41.付き合い方を考えることにする
カーリンの誘拐事件からしばらくたち、サムエル王子とカロリーナ姫はアスガード王国に帰っていった。正確には、強制送還された。ちなみに、誘拐された張本人カーリンは、現在とても元気にしている。
カロリーナ姫を出迎えたエドラであるが、見送ることはしなかった。正式メンバーにならなかっただけで、離れて行く馬車をエントランスから眺めることはしていた。とんだ珍客であった。エドラは息を吐く。眼鏡のブリッジを押し上げたエドラに声がかかった。
「君も来ていたんだね」
「ん、ああ、レンか。あちら側じゃないんだ」
てっきり正式に見送りに出ていたと思っていたのだが、レンナルトもエドラと同じでこっそり見に来たらしい。ニコニコと笑いながら近づいてくる彼に、エドラは腕を組んでもう一度外を眺める。お互い忙しくて、顔を合わせるのはあれ以来であり、エドラは少し反応に困ったのだ。
たぶん、自分が彼を好きであることは間違いないのだが、それ故にどんな顔をすればいいのかが分からなかったのだ。
「まあね。僕としても、その方がありがたいよ。とんだ台風の目だったね」
「ああ……言いえて妙かも」
中心であるカロリーナ姫は何事もなかっただろう。ただ、その周囲は大いに荒れていた。
「滞在期間はひと月ほどか……濃い一か月だった」
エドラが疲れたように言った。結局、ほとんど屋敷に帰ることができず、カーリンを誘拐されると言う事態になってしまった。危機管理が甘かったのは本当に反省である。
「本当にね。まあ、僕としては君への思いを再認識できてよかったけど」
「……」
エドラは言葉を返すことができずに口をつぐんだ。顔が赤らむのを自覚して、エドラは熱を逃がすように息を吐く。
「エドラ? どうかした?」
いつもなら「何言ってんだこいつ」とばかりに睨んでくるエドラの反応がおかしいことに、レンナルトは気づいたらしい。顔を覗き込もうとしてきたので、あからさまに顔をそらす。
「え、ちょっと、顔見せて!」
エドラの顔が赤いことに気付いたレンナルトが彼女の肩をつかむ。エドラはとっさに腕をあげて拒んだ。
「やめろ! 横暴!」
とっさに出た口の悪さであるが、この拒否がレンナルトの手を引かせた。
「あー……ごめんね」
そろりとレンナルトがエドラから手を放す。いくらか冷静になったエドラも謝罪を口にした。
「いや……私もごめん。言いすぎた」
顔の赤みも引き、落ち着いたエドラはため息をつく。
「なんでお前、こんな口の悪い女が好きなの……」
五年ほど前なら、マリーには劣るがお嬢様然としていたと思うのだが。そちらが好きだったと言うのならまだ理解できる。
「なんでって言われても困るけど、まあ、いいなって思ったのは、君が王太子殿下や妃殿下を助けたあとかな」
「……うん、まあ、ヨアキムの婚約者だった時から好きだったとか言われたら引いてたね」
レンナルトの兄ヨアキムの婚約者だった当時のエドラはまだ十二歳。そのころから、とか言われただロリコンと声高に叫んでいただろう。
「そのころは可愛らしいお嬢さんくらいにしか思ってなかったけど。殿下方を助けた時、君、名乗らなかったけど、外見的特徴からすぐに特定されたよね」
「あんたが特定したって聞いたけど」
「まあ、騎士のお嬢さんってだけでだいたい絞れるし、その中で銀髪の氷魔法の使い手と言ったら君くらいだよね」
もしかしたら魔術師には数人当てはまる人物がいるかもしれないが、騎士と限定してしまうと、確かにエドラぐらいしか当てはまらないかもしれない。
「君、僕に連れて行かれる時すごく嫌がったでしょ」
「反抗した私に興奮を覚えたのなら、私はこれからお前との付き合い方を考えることにする」
「ああ、待って。お願いだから嫌わないで」
エドラは割と真剣だったのだが、レンナルトは半笑い状態だった。信じていないらしい。
「違う違う。君、あの時言ったよね。『私はたまたま通りかかり、たまたま困っている人がいたから助けただけだ。あれが王太子殿下や妃殿下だから助けたわけではなく、ここで出向いて恩賞を受けるなりして、王族に恩を売るために助けたのだなどと言われるのは嫌だ』って。まあ、四・五年前だから仔細は違ってるかもしれないけど」
「……私、そんなこと言ったかしら」
とはいうものの、エドラも全く記憶がないわけではなく、それに近いようなことは言ったような気がする。あの時は本当に面倒だったのだ。騎士団に身を投じてから、自棄になっていたといってもよく、まあ、ものぐさなのは今も続いているけれど。
「言っていたよ。そのころからかなぁ。あ、この子すごいなって。こんな子だったっけ、って思って気を付けてみるようにしてた」
「それ、お前が美形じゃなかったらただの変態的発言だから私以外に言わない方がいいわよ」
美形は何をしても許されると言うが、限度はある。エドラは残念な美女を自認しているが、レンナルトもなかなか残念なハンサムである。
そろそろ、カロリーナ姫とサムエル王子を見送りに出ていたものたちが戻ってくるだろうか。エドラはレンナルトの服の袖をつまんで引っ張った。
「ねえ」
「何?」
ニコリと応じたレンナルトにちょっとためらいながらもエドラは言った。
「あの、ね。抱きしめてくれない?」
一息に言いきると、レンナルトは驚きに目を見開いたがすぐにエドラの体を強くかき抱いた。エドラは自分もレンナルトの背中に腕を回す。
「ねえ。どうやら、私もお前のことが好きみたいだよ」
あれだけ好意を向けられて、嫌えるはずがない。エドラはそう言ったが、事実はもう少し違うところにある。
だいぶ、助けてもらったと思う。誰にも頼らなかった彼女の内面に無理やり踏み込んできたのは彼だ。領土侵犯だと訴えてもよかったが、これにずいぶん助けられたと思う。現に、今も落ち着いて甘えられるのは彼にだけだ。
かつての彼が婚約者の弟であるとか、自分が三人の婚約者を亡くして騎士になった変わり者の令嬢だとか、そんなものを取っ払ってしまえば、残るのはこの思いだけだ。少しくらい、素直になっても罰は当たらないのではないかと思う。
抱きしめられると、少し落ち着く。エドラはレンナルトの肩に自分の頬を押し付けた。
「珍しく甘えただね」
「うん……」
レンナルトの手がエドラの銀髪を撫でる。甘えただね、などと言いつつ、彼もこの状況を楽しんでいるのは明白だ。
レンナルトの右手がエドラの顎をつかんだ。淡い紫の瞳を間近に見て、エドラは目をしばたたかせ、はっとレンナルトの口元を掌で押さえた。
「ちょっと!」
エドラが抗議すると、レンナルトはエドラの掌のしたでもごもごと言った。
「今までは反応すらしなかったのに」
その時はその時、今回は今回である。確かに、記憶をさかのぼればレンナルトに迫られたことがあるような気がするが、あの時は自分が彼を好きだなんて思わなかったのだ。自覚したら恥ずかしさが勝る。
「だって……」
顔を赤らめて逸らしたエドラに、レンナルトは嗜虐心を刺激されたらしい。エドラもなかなかのサディストであるが、それは相手によるのかもしれない。
「そんなこと言われると余計にキスしたくなるんだけど」
「ちょ、ちょっと待って。しばらく待って。お願いだから……」
剛毅と言われた彼女の珍しい狼狽ぶりを楽しんだ後、レンナルトはエドラの頬にキスをして放した。
「まあ、今回はこれで」
「……」
涙目の赤い顔で睨むエドラは、どう見ても迫力がなかった。レンナルトが軽く笑い声をあげた時、恨みがましい声が聞こえてきた。
「お前たち……なんでこんなところでいちゃついてるんだ……!」
ひと月ほど、ろくに恋人と会えなかったアルノルド王太子だった。どうやら見送りから戻ってきたらしい。見られていたことにエドラが恥ずかしさに悲鳴をあげた。それにアルノルドが驚く。
「どうした!?」
答えずにエドラはレンナルトの肩にしがみつき顔を伏せた。妙にかわいらしい反応にアルノルドは動揺する。
「これが……あの氷の魔女だと言っても、やつらは信じないだろうな……」
やつら、と言うのがサムエル王子やカロリーナ姫であることは明白だった。彼らの問題と共に、レンナルトとエドラの微妙な関係の問題も片付いたわけだが、全てが解決したわけではなかった。
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