49.ごめん
何度も言っているが、気合を入れて男装すればエドラは男に見える。後ろから見れば。顔を見るとエドラはどう見ても女性である。まあ、あと三つほど若ければ少女めいた顔立ちの青年に見えたかもしれない。
とはいえ、長身のエドラだ。眼鏡をかけて帽子を目深にかぶり、男装すれば少年に見えなくもない。まあ、どう見ても同行するレンナルトの従者にしか見えないけど。
「お姉様、格好いいですわ」
と、妹のマリーには好評であったが、恋人の興味を持って行かれてアルノルドには不評であった。ちなみに、男装の麗人の恋人はそういう格好もいいね、ということだった。まあ、エドラは日常的に騎士服を着ているのでそれほど真新しいものではない。貴族子息のような格好をしているのは珍しいけど。
レンナルトとそのお供にしか見えないエドラが訪れたのはいわゆる『紳士クラブ』である。基本的に貴族階級の男性しか足を踏み入れない場所で、女性のエドラが入るのは初めてである。エドラはレンナルトのお目付け役だ。
いわく、わりと健全なクラブなのだそうだ。コーヒーやお茶、場合によっては酒などを飲みながらゲームに興じたり、情報交換をしたりする社交の場だ。貴族女性が開くサロンと同じようなものだ。
同じような考えを持つ者たちが集まり、政治に関する話をしたりもする。そして、商売の話も。
「はぐれないようにね」
レンナルトにささやかれてエドラは静かにうなずいた。さすがにこんなに場違いだとわかっている場ではぐれるような目には遭いたくない。
レンナルトが声をかけられて席に着いた。従者とみなされているエドラは素直にレンナルトの席に後ろに立った。普段からこの立ち位置なので慣れたものだ。こういう場所では逆に堂々としている方が目立たない。
チェスゲームが始まった。人が集まってくる。公然とではないが、賭けもなされる。二年ほど戦場で過ごしたエドラは、すぐに慣れてきて周囲に目を走らせた。探し人がいるのだ。ここにいなければ、明日、また別の紳士クラブに顔を出す予定だ。そのクラブの質はどんどん落ちていって、最終的にエドラは連れて行かれなくなるのだろうな、という予感があった。
これはレンナルトと、それから、帝国関係の話は分からない、と言いつつ首を突っ込んできたベアトリスの読みなのだが、ヨアキムを含む彼らの狙いは、ニヴルヘイムとの交易なのではないだろうか。正規ルートとなると、関税が高くなる。当然の話だ。それならば、抜け穴的に民間交易をおこなった方が易くつくし、帝国的にはいい、と思ったとしても不思議ではない。
それらの約束事をする場合、通常、社交界などで行うものだが、ヨアキムたちは華やかな表の社交界に顔を出せない。ならば、紳士クラブなどを利用するのでは? と言うのがレンナルトとベアトリスの考えだった。エドラは感心したものだ。確かに、女性たちもサロンで約束を取り付けたりするものだ。
ふと、背を向けて誰かと話している若い男性が目に入った。しばらくその男性を眺めて、すっとレンナルトの方へ視線を戻す。チェス盤を見れば、レンナルトの方が押していた。
視線を男性の方に戻す。すでにそこにいなかった。
「……」
気づかれた? エドラはレンナルトの肩をたたく。彼は無反応であったが、エドラの言いたいことはわかったのだろう。唐突に笑みを浮かべた。
「失礼。従者が飽きてきたようなので」
「ははあ。貴公はその従者がお気に入りか。確かにきれいな顔をしているが」
からかうようにレンナルトの対戦相手は言った。レンナルトは苦笑すると速やかに立ち上がり、顔を見られないように逸らしたエドラの背中をたたいた。
「行くよ」
「はい(ヤー)」
店の中を確認するが、見当たらない。すでに店を出たのだろうか。エドラは裏口から、レンナルトは正面口から出た。エドラの方は何もなかった。店を回り込み、レンナルトと合流する。
「ぬかったな」
合流直前、エドラは後頭部に銃口を押し付けられるのを感じた。声はヨアキムのものだった。
「……ヨアキム、撃たないだろう?」
「……お前、先が読めていると言うよりも度胸がいいな」
ヨアキムが銃口をのけた。エドラはすぐさま距離を取る。武器と魔法、どちらが『速い』だろうか。
「エドラ! 兄さん……!」
レンナルトがヨアキムを認めて顔をしかめた。二人の中間にいるエドラはレンナルトの方へじりじりとにじり寄る。
「兄さん。最終通告だよ。僕たちと一緒に来てくれ」
レンナルトがエドラを引き寄せながら言った。行動と言葉が矛盾している。ヨアキムがふっと笑う。
「エドラが呆れた顔をしているぞ。私とこの国の在り方が交わることはないだろうな。しかも、お前たちは私の仕事を邪魔してくれたからな」
「レン、説得するだけ時間の無駄」
基本、わりきりと度胸で生きているエドラは冷酷にもそんなことを言った。彼がやらないなら、エドラがやる。
「任意同行してもらえないなら、強制連行だね」
エドラの氷魔法がヨアキムを襲う。ヨアキムは文字通り逃げた。魔法が、彼まで届かない。
「エドラ、まじめに!」
「それはこっちのセリフ! 魔法式が解体されてるのよ。範囲は狭いけど、あの巨人と同じね!」
叫んでいるの走って逃げるヨアキムを、同じく走って追っているからである。魔術がヨアキムに届く前に解体されてしまうので、魔法を使うしかないのだが、魔法は荒削りのため集中力がいる。走りながらでは難しい。自分にかける身体強化などは、普通に魔術として使えるのだが、ヨアキムに届かなければ意味がない。
「……エドラ、援護して」
「巻き込むわよ!?」
さすがにレンナルトを避けながら氷魔法を放てない。しかし、レンナルトは剣を引き抜きざまヨアキムに斬りかかる。振り向きざまにヨアキムも剣を引き抜いた。銃などを持っていても、やはり彼らは剣士だ。
エドラは魔法陣を用意して魔法を放つが当たらない。単純に、彼らの動きが速すぎるのである。
ならば、別の方法で。エドラは深呼吸して、歌いだした。
別に歌である必要はない。要するに精神干渉魔法だ。ヨアキムは魔力が弱いため、魔法耐性が低い。エドラの弱い精神干渉魔法でも効くだろう。
空気を震わせる振動魔法に、場が支配されている。間もなく、レンナルトとヨアキムだけの戦場が、エドラの支配下に置かれる。その時、右肩の後ろに衝撃を覚えた。そして、すぐに灼熱の痛み。撃たれたのだ、と理解するまでに少し時間がかかった。
ヨアキムが一人だと考えるのは軽率だった。エドラは振り返ると間髪入れずに魔法を放つ。息を吐きだすと、人数を確認する。三人か。氷の中に閉じ込めてしまおうか、とエドラは魔法を使うために集中する。
だが、それより一瞬早かった。レンナルトが三人のうち一人を斬り伏せた。見ると、ヨアキムがちょうど立ち上がるところだった。エドラは左手で銃を引き抜くと、ヨアキムに向かって放った。当たらなかった。
「ちっ」
「エドラ!」
レンナルトに呼ばれて振り返ると、その瞬間に銃を放つ。引き金を引いてから、レンナルトがその身にナイフを受けながら最後の一人を留めているのがわかった。
説教は後だ。エドラが放った銃弾はレンナルトが拘束する男を貫く。レンナルトはその男を放すと、ヨアキムの相手に戻る。駄目だ。こいつ、本当に強いわ……。
しかし、ヨアキムはさらに強いらしい。壁に叩きつけられたレンナルトに、エドラが駆け寄る。
「レン!」
「二人仲良く逝くか?」
できれば、エドラの魔法は欲しかったな、とヨアキムがつぶやいた。手をついて身を起こしたレンナルトは、エドラと手を重ねた。エドラがレンナルトの顔を驚きの表情で見ると、彼は微笑み、すっと彼女の手から銃を引き抜いた。
「私も弟と元婚約者殿を手にかけたりはしたくないんだがな」
目の前にいるものは敵と。エドラは体をずらした。レンナルトが銃をヨアキムに向けた。
「ごめん」
エドラにだけ聞き取れるような声で呟き、レンナルトは引き金を引いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。