43.別にどうもしないのでは?
その日、エドラは早朝にたたき起こされた。別に事件があったわけではない。いや、大事件ではあるが。
「お湯が出ない?」
「お湯どころか水も出ないし、暖房も機能しないし、明かりもつきません」
「はあ……」
エドラは使用人の言葉に気のない返事をする。数秒ほどボーっとした後、シャツとスラックスと言う寝巻の上にガウンを羽織り、ベッドを降りた。
手始めに自分の部屋の明かりをつけてみたが、確かにつかない。部屋の中が寒いのは、暖房が効いていないからだ。さらに蛇口をひねってみたが水も出ない。
「……全部、魔法道具だね」
「言われてみればそうですね」
女性の使用人が今気づいたように言った。エドラは思いついて自分の魔法を展開してみる。桶に張ってある水が凍った。続いて、魔法式を組みあげたが途中で霧散した。
「……なるほど。何となくわかった気がする」
水道も暖房も明かりも、全て魔法道具で賄われている。魔法道具は魔法席を中心に、道具に魔法式を組み込んだものだ。エドラの術式プロセスを必要としない氷魔法は発動で来たが、魔法式は分解された。このように、魔法を利用しているものは魔法式が分解されてしまうため、使用できなくなっているのだろう。
「理由はわかりましたけど、原因は?」
「さあねえ。うちだけか、他の家もかによって違ってくるだろうけど」
ラーゲルフェルト伯爵家だけならこの屋敷に問題がある。この辺り一帯が同じ状況なら、他に要因があるのだろう。どちらにしろ、エドラにはどうしようもない。
「仕方がないから、手動に切り替えなよ。水はポンプ式のやつがあるでしょ。暖炉で暖を取ればいいし、明かりはランプを持ってきなよ」
「……はい」
使用人にとっては仕事が増えるのだ。だが、どうにもならないのだから仕方がない。一度私室に引っ込んで着替えてきたエドラは、今度は執事に呼ばれた。
「エドラ様」
「何?」
「お客様です」
そう言われてついて行くと、エントランスで待ち構えていた騎士が敬礼した。
「お伝えします! 王国第一騎士団エドラ・ラーゲルフェルト副団長に国王陛下より出頭命令が出ております!」
私服姿のエドラは、直立して敬礼を返した。
「了解した。すぐに行こう」
まだちょっと頭がぼんやりしている気がするが、ひとまず騎士服を着てエドラは登城した。宮殿に足を踏み入れた瞬間にヴィリアムに捕まった。
「エドラ! 急いで!」
「え、うん?」
小首を傾げながらエドラはヴィリアムに引っ張られて会議室に入った。中にいた高級官僚や騎士たちの姿に、エドラはちょっと引いた。どう考えても、エドラが最年少だろう。アルノルドを数に含めるなら別だけど。
「魔法面の参謀役が来ましたよ」
グレーゲルに手招きされ、エドラは人の間をすり抜けて彼の元へ駆け寄る。近くに国王ゴッドフリッドがいたので、立ち止って敬礼する。
「エドラ、状況はどれくらいわかってる?」
「どこまでと言われても……うちに魔法ではなく人が伝令に来たから、魔法式がすべて解除されているのだろうなと言うことくらいしか」
グレーゲルの唐突な質問に、エドラは落ち着いて答えた。ラーゲルフェルト家だけではなく、どうやら王都全体が同じような事態に陥っているようであった。
「それだけわかっているなら上出来だ。どうすべきだと思う?」
エドラは落ちてきた眼鏡のブリッジを押し上げ、やはり落ち着いて言った。
「……別にどうもしないのでは? 魔法が魔術として確立するまでは、魔法に頼らない生活をしていたんですし、できますよ」
暗くて寒いのなら火をともせばよい。水がないなら汲んで来ればよいし、伝言が届かないなら直接会えばよい。人々はかつて、そうやって生活していた。
「……エドラ、やる気がないにもほどがあるな」
グレーゲルが少し呆れたように言った。しかし、魔法省の官僚が声をあげた。
「いえ、ラーゲルフェルト侯の言う通りでもあるんです。現状では、新たに魔法式を組み立てても、すぐに解体されてしまいます。原因が解明されるまで、待つしかなんですよ」
もちろん、当省でも解明を試みていますが、と彼は言った。解明されるのはいつなのだろうか、とみな不安げである。便利なものは慣れると手放せなくなるのである。
調査隊を出すべきだろうと、誰かが言った。誰がするのか、と言われたら。王国騎士団と魔法省だろう。いや、命令されたらやるけれども。
しかし、その必要はなくなった。会議室に緊急連絡が飛び込んできたのだ。この会議室の伝達魔法も使えないので、騎士がやってきた。
「会議中、失礼いたします! フェストランド元帥はいらっしゃいますか?」
「ここだ」
最奥、上座となる位置からグレーゲルが手をあげた。目くばせされたエドラが立ち上がり、その伝達事項を聞く。興奮気味の騎士に対し、エドラは顔色どころか表情一つ変えなかった。
「わかった。伝えておく」
騎士は敬礼をすると、会議室を出て行った。固唾をのんで様子を見守っていた会議参加者たちであるが、エドラは円卓を回り込んで自分の上官の元へ向かう。
「何かあった?」
グレーゲルが平常通りの声音で尋ねたので、エドラは言ってしまっていいのだろうと判断した。
「南方から、巨大物体が近づいてきているそうです」
「何だそれは」
尋ねたのはアルノルドだ。エドラは事務的に説明する。
「人型のようで、目算体長二十メートル程度とのことです。さっぱり意味が分からないので、見に行ってきていいですか?」
「君は本当に現実主義者だな……私の代理権を与えよう。行ってきてくれ。無茶はするな」
「了解しました」
エドラは敬礼すると、会議室を出た。一度伸びをする。結論の出ない会議は苦手だ。エドラが決定を出せるのならいいが、あの中ではエドラは下っ端の下っ端なので、話を聞いているだけなのである。上座近くにいるのは、彼女がグレーゲルの部下だからに過ぎない。
「エドラ!」
できるだけ速足で歩いていたエドラは、背後から名を呼ばれて足を止めて振り返った。そして、追ってきているのが近衛連隊長であるのを確認すると、また歩き出した。
「え、無視しないでよ寂しいじゃないか」
大股で追いついてきたレンナルトはエドラに話しかける。難なく追いついてきた癖に、よく言う。
「レンならすぐに追いつくと思ったのよ。無視したわけではないわ」
「うーん、そう言われると強く出られない。君も結構サディストだよね」
「褒められたと思っておくわ。というか、会議は?」
「ヴィリアムに任せてきた」
いわく、ヴィリアムの方が事務仕事が得意だからだそうだ。エドラはちょっと彼に同情した。きっと、いつもレンナルトにツッコミながら仕事をしているのだろう。
「……まあ、近衛連隊は命令系統が違うから何も言わないけど……今から南へ行くのよ?」
「わかってるよ」
「……ついてくるの?」
「そうだね」
速足……と言っても、レンナルトはエドラの歩調に合わせているだろうが、そんな速さで歩く二人の口調はどこかのんびりしていた。
沈黙したエドラだが、ひとまずレンナルトのことは考えないことにした。しかし、王国騎士団団長の代理指揮権を預かったエドラと、近衛連隊長のレンナルト、立場的にはどちらが上になるのだろうか?
まあいいか。エドラは慣れた様子で斥候部隊を選出すると、そのまま南へ向かった。王都スルーズヘイム郊外、ノルン。美しい湖のある街だが、その巨大湖は完全に凍っていた。
『それ』が出現してから、エドラたちに報告が行き、彼女らが駆け付けるまで一時間半ほどだろうか。『それ』は確実に、王都に近づいていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エドラさん、冷静というよりやる気ない。