42.反撃しようかと考えています
社交シーズンが過ぎ、冬になった。緯度の高いこの国では、冬の訪れが早い。まだ雪は降っていないが、夜のとばりが下りるのはだいぶ早くなった。
エドラは、椅子の肘置きに頬杖をつき、足を組むと言うかなり不遜かつ行儀の悪い態度でオペラを見ていた。無論、一人ではない。個室になっている貴賓室で、エドラの左隣にマリー、その隣にアルノルド、さらにその奥にヴィリアムが座っていた。全員お忍びの恰好で、エドラに至っては髪をくくり、眼鏡をかけて男装している。顔がどうしても女顔であるが、遠目なら背の高さもあって男性に見えるだろう。
マリーとアルノルドのお忍びデートの護衛である。今まではアルノルドにレンナルトがついてくることが多かったが、社交界後半で起こったアスガードの王族兄妹の騒動で、近衛連隊副隊長エーミルが国外に遊学と言う名の追放になってしまったため、繰り上がってヴィリアムが副隊長となった。となると、国王の護衛はレンナルト、王太子の護衛はヴィリアム、と言う風になったのである。尤も、アルノルドの精神衛生上の問題もあってレンナルトは外されたのではないかと思っている。
このオペラはマリーが見たい、と言っていたものだ。アルノルドが連れてきた。エドラが連れてきても良かったのだが、男性陣に断固反対されたのである。
オペラを見ながらワインをたしなむのが貴族流だが、護衛のエドラとヴィリアムは飲めないし、マリーはあまり酒類を好まない。そのため、温かいコーヒーやお茶で我慢である。ちなみに、エドラは飲めたとしても飲まない。前後不覚になるから。
純恋愛のこのオペラは、いかにも貴族の令嬢が好みそうだ。恋愛小説愛好家であるマリーは話のタネに見ておきたかっただけのようで、「まあまあですわね」と見たがったわりに酷評である。いわく、
「文章と言うのがいいのですわ。想像力が掻き立てられますでしょう?」
とのことで、エドラはもういっそ彼女は芸術家にでもなればいいのではないかと思った。
「お姉様はフルトクランツ隊長と見に来たかったのではありませんの?」
ニコリと邪気などなさそうにマリーは尋ねたが、彼女が興味津々であることはエドラにはわかっている。彼女は眼鏡の奥でアイスグリーンの瞳を細めた。
「さて。どうだろうね」
ひとまず以前とは違って否定することはなくなったが、それでも彼女は返答をぼかしている。マリーがにこやかに尋ねる。
「今日男装しているのも、連隊長がいないところで女性の姿をするのが嫌だったからではありませんの? まあ、わたくしは男装の麗人なお姉様が好きですけれど」
「……マリー。あきてきたからといって、あまり私をからかうな」
「あら、心外ですわ」
むうっと唇を尖らせるマリーは愛らしいが、エドラは疲れたように苦笑するにとどめた。
「……そうやって澄ましているが、レンナルトとはこれ見よがしにいちゃついてるじゃないか……」
恨みがましい口調はアルノルドだ。彼の場合は、マリーといちゃつこうにも自分の身分が邪魔をする。マリーが取り合わないのもあるだろう。からかって遊んでいる節がある。
まあ、アルノルドが指摘するように、エドラがレンナルトに迫られるとらしくもなく狼狽するのは確かだ。その状況でも重要案件が飛び込んで来れば冷静にさばける自信はあるが、それとこれとは別問題なのである。
「まあ否定はできませんが……そろそろどうやって反撃しようかと考えています」
「恐ろしいカップルだな! サディストコンビか!」
ことあるごとにサディストを強調するアルノルドである。彼の恋人も相当いい線をいっていると思うのだが、愛は盲目と言うやつか? それとも、あばたもえくぼ?
「恋人ができたらみんな多少は馬鹿になるものですよ」
しれっと言ったのは、エドラから一番遠いところにいるヴィリアムだ。彼女より一つ年上の彼はどうやら恋人がいるらしい。まあ、いても不思議ではない。
「……まあ、時々、どうして自分はこの男が好きなのだろうかと思うことはある」
「自分の趣味が悪い自覚はあるんだな」
「殿下、あとでそれ、言っておきますね」
「やめて!」
まあ、王太子をからかうエドラも相当である。マリーとヴィリアムが声をあげて笑った。
オペラが閉幕し、しばらくたってから四人はオペラハウスを出た。先頭を歩いていたエドラはすっかり暗くなった夜空を見上げる。
「雪ですね」
「お前が降らせているのか?」
「お望みとあらば、王都中を白銀の世界に変えて見せますが」
「できるのか……」
感心したのか恐れおののいたのか、アルノルドはつぶやくように言った。
明日あたり、積もるだろう。エドラは明日出かける予定なのだが、まあ大丈夫だろう。
翌日、エドラの予想通り雪が積もっていた。しかし、この国ではまだまだ序の口の方だ。五センチも積もっていないだろう。
屋敷の前でエドラは高い空を見上げる。太陽は出ているが、気温が低いので雪が融けることはないだろう。
「……寒くない? 中で待っていればよかったのに」
「ああ……私、あまり寒暖は感じないんだよね」
屋敷の外で待っていたエドラに声をかけたのはレンナルトだった。これから、いわゆるデートなのである。
寒空の下、コートにストールだけで外に出ているエドラは、自分の持つ魔法能力の影響か、寒暖の差の影響を受けにくい。しかし、熱中症や凍傷には普通になるので、気を付けなければならない。逆に不便かもしれなかった。
レンナルトの手がエドラの頬に触れる。そのひやりとした感触にレンナルトが微笑む。
「だいぶ冷えているじゃないか」
そう言ってレンナルトはエドラと手をつなぐ。痩身のエドラはもともと体温が低いのだが、レンナルトの手は温かかった。貴族とはいえ騎士である二人だ。歩いて街に繰り出した。
「そんなに何を見ていたんだい」
エドラは目を細めて問いを発したレンナルトの淡い紫の瞳を見つめた。
「……いや。弟の瞳と同じ色だと思って」
「……結構ロマンチストだよね」
「素直にブラコンと言ってもいいわよ」
シスコンかつブラコンの姉である。まあ、父親がおらず弟妹の面倒を見てると思えばそんなものかもしれない。
いまだに不思議だ。レンナルトと手をつないで歩いているとは。ちらりと彼を見上げると、レンナルトはエドラを見て微笑んだ。
「何?」
「……私が見上げられる人はやっぱり珍しいなと思って」
言い訳がましいエドラに、レンナルトは彼女の頬をつついた。エドラは彼を睨もうとして失敗し、視線をそらした。このもの慣れない調子がレンナルトにエドラをからかわせるのだ。レンナルトがエドラの腰を引き寄せる。
「何を隠したのかな?」
「近い」
エドラは答えずにレンナルトを押しやる。からかいすぎると最終的に物理的な攻撃が飛んでくるので、レンナルトはすぐに距離を置いて手をつなぎ直した。
「いいじゃないすらっとして格好いいよ」
「それ、一応恋人の女性にかける言葉ではないわよね?」
そう言って、自分で照れたエドラはいろいろ駄目だ。もう少しなれる必要があると思われるが、これは慣れようと思って慣れるものなのか?
「僕にはかわいらしい顔を見せてくれるからいいの」
レンナルトの言葉にエドラは形容しがたい表情になった。通常営業であれば、エドラもさらりと気障なセリフを吐けるのだが、なぜこうなるのだろうか。解せない。アルノルドにも言ったが、そろそろ反撃方法を見つけたいところだ。
ニコニコと百面相をするエドラを見ていたレンナルトは言った。
「だいぶ冷えて来たね。どこかカフェにでも入ろうか」
「それほど寒くないけど」
「だからそれが危ないと思うんだよ……と言うかエドラ、ちょっと細すぎない?」
「……」
エドラは両手でレンナルトの手を握り、爪を立てた。痛かったと思うが、レンナルトは何も言わなかった。長身痩躯は多くの女性のあこがれだろうが、エドラにはコンプレックスの一つだ。
レンナルトに堪えた様子がないのでさらにたたいたが、レンナルトは笑うだけだ。周囲には、その光景は仲の良いカップルのじゃれ合いにしか見えなかった。
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最終章開始です。