を尽きます」
「……待て。たしかまだ一五万くらいは残っていたはずだぞ」
先ほど宿屋で路銀が少ないと言っていたのは、あくまでその場しのぎの方便だ。
一五万ルピス、これは一般的な平民の、一か月分くらいの収入に相当する。あまり余裕があるというわけではないが、二人旅なら節約すればしばらくは持つ金額だった。
「先ほど、新聞を買うのに使いました」
「はぁ!? ありえないだろ! どんだけ高いん、だ……よ」
発言の途中、ヴァルは何か思い至ったように言葉が尻すぼみになる。
「……おい、ちなみに何部買った?」
「とりあえず売り子が持っていた分全て、一○○部近くあるでしょうか」
そう言いながら、スピカは収納用の魔法鞄からドスンと紙の束を取り出した。
「いらねぇだろ、どう考えても!」
「いります。読む用に一部、記念に保管するのに一部、部屋に飾るのに一部、そしてあとは布教用」
大声でツッコミを入れるヴァルに対して、スピカはしれっと防音用の結界を張りながら淡々と答える。
「いらねぇよ! 根なし草の俺らに部屋なんてねぇだろ! つか布教って何だ! お前は新しい宗教でも起こすつもりか!?」
「従者として、主の名声を高めるのは当然のことです」
「いらんわ! お前はホント、偶にすごい馬鹿になるよな! どこの世界に自分の手配書が載った新聞を配り歩く馬鹿がいやがる!」
基本的にスピカは優秀な少女である。戦闘方面に能力が秀でているヴァルを補助するように、多様な支援魔法に秀で、頭の回転も速く交渉事もこなせる。
ヴァルがスピカに財布を預けていたのも、そういう信頼があってのことだ。
「ゼル様のためなら、私は馬鹿にも外道にもなって見せます」
「なに、格好良く覚悟決めたみたいに言ってんの!? 全然なってないから、俺そういうこと全く望んでないから!」
そんなスピカの欠点。彼女はヴァルの役に立とうとするあまり、時たま思考が空回りする。
普段、真面目な顔してボケることもあるためにわかりにくいが、今回の件に関してはふざけるという意図はなく、割と真面目に行動しての結果だ。
「むぅ……ゼル様は以前、欲しいものがあれば自由に買っていいと仰いました」
「確かに言ったなぁ、チクショウ!」
先にも述べたが、スピカは基本的に優秀だ。ただ優秀な反面、ヴァルに尽くそうとするあまり自分自身の欲求は薄いきらいがある。
年頃の少女が持つ、綺麗な服が着たい、美味しい物を食べたい。そういう欲が少ない分、ヴァルはせめて我慢だけはしなくていいようにと、金は好きに使っていいと言い含めていた。
実際のところ、これが単に服や食べ物に使い込んだというのであれば、多少の注意はしただろうが、ここまで声を荒げることはなかっただろう。一応、最低限食料を買う金も残しているのだから。
しかしながら、今回スピカが購入したのは新聞である。同じ内容が書かれたものを一○○部近く。はっきり言って、ヴァルからすればゴミにしかならない。
珍しく、素直に欲しい物を買ったかと思えば、それがゴミ。
どうしてこんな風に育ってしまったのかと、今のヴァルの心境は、さながら子育てを間違えた親の心境である。
怒りよりも、ただただ呆れる気持ちが強い。
「あぁ~、もういい。とりあえずこれからどうするか考えねぇと」
「それなら大丈夫です。私も、何も考えず旅の資金に手を付けたりしません。ちゃんと当てはあります」
「当て?」
「はい。これを売りましょう」
そういって、スピカは鞄から一つのブローチを取り出した。中心に据えられたのはまるで空を思わせる鮮やかな青色。その輝きは、光を反射してというよりも、まるで宝石の内側から光を放たれているかのような不思議な美しさがあった。
「おい、これって確か……」
「オルゴスにいたとき、ヒースハイトさんに聞いてみたところ、普通の宝石ではないようです。売りに出せば最低でも一○○○万は下らないと言っていました」
「ア・ホ・かー! これお前の出生に関わる唯一の手がかりだろうが!」
この宝石について説明するには、ヴァルとスピカが出会った時のことも話さなくてはならない。とは言っても、二人の出会いそのものに複雑な経緯があった訳ではない。
四年程前、旅をしていたヴァルはとある奴隷商の一団を叩き潰した。その中にいた少女がスピカである。奴隷商が言うには、少女には記憶がなく、ある時行き倒れていたのを拾ったとのこと。
記憶もなく、自らの種族も不明。唯一、手がかりと言えるのは、拾った際に身に着けていたという宝石ただ一つだった。
ヴァルがこれまで数多くの人間や魔族を保護しながら、誰一人自らの旅路に同行させていないにも関わらず、スピカだけが例外となっているのは、この旅が彼女自身の出生を探る旅でもあるからだ。
「私は、ゼル様のお傍に居られるなら、自分の生まれに興味はありません。こんな宝石も、売って役に立つのならそれでいいです」
「お前は……」
ヴァルは呆れたようにため息を吐いた。
常々理解しているつもりではあったが、やはりスピカの自分に対する依存の仕方は問題だと再認識する。
「……もういい、金は何とかする。その石は大事にとっとけ。間違っても勝手に売ったりするなよ」
「けど、ゼル様」
「いいから!」
なおも引かない様子のスピカを見て、ヴァルは僅かに睨みを利かせて言葉を遮る。
テーブルの上にある水を飲み、再び深く溜め息。
食事をして気を休めるつもりが、いっそう疲れた気分になるヴァルであった。
1ルピス≒1~1.2円くらいの感覚
昔の新聞の相場ってわかんなかったんで、大体一部あたり千円前後の感覚で考えました。
この国の技術的な説明をすると、植物からの製紙技術はあるけど機械は使わずあくまで人力での生産。
印刷技術も自動の印刷機はなく、手刷りの活版印刷。
但し、魔法という便利技術のおかげで幾つかの作業工程は簡略化されている。
これぐらいの技術条件を想定しての価格設定です。
政治だの経済だの歴史だの、社会系の分野は正直苦手なので、何かおかしい点があれば教えていただければ幸いです。