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50.面白いわねぇ









 諜報員たちが捕まったり強制送還されたりしても、帝国は沈黙していた。もしかして、一部の人間が早まっただけなのだろうか、と思ってしまうような沈黙ぶりだ。


「おそらく、ニヴルヘイムと通常ルートでの貿易を強化したいんだ。だから、何も言ってこない。こちらからも何も言わないからね」


 と言うのが、外交官ベアトリスの言だ。エドラとしては「ふーん」以上の感想はない。

「こちらからは何も言わないってこと?」

 巨人的なものが攻めてきたりとかしたのだが。ベアトリスは「証拠はないからね」とにべもない。

「それに、喧嘩を吹っ掛けるには帝国は巨大すぎる」

「……確かに、そうね」

 国力を比較しても、軍事力を比較しても、戦争でも始めれば負ける未来しか見えない。戦場上がりとはいえ、何でも戦争で比較するのはどうなのだろうかと自分でも思う。

「そう言えば、君の彼氏さんは目を覚ました?」

「朝見てきた時点ではまだだった」

 平然と答えたエドラに、ベアトリスが面白くなさそうな表情をした。

「あーあ。照れる君が可愛かったのに。慣れてきちゃったのかな」

「朝から十回は聞かれてるからね」

 途中で数えるのをやめたくらいだ。ヨアキムとの一件から二日たつが、エドラの彼氏さんことレンナルトは目を覚まさないのだ。ヘルマン医師によると、怪我は見た目より大したことがないが、頭の打ち所が悪かっただろうと言うことだった。


「……普段から打ち所が悪かったような性格してるけど……」

「お前、自分の恋人をなんだと思ってるんだ?」


 そんな会話があったのも、昨日のことだ。


 立ち会ったうちの目が覚めているものとして、エドラは様々な処理に追われていた。戦後処理に比べれば大したことはないが、それでも面倒なことに変わりはない。あまりデスクワークが得意でないエドラだった。本人いわく、戦場たたき上げなので。

 昼過ぎ、エドラの元にレンナルトが目を覚ました、という報告が入った。事務所の騎士たちに背中を押される形で事務所を出たエドラは、レンナルトが療養に使っている客室に向かった。フルトクランツ侯爵家でもよかったのだが、争った兄弟の勝った方、というレンナルトの立場に国王が配慮したのだ。

 部屋につくと、ヘルマンが診察中であった。

「エドラか。大丈夫だぞ。よかったな」

 恋人ではなく医師が先に口を開いた。彼は椅子から立ち上がるとエドラに忠告するように言った。

「大丈夫だが、あまり無理はさせるな。一応怪我人だからな」

「ヘルマン、男に対して過保護だよ」

「うるさい。エドラを悲しませたくないだけだ、阿呆」

 私にとっても妹みたいなものだからな、とヘルマン。彼の実の妹ラウラが、エドラをかわいがっているから親近感を覚えているのかもしれない。ありがたい話だ。

「頭の方も大丈夫だ」

「すでに取り返しがつかないだけでは?」

「ここでその切り返しができるお前の方がおかしいぞ」

 ヘルマン、なかなか言ってくれる。尤も、エドラも自分の頭がおかしい自覚はある。何しろ、十六歳でいきなり騎士になる、とか言い出した娘だから。


 ヘルマンが部屋を出て行くと、二人きりになる。エドラは先ほどまでヘルマンが座っていた椅子に腰を下ろした。

「まあひとまず、目が覚めてよかったわ」

「うん。ありがとう」

 穏やかに微笑んだレンナルトだが、いつもより元気がない。元気がないと言うか、覇気がない? 眼をしばたたかせたエドラは、手を伸ばして、妹たちにするようにレンナルトの頭を撫でた。

「エドラ?」

「……まあ、成人男性にすることではないわね」

 しかも、年上の男性に。しかし、落ち込んでいるように見えたレンナルトをただ放っておくことができなかった。


 それでも彼女は、事実を伝える。


「ヨアキムは国外追放になったわ」

「……死んでなかったんだね」

 レンナルトが意外そうに言った。あの後すぐに気を失ったレンナルトは、自分が兄を殺した、と思ったのかもしれない。

「……もっとも、今も生きているかはわからないけど。私が氷漬けにしちゃったから」

 もちろん、すぐに解凍したが、体が凍傷を起こしていたらしい。明らかにやり過ぎである。レンナルトに撃たれた傷もある。もちろん、治癒してから慇懃に叩き出されたのだが。

 ちなみに、これは結果だけをさっくりと伝えたものだ。エドラは「外向きには」と話を続ける。

「フルトクランツ侯爵家のお家騒動として処理されるらしいわ」

「……まあ、当たらずも遠からずってところだね」

「銀髪美女を取り合ったんですって。面白いわねぇ」

「それもある意味事実だね……」

 この場合の銀髪美女とは、もちろんエドラのことである。ヨアキムはかかった火の粉を払ったに過ぎないが、レンナルトにとっては奪い合いだったのかもしれない。

「あんた、私を取り合って奪ったと思ってる? 思い上がりもいいところね。私はそんなにいい女ではないわ」

「いや、言ってること矛盾してるよ」

 エドラはレンナルトのツッコミを無視して、ベッドに腰掛けた。そして、レンナルトをぎゅっと抱きしめる。抱擁、と言うよりは本当に抱きしめている感じだった。


「……エドラ?」


 女性にしては長身と言っても、レンナルトよりは背の低いエドラに抱きしめられて、彼は少し窮屈そうだ。それでもエドラは気にしない。


「ねえ、わかってる? あなた、半年前の私と同じことしてるわよ」


 不安と緊張と責任感で押しつぶされそうになる。そして、そのことに本人は気づいていない。半年前、戦地から戻ったエドラはそうだった。そして、そのことを指摘したのはレンナルトだ。

 今、その立場は逆になった。気づいていないのはレンナルトで、指摘したのはエドラ。彼女は再び妹たちにするようにレンナルトの髪を撫でる。


「ねえ、知ってる? 私、あなたに気付いてもらえて、うれしかったのよ。確かに、あなたは自分の兄と争ったかもしれないわ。でも、私を見つけてくれたのはあなたなの、レン。少なくともあなたは、一人の女を救ったの」


 だから、そんなに自分を責めるのではないわ。


 常にないほど優しい口調で、エドラは言い聞かせるように言った。レンナルトはエドラの言葉に体を震わせたが、軽く笑って彼女の肩に顔をうずめた。

「……優しいね、君は」

「どうかしらね。私はあなたにもらったものを返しているだけよ」

 レンナルトがエドラに手を差し伸べてくれたから、彼女も彼に手を差し伸べる。そう言うことで、それで十分なはずだ。

 軽く背中をたたいてやると、レンナルトが嗚咽を漏らした。エドラが抱きしめる力よりも強い力で抱きしめられる。すがりつくようなレンナルトの背中をたたきながら、エドラは小さな声で歌う。優しい子守唄だ。

 エドラの魔力に引きずられるように落ち着き、目を閉じたレンナルトの頭を、ベッドに乗りあげたエドラは彼の頭を自分の膝に乗せる。エドラが騎士服なので、あまり情緒のない光景であるが。


 栗毛を撫でながら、つぶやくようにバラッドを謳う。その声を聞きつけたわけではないだろうが、部屋にノックがあって「入るぞー」と声がかかってから扉が開いた。扉に背を向けていたエドラは身をひねって振り返り、顔を出した闖入者に向かって人差し指を立て、自分の唇にそっと当てた。静かに、と言うことだ。

 闖入者、アルノルドは目を見開き、エドラとその膝の上のレンナルトを何度か往復して眺めた後、そっと扉を閉めた。王太子殿下に対して失礼だが、いつものことであるし、アルノルドはそんな狭量な男ではない。

 アルノルドの元にも、レンナルトが目を覚ましたと言う報告があったのだろう。だが、エドラはもうしばらく、彼の寝顔を独占していた。


「……あんた、結構かわいい顔して寝るんだねぇ」


 恋人の頬をつつきながら、エドラはすっかりいつもの声のトーンでそんなことをつぶやいた。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


たぶん、次で最終話。


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