40.君から僕を奪った
翌日、エドラは宮殿に上がった。左腕の固定は取れたが、あまり無理をするなと言われている。まあ、宮殿にいる限り、エドラが肉弾戦を強いられることはないだろう。
さて、事情はベアトリスかレンナルトに聞けと言われている。問題を起こしたのがアスガード王国の王族なので、外交官であるベアトリスは忙しいだろう。消去法でレンナルトに聞いた方がよさそうだが。
「やあ、エドラ」
「……」
こうもあっさり出くわすと、何やら陰謀めいたものを感じてしまうエドラは、ちょっと疑い深すぎるのだろうか。
「今時間ある? 少し、お茶しない?」
「……いいけど、ねえ、暇なの? そんなわけないわよね?」
少し心配になったので尋ねたのだが、レンナルトは笑うだけだ。ここで引っ張るよりも、早めに話を済ませたほうがいいと判断したエドラは、とりあえずついて行くことにした。めったに入らない、北塔の近衛連隊の事務室だ。
「あ、連隊長! 何エドラさんナンパしてきてるんですか!」
ツッコミを入れたのはヴィリアムだ。いや、それを言うのならエドラもこんなことをしている場合ではない気がするのだが。
「ごめん、ヴィリアム。もうしばらく、副隊長代理の仕事頑張って」
「ちょ、エドラさんも何とか言ってください!」
「……いや、うーん……」
仕事がたまっているだろうなあと言う気持ちと事情が知りたいと言う気持ちに挟まれて、エドラはあいまいな返事をした。ヴィリアムがため息をつく。
「三十分後にドア開けますからね!」
「ねえヴィリアム。僕の時と対応違くない?」
レンナルトが訴えたが、ヴィリアムは聞き入れなかった。レンナルトは肩をすくめるとエドラを手招きして連隊長室に入った。
「まあ、適当に座って」
「大丈夫? 私やろうか」
レンナルトがポットからコーヒーを淹れようとしているのを見てエドラが言った。彼は笑って「これくらいは僕にもできるよ」と言う。なので、エドラは来客用のソファに座ってコーヒーの入ったカップを受け取った。
「簡単に状況を説明するね。サムエル王子とカロリーナ姫は、戦争で自分たちを貶めた君を恨んでいた」
「……」
いつ貶めたのかは不明だが、グレーゲルに言われたとおりエドラが口をはさむとややこしくなるのでひとまずすべて聞くことにした。
「あの二人は側室の子だからね。サムエル王子が負けたことで、立場が下がったんだろう。君個人を恨むのは、彼の目の前に現れたニヴルヘイム軍の指揮官がたまたま君だったからだろうね」
「なるほど。続けて」
三十分は、長いようで短いのだ。
「で、二人は君に復讐しようと思ったんだね。カロリーナ姫が遊学と称して宮殿内を振り回し、サムエル王子は王都に潜伏して機会をうかがっていた。調べれば、君の父君が亡くなっていて、屋敷には女性と子供ばかりだとすぐにわかっただろうね」
何となくわかってきた。エドラ個人に攻撃を仕掛けても、彼女ひとりきりだと逆に強い。周りに配慮しなくていいからだ。だから、戦場でも彼女は一人で奥まで入って行ったのだ。
だが、人質を取ったなら? 人質を取るなら、エドラでもカーリンを選ぶ。末の妹は誘拐などなかったかのように元気に見送ってくれたが、あの子は自分からついて行った疑惑があるな、とこっそりエドラは思っている。
「まあ、失敗したけどね」
「それはそうね。穴だらけだものね」
もう少し個人の力が強ければどうにかなったかもしれないが、いろいろとセオリーから外れている気がするのはエドラだけだろうか。
「まあ、サムエル王子とカロリーナ姫は、動機は意味不明だけど行動としては一応納得した。なら、エーミルさんは? スパイだろうなぁとはさすがに私もうすうす思ってたけど」
「うん。押し付けてごめんね。彼なら、君を傷つけることは絶対にないと思ったんだ」
「何故?」
エドラが首をかしげると、レンナルトはにっこり笑って言った。
「彼は君が好きだからだ」
「……」
エドラは今、ものすごく疑い深そうな表情をしていると思う。レンナルトが首をかしげる。
「あれ、気づかなかった?」
「……あんたが私を好きなんだなってことはわかるよ」
それはわかる。あからさまだし。だが、察しろ、と言われてもエドラにはちょっと難しい。
「それはよかった。ついでに君も好きだって言ってくれるとうれしいな」
これについてはノーコメントで返した。
「……まあ、それは気長に待っておくけど、エーミルが君のことが好きで、でも、君が自分になびかないだろうこともわかっていたんだと思う。だから、サムエル王子に手を貸したんだ」
まあ、言い分としては通る。サムエル王子も、生き残ったらくれてやる、と言っていたし。しかし、エドラにも言い分がある。
「どちらかと言うと、お前に対する対抗心なんじゃないの?」
「それもあるかもね」
あっさりと認めるレンナルトである。エーミルは彼の部下だが、年齢はエーミルの方が上だ。何も感じない、と言う方が奇特である。まあ、それは年若い女性副長であるエドラにも言えることだが。
「僕への対抗心があるから余計に、君のことが欲しくなったのかもねぇ」
「……」
微妙に誤解を招く言い方だが、黙って置いた。ややこしくなるので。
「カロリーナ姫がレンを側に置きたがっていたのは、私に対するあてつけ?」
「と、思うね。そういう仲だと思われてたってことだよ。ねえ、このまま靡かない?」
なんだか直接的に言われるようになってきた。エドラは「考えておくわ」と適当に答える。
「と言うことは、意外と脈ある?」
「かもね」
考え事をしながらそう答えた。カロリーナ姫やサムエル王子に情報を提供したのはエーミルだろう。つまり彼は、レンナルトとエドラが「いい仲」だと思っていたと言うことだ。まあ、わりと仲はいいかもしれないが、そうなったのはここ最近のことだ。
さすがのエドラも、これだけ顔を合わせるようになると、レンナルトは自分に気があるのだな、と察するようになった。マリーなどに言ったら、「今更気づいたんですの」と言われそうだが。
「結局、サムエル王子とカロリーナ姫は本国に強制送還かな」
レンナルトがコーヒーカップを手に持って行った。むかつくことに、こんな仕草も絵になる。
「でしょうね。そこら辺が落としどころでしょう。私たちも、今回のことを表ざたにする気はないわ。次やったら、本気で氷漬けにするけどね」
「わお。怒ったね」
珍しそうにレンナルトが言った。みんなそうだが、エドラが感情を出すと驚いたようになるのはなぜだろうか。
「陰険なのよ。私に恨みがあるのなら、正面から堂々と来ればいいのだわ。妹たちに手を出すなんて」
「潔いね……正面から当たっても砕ける気しかしなかったんだろうね」
サムエル王子も、白兵戦に持ち込んだのはよかったのだ。むしろ、エーミルがエドラを始末しようと思えば簡単だっただろう。エドラは、絶対に彼には勝てない。だが、サムエル王子に協力していても、エドラに恋したエーミルが彼女を害することができない。と言うことであの方法だったのだろうが。
「まあでも、カロリーナ姫はある意味正面から来たよね。君から僕を奪った」
「あー、うん、まあ、彼女らの中ではそういうことになっているのでしょうね……」
「さすがの僕も怒ろうかと思ったね。この小娘って」
「ニコニコ笑って何言ってるのよ」
レンナルトはにこにこ笑って心の中で切れるタイプだ。怒鳴ろうと思うのは珍しい。
「僕とエドラを引き離しやがってって」
そっちか。エドラにより、レンナルトの方に効いているじゃないか。
「で、僕には効いたけど、君はどうだった?」
「どうとは?」
「少しは嫉妬した?」
「……」
エドラは少し考えたが、答える前にヴィリアムが「三十分経ちましたけど!」とがんがんドアをたたいてきた。これ幸いとエドラは立ち上がる。
「じゃあ、私も仕事残ってるはずだから。お前もあんまりヴィリアムに迷惑かけないようにね」
「ああ……うん」
レンナルトが肩をすくめた。エドラは西塔への道すがら、カロリーナ姫の戦略が自分に影響を与えていたのかを考えてみた。
カロリーナ姫がレンナルトを放さなかった時、一番に思ったのは『わがまま王女』と言うことだった。それかもずっと、彼以外の護衛を受け付けず、彼女が彼を連れまわしているのを見て自分は何を思ったのだろう。
何をしているのか、と言う思いと、少しの不快感。ぞわりと、心臓を撫でられるような感覚。エドラはその感覚を思いだし、ため息をついた。
自分で自分の気持ちがわからない。ただ、こう思ったのは確かだ。カロリーナ姫がうらやましいと。
「……ああ~……」
エドラはうなだれて近くの壁に手をついてため息をついた。結論が出たのだ。
結局のところ、カロリーナ姫の戦略は成功していたのだ。だって、エドラもレンナルトが好きだから。
「……何をしているんだい、副長殿」
「ああ……ブロルさん」
エドラは正面から歩いてきた男性を見て声をあげた。ブロルは笑って尋ねた。
「何かあったのか?」
「いや……自分の鈍さにあきれているだけ」
ブロルは「そうか、気づいたのはいいことだ」と結構ひどい。エドラは壁から手を放す。
「それで、何かあった?」
「副長の決裁待ちの書類が待っているね」
「ああ、そうね……」
仕事がたまっているのはレンナルトだけではない。エドラもだと言うことだ。彼女は一度自分の感傷を棚に上げて仕事に取り掛かることにした。
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