8.自分に起こると萌えない
その後、しばらくエドラとレンナルトを介しての手紙のやり取りが続いた。たまに、アルノルドからはプレゼントの花やお菓子が届くようにもなった。これらは、エドラたちを介さずに家に直接届く。
エドラの方も戦後処理が何とか落ち着いてきたところである。それもあり、早めに帰宅したエドラはゆったりとバスタブに身を沈めていた。柑橘系のバスオイルの香りが立ち込めている。ほっと息をついたエドラだが、突然浴室の扉が開かれてびくっとした。
「うおっ!」
「お姉様!」
マリーだ。人の浴室に突入してきたマリーは瞳を潤ませていた。エドラは浴槽の縁に腕を乗せて心もち身を乗り出す。
「どうした?」
「お姉様……どうすればいいんでしょう?」
「いや、だから、何が?」
要領を得ないマリーに、エドラは繰り返し尋ねる。瞳を潤ませたマリーは言った。
「殿下にデートに誘われました……」
「……」
ひとまず、エドラは風呂から上がった。家の中なのでバスローブにガウンと言う緩い恰好で部屋の外に出る。そして、リビングに行くとアルノルドから直接届くようになった手紙が手渡される。
「ひとまず、それ、本物かしら?」
「筆跡は殿下のものだねぇ」
ソーニャの問いにエドラが答えた。カーリンがぱぁっと顔を輝かせる。
「では、本当にデートのお誘い!」
「……まあ、中身を読む限りそうだね」
確かに、内容を読むとデートのお誘いだった。と言っても、離宮の庭園の薔薇が満開なので見に行きませんか、と言うことだったが。一応、デートの部類に入るのだと思う。
「婚約破棄に続き、王太子殿下に求婚され、さらにデートまで……!」
「いや、デートをするのはお前が返事を保留にしたからじゃないか?」
アルノルドはマリーとの距離を詰めるのに必死なのだ。しかし、マリーはエドラのツッコミを聞いていなかった。
「そんな……! 恋愛小説の王道展開なのに、自分に起こると萌えない……!」
マリーはガクッと膝をついてそうのたまった。エドラはそんなマリーを見下ろしながら、アルノルドはこれを知っているのだろうか、と思った。エドラは変人だと言われるが、その妹のマリーもなかなかの変人である。
マリーはエドラに比べて性格が穏やかで、見た目通りの優しい少女だ。しかし、はかなげかと言われるとうなずくのは難しい。なかなかに奇矯な言動をすることが多いのだ。
「王太子殿下、マリー姉上のこれ、知ってるのかなぁ」
「どうだろうねぇ」
フランが少し心配したようにエドラに尋ねた。エドラもさすがにそこまではわからない。まあ、アルノルドはマリーの趣味を知ったからと言って引くようなタイプではないが。
マリーは恋愛小説愛好家である。本を読んで楽しむだけに飽き足らず、自分でも趣味の範囲だが、書いたりするし、今のように現実と重ねあわせて楽しんだりもする。まあ、実害はないし、いいかな、と思って放っておいたらかなり重症化してしまったのだ。
「……正直、お姉様の方が設定盛り盛りなのよ。婚約した男性が三人とも亡くなって本人は魔導師として騎士団に入って、戦場に行って副団長になって男装して戦ってるのよ。お姉様が主役の方がおいしいわ……」
「何言ってるんだろうね、お前は」
エドラは腕を組んでマリーを見た。ソーニャが話しを強引に戻す。
「それで、デートのお誘いはどうするの? まさか断るわけにもいかないし……」
「まあ行くしかないんじゃない? 大丈夫でしょ、あっちには護衛もついてるし」
「お姉様、ついてきてくださいぃぃぃい」
「うおっ!」
マリーがエドラにしがみついてきて、エドラはどきっとした。意外に強い力でしがみついてくるので、エドラはあわてる。
「落ち着け、着崩れる!」
前あわせのバスローブとガウンで出てきたので、抱き着かれると着崩れるのである。マリーはぱっと手を離した。
「……お姉様が一緒なら行くって伝えてください」
「お前が手紙を書きなさい。それと、保護者同伴のデートって意味ないだろ」
「お姉様が連隊長とデートをすれば大丈夫なのではありませんか?」
けろっとマリーはそんな恐ろしいことを言った。エドラは腕を組んだままマリーを見下ろした。
「お前……寝言は寝てから言え」
「お姉様ひどいですわ!」
「どっちがだ!」
駄目だ。マリーと話しているとツッコミをいれたくなってしまう。レンナルトはたぶん、護衛として二人のデートについて行くだろう。だからマリーの言うことはわからないではないが、それは彼にとっても失礼にあたる。
「わかりましたわ……お返事を書きます」
「ああ。それでいい」
エドラはほっとして組んでいた腕をほどく。あわてて出てきたので、湯冷めしてきた。春も半ばとはいえ、さすがに夜は冷える。
「ひとまず着替えてくる」
「ええ……それにしてもあなた、すごい恰好ね」
「呼ばれたから来たんでしょ」
ソーニャのツッコミにそう返しながら、エドラは自室へ引き返す。戦場でならこんな無防備な格好で出てきたりしないが、ここは自宅で見ているのも家族と使用人たちだけだし、別にいいかな、と思ったのだ。
マリーがアルノルドとデートをしようがエドラには関係ない。そう思っていたのだが、仕事で宮殿に来ていたエドラの前には今、近衛連隊長のレンナルトの姿がある。
「……」
「そんなに嫌そうな顔をしないでよ」
何が悲しくて近衛連隊長の執務室に自分はいるのか。
「私は王立騎士団所属なのですが」
「わかってるよ。と言うか、今更取り繕わなくてもいいから」
一応、立場の違いと言うやつを意識したのだが、レンナルトに必要ないと言われてしまった。
「ねえエドラ。君の妹さんがうちの王太子殿下と今度、デートに行くんだって」
「……知っているわ」
姿勢を少し崩し、デスクの向こうのレンナルトに答える。彼はニコリと笑って「そうだね」とうなずいた。マリーが必ずエドラに報告してくるため、二人の進展については耳にしている。今度デートに行くことになったので、一緒についてきてくれとも言われている。だが、行先が離宮なので、勝手について行くことはできない。
何となく嫌な予感がしつつ、エドラはレンナルトの次の言葉を待つ。
「一緒に来てくれないかい。君がいれば、マリーも安心するだろう?」
「……仕事が」
「グレーゲル元帥には話を通してある。遠慮なく連れて行ってくれと言われたよ」
「……最初から行くことが決まってるじゃん」
はあ、とため息をつく。グレーゲルの許可があるのなら、副官であるエドラに拒否権はない。妹と主君のデートについて行かなければならないのだ。何それ。
「まあ、行先は薔薇園がきれいなところだから、エドラも楽しめるよ、きっと」
「……」
いや、花は嫌いではないが、今更エドラがそんなものに喜んでもおかしくないか、と思わないでもない。
「戦後の休暇だとでも思いなよ。休んでないでしょ」
「……そうだけど」
エドラは戦後処理でずっと登城していた。つまり、休みを取っていない。いや、休み事体はあったが、通常、戦争に出た騎士は長期休暇をとるのだが、それをエドラはとっていない。だが、それはグレーゲルもそうであるし、エドラだけ取ると言うのもちょっと、と言う感じなのだが。
「君、マリーを一人で送り出すことはできる?」
レンナルトが説得の方法を変えてきた。エドラは即答する。
「無理」
「でしょう? なら、ついてくるしかないよね」
「……」
確かに。エドラは観念した。どうやら、一緒に行くしかなさそうだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
マリーさんもほどほどに変な子です。