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南十字星  作者: 延珠
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南の迷い子

Yahoo!ジオシティーズからのお引っ越しです。

   御青みさお真白ましろ


   赤人あかひと 黒主くろぬし


   名も無き王にたてまつる


   隠れてのちは寂しかろ


   名乗る名もなし 悲しかろ




   御青に真白


   赤人 黒主


   名も無き王に贈りもの


   黄泉に旅立つ その御身


   その名は永久とわに とこしえに





「みさおにましろ、あかひと、くろぬし……」


 瀟洒な刺繍が施された鞠を床に跳ねさせながら、薔薇そうびは誰かが部屋に向かってくるのがわかった。


 最後にしようともう一突きしたところで、鞠は手に弾かれてどこかへ転がっていってしまう。


「…………」


 しっとりと汗ばんだ体に、布の揺れる音とともに風が向かってくる。


「薔薇さま、お使者さまがいらっしゃいました。お着替えなさいますか」


 聞きなれた女の声がして、薔薇は鞠を取ってもらおうとしたが、やめた。


「いいえ」


 どうせ、相手が不快な顔をしてもわからないのだ。


 着替えても、汗をかかなくなるわけではない。この暑さが和らぐわけでもない。


 足を出して、くつを履かせてもらうのを待った。


 この暑さで、なぜ人は蒸発して溶けて消えてしまわないんだろう。いつもそう不思議に思っていた。




 薔薇に初めて会った人間は、皆一様に涙を流す。


 お可哀想に、と目元を拭っているのが、目は見えなくとも気配でわかった。


 大きなお世話だとでも言いたげに、そんなときはいつもあくびを噛み締める。己に対して同情を寄せてい

る人の前ではなまじ不謹慎なこともできない。いつも手にしている扇で顔を隠すようにゆっくり仰ぐのが常だった。


 すると、お暑いのですか、と次々にやれ削りや、やれ冷花れいか茶や、と庶民が一生のうち一度も口にしないような高価な菓子や飲み物が薔薇の前に並ぶ。


 特に、南特産の紅茶は、なぜか最近西の王宮に最上級のものを買い占められていて、それなのに王族でもない薔薇の手に渡るのはひとえに国主さまよりの計らいであろう、と人々は羨んだ。


「…………」


 別に、まったく見えないわけではない。


 ぼんやりと物の輪郭くらいは捉えることができるし、光の色の判別はおぼろげながら可能だった。ただ、光が少しでも強いと、視界はその一色に膨張してしまって結局はほとんど見えない状態だったのだが。


「お輿こし入れはいつになられますか」


「来月になります」


「いよいよですのね。国主さまも待ちわびていらっしゃることでしょう」


「…………」


 薔薇は国の宝とされる両性として生を受けた。


 神の子の代償として視力は奪われたものの、そのなにも映さない瞳は本来存在し得ない桃色を有しており、桃色がかった淡い茶色の髪がしっとりと腰にまで伸びでいるさまはどれほどの美姫も足元に及ばない。


 生まれてすぐに王太子と婚約させられ、現在は郊外の離宮にてかしずかれて暮らしている。


 南の国は先の国主が身罷ってから血生臭い内乱が勃発したため、隔離されたのである。


 しかしそれもようやく鎮静に向かっており、両性の環姫わきは満を持して国主に嫁ぐこととなったのだ。





 その日も気だるい夜だった。


 どうにも寝つけなくて、とうとう瞼を開けた。そんなことをしても、この光を通さぬ闇の中では見えるわけでもないのだが、体が自然に行う動きに従ったまでだ。


 すると、微かにどんよりと篭った空気が振動した気がした。


 ちかり。


 光が。


 薔薇の頭に直接投影されるような、おぼろげな光の粒が浮かんでくる。


 それがだんだん強く鮮明に訴えてくる。真っ赤だ。いっそ神々しいまでの真っ赤な光。


 色だけは判断できると知った母親が、色とりどりの布を被せてその名前を教えてくれたので知っている。


 赤は、この色は、南の象徴。


 ふと、光に向かって手を伸ばした。やがて温かなものに触れる。赤色は更に強烈に光りだした。


「……見えているのか」


 闇から低い声が伝わる。


 薔薇はゆるゆると首を振った。触れ合ったとたん、ますます眩しくなりとうとう視界いっぱいに赤色の洪水が押し寄せてくるような圧迫感が薔薇を襲った。


 嘔吐えづきそうになるのを堪えて、もう片方の手で口を押さえながら言った。


赤久羅あかくらさま?」


 薔薇は次期国主の名を呼んだ。己の主となるべき人の名を。





 返事がもらえたのかすら記憶にない。


 男はやや乱暴に薔薇に圧し掛かると、無言でその体を陵辱した。


 盲目の姫は、ただ押し寄せる赤い光の渦に翻弄されて己がなにを叫んでいるのかすらわからなかった。


 上質の絹であしらわれた夜着は乱暴に裂かれ、一度も名を呼ばれぬまま、準備の整わない神秘の泉に男を迎え入れた。


「あ……あ……あ……」


 今まで、強くなにかに抗ったこともない。


 ただ、手を取られて連れていかれる先まで大人しく歩を進めていくだけ。


 諦めもない、同時に高揚感もない。


 奇跡とまで謳われた桃色の瞳を人々が覗き込み、顔にかかる不快な息に身の毛がよだつ思いがしても、変わらず曖昧に微笑んでいた。そうすればいつも安寧でいられる。


「う……あっ」


 内臓が掻き回されるくらい突き動かされて、最後に熱い波が己を飲み込んでしまう心地に、震えた。


 はあ、はあ。


 男は荒い息をくり返し、しかし決して薔薇の頬を撫でなかった。名を呼ばなかった。優しく愛を囁くこともしない。


 男が離れていき、薔薇は呼吸を整えようとして失敗した。投げ出された四肢は少しも力が入らず、胸に持っていくこともできない。


 静寂が部屋を覆ったが、男はまだ去ってはいなかった。


 輝きは鎮まったものの、赤い光は依然としてぽつんと部屋の隅に認められたから。


「見るな」


 男は言った。


「死んだ魚の目だ。気味が悪い」


 蔑むように言われて、しかし薔薇は素直に瞳を閉じた。


 暗闇に、やはり光は届けられる。


「赤久羅さま」


 薔薇は、別に理由も釈明も心もなにも望んではいない。ただ、己が辿るべき道を指し示してくれればそれでよかった。


 目の前に広がる幾本もの道。それらを選ぶことは許されなかった。だから、ただ命じてくれればよかったのに。


「その名は呼ぶな。お前に呼ばれると虫唾が走る」


「はい」


「俺は……、そうだな。赤人あかひととでも呼んでおけ」


 それは、死人の名です、主よ。


「はい」


 彼はいったいなにを望む。死ねと言うのなら、すぐに旅立ってみせるのに。


 赤い光が消えてしまう前に、揺れる炎は再会を誓った。


「また来る」


「……はい」


 昼間の暑さが嘘のように、夜は冷気が辺りを包んでいる。


 指し示された道がわからずに、薔薇はただ迷い子のように立ちすくんでいた。

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