ep8・親友に報告する。
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家に帰ると夜の十一時を回っていた。
今から晩御飯を作るのは面倒なので、コンビニで焼き肉弁当を買って帰った次第である。
俺は焼き肉弁当に箸を付けながら、今日の出来事を思い出す。
学校でもべらぼうに人気のマヤちゃんが俺の彼女となった。
今でも信じられないし、実感がわかない。
しかし、今もなお彼女の柔らかな唇の感触が残っていて、思い出すだけで脳が沸騰しそうになった。
「……でも、何でマヤちゃんは俺を……」
それこそ、どうしてストーカーして身辺調査するほど、俺に好意を抱いたのだろう。
どこかで出会ったことが無いか、過去を振り返る。
高校に入学してからは一切接点がないので、それより前。
中学生時代か?
だが、あれほどの美人が学校にいたとなれば嫌でも耳に入るはず。
それに俺の中学生時代の記憶は、ずっと詩織と過ごしていたと言う物だけだ。
となると、小学校時代かと思うが……俺は小学校に通っていない。
これは俺が一人暮らしをしているのにも関わってくることだ。
俺の両親は、小学校に入学する前に死んだ。
当時の俺はそれがすごくショックだった。
五、六歳の子供にとって、親とは世界である。
その世界が全て壊れたのだから、俺は外に出ることが怖くなった。
身寄りのなくなった俺を引き取ってくれたのが、母の弟に当たる叔父さんだ。
叔父さんは一度離婚していて、娘さんと二人暮らしをしていり。
二人とも俺に優しく接してくれて、特に叔父さんは仕事も忙しいのに、外に出られなくて学校に行けない俺に、懇切丁寧に勉強を教えてくれた。
結局高校進学に際して一人暮らしを始めるまで、叔父さんと従妹には大変にお世話になったものだ。
とまぁ、そう言うわけで、小学校時代に出会っていたと言うのもあり得ない。
「じゃあやっぱり中学なのかなぁ……」
悩んでいると、不意に思い出す。
そう言えば詩織にストーカー事件が解決したってまだ伝えてない。
彼女のことだ。
相談時は茶化したりしていたが、内心はかなり心配してくれていただろう。
それくらいは分かる。
伊達に四年以上親友をやっていない。
俺はラインを開くと、詩織にメッセージを送った。
『ストーカー事件。無事に解決しました』
すると、すぐに既読が付く。
『ホント!? 犯人は誰だったの!?』
『マヤちゃんだったよ』
俺はその問いに素直に応える。
これに関してはマヤちゃんに許可を取っていた。
公園で話をしていた時、詩織にストーカーについて相談していることを話したのだ。
その際に、『親身になってくれた人には、正直に話したい』と俺の希望を出したところ了承の意を貰えた。
『マヤって、浅間さん?』
『うん』
『何で浅間さんがコウをストーカーしてたの?』
『なんて言うか、マヤちゃんが俺のことを好きだったらしくて』
返事を送ると、メッセージ画面が切り替わり、着信音が鳴り響く。
発信者の名前には長宮詩織と表示されていた。
電話を取る。
「もしもし」
「あっ、コウ? 直接話聞きたいからさ、私の家まで来て」
「えっ、今から?」
「うん」
詩織の家まではそう遠くない。
逡巡した後、答えを出した。
「わかった。今ご飯食べてるから、三十分後には着くと思う」
「……待ってる」
やけに真剣みを帯びた声だった。
俺はそれを疑問に思いつつ、弁当をかき込んで、歯を磨いてから家を出る。
春の夜風がいつもより冷たく感じた。
†
詩織の家に着いたのは、予定していた時刻とほぼ同じであった。
俺の住んでいるぼろアパートとは異なり、高校生の一人暮らしにしてはかなり綺麗な1LDK。
たしか防犯を謳い文句にしているとかなんとか。
女子高生の娘を一人暮らしさせるなら、妥当な判断だろう。
インターホンを鳴らすと、ドアが開く。
中から薄い青色の寝間着を着た詩織が姿を現した。
「上がって」
「おう」
だが、彼女の寝間着姿など見慣れたものだ。
高校に入学してからはこうして詩織の家に来てはゲームすることも少なくない。
住んでいる場所も近いので、それこそ夜に遊びに来ることもザラだ。
もちろんそこに恋愛感情は一切なく、ただの友人関係に過ぎない。
部屋に上がるとリビングに通される。
座布団に座ってしばらくすると、珈琲の入ったマグカップを持った詩織が対面に座った。
「それで?」
「……あぁ、実はだな」
俺は今日あった出来事を詩織に話し始めた。
ストーカーをしていたのは浅間マヤであったこと。
俺と詩織の関係を知っていること。
俺と詩織が親友になる前のことを知っていること。
そして、彼女に告白されたこと。
交際を、始めたこと。
「えっ、それじゃあ今、コウは浅間さんと、その……付き合ってるの?」
「そういうことになる」
告げると、詩織の表情が一瞬だけ渋い物になった。
「そっか……。コウは浅間さんの事が好きなの?」
「正直まだ何とも。でも今日話した限りではいい子だと思った。多分これから恋人関係を続けていくとなればそう遠くないうちに好きになると思う」
これは今日感じた素直な気持ちだ。
愛が少々重いが、外見も内面も良い。
学校で人気なのもわかる。
だが、詩織はまたもや渋い顔を浮かべた。
「そっか」
「どうした?」
「……ううん、何でもない。とにかく、ストーカー事件は解決した。そういうことなんだね」
「うん」
返事をすると詩織はその顔に笑みを張り付けると立ち上がり、一つ伸びをする。
パジャマ越しに豊かな胸が揺れて、思わず視線を逸らした。
が、遅かったようだ。
「あー、今見てたなぁ? 彼女持ちなんだから気を付けろよぉ!」
胸を両手で画して茶化す詩織。
「わ、わかってるよ」
「わかってるんだったら今すぐ立つ!」
「は、はい!」
凄い剣幕で言われて慌てて起立。
「彼女持ちがこんな時間に女の家にいるなんて、浮気になるぞ! さっさと帰る!」
「……っ! そ、そうか! それもそうだ!」
て言うか、マヤちゃんにこのことがばれたら俺はどうなるのだろう。
想像しようとしたが、途中で頭を振って中止する。
「それじゃあ、これからは私の方から呼び出すことは無いからさ、彼女とよろしくやれよ、コウ!」
「お、おう!」
「困ったことがあっても、私なんか頼らず彼女に相談しろよ!」
「わかった!」
「じゃあな!」
詩織は悪戯気な笑みを浮かべたまま、俺の尻にタイキックを食らわしてきた。
勢いに思わず前傾姿勢になりかけるが、何とか転ばずそのまま玄関へと向かう。
「詩織!」
最後に部屋の中に声を掛けると、ひょこっと顔を出す褐色ギャル。
そんな彼女に一言。
「いろいろ、ありがとな!」
「うっせ、ばーか」
べっと舌を出して馬鹿にして来る姿は平素の彼女のもの。
最後まで変わらないなぁ、と苦笑いを浮かべつつ、俺は詩織宅を後にした。
†
――客の居なくなったリビングは、いつもより静かに感じた。
まだ温かい珈琲が、机の上に二つ。
両方、半分ほど残っていた。
つまり、客が居た時間はそれほど短かったと言う事。
部屋の主である少女は、玄関のカギを閉めに歩き出して……ふと、胸の奥底から一つの衝動がこみ上げてくるのに気が付いた。
衝動に身を任せ、少女はドアを開く。
すると、自分の家に向かって歩く、一人の少年の後ろ姿が明るい月明かりの下で目視出来た。
本日は、月が綺麗だった。
「コウ」
少女の頬を一筋の雫が伝う。
「コウ……っ!」
今すぐにでも走り出したい。
走り出して、叫んで、抱きついて、全てを伝えたい。
でも、それは駄目だ。
――『私じゃコウを、幸せにすることはできない』。
友人として、近くで支えることしか、出来ないのだ。
だからそれでよかったはずなのに、それだけで、満足できたはずなのに。
少女は部屋に戻る。
静かな空間。
少女は客の少年が座っていた座布団に腰を下ろす。
不意に、少年が口を付けた珈琲カップが目に付いた。
「……ごめん、ごめんね、コウ」
少女は涙を流しながらかすれた声で囁き、カップを取るとゆっくりと自らの口へと運ぶ。
少年が口を付けた場所に合せるようにして、珈琲を飲み下す。
飲み干すと、さらに涙があふれて、カップを落してしまう。
少女は自らの膝を抱きかかえ、体育座りの形で泣いた。
泣いて、泣いて、ポツリと零す。
「好きになってごめんね、コウ」