5.文化が違う相手の冗談ってわかりにくい
宿での受付が済んだ二人は、散策の前に遅めの昼食を摂るため近くの食事処へと足を運んでいた。
生憎と宿屋では決まった時間にしか食事は出ないらしく、その日の昼食はもう残っていなかったのだ。
「おい、いつから俺達は夫婦になったよ」
丸いテーブルで向かい合わせに座るヴァルとスピカ。すでにランチタイムを過ぎているためか、店内に二人の他に客はいない。
それでも獣人の聴覚なら盗み聞きされる危険性もあるため、一応スピカが防音の結界を張って会話をする。
「おや、ゼル様は私にお兄ちゃんと呼んでほしかったのですか? お兄ちゃん」
ヴァルの問いかけに対し、スピカは真面目な表情をしながらからかう様な返事を返した。
一応人に聞かれていないとはいえ、この町にいる間だけでも呼び方を定着させるため、ヴァルを偽名で呼んでいる。
「違うわ! というかお前、さっきから楽しそうだなおい」
普段からスピカは、真面目な顔をして人をからかう言動をすることがたまにあるが、今日はやけに機嫌がいいようにヴァルには見えた。
「ふふっ、そうですね。そうかもしれません。思いもかげず昔のゼル様について知ることができたので、少し気分が高揚していたようです」
言いながら、スピカは鞄から新聞を取り出し、広げ始める。
ちなみにこの新聞は宿屋で見せてもらったものではなく、先ほどスピカが自腹で新聞売りから買ったものだ。
「この四年間ずっとお傍にいましたが。まさかそれ以前からこれだけの活躍をしていたとは驚きました」
「……なぁ、読むなとは言わないけど俺の前では止めてくんない? なんつうか、恥ずかしいんだけど」
「偉大なる魔王様の所業に、恥ずべきことなどありません!」
「誰が魔王だ! お前まで信望者になってどうすんだよ!」
民の人心を掴むための記事、一番効果があったのは自分の相棒でした。というのは確かに笑えない話だ。
「冗談です……二割ほど」
「ほとんど本気じゃねぇか!」
「……しかし真面目な話、ゼル様もこの記事は読んでおいた方がいいかと」
そういって、スピカは新聞をめくって、ヴァルの前に広げて見せた。
「ん?」
『探し人。有力な情報をもたらしたものに三○万ルピスの褒賞金』
その一文とともに、スピカの似顔絵が描かれていた。
「やっぱ手配がかかってたか。けど俺の顔がないな」
「はい、どうやら私を家出した貴族の子女、ゼル様はその護衛ということになっているようです。ゼル様の似顔絵がないのは……おそらくですが、各地にも少なからずゼル様の顔を知る者がいるため混乱を避けたのかと」
新聞の記事にもあるとおり、ヴァルはこれまで様々な活動をしてきた。その過程において彼と面識を得たものも少なくはない。そういう者にとっては魔王が逃亡中という事実が分かってしまう。
「『幻影魔法の使い手。変装の可能性も有るため男女二人の旅人に注意されたし』ね。さっきの宿で探るような目を向けられたのもこれが原因か」
「おそらく。たった一泊しかせず町を出ると言った点で、急いで町を離れなきゃいけない事情があるのかと勘繰られたのでしょう」
「これは、町を歩く時も気を付けないとな」
「ええ、そうですね……」
そこまで話したところで、料理を配膳に来た店員の気配を感じ取り、すかさずスピカは防音結界を消去。二人は即座に口を噤んだ。
「はいよ、お待ち! クリームパスタとチーズガレットだ」
牛の角を生やした男性の獣人がテーブルの上に料理を置いていく。
ちなみに二人の居るこの店の売りはミルクを使った料理。営んでいるのは牛の獣人夫婦だ。
「美味しそうですね」
「ああ」
料理から伝わるまろやかな香りが、二人の食欲を刺激する。
「おうよ! なんせうちの母ちゃんの絞りたてを使ってるからな。コクがあって美味ぇぞ」
「「え゛?」」
いや、店と店員の種族を見て、全く想像しなかったわけではないが、さすがにないだろうと思っていた二人は、まさかの発言に固まってしまう。
「プッ、ハッハッハッ! 冗談だ冗談。大体うちの母ちゃんのは萎んじまって出やしねぇよ」
「馬鹿言ってないで早くこっち戻って片づけを手伝いな!」
男性の豪快に笑う声が聞こえたのか、厨房の方からおそらく件の奥さんだろう人の声が聞こえてくる。
「おお、おっかねぇ。じゃあなご両人。ゆっくり味わって食べてくんな」
そう言い残して去っていく男をしばし眺めたのち、視線を皿へと移す二人。
先ほどの言葉が冗談だろうとは理解しているが、獣人の習慣に疎い二人としては本当にそうかという疑念も完全には捨てきれない。
「……食うか」
「……そうですね」
とはいえ、眺めているだけで空腹は満たされない。
注文した料理を残すのも失礼なことだと、二人は深く考えるのを止めて料理をそれぞれ手元の小皿に取り分けて、口をつけた。
「あ、美味い」
「美味しいですね」
料理は普通に美味しい料理だった。
パスタは口に入れた瞬間、クリームソースのまろやかな甘みが口の中に広がり、噛めばアルデンテに仕上がったパスタが、確かな歯ごたえとしっかりとした小麦の風味を伝えてくれる。
ガレットも、噛んだ瞬間はカリッとした食感と濃厚なチーズの香りが感じられるが、噛むほどに、ホクホクとしたジャガイモと、細かく刻まれたベーコンが口の中でほどけて、程よく調和する。
二人は先ほどまでの不安を忘れ、ただ料理を味を楽しむことに集中した。
がっつくような真似はせず、むしろ上品に食べ進めていた二人だったが、よほど味が気に入ったのか、食べるペースは速く、皿が空になるのにそれほど時間はかからなかった。
「ふぅ、久しぶりに美味いパスタだったな」
「はい、調理の仕方もあるのでしょうが、素材が良いですね。チーズとパスタは保存も利きますし買っておきましょう」
「それじゃあ、まずは市場に行ってみるか」
腹ごなしも済、これからの予定が決まったところで、席を立とうとするヴァル。しかしそこにスピカの静止の声がかかる。
「待ってください。その前に一つ、お伝えしなくてはいけないことがあります」
「ん?」
浮き上がらせようとした腰を止めて、スピカを見やるヴァル。
そんなヴァルの目を真剣な様子で見つめながら、スピカは堂々と言い放った。
「お金がありません」
「……………は?」
なにげに今回一番時間かかったのが、たった数行の料理の味の描写だったり。
ぶっちゃけクリームパスタも、ガレットも作者は食べたことないっす。
乳製品の料理は苦手なもんで、100%想像で書きました。